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2024年5月

2024/05/10

OSHO ZEN TAROT  THE FOOL(愚者)

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OSHO ZEN TAROT 

0. THE FOOL(愚者)

 愚者とは、信頼しつづける者のことだ。愚者とは、自分のすべての体験を顧みず、信頼しつづける者のことだ。

 あなたがだましても、その人はあなたを信頼する。もう一度だましても、あなたを信頼する。さらにだましても、あなたを信頼する。

 そうなるとあなたは、この人は愚かだ、学ばない、と言うだろう。その人の信頼は途方もない。その信頼はあまりにも純粋だから、それを堕落させることなど誰にもできない。

 タオイストの意味で、禅の意味で、愚者であるがいい。自分のまわりに知識の壁を築こうとしてはいけない。どんな体験がやって来ようとも、それを起こらせ、そして、それを落としつづけることだ。

 たえず自分の心(マインド) をきれいにしつづけるがいい。過去に死につづけるがいい。そうすれば、あなたは生まれたばかりのまさに赤ん坊のように、現在に、今ここにとどまる。

 最初のうちは、それはひじょうにむずかしいだろう。世間があなたを利用しようとしはじめる……そうさせておけばいい。彼らは哀れな人たちだ。たとえあなたが詐欺にあい、だまされ、奪い取られたとしても、起こるに任せるがいい。

 というのも、ほんとうの意味であなたのものをあなたから奪い取ることなどできないからだ。ほんとうの意味であなたのものを、あなたから盗むことなど誰にもできないからだ。

 そして、機会あるごとに、あなたが自分を堕落させる状況を許さなくなると、その機会が内側での統合をつくりだす。あなたの魂(ソウル) はさらに結晶化するようになる。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter2

解説:

 瞬間から瞬間へ、しかも一歩ごとに、「愚者」は過去を後にします。彼は手にした白い薔薇(ばら) で象徴される自分の純粋さ、無垢、そして信頼以外のものはなにひとつ携えていません。

 身につけているベストの模様はタロットの4つの要素の色をすべて含み、彼が自分のまわりにあるすべてと調和を保っていることを示しています。「愚者」の直観の働きはそのピークに達しています。

 未知へのこのジャンプをするにあたって、「愚者」はこの瞬間に宇宙の支えを得ています。生という川のなかで冒険が彼を待ち受けています。

 このカードは、まさにいま、自分の直観、ものごとの「正しさ」という自分のフィーリングを信頼することができたら、あなたは間違うことなどありえないことを示しています。あなたの行動は他人の目には「愚か」に映るかもしれません。

 あるいは、もしあなたが自分の行動を合理的な頭(マインド) で分析しようとしたら、あなた自身から見ても「愚か」に見えるかもしれません。

 しかし、「愚者」が占めている「ゼロ」の場所は、数のない数(ナンバーレス・ナンバー) で、懐疑と過去の体験がガイドなのではなく、信頼と無垢がガイドである場所なのです。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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一句

 

主じなき空き家の庭に梅の花  把不住  3月21日

 

 

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血圧

1)別段に健康に自信を持っているわけではないが、今の所、致命的な健康障害を持っているようではない。あえて言うなら、血圧だろう。50代に指摘されてから、体調管理には留意してきたが、肥満と血圧には、結局あまり効果がなかったようだ。

2)適度に弱い2種の降圧剤を処方され、もう10年も経過したのだろうか。それなりの効果があるのだろうし、特段に異常を伝えられているわけではない。まぁ、いわゆる安定だ。

3)しかるし、このところ町内会長職を引き受けてから、雑多情報の波に襲われた、けっこう「血圧」が上がるような案件によくぶつかる。プライベートでも、市民ミュージカルの7月公演に向けての練習に熱が加わり、仕事でも、代理店統合の事務作業に追われ、春になって畠も待っている。気の利いた友人は、次から次と楽天イーグルスのチケットを持って球場へと、誘いに来る。

4)ちょうど薬が切れかかったので、ちなみに血圧を計ったら、180〜110だった。これは異常でしょう。こんな数値は滅多に出ない。やばい。ここで仕事を中断し、豆を挽き、コーヒータイムにした。真宗のお寺さんからいただいたお香を焚き、般若心経を唱えながら、坐禅した。

5)スマホを消し、名刺入れをポケットから出し、なるべく軽くなって、スニーカーを履き、クリニックに向かった。外は晴天で、爽風が吹いていた。時鳥さえ鳴いているのである。皐月も満開。

6)クリニックでいつものように診察を受けた。「120〜70。安定しているようですね」とお医者様はおっしゃる。あ~何もわかってないなぁ。さっきまで異常だったのに。最近忙しくて、と言うと、「ストレスですか?」と。あ~そうだなぁ、このところストレスの連続だ。リラックスが必要だな、やっぱり。

7)  香を焚き静かに坐る皐月かな 把不住

 

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2024/05/09

OSHO ZEN TAROT POSSIBILITIES(可能性) 

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OSHO ZEN TAROT 

POSSIBILITIES(可能性)

 心(マインド)は、どこのどんな境界でも受け容れることができる。だが、現実はこうだ——存在には、その本性そのものからして、どんな境界もありえない。というのも、境界を超えたらなにがあるかね? またしても、もうひとつ別の空。

 私が、あなたの飛翔を空また空がそこで待ち受けていると言うのは、そのためだ。安易に満足してはいけない。安易に満足している者たちは、いつまでたっても小さいままだ。その喜びも小さく、そのエクスタシーも小さく、その沈黙も小さく、その実存も小さい。
だが、その必要はない!

 この小ささは、あなた自身が自分の自由に、自分の無限の可能性に、自分の無限の潜在能力に押しつけたものだ。
Osho Live Zen Chapter 2

解説:

 鷲(わし)は自由に、自然に、楽に空を飛びながら、下の風景に含まれているあらゆる可能性を一望のもとに見下ろすことができます。鷲はまさに自分にふさわしい場所を得て、とても堂々として、みずから満ち足りています。

 このカードは、可能性の世界が開かれているポイントにあなたがいることを示しています。あなたは自分への愛を、みずからの充足をいっそう育んで成長してきたのですから、ほかの人たちとも楽にワークしていくことができます。あなたはリラックスし、くつろいでいますから、ほかの人たちと出会ったときに可能性を見抜くことができます。ときには、彼らが自分で気づく前にその可能性を見てしまうこともあります。

 あなたは自分自身の本性と調子が合っていますから、存在はまさに自分が必要としているものを与えてくれていることがわかるのです。この飛翔を楽しみましょう! そして、あなたの前に広がっている風景の変化に富んだ驚きを、すべて祝いましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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拡大常任委員会に向けて

1)今年度の大きな活動としては、3つが予定されています。

・安久夏祭り 8月3日(土) 安久東公園

・防災炊き出し訓練(芋煮会)  10月頃(日程未定)

・町内会会則の改正 (年度末あるいは次年度以降に向けて)

2)昨年の盛況だった夏祭りの結果を受けて、専門部や各種参加団体のより個性の際立った、楽しいイベントになることが期待されています。そのためには、各専門部のネットワークのあり方や、会員同士の新しい出会いのチャンスの活かし方を考えていきます。

3)昨年は実施することができませんでしたが、防災炊き出し訓練は、これからの街づくりにおいても、重要な意味合いがあります。常備する防災備品の点検や、隣接する連合町内会、あるいは広域な行政組織などとの、緊急時の連携をイメージする必要があります。

4)アフターコロナの時代にあって、町内会の全体的な見直しや、新しい機能や意義のあり方を創造しましょう。そのためには、専門部とは別なプロジェクトチーム(未定)を立ち上げたり、場合によっては数年越しで会則改正を試みたいと思います。

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2024/05/06

OSHO ZEN TAROT ORDINRINESS(普通であること)

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OSHO ZEN TAROT 

ORDINRINESS(普通であること)

 ときとして、なにかの稀な瞬間に、あなたがひとつになるということが起こる。海を、その途方もない荒々しさを見守ってごらん——すると突然、あなたは自分が分裂していることを、自分の精神分裂症を忘れる。あなたはリラックスする。

 あるいは、ヒマラヤの山中を進みながら、ヒマラヤの峰々の処女雪を見ていると、突然、涼しさがあなたのまわりを取り巻き、ごまかす必要がなくなる。ごまかす相手の人間がいないからだ。あなたはひとつにまとまる。

 あるいは、美しい音楽を聞いていると、あなたはひとつにまとまる。いつであれ、どのような状況であれ、あなたがひとつになると、平和、幸福、至福があなたを取り巻く、あなたのなかから湧き起こる。あなたは満たされているのを感じる。

 こうした瞬間を待つ必要はない——こうした瞬間があなたの自然な生になりうるのだ。こうした特別な瞬間が普通の瞬間になりうる——それが禅の努力のすべてだ。あなたはごく普通の生で、特別な生を生きることができる。

 木を切る、薪を割る、井戸から水を汲む、あなたは素晴らしくくつろいでいる——というのも、問題はすべて、あなたが自分の行ないを楽しみながら、そこに歓びを感じながら、全面的にやっているかどうかにかかっているからだ。
Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 3

解説:

 自然のなかを歩くこの人物は、生の単純な普通のものごとのなかに美を見いだすことができることを私たちに示しています。私たちは、自分たちが生きているこの美しい世界をあまりにも簡単に当然のことと受けとめてしまいます。

 家を掃除する、庭仕事をする、食事をつくる——もっとも世俗的な作業であっても、自分が全面的にかかわり、愛をもって、認められたり報酬を得たりすることなど考えずに、ただそのためにだけ行なうと、それは神聖な質を帯びてきます。

 出会う状況に対する、この簡潔で自然でごく普通のアプローチのほうが、立派で賢くあろう、さもなければ特別であろうとする自分の側でのどんな試みよりもはるかによい結果をもたらす、そういう時にあなたはいま臨んでいます。

 新奇なものを発明して評判を取ったり、ユニークなスター性で友人や仲間を感嘆させるといったことは、すべて忘れましょう。あなたがいま差し出さなければならない特別な贈りものは、ものごとを簡単に、単純に、一度に一歩ずつ受けとめることで、もっともよい形で贈られますCopyright © 2012 Osho International Foundation

 

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2024/05/04

OSHO ZEN TAROT POSTPONEMENT(引き延ばすこと)

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OSHO ZEN TAROT 

POSTPONEMENT(引き延ばすこと) 

 引き延ばすことは、たんにばかげている。明日になったところで、あなたはまた決心しなければならなくなるのだ。そうであれば、なぜ今日ではだめなのかね?

 それに、明日になったら今日よりも自分は賢くなっていると思うかね? 明日の方が今日よりも活き活きしていると思うかね? 今日よりも明日の方が若くなっている、より新鮮になっていると思うのかね?

 明日の方が、あなたは年をとっている。あなたの勇気はなくなっている。明日の方が、あなたは経験を積み、もっとずる賢くなっている。明日の方が、死はより近づいている——あなたは迷い始め、もっと怖くなるだろう。

 けっして明日に引き延ばしてはいけない。それに、誰にわかるかね? 明日は来るかもしれないし、来ないかもしれない。もし決めなければならないのなら、まさに今、決めなければならない。

 歯医者のフォーゲル先生は、かわいい娘の診察を終えて、「ベースマンさん」と口を開いた。「どうも、親知らずを抜かなければならないようですな!」
「わあ、どうしよう!」と娘は驚いたように言った。
「わたし、ほんとうは子どもが欲しいの!」
「そうですか」とフォーゲル先生は言う。「どちらかに決めてくださいよ、椅子の調節がありますからね」

 決めるがいい。永遠に引き延ばしてばかりいてはいけない。
Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 8

解説:

 この絵の女性は非現実的な、切り抜いた雲がいっぱい出ている灰色の風景のなかで生きています。窓枠を通して、彼女は色彩と光と活気を見ることができますし、その枠を通り抜けて行きたいとも思っているのです が——それは彼女の着ている服に虹色が現われていることからもわかります——でも、どうしてもそうすることができません。

 彼女の心のなかにはまだ、「もし、こんなことになったら?」という動きが多すぎるのです。明日は、明日は、と延ばしていたのではなにもできないとよく言われますが、そんなことをいくら言われても、私たちのほとんどは、その真実を忘れようとしがちです。

 事実、ものごとを引き延ばして得られる唯一の結果は、未完成で「行き詰まっている」という、鈍く憂欝な、今日の感じでしかありません。

 あなたの今の動きを妨げている心の迷いをすべて脇に置きさえすれば、安堵と広がりが感じられ、なぜ自分はこんなに長い間待っていたのか不思議に思うでしょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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OSHO ZEN TAROT  SORROW(嘆き)

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OSHO ZEN TAROT 

SORROW(嘆き)

 この痛みは、あなたを悲しませるためにあるのではない。

 それを覚えておくがいい。人びとが見逃しつづけているのはそこだ……。この痛みは、ただあなたをもっと油断なくさせるためにある——というのも、人びとは矢が自分の胸に深く刺さって、傷つかないかぎり、油断しないようにはならないからだ。そうならないかぎり、彼らは油断しないようにはならない。

 生きることが簡単で、心地よく、都合がよければ、誰が気にするかね? 油断しないようになろうなどと誰が悩むかね? 友人が死ぬと、その可能性はある。あなたの恋人があなたをおいて行ってしまうと——闇の深いその夜、あなたは淋しく感じる。あなたはその女性をとても愛していたし、すべてを賭けていた。

 ところが、ある日突然、彼女は去ってしまう。淋しさに泣きながら、もしあなたがそれらを使えば、そういう時こそ、気づくようになることのできる機会だ。矢は痛む――。それを使うことはできるのだ。

 この痛みは、あなたを惨めにさせるためにあるのではない。痛みは、あなたをもっと気づかせるためにある! そして、あなたが気づくと、惨めさは消える。Osho Take it Easy, Volume 2 Chapter 12 

解説:

 これは、仏陀のいとこで弟子でもある阿難(あなん)のイメージです。彼はたえず仏陀のそばにいて、22年ものあいだ仏陀のあらゆる身の回りの世話をしていました。仏陀が死んだとき、阿難は依然として彼のそばにいて、泣いていたと伝えられています。

 ほかの弟子たちは彼が誤解していることを責めました——仏陀は完全に満たされて死んだのだ、おまえは悦んでこそ当然なのだ、と。それでも、阿難はこう言ったのです。「きみたちこそ誤解している。私は彼のために泣いているのではない、自分のためなのだ。

 私は何年ものあいだずっと彼のそばにいたのに、いまだに成就していないからだ」。阿難はその夜一晩中起きていて、深く瞑想し、痛みを感じ、嘆き悲しんでいました。朝になって、彼は光明を得たと言われています。

 どうしようもなく嘆き悲しんでいる時は、その奥に、大きな変容の時となりうる可能性が潜在しています。しかし、変容が起こるためには、私たちは深く、痛みの根そのものにまで入っていき、非難することも自分を憐れむこともせずに、そのあるがままの痛みを体験しなければなりません。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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11005歩

1)我が町内も広い。歩いて歩いて11005歩。実際、足も股も痛くなった。

2)町会長を引き受けて、2週間。わかってはいたけど、いい加減なことは多い。このいい加減が、本当に、良い、加減、なのかもわからず、もう少し様子見。されど、その時その時の印象は記していかなければ、なるまい。

3)水清くして魚住まず。清濁合わせ飲む。

4)大嵐の台風に入ったら、まずはそのまま中心の目に、その静寂に止まる工夫が必要だ。

5)明日は楽天外野席。晴れればいいな。勝てばいいな。

6)我がセブンティブギ、進行中。

7)      見てろよと何時の間にやら薔薇の棘  把不住

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2024/05/03

カテゴリ「存在の詩」について

1)あらま!戯れに検索してみれば、107! 残すはたった1記事のみ。これはまとめるしかない。書かれたのは3月9日から、5月の3日まで。2ヶ月ほどの旅路であった。この間、私は古希を迎えた。

2)そもそもこのカテゴリ名が、正しかったかどうかはわからない。最近の私は、ひたすらタロットを引いた。一巡したと思っていたが、まだまだ深さがあった。ピタッとハマることがよくある。

3)次はどんなカテゴリ名にしよう。「存在の詩2」はなさそうだ。「古希古希」もないなぁ。「新米会長始末記」も、他で使ってるし。「更に参ぜよ三十年」も長すぎるなぁ。町内会会長として二週間。多忙を極める。「疲れる」の言葉はタブー。自ら愉しむ。次元の変わった廃材アートだと思うと、これまた楽し。

4)せっかく、楽天ブログ「素晴楽堂消息」がスタートしたのだから、全面的にそちらへ移動するか。実際は、楽天イーグルスや、子供ミュージカル、勤務型代理店への移籍、身内の転居新築、などなど、目まぐるしいほど話題は豊富である。

5)https://youtu.be/0yoM7ETNPIY?si=UcgYhGkjQpM1O2zL

6)この際、「セブンティブギ」とでもしておこうか。

7)  ここで、一句、出るかな?  

  踊ろうぜセブンティブギ春だぜよ  把不住

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OSHO ZEN TAROT 変化(CHANGE)

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OSHO ZEN TAROT 

10. 変化(CHANGE)

 生は愚かにも自らを繰り返す——あなたが気をつけるようにならないかぎり、生は車輪のように繰り返しつづける。仏教徒たちがそれを「生と死の輪廻(りんね)」と呼ぶのはそのためだ——時間の輪。

 それは車輪のように回る。誕生の次に死が来て、死の次に誕生が来る。愛の次に憎しみが来て、憎しみの次に愛が来る。成功の次に失敗が来て、失敗の次に成功が来る。ちょっと見てみるがいい!

 もし数日間でも見守っていられたら、ひとつのパターン、輪のパターンが現われているのがわかるだろう。ある日の晴れわたった朝、あなたはとても気分がよく幸せだ。ところが、別の日にはとてもだるく、死んだような感じがするために自殺を考えはじめる。

 すぐ前の日は、あなたはとても生命に満ちあふれ、至福で満たされ、深く満ち足りた気分でいることを神に感謝するほどだったのに、今日はとても不満で、なぜ人は生きつづけなければならないのか、その理由がわからない……。それがどこまでもどこまでもつづいていく。だが、あなたはそのパターンを見ない。

一度そのパターンを見たら、あなたはそこから出てくることができるのだ。
Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 7

解説:

 このカードのシンボルは、時間、運命、カルマを表わす巨大な輪です。この絶えず動きつづける円のまわりを銀河が巡り、周辺には黄道十二宮が見えます。周辺のすぐ内側には易の八つの卦、さらに中心に近づくと四つの方角があり、それぞれが稲妻のエネルギーで照らされています。

 回転するトライアングルがこの瞬間は上の方を、神聖なるものの方を指していて、中心には中国の陰陽、男性と女性、創造性と受容性を表わすシンボルが置かれています。世界でただひとつ変わらないものは変化そのものだとよく言われてきました。

 生は絶えず変化し、進化し、死に、そして再び生まれ変わっています。相反するあらゆるものが、この広大な円形のパターンのなかでそれぞれの役を演じているのです。輪の縁にしがみつこうものなら、目が回ってしまうでしょう! 台風の中心へと進み、これもまた過ぎ去ることを知って、リラックスしましょう。Copyright © 2011 Osho International Foundation 

 

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2024/05/02

OSHO ZEN TAROT 内なる声(INNER VOICE)

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OSHO ZEN TAROT 

内なる声(INNER VOICE)

 もしあなたが、あなた自身の内側に自分の真理を見いだしていたら、この全存在のなかにそれ以上見いだすものはなにもない。真理はあなたを通して働いている。

 あなたが目をあけるときは、真理が自らの目をあけている。目を閉じるときは、真理が自らの目を閉じている。これは途方もない瞑想だ。その仕掛けをまさに理解できたら、あなたはなにもしなくていい。

 あなたがしていることはすべて、真理によってなされている。あなたは歩いている、それは真理なのだ。あなたは眠っている、その休んでいるのは真理なのだ。あなたは話している、話しているのは真理なのだ。あなたは沈黙している、その沈黙しているのは真理なのだ。

 これはもっとも単純な瞑想テクニックのひとつだ。ゆっくり、ゆっくりと、この単純な方式によってあらゆることが落ち着いてくる。そうなったら、テクニックは必要ない。癒されたら、瞑想は捨てるものだ、薬は捨てるものだ。そうなったら、あなたは真理として生きる——活き活きと、光を放ちながら、満たされ、至福に満ち、自らがひとつの歌となって。

 あなたの生全体がどんな言葉もない祈りになる。あるいは、祈りに満ちている状態、私たちの俗世間には属していない恩恵、美、と言うほうがいいだろう。超えたものから私たちの世界の闇に差し込むひと筋の光。
Osho The Great Zen Master Ta Hui Chapter 23

解説:

 「内なる声」(インナー・ヴォイス) は、言葉ではなく、ハートの無言の言語で語りかけます。それは真理しか話さない神託に似ています。もしそれに顔があったら、このカードの中心に描かれている顔に似ているでしょう——油断なく、見守り、水晶をもっている二本の手に象徴されるように、光と闇の両方を受け容れることができます。

 水晶そのものは、すべての二元性を超越することから生じる明晰さを表わしています。「内なる声」は遊びに満ちたものでもあります。感情のなかに深く飛び込み、そして再び空へと舞い上がるために、浮かび上がってくるからです。

 生の海のなかで踊っている二頭のドルフィンのように——。内なる声は三日月の冠を通して宇宙とつながり、この人物のキモノに描かれている青葉で表わされているように、大地ともつながっています。

 生において、あまりにも多くの声が私たちをあっちへこっちへと引き回しているように思える時があります。そうした状況で私たちが混乱すること自体が、沈黙を探し求め、内側で中心に据わることを思い出させてくれます。そうして初めて、私たちは自分たちの真理を聞くことができるのです。Copyright © 2011 Osho International Foundation 

 

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