カテゴリー「13)禅の巻」の47件の記事

2018/07/12

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<72>「禅」カテゴリ+(「禅」の巻)について

<71>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<72>「禅」カテゴリ+(「禅」の巻)について

 7まで引っ張ってきた「Mindfulness in the modernworld」も、さすがに8までは続かなかった。8でスタートしたものの、それは無理だろうと、結局「禅」カテゴリになった。まどろっこしいことはもういい。ぶっちゃけていこうや。

 そう思っていた矢先、今度は、利用しているブログサービスの提供されている容量が満杯になり、それ以上書き込めなくなった。61記事のタイミングだった。それまで1・0と2・0を通じて読んだ本は4200。

 ある意味、優柔不断で、決断不足な私を、状況が後押しをした。もう次に行くしかないのである。

 そもそも、3月11日の段階で、もう3・11も7年が経過したのだ、次のステップに行こうと決断していて、新ブログ「把不住述懐」は、設定が完了していた。新しい企画もいろいろと思いついた。だけど、なかなか動けなかった。

 6月はじめになって、結局新ブログに移らざるを得なくなった。そして、それから47の記事を書いて、二つのブログをまたがって、108記事になり、それを「禅」カテゴリとした。新ブログにおいては、それは「禅」の巻と呼ばれることになるだろう。

 書かれた期間 2018/05/13~2018/07/12

 ジャーナルは禅で終わった。そして述懐は禅で始まる。いいね。

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 続けていたのは、廃物アート・シリーズ「iRobot」。出来上がるまであと数週間はかかるだろう。見ていたのは「スターウォーズ」シリーズ。読んでいた本は、もちろんOSHO「禅宣言」。

 再読したいこのカテゴリこの三冊は 

「スター・ウォーズ 禅の教え」エピソード4・5・6 
枡野 俊明   (著) 2015/12出版社:  KADOKAWA 単行本: 191ページ
 

「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」  :フォースの導きで運命を全うせよジャン=クー・ヤーガ   (著) 2017/10 学研プラス 単行本: 312ページ 

「STAR WARS 人生に フォースは 必ヨーダ」
ジェフ・スミス (著), 2017/09   講談社 単行本: 96ページ

 楽しく、かつ意義ある、思い出深い、カテゴリ、巻となった。新時代が始まる。

<73>につづく

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2018/07/11

再読したいこのカテゴリこの3冊「禅」編

前からつづく  

再読したいこのカテゴリこの3冊 

「禅」カテゴリ「禅の巻」

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「スター・ウォーズ 禅の教え」エピソード4・5・6 
枡野 俊明   (著) 2015/12出版社:  KADOKAWA 単行本: 191ページ

「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」  :フォースの導きで運命を全うせよジャン=クー・ヤーガ   (著) 2017/10 学研プラス 単行本: 312ページ

「STAR WARS 人生に フォースは 必ヨーダ」
ジェフ・スミス (著), 2017/09   講談社 単行本: 96ページ

<後>につづく

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「禅宣言」 OSHO<18>

<17>からつづく

禅宣言
「禅宣言」<18>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 当ブログ1・0におけるVol.1の最後の一冊は、この「禅宣言」だった。当ブログ2・0の最終カテゴリは「禅」一文字となり、ブログが提供される容量を使い切ったことでサドンデスが起こり、こちらの述懐に移ってきた。

 そして、いまこの禅カテゴリも108の記事を得て、二つのブログをまたいで、終了しようとしている。その今、新たなる最後の一冊にこの本が来ることには妥当性がある。

 私が思うに、現代人は瞑想だけに20年、30年と捧げることはできないからだ。もし禅がそのように厳しいままだったら、きっと地上から消え去ってしまうだろう。

 それはすでに中国から消え去ってしまったし、日本からも消え去ろうとしている。そしてインドからは、ずっと前に消えてしまった。それがインドに存在したのは、ゴータマ・ブッダの死後500年間だけだった。

 6世紀になって中国に伝わり、何世紀間かそこに存在し、そして日本に移った。そして今、中国と日本の両方でほとんど消滅しかかっている。OSHO P492

 必要なのは、現代人を魅きつけるように禅を変えていくことだ。楽で、くつろいだもの----激しくすることはない。そのような古い伝統的な形はもはや可能ではないし、その必要もない。いったん探求されたら、いったんひとりの人間が悟りを開いたら、その道は容易になる。

 たとえば、電気は何度も何度も発見する必要はない。いったん発見されたら、あとはそれを使えばいい1----別に偉大な科学者である必要はない。OSHO p494 

 ブッダの目覚めはとてもやさしく、またくつろいだ現象だ。これほど多くの人々が目覚めてきたのだから、道ははっきりしている---もはや厳しく骨折りなものではない。遊びながら中に入り、楽しみながら意識の目覚めを体験することができる。

 それはもはやゴータマ・ブッダのときのような、はるかに遠いものではない。OSHO p495

 禅は、私がやろうとしているくらいにやさしいものになって初めて、現代人の関心を引くことができる。そうでなければ現代人には、やることがたくさんある---するべきことがたくさんあり、探るべき道がたくさんあり、気をそらすものがたくさんある

 禅を遊びに満ちた小さなものにすることだ。そうすれば眠りに入ろうとするとき、その前に、5分のうちに自分自身の中に入り、一番じゅう自分の存在の中心にとどまることができる。

 するとよる全体が、安らかで静かな気づきとなる。眠りは身体の中にあるが、その下には宵から朝までの光の流れがある。

 ひとたび、眠っているときにも一定の気づきがあると知ったら、一日じゅう、どんなことをしていても、覚醒し、意識を保つことができる。要は仏性を、あくまで普通で、平凡で、単純で、人間的な事柄とすることだ。OSHO p497

 結局は、予定調和的にここにたどり着くのは当ブログの必然であるが、この一冊がここに選ばれているのは、「禅宣言」というタイトルにも所以があるだろう。そして、OSHO自身がこのタイトルにたどり着いたのも予定調和的であったし、必然でもあった。

 このタイトルを持って、当ブログ1・0と2・0の読書ジャーナルは終焉する。

 されど、読書は人生の大きな楽しみである。読書は今後もつづくだろう。これからは、もっと内側からでてくる言葉に留意をしながら述懐という新しいブログを歩いていこうと思う。そしてまた、長年続いてきたブログは、先立つところの我が人生のミニコミづくりにも通じるところがあり、ブログそのものは、姿を変えつつ、続いていくだろう。

 ここまで生きてきて、その姿に必然性があったとするならば、急に変化することはない。外面的には。だけど、内面においては、180度の転換である。ゲシュタルトが逆転する。いずれ、別な姿が浮き上がってくるだろう。

<19>につづく

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「STAR WARS 人生に フォースは 必ヨーダ」ジェフ・スミス

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「STAR WARS 人生に フォースは 必ヨーダ」
ジェフ・スミス (著), 2017/09   講談社 単行本: 96ページ
No.4209★★★★☆


 なにか秘密の書いてある虎の巻や、難解な哲学書のような一冊を期待すると、完全に裏切られる。紐解いてみれば、手のひらにさえ書いてしまえるような数行のポエムが書いてあるだけである。あとは、各ページに、映画の名場面のイラストが描いてある。

 原題は、Everything I Need to Know I Learned From (a) Star Wars である。決して、日本語版のような親父ギャグは含まれていない。

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 されど、原文が、あまりにストレートにスターウィーズからの教訓を書き出してしまったために、遊びがない。表紙のマスター・ヨーダが救いとは言え、ちょっと窮屈感を与えるのも事実。成功したかどうかはともかく、この程度のユーモアも必ヨーダろう。

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 なんとなく、この映画から派生した教訓本が三冊揃ってしまったが、それぞれに確かに個性がある。類書を探していけば、山とありそうだ。当ブログとしてはどこまで追いかけるか疑問だが、一言でスターウォーズを説明せよ、と言われれば、この「人生にフォースは必ヨーダ」で決まりだろう。

 フォースのライトサイドを信奉する思想集団ジェダイ・オーダーの最長老が、マスター・ヨーダであってみれば、表紙に彼が来ることに必然性はある。

 されど、フォースのダークサイドを信奉する思想集団シス・オーダーのパルパティーン皇帝(ダース・シディアス)を、悪の根源として切り捨ててしまうことに、一抹の疑問は残る。

 親鸞聖人は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と仰せられ、さらに「一般には『悪人ですら往生できるなら善人はなおさら往生できる』と言われている日本。その影響力は計り知れない。

 勧善懲悪のスターウォーズだけでは、最終的には決着はつかないのである。少なくとも、当ブログにおいては。

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「さとりサマーディにて」<35>右、左、右、左‎  ‎

<34>からつづく

「さとりサマーディにて」 

<35>右、左、右、左‎      目次 

 部屋に入ってみると、一段と母の反応は鈍くなっている。声だけでは、訪問者が誰なのか、わからない。名前を告げると、それはわが息子であることはわかるらしい。今日は何日なの、と聞く力はあるが、それが、夏なのか、春なのか、その辺のところが、ちょっとあやふやになっている。

 ベットの脇には新しい張り紙があった。施設の介護スタッフが体の向きを注意してくれているのだろう。すでに自力で歩くことも、起き上がることもできない。体のあちこちが硬直していて、自力では寝ている自分の姿を変えることができなくなっているのだ。

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 幸いにして、褥瘡(じゅくそう)というか、床ずれはまだできていない。「床ずれは大変だよ、床ずれは治らないから。床ずれが大きな病気への最後の引き金になることが多い。気をつけないと」と、わが友、マッサージのO師も、注意をうながす。

 2時間おきに、入所者ひとりのために体の向きを変えてくれるなんて、大変な作業だなと思う。椅子の上には、その日誌記録も新しくできていた。右、左、右、左。本人は、もう何もできないが、何をしてもらっているかはわかる。「どうもありがとうございます」と、最近とみにか細くなった声で、感謝の言葉を述べるだけだ。 

<36>につづく

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「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<74>イモ掘り

<73>からつづく

 
 今年のジャガイモはうまく行った。まずまずの出来だ。長雨で掘りだすタイミングを見計らっていたが、孫たちが時間を取れそうな夕方に畑へと連れ出す。なに大した時間がかかるほどの量ではない。小さな市民農園のさらに、その一角だ。
 
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 だけど、やっぱり小さな子供たちにとっては、そのイモ掘りという体験がワクワクさせる。集中している時間はそれほどでもない。茎を引っ張ったり、となりのキュウリもぎに浮気したり、一輪車を動かすほうが面白かったりする。
 
 おしっこがつまれば、トイレを探し、遠いところまで間に合わなくなると、畑におしっこをする。「あ~~、おしっこ味のジャガイモになってしまうよう~~」と別な子どもが絶叫する。いえいえそういうことはありません。そこはもう掘り出したあとだよ。それに、畑にとってはコヤシになってもいいかもな。
 
 今年の成功の秘訣は、キチンと計画したこと。親戚のおばさんからもらったジャガイモ専用の肥料の効果。そして、無農薬の畑ゆえ、毎年大量発生するニジュウヤテントウムシを小まめに手で取り続けたこと。
 
 今夜、遊びにきた友人にもおすそわけ。スーパーに行ったら、いくら新ジャガとは言え、大した金額ではない。買うのは簡単だ。いや買ったほうがずっと安く、きれいで、ひょっとすると、美味いかもしれない。だけど、やっぱり、いくらリクレーションとは言え、自ら作ったジャガイモには、誇らしいものを感じる。
 
 その辺あたりを、畑で飛び回っている孫たちにも、感じてもらえばな、と思う。
 

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2018/07/10

「スター・ウォーズ 制作現場日誌」エピソード1~6ー CREATING THE WORLDS OF STAR WARS 365 DAYS

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「スター・ウォーズ 制作現場日誌」エピソード1~6ー CREATING THE WORLDS OF STAR WARS 365 DAYS
ジョン・ノール(ILM VFXスーパーバイザー) (著),    神武団四郎 (監修),    富原まさ江 (翻訳) 2016/12 出版社: 玄光社 単行本: 743ページ
No.4208★★★★☆

 いやはや、ド分厚い一冊である。なんせ、全ページアート紙にカラーで印刷されている。そしてひとつひとつにコメントがついているが、とても全部読み切るには相当な時間がかかる。百科事典か広辞苑でも預けられているようなもの。とても読み切れない。

 だけど、制作現場日誌、の表記にウソはなく、実に原寸大の撮影現場が延々と提示されている。なるほど、こうやっているのか。だろうな、そうだろうな。あれだけの大活劇の、奇想天外な大アクション源の連続。それを支えている現場は、実に原寸大の人間たちが動いている。

 撮影チーム、大道具係、アート技術者たち、細かい作業、大きな視点。あの大活劇をささえる現場はこうして作られているのだ。ましてやこの本、エピソード1~6、と歌っているだけあって、旧三部作、新三部作の6本の映画の現場が、赤裸々につづられている。

 均質な画像が、この映画がひとつのストーリーで一貫されているのだ、ということを思い出させる。あれこれのシーンの舞台裏は実はこうだったのだ、と、ある意味ホッとする。あの光輝くライトセーバーだが、実際は、やはり原寸大のさもない棒を振り回しているのだ。あとから、特殊メークしている。

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 さてさて、わが廃物アートのiRobot、思いついてからすでに三か月。廃材を集め全体像の整合性を考え始めてから、二か月が経過した。できたのはここまで。なかなか大変だ。これで自分としては、完成度まだ2~30%というところ。どこで我慢し、どこで妥協するか。最後まで、納得まで遊びきれることができるか。

 夏休みの孫たちが遊びに来てくれるまで、失望させることのない程度のクオリティまで押し上げていくことが可能であろうか。あれもやりたい、ここはこうしたい、いじりたいところは山となっているが、自分の技術、手元の道具、そして材料となる廃物の量、質。あと一か月で、どこまでいけるだろうか。

 そんなことを考えていると、あの映画一本、あるいは6本シリーズに関わった人々のクリエイティビティは、どれほどのものだったのか、と、自分の体験を一目盛りとして換算してみると、とてつもない活動と、年月が、思いやられる。

 いいよね、やってみないとわからないよね。廃物アートはできあがりが問題ではない。それを実際に作ってみることによって、そのリアリティを自らの体験、経験として、実感として、掴めればそれでいい。

 さぁ、もうすこし続けるぞ。

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2018/07/09

『ウェブ人間論』 梅田望夫/平野啓一郎 <4>

<3>からつづく

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「ウェブ人間論」 <4>
梅田望夫/平野啓一郎/対談 2006/12  新潮社  新書  203p
★★★★☆

 「ウェブ進化論」梅田望夫 2006/02 筑摩書房)が、当ブログの出発点になったことは、これまで繰り返し述べてきたところだが、あれから12年の営みを総括して、1・0から2・0、そして述懐へと移行していくにあたって、全体を概観してみると、実際は「進化論」よりも「人間論」のほうが問題だったのではないか、と最近になって思うようになった。

 そして、それは一点、グーグルと「スター・ウォーズ」との絡みのところに集中していたかに思う。私はこの部分を読んでからこの映画を見るようになったのだが、実際は、焼酎を片手にソファーに寝そべって見ていたので、ほとんど無理解のまま、見た気分になっていたのではないだろうか。いや、そうである。

 ところで、最近になって、「スター・ウォーズ 禅の教え」(枡野俊明 2015/12 KADOKAWA)に出会い、 「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」 :フォースの導きで運命を全うせよ ジャン=クー・ヤーガ 2017/10 学研プラス)に触れ、 「JOY ON DEMAND」たった一呼吸から幸せになるマインドフルネス チャディー・メン・タン  2016/11 NHK出版)に目を通してみて、ちょっと待てよ、という気分になった。

 最近になって、「グーグルのマインドフルネス革命」―グーグル社員5万人の「10人に1人」が実践する最先端のプラクティス(サンガ編集部 2015/05)や、「サーチ!」 (富と幸福を高める自己探索メソッド チャディー・メン・タン 2012/07 宝島社)の存在を知るに至り、なるほど、あれから十数年経過して、ITネイティブ世代もいよいよ人間として成長のプロセスに向かっているのか、と思うようになった。

 そこで、今回、あらためて、私も全6作品のDVDを発表順に見て見たところだが、7,8はすでに封切劇場で見たし、少し、概略と、ことの成り行きが分かってきた。これから私は別段にスターウォーズ・ファンになる気もないし、ことさらグーグル信者になって、SIYとやらのセミナーを受けたり、ましてやその講師になってやろう、なって気持ちはサラサラないが、まずは、これらの風景を視野を入れておく必要は感じている。

 まずは、その「ウェブ人間論」の気になったページを張り付けておく。すでに12年前の本でもあるし、長文でもあるので、画像で(不鮮明で申し訳ない)残しておくことにする。ここに登場するスターウォーズとグーグルの関わり、そして、対談者たちの受け取り方がなかなか興味深いと、今でも思う。

 ただし、当ブログは、ここを確認したからこそ、さらに独自路線の述懐に進んでいけるな、という確認の意味もある。

 グーグル以来、フェイスブック、LINEや、インスタグラム、ビットコインなどのブロックチェーンなどの、ウェブ上の成果物には留意しながらも、当ブログは当ブログの独自性を急ぐものである。

 (なお、黄色のマーカーの痕跡は、12年前に私が初読した時の残骸である。現在としては特に意味はなし。)

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2018/07/08

「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」 :フォースの導きで運命を全うせよ ジャン=クー・ヤーガ <2>

<1>からつづく

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「スター・ウォーズ ジェダイの哲学」  :フォースの導きで運命を全うせよジャン=クー・ヤーガ   (著) 2017/10 学研プラス 単行本: 312ページ

 この本を読むなら、エピソードⅣ、Ⅴ、Ⅵに続いて、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲも見ておきたい。

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前からつづく

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「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」 <第4作>  監督・脚本:ジョージ・ルーカス 製作:リック・マッカラム 撮影:デヴィッド・タッターサル 音楽:ジョン・ウィリアムズ 出演:リーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド
制作年度 / 1999 / 米 収録時間 137分

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前からつづく


「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」
  <第5作>
出演: ユアン・マクレガー, ナタリー・ポートマン, ヘイデン・クリステンセン, リック・マッカラム, ペルニラ・アウグスト 監督: ジョージ・ルーカス 2002


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<前>よりつづく


「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」  <第6作>
ヘイデン・クリステンセン主演 監督ジョージ・ルーカス 2005年 20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン ディスク枚数: 2枚 140分

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 「スター・ウォーズ 禅の教え」エピソード4・5・6 なら旧三部作だけでいいけれど、さすがにこちらは、まずは新三部作を見なくてはならない。さっそく見直しましたよ。なるほどね、これで私もだいぶスターウォーズ通になりました。

 それにこの人脈図もキチンと見ておかないといけない。続三部作のうち二部までは映画館で見ているが、やはりここまでのことが分からないと、消化不良を起こす。

 それにいろいろな外伝などがあるので、またすこしづつ補強だな。

つづく

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2018/07/07

「スターウォーズ エピソード5」 私がお前の父親だ。

 この部分を見ていて、思い出したことがあったから、メモしておく。今までも機会があったら書こうとは思っていたが(ひょっとするとどこかに書いたかな)、なかなかそのチャンスがなかった。

 私は父親と8才の時に死別したが、それまでの6年間、父は病気で遠隔地の隔離病棟にいたから、私の記憶では、父親の記憶はほんの数えるほどしかない。

 小学校に入学する直前あたりだろうか、いちど家族とともに電車に乗って面接に行ったことがある。その時、一生懸命勉強したら、なにか欲しいものを買ってあげるよ、と言ってくれた。私は「乾電池で動く電車がほしい」と言った。今でいうプラレールのようなものだっただろうか。

 結局、父はその約束を果たさず亡くなった。戦争で体をこわして生還したとは言え、年金も補償もない時代、健康保険も十分ではなかった。ましてや永年職から離れていた男は、幼い子供に電車のひとつも買い与えることができなかった。

 我が家は大きな農家だったので、家族は多く、父親の存在がなくても、寂しい想いをしたことはなかった。父が亡くなった直後、早朝など目が覚めて、ひとり布団に横たわっていると、天井近くで、魂となった父親が帰ってきていて、子供の私を見つめているようなエネルギーを感じたことがある。

 父親がいないことに不足を感じたことはなかったが、それは幸せなことに他の周囲の人々の愛情に包まれていたからだろう。ただ、そのことに起因して、激しい怒りを感じたことが一度ある。

 中学校三年の卒業式の直後に、片親の卒業生だけを集めて、市が主催して、壮行会をやってくれるという。このことについてだけは納得できなかった。それはどういうことか。実は片親の卒業生は、私の周囲に結構いた。だが、私にはその自覚がなかった。私は納得できず、その式を無断で欠席した。

 このことは、おそらく私が一番最初に、教師に反抗した最初の出来事だったかもしれない。

 父親のことなどほとんど考えたことはなかった。だが、23才になってインドに渡り、さらにはスリランカに渡って、日本山妙法寺の藤井日達上人のもとで修業していた頃、24才になり、さらには父親の17回忌に当たっていた。そこで私は父親の法名を伝え、追善法要をしていただいたことがある。

 その直後、ふたたびインドに渡ってプーナに戻り、大きなドミトリーの一角に泊まり込んでいた夜、私は父親の夢を見た。おそらく、生涯に渡って、私が父親という存在の夢を見たのはこれまで、この時一回切りであった。

 暗闇の中、彼は、お供をひとり連れて、杖をついて静かに歩いてきた。その瞬間、私はそれが父親だと、すぐに分かった。「お父さん!」私は叫んだ。

 しかし、父はこう言った。「確かに私はお前の父親だ。しかし、父親ではない。私は私の旅を続けている。お前はお前の旅を歩いていきなさい」。そして静かに歩いて、闇に消えていった。

 私は、ある意味、この夢で父親から自立した。

 それから、さらに時間が経過し、私は結婚し、子供が生まれ、さらに息子は高校生になった。私は息子の高校のPTA会長となった。その高校の野球部が、どうしたことか、県内で優勝し、甲子園出場することになった。私の息子はテニス部だったので、隣のグランドにいた。

 経緯があって、結局、この高校に集まった寄付金で甲子園出場記念の雨天練習場を建設することになった。私はそのことに忙殺されもしたが、多くの人々に感謝もされ、表彰も受けた。

 ある時、ふと気づいたのだが、この高校の谷を挟んだ向こうの丘には、約40年前に父親が亡くなった国立病院があるのだった。あの病室から私の父親は、ずっと私の活躍を支えてくれていたのではないだろうか、と感じた。

 私は、父親からのプレゼントというものは、おそらく一度しか記憶していない。それは、入院中に同室の人が制作してくれたという小物入れである。

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 ビニール針金で器用に編まれたボックスで、中には何も入っていなかった。姉弟三人にそれぞれ、名前のついた布がついていた。上手な字だった。私が見た父親が書いた唯一の私の名前である。

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 私はこの小さなボックスにそれほどの深い意味を感じてはいなかったが、ある時、ふと、これは、ゴータマ・ブッダがラーフラに渡したという、乞食のひと碗に思えたりすることがある。

 この高校が県内で優勝した時、実は県立高校が優勝したのは、実に40年ぶりだったという。その時まで県立高校が優勝したことがなかったので、県の教育委員会には甲子園に送り出すノウハウがなかった。その時、すでに県の高校課長になっていたのが、当高校の前校長のST先生だった。先生からは、この出場にあたって、裏から表から、励ましていただいた。 

 ST先生は、40年前に優勝した当時のその県立高校の生徒だった。先生は、港町に住んでいた。父親が遠洋漁業の出かけて遭難し、還ってこなかったという。貧窮した家計を助けるため、高校を卒業した彼は、そのまま母校に用務員として就職した。

 そして通信教育で大学を卒業し、高校の教員となった。県内各地の学校に勤務しながら、結局彼は、校長として、出身母校に還っていったのである。そして二校目の校長として、当の高校に赴任してきたのだった。

 私がPTA会長として、校長室を初めて訪問した時、ST先生は、お茶を飲みながら、和やかに話をしてくれた。おもむろに、部屋隅においてあった、さりげない小さなロッカーの中から、さらにさりげない一本のモップを持ち出してきた。

 「会長、私は、学校の用務員として社会人をスタートしました。
 最初の仕事はモップで掃除することだったんです。だから、その初心を忘れないように、ずっと、このモップを持ち続けているんです。
 トイレなんか汚れている時、私はすぐにこのモップを持ち出して掃除してくるんです。
 そうすると、不思議ですね、他の先生たちも、校長にそんなことをさせてはいけない、と思うのか、すぐに掃除を始めるんですよ、
 わっはっは。」

 私には、その一本のモップが、ST先生にとっての、ジェダイ騎士のライトセーバーにさえ感じられた。

 先生はその後、県の高校課長となり、そして最後は、県内随一の進学高校の校長として勤務されたあと退職された。そして地元の大学に乞われて大学教授となり、高齢となられた現在も、教壇に立ち、学生たちの指導にあたられている。

 私は自分の父親からプレゼントされた小さなボックスに、旅で勝ち得た最も大事なものを入れて、大事にして保管してある。

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