老齢の密かな愉しみ<4>について
1)70歳になると、医療費も増えるが、負担割合が2割になるという。
2)70歳になると、バスや地下鉄の料金が10分の1になるらしい。
3)70歳になると、自動車免許更新が面倒になるらしい。
4)70歳になると、高齢者と呼ばれるらしい。
5)70歳になると、自分でももういいか、と思うらしい。
6)2024/02/14 〜 2024/03/09
7) アラ古希や三寒四温これからじゃ 把不住
1)70歳になると、医療費も増えるが、負担割合が2割になるという。
2)70歳になると、バスや地下鉄の料金が10分の1になるらしい。
3)70歳になると、自動車免許更新が面倒になるらしい。
4)70歳になると、高齢者と呼ばれるらしい。
5)70歳になると、自分でももういいか、と思うらしい。
6)2024/02/14 〜 2024/03/09
7) アラ古希や三寒四温これからじゃ 把不住
変化(CHANGE)
生は愚かにも自らを繰り返す——あなたが気をつけるようにならないかぎり、生は車輪のように繰り返しつづける。仏教徒たちがそれを「生と死の輪廻(りんね)」と呼ぶのはそのためだ——時間の輪。
それは車輪のように回る。誕生の次に死が来て、死の次に誕生が来る。愛の次に憎しみが来て、憎しみの次に愛が来る。成功の次に失敗が来て、失敗の次に成功が来る。ちょっと見てみるがいい!
もし数日間でも見守っていられたら、ひとつのパターン、輪のパターンが現われているのがわかるだろう。ある日の晴れわたった朝、あなたはとても気分がよく幸せだ。ところが、別の日にはとてもだるく、死んだような感じがするために自殺を考えはじめる。
すぐ前の日は、あなたはとても生命に満ちあふれ、至福で満たされ、深く満ち足りた気分でいることを神に感謝するほどだったのに、今日はとても不満で、なぜ人は生きつづけなければならないのか、その理由がわからない……。それがどこまでもどこまでもつづいていく。だが、あなたはそのパターンを見ない。
一度そのパターンを見たら、あなたはそこから出てくることができるのだ。Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 7
解説:
このカードのシンボルは、時間、運命、カルマを表わす巨大な輪です。この絶えず動きつづける円のまわりを銀河が巡り、周辺には黄道十二宮が見えます。周辺のすぐ内側には易の八つの卦、さらに中心に近づくと四つの方角があり、それぞれが稲妻のエネルギーで照らされています。
回転するトライアングルがこの瞬間は上の方を、神聖なるものの方を指していて、中心には中国の陰陽、男性と女性、創造性と受容性を表わすシンボルが置かれています。世界でただひとつ変わらないものは変化そのものだとよく言われてきました。
生は絶えず変化し、進化し、死に、そして再び生まれ変わっています。相反するあらゆるものが、この広大な円形のパターンのなかでそれぞれの役を演じているのです。輪の縁にしがみつこうものなら、目が回ってしまうでしょう! 台風の中心へと進み、これもまた過ぎ去ることを知って、リラックスしましょう。Copyright © 2011 Osho International Foundation
UNDERSUTANDING(理解)
あなたは牢獄から出ている、鳥かごから出ている。あなたは翼を広げることができるのだ。そうすれば、空全体があなたのものだ。
すべての星と月、そして太陽は、あなたに属している。あなたは超えたものの蒼(あお)さの中へと、消えていくことができる……。
ただ、この鳥かごへの執着を落とし、鳥かごから出ていくだけで、空全体があなたのものになる。翼を広げ、鷲(わし) のように、太陽を横切って飛ぶがいい。
内なる空では、内なる世界では、自由にこそ最高の価値がある——ほかのことは、至福、エクスタシーですら、すべて二の次だ。花は数えきれないほど無数にある。
だが、それらはすべて、自由という風土のなかで咲くことができる。 Osho Christianity, the Deadliest Poison and Zen Chapter 6
解説:
このカードに描かれている鳥は、鳥かごのようなもののなかから外を見ています。しかし、それには扉もついていませんし、事実、柵も消えかけています。柵は幻想だったのです。そして、ほかの鳥たちの優美さと自由、励ましによって、この小さな鳥は出てくるように呼びかけられています。
翼を開き始め、まさに初めて飛び立とうとしています。鳥かごはこれまでずっと開かれたまま、空は私たちの探険を待ち受けていつもそこにあったのだという、新しい理解の曙——それは、初めのうちは私たちをちょっと震えさせることもあるでしょう。それでいいのです。
震えてしまうのは自然なことです。しかし、その震えのすぐそばに差し出されている軽やかさと冒険を体験する機会を曇らせてしまわないようにしましょう。この時期の甘美さと優しさと共に進みましょう。
内側の羽ばたきを感じてください。自らの翼を広げ、自由になりましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation
STERESS(ストレス)
個人的なゴールはすべてノイローゼのようなものだ。本質を究めた人は、「私は全体から離れてはいない、私ひとりの運命を探し求める必要はなにもない。ものごとは起こっているし、世界は動いている——それを神と呼ぶなら… …神のしわざなのだ。
それらはひとりでに起こっている。私が奮闘し、努力する必要はまったくない。私がなにかのために戦う必要はない。私はリラックスして、ただ在ればいいのだ」ということを知るようになり、感じるようになる。
本質を究めた人は、ものごとのやり手ではない。本質を究めていない人は、やり手だ。本質を究めていない人は、もちろん、不安、緊張、ストレス、苦悩に見舞われ、たえず火山の上に坐っている。その火山はいつ爆発してもおかしくない。
というのも、そういう人は不確実な世界に生きていながら、この世界は確実だと信じ込んでいるからだ。それが、その人の実存に緊張を生みだす。奥深いところでは、なにひとつ確実ではないことを知っているのだ。Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 3
解説:
計画が多すぎて、「アドバルーン」を上げすぎて、余りの負担に耐えられなくなり、ちょっとした風邪で寝込んだり、墜ちてしまって結局は松葉杖の世話になった人たちがどれくらいいるか知っていますか?
そういった「タイミングの悪さ」はあるもので、それはこの絵のなかの小さな猿が、手にしたピンで「ワンマン・バンド」を今にもひと刺ししようとしているようなものです!このカードが示しているようなストレスの質には、ときおり私たちみんなが見舞われますが、とくに完全主義者たちはそれに冒されやすいのです。
自分たちがいなければなにひとつ起こりはしない——自分たちがそうあって欲しいと思うようには起こらない! そういう考えがあって、私たち自身がそのストレスを生みだしています。
ところで、あなたはいったいどんな理由があって、自分はそれほど特別だと思い込んでいるのでしょうか? 自分の手で目覚まし時計をセットしなければ、朝になっても太陽は昇らない、あなたはそう思っていますか?
散歩に出て、花を買って、自分のためにスパゲッティの夕食でもつくりましょう——「どうってことのない」ものであれば、なんでもいいのです。猿の手の届かないところにいましょう!copyright © 2012 Osho International Foundation
COMPARISON(比較)
比較は劣等感を、優越感をもたらす。比較しなければ、すべての劣等感、すべての優越感は消える。そのときこそ、あなたは在る。ただそこに在る。小さな潅木、あるいは大きく高い木——そんなことは関係ない。
あなたはあなた自身だ。あなたは必要とされている。草の葉は、もっとも大きな星と同じように必要とされている。その草の葉がなければ、神は在るべき自分より少なくなってしまう。
郭公(かっこう) のこの声は、どのようなブッダとも同じくらい必要とされているのだ。もしこの郭公が消えたら、世界はより少なくなる、豊かさがより少なくなってしまう。
ちょっとまわりを見てみるがいい。すべてが必要とされていて、あらゆるものが互いにぴったり合っている。それは有機的なひとつのまとまりだ。高いものは誰もいないし、低いものも誰もいない。
優れているものは誰もいないし、劣っているものも誰もいない。誰もが比較できないほどユニークだ。Osho The Sun Rises in the Evening Chapter 4
解説:
竹はオークよりも美しいとか、オークは竹よりも貴重だとか、いったい誰があなたに教えたのでしょう? オークはこの竹のように自分もなかが空っぽな幹がほしいと願っている——あなたはそう思いますか?
その一方で竹は、オークの方が大きいし、秋になったら葉の色が変わるので、嫉妬するでしょうか? 二本の木が自分たちを比べ合っているという考え方そのものがばかげていますが、私たち人間にはこの習性を断ち切るのがとてもむずかしいようです。
現実を直視しましょう。あなたより美しい人、才能のある人、強い人、頭のいい人、あるいは明らかに幸せそうな人はつねにいます。そして逆に、こうしたすべての意味であなたに及ばない人もつねにいます。
自分とは誰なのかを見いだす道は、他人と自分を比較することで得られるのではなく、わかっている最良の方法でみずからの潜在能力を自分が実現させているかどうか、それを見ることによって得られます。Copyright © 2012 Osho International Foundation
THE BURDEN(重荷)
人間のほんとうの生は、他人から押しつけられた嘘を取り払う道だ。身につけているものを脱ぎ、裸で、自然であれば、人はあるがままの自分だ。これは、在るということであって、なるということではない。嘘は真実にはなりえない。
人格はあなたの魂(ソウル) にはなりえない。非本質的なものを本質的なものにする方法はない。非本質的なものは非本質的なままだし、本質的なものは本質的なままだ。それらは取りかえることのできないものだ。そして、真実なるものを得ようと奮闘しても、ますます混乱が生じるだけだ。真実なるものは達成される必要はない。達成することはできないのだ。それはすでに現状としてある。
ただ嘘を落とせばいいだけだ。
あらゆる目標や目的や理想やゴールやイデオロギー、宗教、改善と改良のシステム、すべて嘘だ。それらに気をつけるがいい。今のままの自分だと、自分こそ嘘だという事実を認めるがいい。
他人に操られ、教え込まれている。真実なるものを求めて奮闘することは心を逸らすことであり、引き延ばすことだ。そうやって嘘は隠れようとする。嘘を見てみるがいい。あなたの人格という嘘を深く見つめてみるがいい。というのも、嘘を見ることが、嘘をつくのをやめることだからだ。もはや嘘をつかないということは、もはやどんな真実も探し求めないということだ——探し求める必要はない。
嘘が消えるやいなや、真実がそのすべての美と輝きと共にそこにある。嘘を見ることで、嘘は消える。そして、後に残ったもの、それが真実だ。Osho This Very Body The Buddha Chapter 6
解説:
「こうすべきだ」「こうすべきではない」という他人から押しつけられた重荷をかついでいると、私たちはこの人物のようにボロを身にまとい、登り坂を悪戦苦闘して進むことになります。彼が背負っている愚かな暴君は、「もっと速く、もっと頑張って、頂上に行き着くんだ!」と叫んでいますが、その暴君自身は傲慢な雄鶏(おんどり)の冠をかぶっているのです。
最近、生は揺りかごから墓場へとつづく苦闘でしかないと感じるようなら、ちょっと肩をすくめて、このような人格を背負わずに歩くとどういう感じがするか、見てみる時かもしれません。あなたにはあなた自身の征服すべき山があり、実現すべき夢があるのですが、それを実行するエネルギーは、他人から寄せ集めたものなのに自分のものだと思い込んでいる期待をすべて解き放たないかぎり、けっして得られません。
たぶん、それらはあなた自身の心のなかにしか存在していないのですが、だからといって、それらがあなたを押しつぶしてしまうことがないとはかぎりません。荷をおろして軽くなり、それらを行くべきところへ勝手に行かせてしまう時です。Copyright © 2012 Osho International Foundation
00)セブンティ・ブギ 01)存在の詩 02)老齢の密かな愉しみ<4> 03)老齢の密かな愉しみ<3> 04)老齢の密かな愉しみ<2> 05)老齢の密かな愉しみ<1> 06)素晴楽堂消息⭐️其の伍 07)素晴楽堂消息⭐️其の肆 08)素晴楽堂消息★其の参 09)素晴楽堂消息★其の弐 10)素晴楽堂消息★其の壱 11)みんないっしょに空になれ 12)コンシャス・シンギュラリティ2 13)コンシャス・シンギュラリティ3 14)コンシャス・シンギュラリティ 15)道の巻 16)達の巻 17)遼の巻 18)進の巻 19)蓮の巻 20)違の巻 21)邏の巻 22)辷の巻 23)逝の巻 24)返の巻 25)退の巻 26)迷の巻 27)述の巻 28)禅の巻
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