カテゴリー「20)違の巻」の97件の記事

2021/01/30

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<80>「違の巻」について

<79>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」ダイジェスト版

<80>把不住述懐「違の巻」について

1)シンニュウのある漢字の中で一番画数の少ないのは、「辷」(すべる)である。文字通り、するっと元のあるべき姿に戻るというような意味合いのようである。最も画数の多いのは「邏」(ら)である。警邏隊、などのように、めぐる、という意味合いらしい。円周と点、なかなかいい取り合わせのようである。これが、前回、前々回の巻名の由来である。

2)シンニュウ漢字に巻名を求めたのは、ジョージ秋山の漫画「浮浪雲」の巻名にちなんだのだった。元漫画のように、特段その巻名に縛りはないのであるが、時期的にひとまとめにして、整理しておきやすいからである。

3)今回の「違の巻」も、その字に関しては特段の意味合いは含まれていない。「辷」と「邏」の間にあって、ちょうど中間の画数だったのが、「違」であった。そこから「違の巻」は命名されたのだが、このような経緯がなければ、この巻名が冠されるチャンスはなかったかもしれない。

4)書かれたのは、2020/07/17~2021/01/31の間。実に半年以上の期間を費やした。108の記事をひとまとめにしてカテゴリーとする当ブログの慣習において、最もスローペースな期間だったかもしれない。その理由は、最近は、めっきり読書量も減り、体力も衰え、またメモする気力も減退しているからである。

5)そして、例のパンデミック危機により、ステイホームの期間が長くなり、このチャンスを利用して我が廃物アート20分の1の五重塔の製作に取り掛かってしまったからであった。かなり大きなもので、まだ途中だが、あと数か月、あるいはもっと長い期間が必要とされる。当然、相当な集中が必要だ。ブログなんて書いている暇はない。読書もまた同じ。

6)そして、9月には、5番目の孫が生まれ、一定期間同居する必要が生まれ、爺さんは爺さんの役目を与えられ、そちらもなかなか忙しかったのである。さらには、つづく10月あたりからは、ウィキペディアにおけるOSHOについての記事の訂正騒ぎが起きた。こちらはすでに既報どおりだが、なかなか神経を使う大変なチームワークだった。

7)そして加えて、2020年度は、ボランティア活動のうえで、二つの団体の役員の役目が増えた。希望したわけではないが、行きがかり上、まぁ年齢的にも仕方ないかなという役割なので、しぶしぶ引き受けることにした。初めて引き継ぐ役目はなかなかに苦労が多い。右も左もわからないことも多い。一生懸命やった。

8)だが、よくしたもので、これまで加わってきたボランティア活動のうち、このパンデミック危機で、いきなり活動の回数が減った。激減、というか、ほぼ中止状態に追い込まれている団体が複数ある。これまでの活動力が減ったので、新しいボランティア活動に振り分けることができたので、なんとかかんとか、抜け切りつつある、というところ。

9)ブログ活動としては、仏教の一切経とやらの巻数5048巻にあやかって、5048冊を目指しているところだが、2021/01/19に読んだ「禅百題」鈴木 大拙が4451冊目の最新である。わずかに目標の後ろ姿が見え始まったとは言え、これから追加するところの600冊程度が必要となる。一日一冊のペースとしても、ほぼ二年がかかるという段階だ。現在のスローペースでいくと、下手すりゃ5~10年だってかかるかもしれない。のんびりいくしかないな。

10)全体としては、新刊本や新しい本に手をつけるよりも、再読、再々読、精読の流れに入っており、新規の冊数を稼ごうとするエネルギーが枯渇している。まぁ、それもありか。ゆっくり行こうぜ。

11)テーマは、例のOSHOの「Words from a Man of No Words」に象徴されるような静寂な方向へとながれている。把不住としての俳句のように、できれば、静寂な五七語で完結するような世界をめざしはじめている。そしてまた、OSHOの最後のZENシリーズの中に、「把不住」の姿をみようという、探求とはいわず、たんなる愉しみへと、あゆみは変化してきている。唐代の禅師たち、その中に、インド、中国、日本、そして現代西洋哲学、そしてアフターパンデミックをにらみつつ、グローバルな地球人としてのスピリットが、当ブログをして、命脈を保ちさせている。

12)次の巻名は「蓮の巻」とする。南無妙法蓮華経や一蓮托生や、マハカーシャップの拈華微笑にかかわるニュアンスはあるが、直接には、昨年9月に生まれた5番目の孫の名前に由来する。彼の名前には、この一字が含まれている。思えば「遼」、「進」もまた別な孫の名前に含まれているから、場合によっては、続編として、これらの巻名を採用するかもしれない。そのへんは、大きな理由立てはない。随意に愉しんでいくつもりである。

13)再読したいこのカテゴリこの3冊「違の巻」編は次のとおり。


「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」 
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) 2020/10 河出書房新社

「禅百題」
鈴木 大拙 (著) 2020/12  河出書房新社 


Cabin Porn Inside 小屋のなかへ
ザック・クライン (編集), 渡部 未華子 (翻訳) 2019/11 出版社 : グラフィック社

 

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<81>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「違の巻」編

<前>からつづく  
再読したいこのカテゴリこの3冊 
「邏の巻」編

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「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」 
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) 2020/10 河出書房新社

 

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「禅百題」
鈴木 大拙 (著) 2020/12  河出書房新社 
★★★★☆


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Cabin Porn Inside 小屋のなかへ
ザック・クライン (編集), 渡部 未華子 (翻訳) 2019/11 出版社 : グラフィック社
★★★★★

後ろにつづく

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Words from a Man of No Words <3>

<2>からつづく

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違の巻も最後の一冊となった。現在の私にとっては、最後の一冊、このWords from a Man of No Words以外はすべて、違である。この翻訳本ですら、違である、としておこう。

 

<4>につづく

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最後の禅シリーズ<2>

<1>からつづく

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1)検索してみると、これら6ないし7冊については、過去すでに、当ブログ立ち上げ時点から何度も逡巡して、メモしまくてっているシリーズなのである。

「ボーディダルマ」  ✖ 7回

「これこれ千回もこれ」 ✖ 3回

「道元」 ✖ 8回

「空っぽの鏡・馬祖」 ✖ 4回

「臨済録」 ✖ 5回

「ノーマインド」 ✖ 5回

「禅宣言」 ✖ 23回

2)すでにこれらの講話録については、過去10数年に及んで、あちこち蚕食してしまっているので、あえて今回は触れる必要もあるまい。ここでは、これらについてすでに、これだけ時間をかけて散歩済みだった、ということを確認すればいいだろう。

 

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3)このように本を重ねたイメージは、自分の中では、すでに原風景として凝り固まっている、とさえいえる。この辺で、いよいよ新風が必要だな。喝。

4)過去につくったリストだが、この当時より蔵書は増えている。

Osho最後の講話録・ZENシリーズ(未確認版)

88/04/22 Live Zen
88/05/27 This, This, A Thousand Times This: The Very Essence of Zen  「これ、これ、千回もこれ」
88/06/11 Zen: The Quantum Leap From Mind to No-Mind
88/06/27 Zen: The Solitary Bird, Cuckoo of the Forest
88/07/12 Zen: The Diamond Thunderbolt
88/07/25 
Dogen, the Zen Master: A Search and a Fulfillment 「道元」
88/08/02 The Miracle
88/08/12 Turning In
88/08/16 The Original Man
88/08/29 The Language of Existence
88/09/08 The Buddha: The Emptiness of the Heart
88/09/16 
Ma Tzu: The Empty Mirror「空っぽの鏡・馬祖」
88/09/26 Hyakujo: The Everest of Zen, with Basho's Haikus
88/10/05 Nansen: The Point of Departure
88/10/15 
Joshu: The Lion's Roar
88/10/23 
Rinzai: Master of the Irrational 「臨在録」
88/11/01 Isan: No Footprints in the Blue Sky
88/12/03 Kyozan: A True Man of Zen
88/12/26 
No Mind: The Flowers of Eternity 、「ノーマインド」
89/01/08 Zen: The Mystery and The Poetry of the Beyond
89/01/13 
One Seed Makes the Whole Earth Green
89/01/17 Yakusan: Straight to the Point of Enlightenment
89/01/22 
Christianity: The Deadliest Poison and Zen: The Antidote to All Poisons 
89/01/30 Communism and Zen Fire, Zen Wind
89/02/06 
God is Dead, Now Zen is the Only Living Truth
89/02/13 I Celebrate Myself: God Is No Where, Life Is Now Here
89/02/20 
The Zen Manifesto: Freedom From Oneself 「禅宣言」


赤字
がまだわが蔵書に加わっていない1冊だが、今回、これを揃えてみるのも一興だし、いやいや、すでにネットで十分、と悟ってしまうのも、案としては正当である。

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5)禅宣言においては、唐代の禅師ならぬ、現代の「禅師」達が、OSHO最後の返し刀によって、滅多切りにされている。

「禅宣言」でOSHOのまな板に乗った人々 工事中 

U.G.クリシュナムルティ p13
J.クリシュナムルティ p14
神智学協会 p17
リード・ピーター p19
アニー・ベサント p20
ゴータマ・ブッダ p20
ソクラテス p25
鈴木大拙 p26
ジャン・ポール・サルトル p27
ボーディ・ダルマ p30 p334
アラン・ワッツ p31
マハカーシャッパ p31
カビール p32
丹霞天然 p49
ミケランジェロ p55
天竺 p57
カザンザキス p63
マグダラのマリア p65
南陽 p70
百歳 p72
馬祖 p93
トマス・マートン p92
ポール・レップス p96
ユベール・ブノワ p96 p284
イエス・キリスト p101 p347 p419
クリシュナ p101
アリストテレス p118
マハヴィーラ p123
長蘆(ちょうろ) p160
千崎如幻 p166
アルバート・アインシュタイン p172
E.ムーア p174
石頭和尚 p206
ラーマクリシュナ p226
羽紅 p247
宝徹 p262
石室 p298
長髭 p298
フリッチョフ・カプラ p315
仰山 p328
ゲオルギー・グルジェフ p336 p466
凡兆 p348
ウィルヘルム・ライヒ p350
大顛(だいてん) p366
一休 p368
ジョン・スティーブンス p381
ウォルト・ホイットマン p385
ジークムント・フロイト p395
芭蕉 p401
ソロモン p402
フィリップ・カプロー p402
ナンシー・ウィルソン・ロス p441
コンスタンティヌス p444
清平(しょうへい) p456
翠微(すいび)p456
ケン・ウィルバー p458
マンタク・チア p461
ヘロドトス p463
カリフ・オマール p467
ピカソ p469
ムムタズ・マハール p471
一茶 p475
エーリッヒ・フロム p476
カール・グスタフ・ユング p478
洞山(とうざん) p490
潙山(いさん) p490
雲厳(うんがん) p490
ゲシュタ・イタル p492
カール・ヤスパース p518

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6)はてさて、どこから、どう攻めようか? そろそろ「違の巻」も終わり。「蓮の巻」はどんな展開になるのやら。我ながら、愉しみである。

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<3>につづく

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2021/01/29

こんにちは

1)いきなりメールをもらう。親しげだ。わからない名前なので、躊躇していると、次の日あたりに、ニックネームをつけて、もういちどメールがくる。わすれたのかな?と問いかけてくる。いや~、忘れたわけじゃなくて、最初から出会っていないのではないか?

2)いや、日常的にも、普段付き合っている人物の名前がまったくでなかったり、完全に忘れてしまったりという体験は茶飯事にある。ましてや過去数十年前に一度や二度あったかもしれない人物など、忘れてしまっていたとしても、勘弁してもらうしかない。

3)しかれども、これってひょっとすると、ひっかけのジャンクメールだったりするかもしれないのだ。電話やDMなども、この手の非道が流行ったことあるよなぁ・~~。くわばら、くわばら。

4)久しぶりにメールなり手紙をくれるなら、やはり、きちんといついつどこでこんな形で出会っただれだれですよ、と自己紹介すべきだ。私が勝手に忘れてしまったのだろう、なんて思わない方がいい。久しぶりにメールをくれるなら、キチンと要件をつたえたまえ。

5)そして、それに返信するかどうかは、こちらの権利だ。義務ではない。まったく無視する自由さえ残されている。残しておいてほしい。あと数年もすれば、私だって、古来稀なる年齢となる。これまで出会った人々のひとりやふたり忘れてしまったって、そうそう怒らないでほしい。その程度のことで、こちらの人格を疑わないでほしい。

6)無限の可能性、というやつを信じてみたいけれど、地球人類70億人と、フェイスtoフェイスで付き合えるわけがない。人生の人間関係を結べる範囲は、どこぞの研究によれば、せいぜい150人程度だそうだ。フォロアーがなんぼ、アクセス数がなんぼと、意味のない数をカウントしている輩もいるかに聞くが、人生の真の価値から考える、それらはあんまり意味がない。

7)だから君よ。君のメールは削除した。本当に久しぶりで意味があるものならば、きちんと、その意趣を表明せよ。納得できれば、返信する。いや返信させていただく。私にとってはとても大事な人生上の機縁かもしれない。そのようなチャンスは失いたくない。それはそうだろう。

8)だけど、そういう幸運や、奇譚はそうそう多くはない。新手のネット販売や、団体の勧誘などは願いさげだ。そういうつきあいは、お互いやめようね。清い関係でいましょう( ´艸`)。

9)ということで、今夜も、ゆっくり寝ることとする。お休み。

 

男児(あに)走り女児(いもうと)走る枯れ木道 把不住

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最後の禅シリーズ<1>

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1)私の知っている範囲で言えば、OSHO最後の禅シリーズは88/04/22 88/05/26の Live Zen から、89/02/20 89/04/10 The Zen Manifesto: Freedom From Oneself 「禅宣言」までの約27冊。そのうち邦訳されているのは6冊。今回はこれに加えるところの87/07/05 87/07/14 Bodhidharma: The Greatest Zen Master 「ボーディダルマ」 と87/07/15 87/08/20 The Great Zen Master Ta Hui から一冊加えて7冊。

2)大体が、ざっとは目をとうした邦訳群ではあるが「これこれ千回もこれ」と「空っぽの鏡・馬祖」は、もうすこし読み込んでもいいかな、という気がする程度。

3)英語版は、その30冊のうち20冊程度は蔵書しているが、もっていないものが10冊程度ある。それらを集めてみるか、という誘惑にも駆られるが、別に本としてあつめなくても、ネットでも十分内容を把握できるページがそろっている。

4)さて、OSHOがなぜに最後に唐代の禅師たちを遊んだか、ということが気になっているわけだが、おそらく、ひとりひとりの禅師を追いかけることに、よくよく考えてみれば、それほどの意味はないのである。

5)話を面白くしたり、複合的な背景をつけて、楽しんでいたにすぎないのではないか、と思うのである。つまり、当ブログとしても、なにやら学術的な探求などする段階ではないのだろう。つまり、そうしなければならないのではなく、楽しみのタネをみつけて、面白がればいいのだろう、と納得するのである。

6)そもそも、これらの邦訳は、本当に一冊を本気になって取り組めば、いきなり時間がかかり、こんなにたくさん読めるはずはないのである。数量的に読み込んだとしても、だから、それがどした? ということになってしまう。

7)読み込まずに、むしろ、楽しむ。断片的であれ、直観的であれ、あるいは誤読、あるいは曲解もあり、で、とにかく戯れてみることのほうが、大事なのではないか。今はそう思う。

8)いずれ、全体的に英文の蔵書とミッシングリンクも整理してみるが、結局そこにあるのは、何かを読み込むという姿勢ではなく、遊ぶ、戯れる、時間と、空間と、そこにいる、ということなのであろう、とさえ思うのである。

9)完璧とか、正確とか、妥当とか、そういう価値観ではなく、ひたすら愉しむ、ひたすら没頭する、ひたすら忘我がする、というあたりが、結局は、最後の禅シリーズがのこされた、真価なのであろう、と、今日のところは納得しておくこととする。

<2>につづく

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「禅の知恵に学ぶ」山川 宗玄<12>

<11>からつづく

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「禅の知恵に学ぶ」 NHKこころの時代~宗教・人生~ <12>
(NHKシリーズ) ムック 山川 宗玄 2019/03 出版社: NHK出版 ムック: 160ページ 
★★★★★

山川様

お役に立てずにすみません。

そもそも、二回あった放映を見逃されたのは残念でした。私はたまたま立ち寄った書店に、NHKテキストをみつけ、放映を待ち構えて視聴したのでした。そもそも、ひと月に一回の放映なので、半年ほど続いていたことになります。

すこし間延びした放映だったので、ちょっと関心が別なほうに行ったので、結局、最初は全部削除してしまったのでした。(我が家のハードディスクには容量の限界があります。)

しかし、再放送があるとのアナウンスを聞いて、今度こそはと、またまた待ち構えていたのですが、やっぱり、ひとつの番組だけに集中しているわけではないので、結局、再放送分も半分は削除してしまった、というわけです。

この番組にはいろいろ考えさせられることが多かったです。老師も素晴らしい方ですね。ただ、我が人生を考えてみると、いろいろな素晴らしい人々との出会いもたくさんあり、そしてまた、師と仰いで教えを請おうという方もいらっしゃいましたが、そう多くはありませんでした。

弟子もまた師を求めて旅をするのですが、師もまた弟子を求めて旅をしていると聞きます。師と弟子の出会いというものは、奇跡的なもので、よく卵の中のひなの成長と、その殻を突っつく親鳥にたとえられますね。

おひとりの師においても、複数回のチャンスがあり、ちょうどぴったり、という機縁がきっとあるものと推察いたします。

また、この番組でも繰り返し語られていることですが、人生といえ、禅といえ、結局の目標は己事究明である、と聞いています。師あったればこそ正しい道にたどり着く人生もあるでしょうし、師を持たずに究極の道へと進む人もあるかに、聞きおよびます。

どうぞ、山川様におかれても、すばらしい出会いがあり、そして我が家へと帰り着く道筋が見つかることをお祈りいたします。

 

鳥啼きて草木目覚める春陽かな   把不住

 

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「禅の知恵に学ぶ」山川 宗玄<11>

<10>からつづく

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「禅の知恵に学ぶ」 NHKこころの時代~宗教・人生~ <11>
(NHKシリーズ) ムック 山川 宗玄 2019/03 出版社: NHK出版 ムック: 160ページ 
★★★★★

山川様

ご事情ご推察申し上げます。さて困りましたね。

現在私の手元にあるのは、1回、3回、5回分の録画ですね。ビデオのハードディスクに入っています。これを見ていただくには、どのような方法があるのでしょう。著作権のあるものであり、未知の人とシェアするには、いろいろな難易度のハードルがありそう。

①お近くの方であれば、我が家に来ていただいて、一緒に見る。これなら、3時間分だし、私も繰り返し見たいし、正当なNHK視聴者の行為ですね。

②ハードディスクから記録媒体に録画し、友人として貸し出し、見終わった後は返却してもらう。これならギリギリセーフか。ただし取り出すのは私は得意じゃないので、息子か誰かの手を借りないといけない。

③どうせ取り出したのなら、プレゼントするなり、有料で送付する。もうここまでくると、ちょっとまずいかも。常態化した商いになっていなければ、大目に見てもらえるか。

④もっと手っ取り早く、ヤフオクやメルカリに時間指定で出品して瞬間的に落札してもらう。これもありだが、結局は履歴が残り、お互い犯罪者のお仲間入り、ということになってしまうのも困る。

⑤同じようにyoutubeや動画サイトにアップして、ダウンロードしてもらう。これもありそうだが、タイトルや中身を検索して、そもそもアップ自体を拒否されるかも知れない。たまに非合法の動画もあるので、網の目を潜れるか。

⑥でもそういうのは、外国人の友人がいたり外国のサイトやサーバーを使ったりしなければならないので、現実的ではないよね、きっと。もうアンダーグラウンドの世界ですね。

⑦C to Cというか、ファイル交換ソフトのようなものもあるようなので、それも有りかと思うが、我が業務上、我がパソコンにそれらのソフトをインストールすることさえご法度なので、これは無理。

⑧最後に残されているのは、しつこくNHKにみんなで再放送要求の圧力をかける。「皆様のNHK」なら、オンデマンドや再放送のチャンスをつくってくれるかも・・・・w

⑨あるいはDVD化されて発売されるのを待つ。これは可能性はあるかもよ。企業秘密で未発表だけど、すでに実現化に向けて企画が動いているかも。

はてさて、他にどんな手があるかな・・・・・。

<12>につづく

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2021/01/28

「禅の知恵に学ぶ」山川 宗玄 <10>

<9>からつづく

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「禅の知恵に学ぶ」 NHKこころの時代~宗教・人生~ <10>
(NHKシリーズ) ムック 山川 宗玄 2019/03 出版社: NHK出版 ムック: 160ページ 
★★★★★

コメントをいただきました。

 

山川宗玄老師のNHK放送を見逃し、探していてここにたどり着きました。テキストを読み、美濃加茂での老師の講話も何度か聴講しました。なんとか、この放送を録画された方を探して、ダビング等のお願いをしたく、ここに書き込みさせていただきました。
よろしくお願いします。投稿: 山川正治 | 2021/01/28 15:07



山川正治様
書き込みありがとうございます。山川宗玄老師を縁起として、こうして書き込みをいただいたのも、深い因と縁のつながりがあることだろうと、感謝いたします。
老師について、すでに美濃加茂での老師の講話も何度も聴講されておられるということですので、私から申し上げることのできることはほとんどありませんが、おそらくNHKの番組ですので、オンデマンドとか見逃しなんとかで、正式に再視聴できるシステムがあるはずだと思います。
また、なんどか再放送された履歴もありますので、NHKでの今後の放送予定などもチェックする方法もあるかと思います。
チラッと、動画検索をしたら、下記のビデオがでてきたので、参考までに貼り付けておきます。

<11>につづく

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IT社会と企業の未来

このタイトルズバリではなかったが、関わりのある会社のオンラインセミナーとやらにZoomで参加した。

本来は毎年立派な会場を借りて、会社の顧客向けに綺麗事に終始する企画ではあるが、今年はパンデミック下において、オンラインで開催された。

二部構成で、パート1が若き女性イノベーターたちの体験談のようなもので、なかなか物事をはっきりとした口調で発言し、また自らの体験でなければ語れないような内容も多くあった。

一時間強の時間枠でのパネルディスカッションには当然不足もあるが、まあこんなもんだろうな、という内容であった。

別段にひらめいた、ということはなかったが、大いに気付かされたのは、若さの持つエネルギーというものについてである。

彼女たちの持つ若さは、年老いた私などからみると、ワカ者というより、バカ者と揶揄したくなる部分もないわけじゃないが、であるからこそ、若者なんだ、と思わされた。

当然私自身も若い時分には相当にバカ者だったわけで、年寄りたちがハラハラしながら見守ってくれていたのだろう、ということは、今になってみればわかる。

しかし、今回のパネラーたちは、若い時分の私などより、はるかに知性を携えて、それぞれに立ち位置を与えられ、また自分でそれを獲得してきたイノベーターたちである。心から応援したいと思った。

パート2においては、それぞれの有名企業に属するイノベーターたち3名のパネルデスカッションである。ほぼ引退を間近に控えているような方もおり、主婦から再出発した有名編集者もいた。

メディアなどでは、内部崩壊しているかのような評価をされている企業に属する登壇者もいたが、なかなかに元気で、決してメディア情報で出来上がっているイメージとは、ちょっと違う。

表面的な情報だけに頼っていると、本質的なニュアンスを掴むチャンスを失ってしまうこともありうるな、と反省したことだった。

かくいう私が関連している動きについても、30年前や40年前の情報から一歩も出ていない一般人を見るにつけても、常に感性を磨き、より新しい今日的な実態に触れ、さらには進んで自ら体験することの大事さに、心が巡った。

企業主催の、顧客向けセミナーとなれば、ネガティブ情報は避けて、より希望に満ちた、宣伝効果を狙った内容になるのも仕方ないとして、時にはこういう試みがあれば、積極的に参加してみるのもいいもんだ、と感じた。

IT社会や企業の未来について、分かった訳ではないが、人間こうして、日々葛藤して生きていくんだな、って思うと、何やらシミジミとしたエネルギーが湧いてくるのだった。

 

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