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2024年4月

2024/04/30

OSHO ZEN TAROT <9>内側へ向かう(TURNING IN)

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OSHO ZEN TAROT 

内側へ向かう(TURNING IN)

 内側に向きを変えることは、向きを変えることではまったくない。内側に入って行くことは、行くことではまったくない。内側に向きを変えるということは、あなたがあれこれと欲望を追いかけてきて、追いかけるたびに何度も何度も欲求不満にみまわれつづけてきたことを意味しているだけだ。

 どの欲望も惨めさをもたらすということ、欲望を通しては満たされることはないということだ。あなたはけっしてどこにも行き着かないということ、満足することはありえないということだ。この、欲望を追いかけてもどこにも行き着かないという真理を見て、あなたは止まる。

 止まろうと努力するのではない。止まろうと努力したら、またしてもそれは追いかけることだ——微妙な意味で。あなたはいまだに欲しがっている——あなたが欲しがっているのは、今度は無欲かもしれない。内に入るために努力しているのであれば、あなたは依然として外に向かっている。

 努力はすべて、あなたを外に、外側に連れ出すことしかできない。旅はすべて外に向かう旅だ。内に向かう旅はない。どうやって内側に向かって旅ができるかね? あなたはすでにそこにいるのだ。行こうとすることなど問題外だ。

 行こうとすることが止まったら、旅をすることも消える。欲しがることであなたの心がもはや曇っていないとき、あなたは内にある。「内側に向かう」と言われているのはこのことだ。だが、それは向きを変えることではまったくない。たんに外に出て行かないことだ。Osho This Very Body The Buddha Chapter 9

解説:

 このイメージの女性は、かすかな笑みを浮かべています。じつは、彼女は心(マインド)のたわむれをただ見守っているのです——。それらを判断せずに、止めようとせずに、同化せずに、まるで通りの往来か池の水面のさざ波でもあるかのように、ただ見守っています。

 それに、心のたわむれはあなたの気を引き、ゲームへ誘い込もうとして、跳んだりはねたり、あちこちに捻れたりして、ちょっと可笑(おか)しくもあります。心(マイド)から離れているコツをつかむのは、最大の祝福のひとつです。

 瞑想とは、ほんとうはそういうことなのです——真言(マントラ)を唱えたり、誓いの言葉を繰り返したりするのではなく、まるで心は誰かほかの人のものであるかのように、ただそれを見守ることです。

 今、あなたには、この距離をとって、ドラマに巻き込まれることなくショーを見守る準備が整っています。そうできるときはいつでも、「内側に向かう」というこの簡素な自由をじっくりと味わえば、あなたの内側で瞑想のコツが育ち、深まっていきます。Copyright © 2011 Osho International Foundation

 

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2024/04/27

OSHO ZEN TAROT  BEYOND ILLUSION(幻想を超えて)

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OSHO ZEN TAROT 

BEYOND ILLUSION(幻想を超えて)

 夢と現実の区別はこれしかない——現実は疑いを許すが、夢は疑いを許さない……。

 私にとって、疑う能力は人類への最大の祝福のひとつだ。宗教は疑いの根そのものを切りつづけてきたのだから、これまでずっと敵対してきた。

 そして、彼らがそうしているのにはわけがある。彼らは自分たちが説きつづけている幻想を人びとに信じてもらいたいのだ……。

 なぜ、ゴータマ・ブッダのような人びとは、全存在—— あなたの目撃している自己以外は、あなたの覚醒以外は全存在がただはかなく、夢と同じものでできていると強く主張したのだろう?

 彼らは、この樹々はここにはないと言っているのではない。この柱はここにはないと言っているのではない。

 「幻想」という言葉ゆえに、誤解してはいけない……。それは幻想と訳されてきた。が、幻想は正しい言葉ではない。幻想は存在していない。現実は存在している。

 まさにその中間にあるのがマーヤ——それはほとんど存在している。日常の活動に関するかぎり、それは現実として捉えられる。

 究極の意味においてのみ、あなたの光明の頂きからは、それは現実ではなくなる、幻になる。Osho The Great Zen Master Ta Hui Chapter 12 

解説:

 このカードの蝶は外側にあるもの——絶えず動いているもの、現実ではない幻想——を表わしています。蝶の背後には意識の顔があり、内側を、永遠なるものの方を見ています。

 両眼のあいだのスペースが開いていて、そこにはスピリチュアルな展開の蓮(ロータス) と、覚醒の昇る太陽が現われています。

 この内なる太陽が昇ることで、瞑想が生まれるのです。このカードは、現実とはなにか探して外を見るのではなく、内側を見ることを私たちに思い出させてくれます。

 外のものごとに関心を集中させると、私たちは判断することに巻き込まれてしまうことがよくあります——これは良いけれど、これは悪い、これは欲しいけれど、あれは欲しくない、と。

 こうした判断は、私たちを幻想、眠気、古い習慣とパターンの罠にはめたまま、放してくれません。

 自分の独断的なマインドを落として、内側へ入りましょう。そこでこそ、自分のもっとも深い真理、夢と現実の違いがすでに知られているところへと、くつろいでいくことができます。Copyright © 2012 Osho International Foundation

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2024/04/26

OSHO ZEN TAROT HARMONY(ハーモニー)

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OSHO ZEN TAROT 

 HARMONY(ハーモニー)

 自分のハートに耳を傾けなさい。どんな危険が伴おうとも、自分のハートに従って動くがいい。

 「完璧な単純さの条件は、あらゆるものより高くつくことはあっても、安くつくことはない……」

 単純であることはきわめてむずかしい。というのも、単純であるためには、あなたの持っているあらゆるものが犠牲になるからだ。

 単純であるためには、あなたはすべてを失わなければならない。人びとが複雑であることを選び、どうしたら単純になれるのかを忘れてしまったのはそのためだ。

 だが、単純なハートだけが神と共に手を取り合って打ち震える。単純なハートだけが神と共に深いハーモニーを保って歌う。

 そのポイントに行き着くために、あなたは自分のハート、自分自身の胸の高鳴り、自分自身のビートを見いださなければならない。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 3 

解説:

 瞑想してハートのなかで安らいでいるという体験は、つかんだり、強いたりできるものではありません。それは、私たちが私たち自身の内なる沈黙とさらにさらに調和して成長していくにつれて、自然とやって来ます。

 このカードの人物は、この体験の甘美さと繊細さを反映しています。ハートから現われ、第三の眼に向けてアーチを描いているドルフィンたちは、私たちがハートとつながりを持ち、そこから世界へと入って行くことができるときに訪れる、遊び心と知性を反映しています。

 今は自分をもっと柔らかくして、もっと受け容れるようにしましょう。というのも、言葉では言い表わすことのできない喜びが、すぐそこであなたを待っているからです。それを、あなた以外の誰かがあなたに示して見せることはできませんし、あなたがそれを見いだしても、ほかの人に言い表わす言葉は見つからないでしょう。

 しかし、それはそこに、あなたのハートの奥深くにあります。熟し、発見されるばかりになって——。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

 

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2024/04/25

OSHO ZEN TAROT CELEBRATION(祝祭)

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OSHO ZEN TAROT 

CELEBRATION(祝祭)

 生とは祝うひととき、楽しむひとときだ。それを楽しみに、祝祭にするがいい。そうすれば、あなたは寺院に入るだろう。寺院はしかつめらしい顔をした人たちのためにあるのではない。彼らのためにあったことなどこれまで一度もない。生をよく見てごらん——どこかに悲しみがあるかね? 憂欝そうな樹を一度でも見かけたことがあるかね?

 苦悩にさいなまれている鳥を見たことがあるかね? ノイローゼにかかっている動物を見たことがあるかね? いや、生はそんなものではない、それはありえない。人間だけがどこかでおかしくなってしまった。人間は自分のことをひじょうに賢い、とても利口だと思うから、どこかでおかしくなったのだ。


 あなたの利口さ、それがあなたの病気だ。賢くなりすぎてはいけない。止まることをつねに覚えておくがいい。極端に走ってはいけない。少しの愚かさと、少しの智慧はいい。そして、その正しい組み合わせが、あなたをブッダにする……。
Osho I Celebrate Myself Chapter 4

解説:

 風と雨のなかで踊っているこの三人の女性は、祝祭(セレブレーション) は外側の環境にはいっさい左右されないということを私たちに思い出させてくれます。特別な祝日や公式な行事、あるいは雲のないよく晴れた日を待つ必要はありません。

 ほんとうの祝祭は、まず内側の深いところで体験された喜びから湧き起こり、歌と踊りと笑いの洪水となって、そしてもちろん、感謝の涙としても溢れだします。

 このカードを選んだときは、生において祝う機会と、それをほかの人たちに感化して広めてゆく機会がますます多く訪れ、その機会に対してあなたはどんどん開かれていくことが示されています。

 カレンダーを前にしていつパーティーを開こうかなどと気にすることはありません。髪をおろし、靴を脱ぎ、まさに今、水たまりで跳びはねましょう。パーティーはあらゆる瞬間に、あなたのまわり中で起こっています!Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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2024/04/22

OSHO ZEN TAROT  SILENCE(沈黙)

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OSHO ZEN TAROT 

SILENCE(沈黙)  

 全体なるもののエネルギーが、あなたを乗っ取っている。

 あなたは乗っ取られているのだ。もはやあなたはなく、全体がある。この瞬間、沈黙があなたに浸透していくにつれて、あなたはその沈黙の意義を理解できるようになる。

 というのも、それはゴータマ・ブッダが体験したのと同じ沈黙だからだ。それは同じ沈黙だ。荘子(そうし) や菩提達磨(ボーディダルマ) や南泉(なんせん)が……。その沈黙の味は同じだ。

 時代は変わる、世界は変化しつづける。だが、沈黙の体験、その喜びは、変わらず同じままだ。それこそが頼りになる唯一のもの、けっして死ぬことのない唯一のものだ。
それこそが、あなたの実存そのものといっていい唯一のものだ。
Osho Zen: The Diamond Thunderbolt Chapter 1 

解説:

 満月の、満天に星の輝く夜、その沈黙した鏡のような受容性が、霧の立ちこめた下の湖に映っています。深い瞑想に入っている空(そら) の顔は、深み、平和、そして理解をもたらす夜の女神です。

 今はまさに貴重な時です。内側で休むこと、自分の内なる沈黙の深みを宇宙の沈黙と出会うポイントまで垂直に下ろしていくことは、あなたにとって簡単なことでしょう。することはなにもなく、行くところもなく、あなたの内なる沈黙の質はあなたがするすべてのことに浸透しています。

 それが、ある人たちを落ち着かなくさせることもきっとあるでしょう。その人たちは世間のあらゆる雑音や活動に慣れてしまっているからです。気にすることはありません。あなたの沈黙と響き合うことのできる人たちを探すか、あるいは、独りあることを楽しめばいいのです。

 今こそあなた自身に帰る時です。こうした瞬間にあなたのところにやって来る理解と洞察は、後になって、あなたの生がもっと外に向かっている時期に、形として現われてきます。Copyright © 2012 Osho International Foundation

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2024/04/21

OSHO ZEN TAROT  SHARING(分かち合い)

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OSHO ZEN TAROT 

SHARING(分かち合い)

 四番目のセンターまで上がっていくと——それはハートだが——あなたの生全体が愛の分かち合いになる。

 三番目のセンターは豊かな愛を創りだした。瞑想で三番目のセンターに到達することによって、あなたはまさに愛で、慈悲で満ちあふれるようになり、それを分かち合いたくなる。それが四番目のセンター——ハートで起こる。

 普通の世界においてすら、愛はハートから出てくると人びとが思っているのはそのためだ。彼らにとって、それは風の便りにすぎない。聞いたことがあるだけだ。彼らは自分のハートに到達したことは一度もないのだから、ほんとうは知らないのだ。

 だが、瞑想する人は、最後にはハートに到達する。その人が自分の実存のセンター——第三のセンター——に到達していると、突然、自分のなかで愛と慈悲と喜びと至福と祝福の爆発が生じ、その力があまりにも強いためにハートを打ち、ハートを開かせる。

 ハートはあなたの七つすべてのセンターのちょうど真ん中にある ——下に三つのセンター、上に三つのセンター。あなたはまさにその真ん中にやって来たのだ。Osho The Search: Talks on the Ten Bulls of Zen Chapter2

解説:

 「火のクイーン」は豊かさに満ちあふれ、まさにクイーンそのものです。だからこそ、与えることができるのです。懐ぐあいを調べたり、後のことを考えてなにかを取っておくことなど思いもよりません。

 彼女は自分のまわりにある豊かさ、豊潤さ、そして光に与(あずか)れるように誰彼となく歓迎し、自分の宝を際限なく分け与えます。

 このカードを引いたときは、あなたもまた同じ状況―自分の愛、喜び、そして笑いを分かち合うことができる状況にあることを暗示されています。そして、分かち合うことで、自分がさらに満たされていく感じがわかるのです。

 どこかに行ったり、特別な努力をする必要はありません。自分のものにしたいとか、執着したりすることもなく自分の官能を楽しむことができるということ、創造性に満ちたその同じ感覚で子どもを産むことも、新しいプロジェクトを発足させたりすることもできるということがわかるのです。

 今、あなたのまわりのあらゆるものが「いっぺんにやって来る」ように思えるでしょう。それを楽しみ、そこにしっかりと足を下ろし、あなたのなかに、そしてあなたのまわりにある豊かさをあふれ出させましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

 

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2024/04/20

OSHO ZEN TAROT 変容(TRANSFORMATION)

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OSHO ZEN TAROT 

変容(TRANSFORMATION)

 禅のマスターは、ただの教師ではない。どの宗教にも教師しかいない。彼らはあなたの知らないことを教え、信じるように求める。というのも、そうした体験を客観的現実として表わす方法がないからだ。教師にしても、それらを知っているわけではない——信じたのだ。

 彼らは自分が信じたことを誰かほかの人に伝える。禅は信者たちの世界ではない。信心深い者たちのためにあるのではない。それはすべての信仰、不信仰、疑い、理性、心(マインド) を落とし、境界のない自分たちの純粋な存在へと入って行くことのできる、怖れを知らない魂(ソウル) たちのためにある。
 
 だが、それは途方もない変容をもたらす。だからこそ、私に言わせてもらえれば、ほかの者たちが哲学にかかわっているあいだに、禅は変態(メタモルフォシス) に、変容にかかわるのだ。
 
 それこそが真正なアルケミー。卑金属から金へとあなたを変える。だが、その言語を理解しなければならない。あなたの理性の働きと知的な心(マインド) によってではなく、愛にあふれたハートで——。あるいは、それがほんとうかどうか気にすることなく、ただ聴くことによって——。

 すると、突然、あなたがそれを見る瞬間がやって来る。それは、生涯を通してあなたを躱(かわ) しつづけてきた。突然、ゴータマ・ブッダが「八万四千の扉」と呼んだものが開く。
Osho Zen: The Solitary Bird, Cuckoo of the Forest Chapter 6

解説:

 このカードの中心にある人物は、巨大な虚空の花の上に坐り、変容のシンボル——幻想を断ち切る剣、脱皮して若返る蛇、壊れた限界の鎖、二元性を超越する陰陽のシンボルを手にしています。

 もうひとつの手は、開かれ、受け容れるように、膝の上に置かれています。さらにもうひとつの手は下へ伸ばされ、眠っている顔の口に触れ、私たちが休んでいるときに訪れる沈黙を象徴しています。

 今は深い手放し(レットゴー) をするときです。あらゆる痛み、悲しみ、あるいは苦況をただそこにあらしめましょう。それは「事実なのだ」ということを受け容れて——。

 これはゴータマ・ブッダが何年にもわたる探求の後、もうこれ以上自分にできることはなにもないと知って、ついにあきらめたときのその体験にとてもよく似ています。

 まさにその夜、彼は光明を得ました。変容は死のように、自らの時を得てやって来ます。そして、死のように、あなたをある次元から別の次元へと連れて行くのです。
Copyright © 2011 Osho International Foundation 

 

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挨拶

1)ご紹介をいただきました。今後ともよろしくお願いいたします。

2)ご指名をいただいてから、4年が経過しました。思えば大変な4年間でした。ご指名をいただきながら、最初の会議には出席できませんでした。その日は大変な暴風雨の1日で、ある12軒の入っているアパートの屋根が吹き飛ばされて、住民が水浸しになっている、と朝4時に叩き起こされました。

3)私は、母親がこの地に生まれた縁で、結婚以来40年間町内に暮らしています。損害保険の仕事をしてきたものですから、その日は、被害の対応や片付けに追われ、班長さん会議どころではありませんでした。

4)ようやく幹事会に出席できた頃は、コロナが蔓延し、室内の会議はできないことになり、近くの公園で、集まった役員さん達との立ち話となりました。全員深々とマスクをしていたため、お互いの顔もよくわかりませんでした。だんだんとマスクも外すことができるようになり、1年ほど経過してから、ああ、この役員さんは、こういうお顔なのだ、わかるほどの始末でした。

4)お客さんの中にも、感染者が増え出し、保険金請求の手続きに追われました。また、大きな地震が何度もこの地を襲い、その対応にも追われました。戦争も勃発してしまい、海外旅行保険のお客様にも影響が出てしまう、という事態になっております。

5)活動もおおきな影響を受けており、書面総会という事態に追い込まれました。活動も大きく制限され、あちこちに過不足が出るようになってしまいました。

6)しかしながら、私たちは、日々暮らしていかなければなりません。大きな困難に立ち向かいながら、一日一日を精一杯生きていこうとおもいます。今後とも、多くの地域の皆さんのご協力を、よろしくお願いいたします。

7)  雨よ降れ風よ吹け春待つ畑 把不住

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OSHO ZEN TAROT <8>夢(THE DREAM)

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OSHO ZEN TAROT

夢(THE DREAM)

 これは多くの時代を経て、何度も何度も言われてきたことだ。宗教的な人びとはみな、こう言っている——「私たちはこの世に独りでやって来て、独りで去っていく」。いっしょにいるということは、すべて幻想だ。いっしょにいるという考えそのものが、私たちは独りであり、その孤独が痛みを伴うからこそ生じる。私たちは自分たちの孤独を関係のなかでまぎらわせたいのだ……。

 私たちがこれほど愛に熱中するようになるのはそのためだ。要点を見ようとしてごらん。普通、あなたがたは、自分がある女性あるいは男性と恋に落ちたのは、その彼女あるいは彼が素晴らしいからだと思う。それは真実ではない。真実はまさに逆だ。

 あなたは独りでいることができないから、恋に落ちたのだ。あなたは落ちようとしていた。いずれにしろ、自分を避けようとしていた。そして、なかには女性や男性とは恋に落ちない人たちもいる——そうなると、彼らは金(かね)と恋に落ちる。金へと、あるいは権力(パワー)闘争(トリップ)へと入り込み、政治家になる。それもまた自分の孤独を避けることだ。

 もし人をよく見たら、自分を深く見守ったら、あなたは驚くだろう——。あなたのあらゆる行動をたったひとつの根源へと還元することができる。その根源とは、あなたは孤独を怖れているということだ。ほかはすべて言い訳にすぎない。ほんとうの原因は、自分はひじょうに孤独だということにあなたは気づいているということだ。Osho Take it Easy, Volume 2 Chapter 1

解説:

 ある魅惑的な夕べに、あなたは魂の伴侶(ソウルメイト) 、自分の要求や夢をすべてかなえてくれてる完璧な人に会うことになっている。そうでしょう? でも、違いますよ!ソングライターや詩人たちが好んで不滅のものにしようとするこのファンタジーは、まったく安全で母親と「ひとつ」につながっていた子宮にいたときの記憶に根ざしています。

 その場所に帰ることを私たちが生涯を通じて強く望んでいるとしても、不思議ではありません。しかし、残酷な言い方をすれば、それは子どもじみた夢です。そして、現実を目の前にしてすら、私たちが頑固なまでにそれにしがみつくというのは、驚くべきことです。

 あなたの今の伴侶であれ、夢に描いた未来のパートナーであれ、あなたの幸せをいとも簡単に運んでこなければならない義務など誰にもありません——たとえその人たちがそうしたいと思っても、それはできないのです。

 ほんとうの愛は、自分たちの困窮した状態を他に頼って解決しようとすることから来るのではなく、私たち自身の内なる豊かさと成熟を育むことからやって来ます。そうなったら、私たちには与えるだけの多くの愛があり、ごく自然に恋人たちを引きつけます。Copyright © 2011 Osho International Foundation 

 

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2024/04/18

OSHO ZEN TAROT Compromise


 

 

 

 

 

OSHO ZEN TAROT

Compromise

 抜け目なく器用であってはいけない。さもなければ、あなたは同じままだ。変わりはしない。愛の道における中途半端なテクニックと瞑想の道における中途半端なテクニックは、あなたのなかに多くの混乱を引き起こす。それらは助けにならない......。

 だが、助けを求めることはエゴに反する。だから、あなたは妥協しようとする。この妥協はもっと危険なことになる。あなたはさらに混乱することになる。

 妥協の結果、さらなる混乱が生じるからだ。だから、なぜ自分は妥協を強く望んでいるのか、理解しようとするがいい。遅かれ早かれ、妥協は助けにならないことが理解できるようになる。

 それに、妥協はどちらの方向にも行こうとしないやり方なのかもしれないし、自分の混乱を抑圧しているだけなのかもしれない。

 混乱が頭をもたげてくることになる。なにひとつ抑圧してはいけない。自分の状況をはっきり認識しているがいい。そして、もし混乱しているのだったら、自分は混乱しているのだと覚えておくことだ。

 これが、あなたに関してまず第一にはっきりしていることだ--つまり、あなたは混乱しているということだ。

 あなたは旅を始めたのだ。

解説

  昔、日本の朝廷では、従僕は些細な罪を犯した罪人で去勢されている者のなかから選ばれることがよくありました。彼らは朝廷の動きを知りつくしていたために、しばしば政治的、社会的陰謀の中心にあって、影の権力を大いにふるっていたのです。

 このカードのふたりの人物は、私たちが自分自身の真実を妥協させてしまったときに入り込んでしまう、あさはかな茶番劇のような状況を思い出させてくれます。

 歩み寄り、自分たちとは違う見地を理解し、反対勢力との調和を目指して働くことと、「屈服し」、自分の真実に背くこととは、まったく別です。

 それを深く見抜いたら、私たちはなにかを--権力であれ、他者からの承認であれ --なにかを得ようとしているのだということがよくわかってきます。

 誘惑されそうになったら、気をつけましょう。この手の妥協で得られるものは、後味が苦いのが常です。

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和尚

1)最近、知人が亡くなった。享年75歳。会社員暮らしをし、退職後は、ゴルフとカメラに興じたごく普通の快活な老後だった。最後は、内臓に生じた癌で、苦しみながら亡くなったという。冥福を祈ります。合掌

2)私はこの3月で満70歳になった。中身はそれほど変わらないのに、やはり70歳という年齢には、それなりの重さを感じる。75歳といえば、私にとっては、あと5年後のことだ。5年前の自分のブログを読んでみて、ほとんど心境としては変化がないように思う。ほとんど、人間としての考え方や、生活様式、瞑想法も、大きな変化がない。

3)あるとするならば、かつて自分で名付けた素晴楽堂把不住沙門という法名がいささか窮屈になってきた、というところあたりだろうか。サニヤシンだから沙門でいいだろうと思ってきた。居士ではないだろうと思ってきた。居士として葬られるのではなく、せめて沙門として、人生を終えたいと思ってきた。

4)しかし、ここにきて、何やらむくむくと、何かが動き出している。私は自分の法名を、素晴楽堂把不住和尚、に変えようと思う。おそらく仏道を歩んでこられた方々が70歳を迎えられる頃には、大和尚とか、老師とか呼ばれる頃合いになっておられることだろう。私は、そのニュアンスとは、やや違った形で、自らを和尚と呼びたい。

5)寺もなく、まともな修行プロセスを経ることもなく、自らを何事かの役職名で語ることは、不遜なことで、できれば避けるべきであろうとは思う。誤解も生じることであろう。しかし、70歳の私には、自らをそう呼ぶことは、大きなチャレンジで意味あることに思える。

6)私はOSHOのサニヤシンであった。だから沙門も決して遠い表現ではなかった。自覚としてそうであった。そしてまた、ある時から私はOSHOの友人でもあった。マイトレーヤーの時代においては、私は、光明を得た存在の友人の席に招待されたのである。いささか気後れするが、それはそうでなくてはならない。

7)  古希にして和尚と名づく春かしらん  把不住

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2024/04/17

「臨済宗と曹洞宗の違い」

 

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OSHO ZEN TAROT. RIPENESS(熟すこと)

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OSHO ZEN TAROT 

RIPENESS(熟すこと) 

 瞑想があなたに、どんな夜にも輝く光をもたらすようになって初めて、死さえもあなたにとっては死ではなく、神性への扉になる。あなたのハートのなかの光で、死そのものがひとつの扉へと変容され、あなたは宇宙のスピリットに入る。

 あなたは大海とひとつになる。そして、この大海のような体験を知るようにならないかぎり、あなたは無駄に生きてきたことになる。

 今がつねにその時だ。そして、実はつねに熟している。あなたは勇気をだして、自分の内なる森へと入っていけばいいだけだ。実はつねに熟しているし、機はつねに熟している。今はその時ではないということなどない。
Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 6

解説:

 果実は熟すと、おのずと樹から落ちます。あるときは樹の枝の生命の糸にぶら下り、活力に満ちたジュースではち切れんばかりですが、次の瞬間には落ちてしまいます——。それは無理やり落とされたり、ジャンプしようとしたからではなく、実が熟したことを樹が知って、ただ落ちていかせたからです。

 リーディングでこのカードが現われたときは、あなたには自分の内なる豊かさ、「ジュース」を分かち合う用意ができていることを示しています。あなたがしなければならないことは、まさに自分のいるところでリラックスし、それが起こるのを喜んで迎えることだけです。

 この自分自身を分かち合うこと、自分の創造性が広がることは、多くのやり方で訪れます——仕事、関係性、日々の生活体験のなかで。あなたの側で特別な用意や努力をする必要はありません。すでに機は熟しているからです。Copyright © 2011 Osho International Foundation

 

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2024/04/14

OSHO ZEN TAROT REBIRTH(再誕生)

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OSHO ZEN TAROT 

 REBIRTH(再誕生)

 禅では、あなたはどこからも来ていないし、どこにも行かない。あなたはまさに今、ここに在る。来ることもなければ、行くこともない。あらゆることが、あなたのそばを通りすぎていく。あなたの意識はそれを映しだす、が、それと一体化することはない。

 ライオンが鏡の前で吠えると、その鏡も吠えると思うかね? あるいは、そのライオンが行ってしまい、子どもが踊りながらやって来ると、鏡はライオンのことなどすっかり忘れて、その子といっしょに踊りだす——鏡は子どもといっしょに踊る、そう思うかね? 鏡はなにもしない、ただ映しだすだけだ。

 あなたの意識は鏡にすぎない。
あなたは来ることもなければ、行くこともない。
ものごとは来ては去っていく。
あなたは若さを迎え、年を取る。あなたは生き、死んでしまう。
こうした状態はすべて、意識の永遠のプールに映しだされたものにすぎない。
Osho Osho Live Zen, Volume, 2 Chapter 16

解説:

 このカードは、フリードリッヒ・ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で述べている意識の進化を表わしています。彼は駱駝(らくだ)、ライオン、子どもという三つのレベルを語っています。

 駱駝は眠たげで、怠惰で、自己満足しています。自分はお山の大将だと考えて妄想の世界で生きていますが、実は、あまりにも他人の意見を気にしすぎて、自分自身のエネルギーはほとんどありません。

 その駱駝から現われ出るのがライオンです。これまでずっと生を見逃してきていたことがわかったとき、私たちは他人の要求に対して「ノー」と言いはじめます。集団から抜け出し、独りで、誇り高く、自分たちの真理をうなりをあげて吠えるのです。しかし、これで終わりではありません。

 最後には、おとなしく従うこともなければ反逆することもなく、それでいて無垢で、自発的で、自分自身の実存に真実である子どもが現われ出ます。

 まさに今、あなたがどのようなスペースにいようとも——眠くて憂欝であろうと、あるいは吠えながら反逆していようと——それを許しさえすれば、それはなにか新しいものへと進化していくのだということに気づいていましょう。Copyright © 2011 Osho International Foundation 



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2024/04/11

OSHO ZEN TAROT  SLOWING DOWN(スローイング・ダウン)

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OSHO ZEN TAROT 

SLOWING DOWN(スローイング・ダウン)

 瞑想は一種の薬——それを用いるのはしばらくの間だけだ。一度その質を学んだら、とくに決まった瞑想をする必要はない。瞑想があなたの生全体に広まっている。

 「禅を歩く、禅を坐る」

 そうだとしたら、その質とはなんだろう? 見守りながら、油断せず、楽しく、どんな動機もなく、中心に定まり、愛にあふれて、流れながら、人は歩く。そして、この歩くこととは、ゆったりと散歩することだ。愛にあふれ、油断せずに、見守りながら、人は坐る。

 どんな動機もなく——とくになにかのために坐っているのではなく、なにもせずにただ坐っていることがいかに素晴らしいか、どれほどくつろぐものか、どれほど安らぎに満ちたものか、それを楽しみながら……。

 長く歩いたあと、一本の木の下に坐ると、そよ風が吹いてきて涼ませてくれる。瞬間ごとに、人は自分自身と楽にくつろいでいなければならない——もっと良くしようとしたりせずに、なにかを修めようとしたりせずに、なにかを練習したりせずに。

 「禅を歩く、禅を坐る。話していても、黙っていても、動いていても、動かずにいても、本質はくつろいでいる」

 「本質はくつろいでいる」——それがキーワードだ。「本質はくつろいでいる」——それが鍵となる声明だ。自分のしていることをなんでもするがいい。だが、もっとも深い核では、くつろぎ、クールで、穏やかで、中心に定まっているがいい。
OshoThe Sun Rises in the Evening Chapter 7

解説:

 「虹の騎士(ナイト)」は、まさにこの亀のように、どこに行こうとも私たちはわが家とともにあることを思い出させてくれます。急ぐ必要はありませんし、ほかのどこかに隠れ家を探す必要もありません。感情の水の深みに入っていくときですら、私たちはみずから満ち足り、執着から自由であることができるのです。

 あなたには今、これまで自分やほかの人たちに抱いていた期待をすべて手放し、これまでずっと抱いてきたに違いないすべての幻想の責任を取る用意ができています。まさに今、自分とは誰なのかというその豊かさの内にひと休みすること以外、なにもする必要はありません。たとえ欲望や期待や夢が色あせて消えていっても、その方がずっといいのです。

 それらが消えていくことによって、静けさ、そして、そこにあるものを受け容れるという、新しい質のための場所がつくられます。そして、あなたは以前にはとてもできなかったようなやり方で、この進展を迎え入れることができます。

 スピードを落とす(スローイング・ダウン) ということの質、休息し、自分はすでにわが家にいることを認めるという、その質を余すところなく味わいましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

 

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2024/04/10

OSHO ZEN TAROT 流れと共に行く(GOING WITH THE FLOW)

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OSHO ZEN TAROT 

流れと共に行く(GOING WITH THE FLOW)

 「水になりなさい」と私が言うとき、私は流れになることを意味している。澱んだままではいけない。動くがいい、しかも、水のように動くがいい。

 老子は言っている——タオの道は水の流れる道だ。それは水のように動く。水の、あるいは川の動きとはなんだろう? その動きには素晴らしいところがいくつかある。ひとつに、それはつねに深みに向かって動く、もっとも低い地をつねに探し求める。それには野心がない。最初の者になろうと渇望することはけっしてない。最後の者になりたいのだ。

 覚えておくがいい。イエスはこう言っている——ここで最後の者こそ、私の神の王国では最初の者となるだろう。彼は、タオの水の流れる道について語っている——言及してはいないが、それについて語っているのだ。最後の者であるがいい、野心なくあるがいい。野心とは、上に向かって行くという意味だ。水は下に行く。

 もっとも低い地を探す。それは何者でもないことを望む。自分はユニークだ、例外だ、特別だと宣言することは望まない。エゴの観念はない。
Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 14 

解説:

 このカードの人物は水のなかで完全にくつろぎ、楽にして、水の流れに任せています。彼は怠惰になったり眠くなったりすることなく、受け身で受容的であるアートをマスターしています。

 「それはいやだ」とか「別の方向に行きたい」という考えなどまったくなく、生の流れに身をゆだねています。生という水に入って浮かぶか、それとも流れをさかのぼって泳ぐのか、生のあらゆる瞬間ごとに選択の余地が残されています。

 リーディングでこのカードが現われたときは、あなたは今、浮かぶことができるということを示しています。生はくつろぎを支えてくれて、まさに生の望むところに自分を連れて行ってくれるのだと信頼して——。

 信頼とくつろぎというこのフィーリングがさらにさらに成長していくのを許しましょう。あらゆることは、まさにそうあるべきように起こっています。Copyright © 2011 Osho International Foundation 



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2024/04/09

OSHO ZEN TAROT PARTICIPATION(参加)

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OSHO ZEN TAROT 

PARTICIPATION(参加)

 あなたは、夜が去っていくのを見たことがあるかね? 毎日起こっているものごとにさえ気づく人びとは、ごくわずかしかいない。あなたは夕闇がやって来るのを見たことがあるかね? 真夜中とその歌を? 日の出とその美しさを?

 私たちはほとんど目が見えない人たちのように振るまっている。こんなに美しい世界にいながら、私たちは自分たちの惨めさという小さな池で生きている。その池にはなじみがある。だから、誰かがあなたを引き上げたいと思っても、あなたは逆らう。

 あなたは自分の惨めさから、自分の苦しみから引き出されたくないのだ。さもなければ、まわりじゅうにひじょうに多くの喜びがある。あなたはただそれに気づき、観客ではなく参加者になればいいだけだ。

 哲学は空論、禅は参加することだ。夜が去っていくのに参加するがいい、夕闇がやって来るのに参加するがいい、星たちに参加し、雲たちに参加するがいい。参加することをあなたのライフスタイルにすれば、全存在が素晴らしい喜び、素晴らしいエクスタシーになる。

 より良い宇宙など、あなたは夢にも思っていなかったはずだ。
Osho Zen: The Miracle Chapter 2 

解説: 

 このマンダラの人物はそれぞれ左の手のひらを受け取る姿勢で上に向け、右の手のひらを与える姿勢で下に向けています。このサークル全体が途方もないエネルギー・フィールドを創りだし、二重の"ドルジェ"、稲妻を表わすチベットのシンボルの形を取っています。
 
 マンダラは、ブッダのまわりに形づくられるエネルギー・フィールドにあるような質をもっています。そのエネルギー・フィールドでは、統合され活気に満ちた全体を創造するために、サークルの一端を担っている個人全員が、それぞれ独自な貢献をしています。それは、花の各部分を合わせたよりも花全体のほうがさらに美しいと同時に、個々の花びらの美しさをも強めている、そういう花に似ています。

 ほかの人たちといっしょに参加し、個人それぞれが独りで成し遂げられるものよりもっと大きく、もっと美しいなにかを創造することに貢献する機会が、今あなたに訪れています。あなたが参加すれば、それはあなた自身をはぐくむだけでなく、全体に対して貴重ななにかを貢献することにもなるのです。
Copyright © 2012 Osho International Foundation 

 

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OSHO ZEN TAROT TRAVELING(トラベリング

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OSHO ZEN TAROT 

TRAVELING(トラベリング)

 生はつねに、つねに、連続したものだ。それは最後の目的地に向かって進んで行くのではない。巡礼そのもの、旅そのものが生なのだ。どこかの地点に行き着こうとしているのではなく、ゴールはなく——ただ踊りながら、巡礼の内にあって、どんな目的地も気にせずに楽しく進んで行く——。

 目的地にたどり着いたところで、あなたはなにをしようというのかね? これまで誰もこんなことをたずねた者はいない。誰もが生に目的地を設けようとしているからだ。
だが、それが暗に意味するのは……。
 
 もし、あなたがほんとうに生の目的地に着いたとしても、そのあとは? あなたはとても困ってしまうだろう。どこにも行くところがない……あなたは最後の目的地に着いてしまったのだ——しかも、その旅の途中で、あらゆるものを失ってしまった。

 だから、あなたは最後の目的地に丸裸で立ち、まるで馬鹿のようにあらゆるところを見回すことになる。いったいなんだったのだ、と。あなたは必死になって急いでいたし、次々と心労が絶えなかった。それなのに、その結果がこれなのだ。Osho Rinzai: Master of the Irrational Chapter 7 

解説:  

 この素晴らしい風景をぬって道を歩む小さな人影は、ゴールのことなど気にしていません。彼、あるいは彼女は、旅そのものがゴール、巡礼そのものが聖地だということを知っています。道を歩む一歩一歩、それ自体が大切なのです。

 リーディングでこのカードが現われたら、動きと変化の時期を示しています。それは、ある場所から次の場所への物理的な動きかもしれませんし、ひとつの在り方から別の在り方への内なる動きということもあるでしょう。

 しかし、どんな場合でも、進むのはたやすく、冒険し、成長しているという感触がもたらされることをこのカードは約束しています。余計な苦労や計画は必要ありません。この「トラベリング」カードは、新しいものを受け容れ、抱擁することを思い出せてくれます。ちょうど、私たちが日頃慣れ親しんでいるものとは違った文化や環境をもつ別の国を旅しているときのように——。

 開き、そして受け容れるというこの姿勢は、私たちの生に新しい友人と体験を招き入れます。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

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2024/04/08

マツダフェア

1)どういうわけか、無料チケットが来た。奥さんと孫2人、桜満開の山道。片道30分の山中に、SUGOスポーツランドはある。

2)正直言って、このモータースポーツランドというシステムは、時代遅れではないか、と思う。ここが開発されtて50年、あちこちにひび割れが見える。

3)私は個人的に、あの爆音、あのスピード、あの匂い、あのメカニズムは、得手ではない。欲しいか、欲しくないか、と言われたら、欲しくない。

4)時代は、エコや地球環境を大事にする時代である。爆音も、スピードも、オイル浪費も要らない時代だ。古い。古すぎると思った。

5)miata ND ソウルフルなロードスターが、山ほど積み上がっていた。が、私の心は、震えなかった。時代遅れの、貧弱なおもちゃにしか、見えなかった。

6)3歳の孫は、チャイルドカーと、ラジコンカーが楽しかったらしい。もっとやりたいと言っていた。県外ナンバーも多く来ていた。でも、我が心は、なんだかなぁ、で、留まった。

7)   トンネルを抜けて窓開け山桜 把不住

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OSHO ZEN TAROT  THUNDERBOLT(稲妻)

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OSHO ZEN TAROT 

THUNDERBOLT(稲妻)

 瞑想では、ゆっくり、ゆっくりとすることを、弟子がなにか問いをたずねている状況のなかでの、マスターの予期せぬ素晴らしい一喝——マスターは跳びかかって一喝する、あるいは弟子を打つ、あるいは扉から放り出す、あるいは弟子の上に飛び乗る……。

 こうした技法はまったく知られていなかった。それはまぎれもなく馬祖(ばそ) のひじょうに創造性豊かな天賦の才によるもので、彼は多くの人びとに光明を得させた。

 ときには、それはとても愉快なものに見える。彼は、なにに瞑想したらいいのかたずねるために来ていた人を二階の窓から放り出した。さらに馬祖は、放り出しただけでなく、その後を追って飛び降り、その人の上に落ち、その胸の上に坐り込んで、「分かったか?!」と言ったのだ。

 かわいそうなその人は「はい」と言った——「いいえ」などと言おうものなら、殴られるかなにかされるに違いないからだ。もう充分だ——からだの骨が折れているというのに、馬祖は胸の上に腰をおろして、「わかったか?!」と言っているのだ。

 が、事実、その人はわかっていた。あまりにも突然で、青天の霹靂(へきれき) だったからだ——そんなことは考えてもいなかった。
Osho Isan: No Footprints in the Blue Sky Chapter 4 

解説:

 このカードは、燃やされ、壊され、粉々に吹き飛ばされた塔を示しています。塔から男性と女性が飛び降りていますが、彼らはそうしたいから飛び降りているのではなく、ほかにどうしようもないからです。

 その背後の透明な、瞑想している人物は、醒めて見ている意識を表わしています。あなたはまさに今、まるで大地が足元で揺れ動いているかのように、とても動揺しているに違いありません。安全というあなたの感覚が挑戦を受け、しがみつけるものならなんにでもしがみつこうという気になるのも無理はありません。

 しかし、この内なる地震は必要で、また、とても重要です——。もしそれを許したら、あなたは残骸から立ち現われ、もっと強くなり、もっと新しい体験をすることができるようになります。大火の後、大地は再び豊かになり、嵐の後、空気は澄みわたります。

 その破壊を、まるで誰か別の人に起こっていることでもあるかのように、超然として見守ろうとしてみましょう。それを途中まで出迎え、そのプロセスに「イエス」と言いましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation

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2024/04/07

一句

 

 

蒼穹に一声啼いてホトトギス   把不住

 

 

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2024/04/06

OSHO ZEN TAROT  STERESS(ストレス)

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OSHO ZEN TAROT 

STERESS(ストレス)

 個人的なゴールはすべてノイローゼのようなものだ。本質を究めた人は、「私は全体から離れてはいない、私ひとりの運命を探し求める必要はなにもない。ものごとは起こっているし、世界は動いている——それを神と呼ぶなら… …神のしわざなのだ。

 それらはひとりでに起こっている。私が奮闘し、努力する必要はまったくない。私がなにかのために戦う必要はない。私はリラックスして、ただ在ればいいのだ」ということを知るようになり、感じるようになる。

 本質を究めた人は、ものごとのやり手ではない。本質を究めていない人は、やり手だ。本質を究めていない人は、もちろん、不安、緊張、ストレス、苦悩に見舞われ、たえず火山の上に坐っている。その火山はいつ爆発してもおかしくない。

 というのも、そういう人は不確実な世界に生きていながら、この世界は確実だと信じ込んでいるからだ。それが、その人の実存に緊張を生みだす。奥深いところでは、なにひとつ確実ではないことを知っているのだ。Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 3 

解説:

 計画が多すぎて、「アドバルーン」を上げすぎて、余りの負担に耐えられなくなり、ちょっとした風邪で寝込んだり、墜ちてしまって結局は松葉杖の世話になった人たちがどれくらいいるか知っていますか?

 そういった「タイミングの悪さ」はあるもので、それはこの絵のなかの小さな猿が、手にしたピンで「ワンマン・バンド」を今にもひと刺ししようとしているようなものです!このカードが示しているようなストレスの質には、ときおり私たちみんなが見舞われますが、とくに完全主義者たちはそれに冒されやすいのです。

 自分たちがいなければなにひとつ起こりはしない——自分たちがそうあって欲しいと思うようには起こらない! そういう考えがあって、私たち自身がそのストレスを生みだしています。

 ところで、あなたはいったいどんな理由があって、自分はそれほど特別だと思い込んでいるのでしょうか? 自分の手で目覚まし時計をセットしなければ、朝になっても太陽は昇らない、あなたはそう思っていますか?

 散歩に出て、花を買って、自分のためにスパゲッティの夕食でもつくりましょう——「どうってことのない」ものであれば、なんでもいいのです。猿の手の届かないところにいましょう!copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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2024/04/05

OSHO ZEN TAROT 意識(CONSCIOUSNESS)

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OSHO ZEN TAROT 

意識(CONSCIOUSNESS)

 私たちは未知なるものからやって来て、未知なるもののなかへと進みつづける。私たちは再びやって来るだろう。

 私たちはここに何千回となくいたことがあるし、これからもここに何千回となくいることになるだろう。

 私たちの本質的な実存は不滅だが、私たちのからだ、形として現われている私たちは、かならず滅びる。私たちがそのなかにいる枠、私たちの家、からだ、心(マインド) は、物質的なものでできている。

 それらは疲労し、年を取り、死んでしまう。だが、あなたの意識——菩提達磨(ボーディダルマ)は「無心(ノーマインド)」という言葉を使い、ゴータマ・ブッダも「無心」という言葉を使っているが——それはからだと心を超えたなにか、あらゆるものを超えたなにかだ。その無心は永遠だ。

 それは表現となり、そして再び未知なるものへと入っていく。この未知なるものから既知なるものへ、そして既知なるものから未知なるものへの動きは、その人が光明を得ないかぎり永遠につづく。

 光明を得たら、それがその人の最後の生になる。そうなったら、この花はもう二度と戻ってこない。自分に気づくようになったこの花には、生に戻ってくる必要はない。生は学ぶための学校以外のなにものでもないからだ。その人はレッスンを学んだ。もう迷いを超えている。

 その人は既知なるものから未知なるものへではなく、不可知なるものへと初めて入っていく。
 Osho Bodhidharma, the Greatest Zen Master Chapter 5 

解説:

 この心(マインド)の組(スート) のカードは、そのほとんどが戯画的なものか、あるいは問題のからんでいるものばかりです。それは、心が私たちの生に与える影響が、たいていはばかげているか、あるいは耐えがたいものだからです。

 しかし、「意識」というこのカードは、巨大な仏陀の像を表わしています。彼には途方もない広がりがあるために星さえも超えてしまい、その頭上には純粋な空(くう) があります。彼は意識を表わし、その意識は、心の主人(マスター) となって、その心を本来あるべき召使として使うことのできる、すべての者たちのためにそこにあるのです。

 このカードを選んだときは、水晶のように澄んだ明晰さ——超然として、あなたの実存の中核に横たわる静けさに深く根づいている明晰さが、まさに今、用意されていることを意味しています。

 心の尺度で理解したいという欲望はありません——あなたに今ある理解は、存在に即したものであり、全体的で、生そのものの鼓動と調和しています。この大いなる贈りものを受け容れ、分かち合いましょう。 Copyright © 2011 Osho International Foundation 

 

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OSHO ZEN TAROT EXPERIENCING(体験している)

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OSHO ZEN TAROT

EXPERIENCING(体験している)

 ちょっとまわりを見てごらん。子どもの目、あるいは恋人、母親、友人の目のなかを見てごらん——あるいは、ちょっと樹を感じてごらん。 

 あなたは樹を抱いたことがあるかね? 樹を抱いてごらん。すると、いつの日か、自分は樹を抱いたのだというだけでなく、樹も応じることが、樹もあなたを抱いてくれることがわかる。

 そうして初めて、あなたは樹がただの形にすぎないのではなく、植物学者たちが言うようにある特定の種にすぎないのではなく、知られていない神なのだということがわかるようになる——あなたの中庭で青々と繁り、中庭で満開の花を咲かせ、すぐそばであなたを招き、何度も何度もあなたを呼んでいる。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 2  

解説:

 「体験e x p e r i e n c e 」は、ノートに書き記したり、写真に撮ってアルバムに貼ることのできるものです。「体験しているe x p e r i e n c i n g 」というのは、驚きそのものを感じていることであり、交感(コミュニオン) のスリルであり、私たちはまわりのすべてとつながっているという優しい感触です。

 このカードの女性は、ただこの樹に触れているだけでなく、その樹と交感し、その樹とほとんどひとつになっています。その樹は老木で、何度も困難な目にあってきました。彼女は優しく触れ、うやまい、ケープの裏の白は彼女のハートの純粋さを反映しています。

 彼女は謙虚で、素朴です——それこそ、自然に近づく正しい道なのです。自然は笛や太鼓の鳴り物入りで花を咲かせることもなく、秋になって葉が落ちるに任せるときも葬送曲を奏でたりしません。

 しかし、私たちが正しいスピリットをもって自然に近づくと、自然には分かち合う多くの秘密があります。もし、最近、自然が自分にささやきかけているのを聞いていなかったら、今こそ自然にささやくチャンスを与える絶好の時です。Copyright © 2011 Osho International Foundation

 

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2024/04/04

OSHO ZEN TAROT  無(NO-THINGNESS)

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OSHO ZEN TAROT 

 無(NO-THINGNESS)

 仏陀は、ほんとうに潜在能力の高い言葉のひとつを選んだ——シュニヤータ。英語、それに相当する英語"ナッシングネス nothingness "は、それほど美しい言葉ではない。私がそれを"ノー・シングネス no-thingness "としたいのは、そのためだ——。

 というのも、無というナッシングは、ただのナッシングではないからだ。それはすべてだ。
あらゆる可能性で脈打っている。それは潜在能力、絶対的な潜在能力だ。それはまだ顕現していない。だが、すべてを含んでいる。初めに自然があり、終わりに自然がある。

 だとしたら、なぜ、その真ん中でそんなに大騒ぎするのかね? なぜ、その中間で、そんなに心配し、そんなに気をもみ、そんなに野心を抱くのかね? なぜ、それほどの絶望をつくりだすのかね?
無から無へ、それが旅のすべてだ。
Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 5

解説:

 「隙間のなかに」在ると、方向を見失い、怖くなることすらあります。しがみつくものはなにひとつなく、方向感覚もなく、この先にどのような選択と可能性が待ち受けているのか、そのヒントすらつかめません。

 しかし、宇宙が創造される以前から存在していたのは、まさに純粋な潜在能力という、この状態だったのです。

 今あなたにできることは、この無のなかへとリラックスしていくことだけです……言葉と言葉のあいだにある、この沈黙のなかへと落ちること……出ていく息と入ってくる息の中間にある、この隙間を見守ることです。

 そして、その体験の空っぽの瞬間を、ひとつひとつ大切にしましょう。神聖ななにかが、まさに生まれようとしています。Copyright © 2011 Osho International Foundation

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OSHO ZEN TAROT COURAGE(勇気)

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OSHO ZEN TAROT 

8.COURAGE(勇気)

 種子には、この先なにが起こることになるのか知ることはできない。種子は花のことなどこれまで一度も知らなかった。そして、自分が美しい花になる力を秘めていることなど、種子には信じることすらできない。旅は長く、道はわからず、なにひとつ保証はないのだから、旅に出ないほうが安全なのは決まっている。

 保証はなにひとつありえないのだ。旅の危難は数限りなく、落し穴はいくらでもある ——が、種子は硬い核のなかに秘められて安全だ。だが、種子は試みる、努力する。安全だった硬い殻を落とし、種子は動きはじめる。すぐに戦いがはじまる——土との、石との、岩との格闘。しかも、種子はひじょうに硬いが、芽はとてもとても柔らかく、危険はいくらでもある。

 種子には危険はない。種子は千年も生き永らえることができただろう。だが、芽には多くの危険が待ち受けている。だが、芽は未知なるものへと、太陽へと、光の源へと、どこともわからないまま、なぜかもわからないまま、進みはじめる。背負う十字架は大きい。だが、種子は夢にとり憑かれ、進んでいく。

 人間にとっても道は同じだ。容易ではない。多くの勇気が必要になる。
Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 4

 

解説:

 このカードが示しているのは、昼の光へと出ていく道の途中で、岩や石の挑戦を受けている小さな野の花です。明るい金色の光のオーラに包まれて、その小さな自己の尊厳をさらしています。恥じることもなく、野の花は、もっとも明るい太陽にも匹敵します。

 ひじょうに困難な状況に直面したとき、私たちには選択の余地があります。腹を立て、苛酷な運命をほかのせいにするために、なにか人かものごとを見つけようとすることもできますし、その挑戦を正面から受け止めて、成長することもできます。この花は、その道を私たちに示しています。

 生への自らの情熱によって暗闇から抜け出し、光へと導かれていくのですから——。生のいくつもの挑戦に抵抗したり、その挑戦を避けたり拒絶しようとしたりしても、なんの意味もありません。それはそこにあり、そして、もし種子が花になることになっているのであれば、私たちはそれを通り抜けなければならないのです。もともとなるべき花へと成長していけるだけの勇気をもちましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

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2024/04/03

OSHO ZEN TAROT POSTPONEMENT(引き延ばすこと)

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OSHO ZEN TAROT 

POSTPONEMENT(引き延ばすこと) 

 

 引き延ばすことは、たんにばかげている。明日になったところで、あなたはまた決心しなければならなくなるのだ。そうであれば、なぜ今日ではだめなのかね?

 それに、明日になったら今日よりも自分は賢くなっていると思うかね? 明日の方が今日よりも活き活きしていると思うかね? 今日よりも明日の方が若くなっている、より新鮮になっていると思うのかね?

 明日の方が、あなたは年をとっている。あなたの勇気はなくなっている。明日の方が、あなたは経験を積み、もっとずる賢くなっている。明日の方が、死はより近づいている——あなたは迷い始め、もっと怖くなるだろう。

 けっして明日に引き延ばしてはいけない。それに、誰にわかるかね? 明日は来るかもしれないし、来ないかもしれない。もし決めなければならないのなら、まさに今、決めなければならない。

 歯医者のフォーゲル先生は、かわいい娘の診察を終えて、「ベースマンさん」と口を開いた。「どうも、親知らずを抜かなければならないようですな!」
「わあ、どうしよう!」と娘は驚いたように言った。
「わたし、ほんとうは子どもが欲しいの!」
「そうですか」とフォーゲル先生は言う。「どちらかに決めてくださいよ、椅子の調節がありますからね」

 決めるがいい。永遠に引き延ばしてばかりいてはいけない。
Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 8

解説:

 この絵の女性は非現実的な、切り抜いた雲がいっぱい出ている灰色の風景のなかで生きています。窓枠を通して、彼女は色彩と光と活気を見ることができますし、その枠を通り抜けて行きたいとも思っているのです が——それは彼女の着ている服に虹色が現われていることからもわかります——でも、どうしてもそうすることができません。

 彼女の心のなかにはまだ、「もし、こんなことになったら?」という動きが多すぎるのです。明日は、明日は、と延ばしていたのではなにもできないとよく言われますが、そんなことをいくら言われても、私たちのほんどは、その真実を忘れようとしがちです。

 事実、ものごとを引き延ばして得られる唯一の結果は、未完成で「行き詰まっている」という、鈍く憂欝な、今日の感じでしかありません。

 あなたの今の動きを妨げている心の迷いをすべて脇に置きさえすれば、安堵と広がりが感じられ、なぜ自分はこんなに長い間待っていたのか不思議に思うでしょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

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2024/04/02

OSHO ZEN TAROT BREAKTHROUGH(突破

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OSHO ZEN TAROT 

BREAKTHROUGH(突破) 

 挫折(ブレイクダウン)を、突破(ブレイクスルー) に変容させることがマスターの役割のすべてだ。サイコセラピストたちは、ただあなたにつぎを当てて修理するだけだ。それがサイコセラピストの役割なのだ。

 サイコセラピストは、あなたを変容させるためにいるわけではない。あなたに必要なのはメタサイコロジー、ブッダたちの心理学だ。

 意識を保ったまま挫折を経験するのは、生における最大の冒険だ。挫折(ブレイクダウン)が突破(ブレイクスルー) になるという保証はなにもないのだから、それは最大のリスクだ。それはたしかにそうなる。だが、こうしたものごとは保証されえない。

 あなたの混沌(カオス)は太古の昔からあるひじょうに古いものだ——多くの、多くの生にわたって、あなたは混沌としていた。それには厚みがあり、濃密だ。それ自体がほとんどひとつの宇宙。

 だから、あなたが自分の小さな許容力でその中に入って行くと、もちろん、危険なことになる。だが、この危険に直面せずに統合された人など、これまでひとりもいなかった。個人(インディヴィジュアル) に、わけることのできないもの(インディヴィジブル) になった人などひとりもいなかった。

 禅、あるいは瞑想は、あなたがこの混沌、魂の暗夜をバランスを保ちながら、規律を保ちながら、油断せずに通り抜けるのを助ける技法だ。

 夜明けは遠くない。だが、夜明けに行き着く前に、あなたは暗い夜を通り抜けなければならない。そして、夜明けが近づいてくるにつれ、夜はますます暗くなる。Osho Walking in Zen, Sitting in Zen Chapter 1

解説:

 このカードでは赤がひときわ目立っていて、一目で、そのテーマがエネルギー、パワー、そして強さにあることがわかります。この人物の太陽神経叢(そう) 、あるいはパワーの中心からは明るい輝きが発せられ、そのポーズは、はちきれんばかりの力と決断を表わしています。

 私たちはみな、ときとして、「もう、うんざりだ」というポイントに行き着くことがあります。そのようなときは、自分を縛っている重荷と制限を放り出すために、なんでもいいから、たとえそれが後になって失敗だったとわかるようなことであっても、とにかくなにかしなければならないように思えるものです。

 もしなにもしなければ、おまえの生のエネルギーそのものを窒息させ、使えなくしてしまうぞ、と脅されるのです。もし今、「もう、たくさんだ」と感じているのであれば、これまであなたのエネルギーの流れを止めてきた、古いパターンと制限を粉々に打ち砕いてしまうリスクを冒しましょう。

 そうすれば、あなたはこの「突破(ブレイクスルー)」によって生にもたらされるバイタリティーとパワーに驚くことでしょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

次へつづく

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2024/04/01

The Art of Death (OSHO Meditation Minutes)

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Feel - Now and Here (OSHO Meditation Minutes)

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OSHO TALKS: The Language of Silence

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OSHO: A 21-Day Course for Modern Meditators

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OSHO: If You Are Creative You Will Be Happy

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OSHO: Everybody Is In the Same Boat [Meditation Minutes @ OSHO Meditation Resort]

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「バグワン・シュリ・ラジニーシ(OSHO)」 スピリチュアル学校No.35

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