20240131
1)いけいけ、限りなく、いけ。
2)内なる我が心の声を聞け。
3)限りなく速やかに、限りなく穏やかに。
4)我を忘れて、天地の音楽に耳を傾けよ。
5)気狂いにならず、爆発せず、瞑想にくつろげ。
6)賽は投げられた。
7)流れゆく虚空の舟や水温む 把不住
1)いけいけ、限りなく、いけ。
2)内なる我が心の声を聞け。
3)限りなく速やかに、限りなく穏やかに。
4)我を忘れて、天地の音楽に耳を傾けよ。
5)気狂いにならず、爆発せず、瞑想にくつろげ。
6)賽は投げられた。
7)流れゆく虚空の舟や水温む 把不住
34.MIND(心)
これがあなたの頭の状態だ―自転車のハンドルとペダル、それに、あなたが手あたり次第に集めてきた奇妙なものがいくつも見える。こんな小さな頭なのに……もはや、住む余地もない! しかも、そのがらくたがあなたの頭のなかで動きつづけている。
あなたの頭はくるくる回りながら、はたを織っている―それがあなたを忙しくさせているのだ。自分の心のなかをどんな種類の思考が巡っているか、ちょっと考えてごらん。
いつの日かちょっと坐り、自分の扉をすべて閉めて、半時間のあいだ自分の心をよぎることをすべて書きとめてごらん。そうすれば、あなたは私の言っていることがわかるし、自分の心のなかで進行していることに驚くだろう。
それは背景にとどまりつづけ、絶えずそこにあり、雲のようにあなたを取り巻いている。この雲があっては、あなたは現実を知ることなどできない。スピリチュアルな洞察を得ることはできない。この雲は落とされなければならない。
そして、それを落とすというあなたの決断だけで、それは消えてしまう。あなたがそれにしがみついているのだ——。雲はあなたには関心がない。それを覚えておくがいい。Osho The Sun Rises in the Evening Chapter 9
解説:
心(マインド)はもともと従者なのだということを忘れて、その心に私たちの生を任せてしまうと、こうなってしまいます。頭はいろんな装置でいっぱいになり、口は怒鳴りちらし、この主張と意見の工場によってまわりの空気はすっかり汚染されています。
「でも、ちょっと待って」とあなたは言うでしょう——「私たちが人間なのは、心があるからだ。心こそ、あらゆる進化の、あらゆる偉大な真理の源なのだ」と。もし、あなたがそう信じているのなら、ある実験をしてみましょう。
自分の部屋に行き、扉を閉め、テープレコーダーを回して、「自分の心にある」ことをすべて口に出して言わせてみるのです。どんな検閲も監修もせずに、それがすべて出てくるのをほんとうに許しきったら、どっと吐き出されるゴミの多さにあなたは驚いてしまうでしょう。
「雲のペイジ」は、誰かがどこかで「ヘッド・トリップ」に嵌(は)まっていることを教えています。よく見て、それが自分ではないことを確かめましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation
OSHO ZEN TAROT
65. 罪悪感
この瞬間! この<今ここ>……。なにかを達成しようという観点から考えはじめると、それが忘れ去られてしまう。達成しようとする心が湧いてくると、あなたは今いる楽園とのつながりを失ってしまう。これは解放をもたらす最良のアプローチのひとつだ——それはまさに今、あなたを解放する! 罪などすべて忘れてしまうがいい、聖人らしさもすべて忘れてしまうがいい。どちらもばかげている。このふたつがいっしょになって、人間の喜びをすべて破壊してきた。罪を犯した人は罪悪感を感じている。喜びが失われているのはそのためだ。たえず罪悪感を感じていたら、自分はこんな悪いことをした、あんな悪いことをしたと告白するためにいつも教会に行っていたら、どうして生を楽しめるかね? 悪いこと、悪いこと、悪いこと ……あなたの生全体が罪で作られているようだ。どうして楽しく生きられるかね? 生を楽しむことなど不可能になる。あなたは重くなる、荷重がかかってしまう。罪悪感があなたの胸の上に岩のように居すわり、あなたを圧しつぶす。あなたを踊れなくしてしまう。どうして踊れるかね? どうして罪悪感が踊れるかね? どうして罪悪感が歌えるかね? どうして罪悪感が愛せるかね? どうして罪悪感が生きられるかね? だから、自分はなにか悪いことをやっていると思っている人は、罪の意識をいだいている。重荷を負い、死より先に死んでいて、すでに墓に入っている。
Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 3
解説:
罪悪感は、私たちが捕まってしまいかねないもっとも破壊的な感情のひとつです。ほかの人にひどいことをしたり、自分自身の真実に背いたりしたら、いうまでもなく私たちは気分が悪くなります。しかし、自分自身を罪悪感で打ちのめしてしまうと、偏頭痛を呼び込むことになってしまいます。その結果、自分を疑い、自分には価値がないという、口やかましい雲に取り巻かれ、結局は、生が私たちに差し出そうとしている美と喜びをなにひとつ見ることができなくなってしまいます。私たちはみな、もっと良い人になりたいと望んでいます——もっと愛にあふれ、もっと醒めていて、もっと自分自身に真実でありたい、と。しかし、失敗したからといって自分を罪悪感で罰してしまうと、失望と絶望の堂々巡りのなかに閉じ込められてしまい、自分自身への明晰さ、さらには自分が遭遇する状況への明晰さがすべて奪い去られてしまいます。あなたはあるがままのあなたで完全にオーケーなのです。そして、ときには道に迷ってしまうことも、まったく自然なことです。そのことから学び、先に進みつづけ、その教訓を生かして、二度と同じ間違いをおかさないようにしましょう。
Copyright © 2008 Osho International Foundation
1)どうしても納得がいかない。燃費? 平常時25/L行っていたら文句ない。非常時10/l? それだってありうる。乗り換えに比べれば、全く問題ない。
2)非常時給電システム? 基本的に我が家には太陽光パネルがあり、中間だけとは言え、十分な電力を賄える。20には小電力とは言えスマホ程度ならいつでも充電できるシステムがある。
3)メインバッテリーもまだまだ動きそう。サドンデスでも、20万程度の修理費はすでに覚悟できている。ボディのキスマークは、ご愛嬌。むしろ荒仕事の時に、躊躇なく使える。
4)スタイル? スタイルならむしろ60より20の方が好きだ。かすみは仕方ないが、何も現役世代と争う必要もない。お好みの一台だ。EV待望論者ではあったが、EVに展望なし。PHEVにメリットなし。迷うだけ、時間の無駄である。
5)一連の安全運転サポートシステムも、どこかチグハグ。視覚を悪くして、ITシステムに頼るなんて、逆転している。30ではなく、なぜに20にしたのか、あの時点に戻るべき。生で、ナチュラルな状態が、いい。
6)なんといっても、初期投資をランニングコストに換算すれば、3〜5万の負担になるのは、異常である。20温存。一連のNDフィーバーが一気に冷めていったように、なんだか、60フィーバーも、どこかの時点で、一気に霧消する予感がする。
7)立冬の兆し感じて野や畑 把不住
1)かなりちょこちょこ見るようになった60。ズバリXシルバーメタリックとはいかないが、朝に一台、昼に一台、夕方に一台、のレベルで見かけるようになった。
2)見かけだけなら、20の方が勝っている。敢えて350万を失う必要はない。今のままでいい。
3)しかし、本当の勝負は、その走りと安全装備だろう。今の走りで大きな不満はない。乗り味悪くない。安全装備も万全とは言い難いが、決してこれらの安全装備が必須、とも言い難い。
4)だから、衝動的に60の方へ私をして走らせる何かが足りない。20>60の構造が、いつまで経っても変化しない。敢えていうなら、20=60になるのは、事故って時か、大きな事故に遭遇した時だろう。
5)現在、20の車価は20万。まずはここを大きく超えるメンテナンスが必要なときは、20<60への大きな変換点だろう。その事態にいつ至るのかが分からない。突然のサドンデスも、ありうる。
6)されど、30日+代車の期間内で、60Xの手配はできるだろう。どうも今の情勢だと、202509までは来そうにない。むしろここからさらに2年超過さえしかねない。
7) 雪溶けて早くも芽を出す蕗の薹 把不住
1)あっちにもこっちにも60が見え始め、停まっていたり、走っていたり、やたらと目につくようになってきた。相当な勢いで、町に溢れて始まっている。それと同時に、どうも60がかっこよくなく見え始まって、困っている。
2)熱が冷めたかな。とっても貧相に見える。薄っぺらい、ヒラメみたいで、皮肉屋が口とんがらかしているような、違和感。駐車場で、何台かの車の中に挟まっていると、ボリュームがなさすぎて、存在感が、薄い。
3)ここが、仮にNDなんかだったら、一人前の存在感を示す。比較対象にならないくらい、独立した、起立したキャラが立つのである。ところがどうだ、60? 弱いな。暖かくないぞ。少なくとも我が20には、完全に負けている。
4)色が悪いのだろうか。確かにシルバーメタリックの60は少ない。ぼやけた色ばっかり。タイヤは大きいのか、小さいのか、分からない。何がいいんだ、このクルマ。どうも納得がいかない。
5)X+ナビという最廉価版を狙っているのがいけないのか。機能的には、中古の軽でも十分ついているようなものが、ない。おかしい。とても寒々しく見える。
6)今夜はすごく残念な夜だ。昨日まで魅力的に見えていたものが、今日は、虚しい。哀れなもんよ。アバタもエクボというが、今日は百年の恋もいっぺんに冷めてしまうような、なんだかへんちくりんな気分だ。
7) 木枯らしの野に立ち歩む我ひとり 把不住
1)三つの決断をした。一つ一つは、特段の関連はないが、裏では全くの統一テーマがある。それは、これからの10年間に向けての、決断だ。
2)長いようで、短い。短いようで、長い。実感としては、まとまった一区切り、ということだ。何もしないでいれば、あっという間に過ぎる。何かをするのであれば、一つの仕事をやり遂げるには、十分な時間と言える。
3)ましてや、私に取っては、人生最後の10年である。仕上げであり、究極の年月である。あるかもしれない、ないかもしれない、淡い、不確実な区切り、このステージにおいて、私は、三つのキャラクターを背負うのだ。
4)これ以上でもなく、これ以下でもない。自分自身の見極めが大切だ。身に纏うもの。身分であり、仕事であり、イメージである。それぞれに挑戦的だ。やや無理があるかも。しかし、決して下を向いていない。意欲的な方向性だ。
5)決断したとしても、すぐに具体化するわけではない。それぞれに時間がかかる。されど、種を撒いておけば、いずれ芽を出す。育つか、育たぬか、それは分からない。しかし、種を撒かないわけには、いかない。
6)3つの決断。いいだろう。それででいいと思う。
7) 雪を見て月を見て花咲く心 把不住
OSHO ZEN TAROT <76>
31. CONTOROL(コントロール)
自分をコントロールしている人はいつも神経質になっている。奥深いところに依然として動揺が隠されているからだ。もしコントロールせずに、流れ、活気に満ちていたら、神経質にはならない。
神経質になることなど問題外だ——起こることはすべて起こる。あなたは未来に期待を抱いていない、演技してはいない。だとしたら、なぜ神経質にならなければならないかね?
その心をコントロールするためには、生のエネルギーが自分の手足、からだに流れ込めなくなるほど冷たく、凍りついていなければならない。もしエネルギーが流れるのを許したら、こうした抑圧が表面に浮かび上がってくる。
だからこそ人びとは、冷たくあるにはどうすればいいのか、相手に触れても触れないようにするにはどうすればいいのか、人びとを見ても見ないようにするにはどうすればいいのか、その方法を学んできたのだ。
人びとは陳腐な決まり文句で生きている——「こんにちは、ご機嫌いかがですか」。誰も本気でそう思ってはいない。こうしたことは、ふたりのほんとうの出会いを避けるためのものだ。
人びとは互いに相手の目を見ない、手を取り合わない、互いのエネルギーを感じ合おうとしない、相手の本音を聞こうとはしない——ひじょうに怖れている。拘束服で身を固めて、とにかくなんとかやり繰りしながら、冷たく、死んだようになっている。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 5
解説:
コントロールには時と場所がありますが、もしそれを自分たちの生を管理することに用いたら、私たちは結局、柔軟性をまったく失ってしまうことになります。
この人物は自分を取り囲むピラミッド形の視野に閉じ込められています。彼のつやのある表面は光り輝き、光を反射していますが、その光は内部には届いていません。
彼は自分のまわりに自ら作り上げたこの構造のなかで、まるでミイラになっているかのようです。拳(こぶし) を固く握り締め、目はうつろで、ほとんど見えていません。テーブルの下の下半身はナイフの切っ先、切りわける刃になっています。
彼の世界は管理された完璧なものですが、活き活きとはしていません——自発性や感受性が入ってくるのを許すことができないのです。
「雲のキング」のイメージは、深く息をつき、ネクタイをゆるめ、楽にすることを私たちに思い出させてくれます。たとえなにか間違いが起こっても、それでいいのです。事態がちょっと手に負えなくなったとしても、それは望ましいことなのかもしれません。
生には、「事態を完全に支配している」ことよりも、もっともっと多くのことがあります。Copyright © 2012 Osho International Foundation
1)まず、自分が必要な車はどんななものだっただろう。まずは安価で、荷物がたくさん積めて、走りゃ、それでよかった。まずは軽ワゴン。安全性も、燃費も、乗り心地も、どうでもよかった。とにかく走りまくった。
2)ワゴンに乗り続ければ、もうちょっと装備や快適性に目がいくようになる。そこからは、普通サイズのワンボックスとなった。荷物も積めるし、仲間とも走った。結婚すれば、奥さん用の軽セダンも必要になった。ワンボックスは、子供たちとのキャンプ用に改造して、長距離も走った。
3)しかし日常的に子供達と行動を共にする時代が終焉すると、今度は、ひとりで行動することが多くなり、ワンボックスの空席が虚しくなり始めた。そこで思いっきり、普通サイズのステーションワゴンに変えた。とは言え、走りだったので、普通乗用車のバンに毛が生えたようなものだったが。
4)ここまでくると、クルマの良し悪しや、メーカーの違い、燃費の違い、維持費など、様々なクルマの要素が見えてきた。ここで思いっきり、リッターカーセダンに変えた。維持費も初期投資も負担が軽かったが、なんせ不満があちこち爆発した。乗り心地、趣味性、満足度、全てにおいて不満だった。でも経済的には、これで乗り切ったから、住宅ローンも、子供達の教育費も賄えた。
5)そしてハイブリッドの時代がやってくる。安価な営業用セダンとは言え、燃費も良く、デザインもバッチリ、世界標準車ですらあった。これがあまりにも好きすぎて、14年も乗ってしまった。我が人生、もうこれが最後の車でもいいのではないか。そこまで惚れ込んだ。これでいいじゃん。
6)しかし、残る人生、あと10数年の車人生を、支え続けてくれるものだろうか。実用性、経済性、趣味性をうまくバランスを取ってくれるクルマは、あるのか。これからの人生を考えるならば、安全性も十分加味しなければならない。クルマは人生、そのものだな。
7) どこまでも走って行きたい雪の道 把不住
1)ほぼ心は決まった感があるな。いくら考えても、それ以外にない。考えるのも飽きてきた。100点満点とは、どうせいかないだろう。いつもの通り、60点合格主義でいいじゃないか。いや、もっと行くな。80点以上いく。欠点は欠点としてあり、あとからマイナス点も出てくるだろう、それでいいじゃん
2)先日の、若干難関な資格試験も、なんと70点合格のところ、ジャスト70点で無事通過してしまった。ラッキー。オレはまだついている。見放されてはいないようだ。自分を信じ、自分に寛いでいくしかない。それでいいじゃん。
3)さてさて、年初ながら、数々の難問が目の前に積み上がっている。これはもうどうしようもない。乗り越えていかなくてはならない。障害物レースなのだ。飽きずに、コツコツと、一個づつ、やり続けるしかない。全体像は見えている。焦ることはない。
4)この一年、とにかく自分の態勢を持ち続けることが大切だ。突然、何が起こるか分かったものじゃない。一難さってまた一難。まぁ、これがゲームというものだろう。これは楽しんでいくに限る。それしかない。
5)さしあたって自分のやることは、落ち着くことだ。慌てない慌てない。ひと休み、ひと休み。そしてひとつづつ 確実にこなしていく。日々の生き方が大切だ。百歩の道も一歩から。今日が始まり。今日が終わり。
6)只管打坐。
7) 国揺りや龍が目覚める年初め 把不住
1)nhkスペシャルの経済番組を見た。学者たちにいまさら解説されても、一人の人間にはどうしようもない。責任は誰にあるのか。なぜそうなったのか。解説するのは、それぞれ独自で面白かろう。
2)参加している市民ミュージカルの公演会で、見事参加チームが一位の賞を取った。これから、何か、別なことが始まる予感。
3)7年前のクルマ雑誌が出てきた。問題の本質は同じことなのに、まるで環境が変わってしまったことを強烈に感じる。EVの台頭、スポーツへの関心、車価の高騰化、ますますの社会の混迷。私も7歳年をとった。
4)いま一番面白いこと。ミュージカル参加かな。クリマを考えるのも楽しいが、結論が出ないのが、悲しい。町内活動は、ちょっと辛いことも多い。健康はまずまず。昨日目眩がしたが、原因は不明。大事でなければイイが。
5)能登半島の地震は辛い。ミュージカルと繋がる。能登半島に行くことあったら、福井の恐竜館と、永平寺と、祖院と、奥の院を訪ねたい。
6)今日で正月も終わり。また新しい年が始まる。
7) 温暖化桜さえ咲くどんと祭 把不住
1)帰り足に、60Gの試乗車が目についたので、チラチラ見てきた。一番のネックは、乗降時に頭がぶつかるかどうかである。今回のテストでは、やっぱり△。決してイイとは言い難い。やっぱりむりがある。室内全体もなんだか狭い。走行性能のために、室内をこれだけ犠牲にする必要があるのか。
2)ロードスターNDにしても、確かに室内は狭いが、それは何よりも、限りない開放感のオープンカーを期待しているから、我慢できるのである。できれば60Gのパナラマルーフさえ欲しいのに、クローズド60Xは、十年間使用には、耐えられないのではないか。
3)聞いて見ると、60Xの納期は1年半どころか、半年に縮まっているという。どうかするとXはもっと短いらしい。つまり、2025/09をデッドエンドとするなら、決定=発注は、1年後でイイということになる。かなりの余裕ができた。それまでにさらに体制を整えればイイのだ。
4)で、再見積もりを取って見ると、ナビは諸般の事情から必須で、➕22万、結局300をはるかに超えていく。冬タイヤを入れれば240超え。結局、どこで見積もりを取っても同じこと。ステレオ効果で、情報は増えるが、大差なし。あとは下取りだが、これまでは1〜15。今回は5程度、ということであった。
5)さて、自分のドライブライフのデッドエンドを85にセットした場合、あと10〜15年をカバーする必要がある。現在の20EXは、現在14年目、乗って乗れない期間ではない。これから60Xでスタートした場合、まずは大丈夫、という期間ではあるが、2年後、4年後にズラすことも可能は可能である。
6)老後生活を、健康、円満、自活、の三要素に絞るとして、車選びに援用するとしたら、安全、実用、安価、ということになろう。そのカテゴリーに合致する車種は他にないわけではない。だが、6oはXさえ、外れていくようだ。
7)寒空に押し寄せてまた返す波 把不住
「閖上ッツ!!」
ゲッツ ゲッツ ゲッツ ゲ ゲ ゲ
閖上ッツ!! 笑顔抱いて
閖上ッツ!! 涙超えて 紡いでいくストーリー
閖上ーーー
閖上ッツ 閖上ッツ 閖上ッツ
行き交うにぎやかな声 早起き 港
朝陽が僕らの街を 照らしてくれる
おじちゃん 今朝も ひとつマケてくれ
おばちゃん いつも 元気ありがとう
閖上ッツ!! ブリッと赤貝(日本一)
閖上ッツ!! 北限のシラス
今日は何食べよう 君はどう?
閖上ッツ!! ゆらり揺れる
閖上ッツ!! きらめく海
何して遊ぼう
閖上ーーー 閖上ッツ 閖上ッツ
海の幸 港の幸 みんな友達
あの子もこの子もそうさ 川辺の猫も(キャッツ)
君も僕も ここで会いましょう (おひさしブリーフ)
さあさあ みんな こさいん 閖again
閖上ッツ!! 君を待ってる
閖上ッツ!! 背中を押すよ
潮風最前線 閖上
閖上ッツ!! 笑顔抱いて
閖上ッツ!! 涙を超えて
紡いでいくストーリー
閖上ーーー
閖上 閖上 閖上 Oh Yeah
ゲッツ ゲッツ ゲッツ Yeah
閖上 閖上 閖上 Oh Yeah
閖上ッツ!! ❤
1)見てきた。どうだったか、うー〜ん、Perfect Movie とは、言い難い。リアリティといえば、最近見た映画でいえば、ノマドランドの方がはるかに優れている.
2)見て、良かったか、と問われれば、うー〜ん、急いで見るべきだったか、と悩む。まず、世にトイレ掃除をしている人は限りなくいる。仕事そのものは、ほどほどでいい。どこか嘘臭い。作りすぎている。トイレそのものに関心ある人もそう多くあるまい。
3)この映画についていえば、あまりに前評判を聞きすぎて、期待値が大きすぎた。ごく当たり前に 見るべきだった。まぁ、だとするなら、私は映画館まで足を運ばなかっただろう。
4)思えば、私の映画人生は、あまり褒められたものではない。映画館で、見終わって立ち上がれないほど感動した映画というものは、ほとんどない。イージーライダーとか、バック・トゥー・ザ・ヒューチャーとか、おかえり寅さん、とか。数えるくらいしかない。インド・プーナで見た、2001年宇宙の旅、もあったか。
5)この映画の欠点は、せっかく田中民を起用しておきながら、ほとんど踊らせていないことだろう。今の私なら、役所広司の掃除風景より、同じくらいの量と質で、田中民を見ていたい。
6)話題になるシーンをあれこれネタバレに近いくらい事前に調べてしまったのがいけなかった。そういえば、かつて古い友人が、80子代初頭の電話ボックス清掃の仕事をしていたことを思い出した。突然その場面に遭遇し、互いい口数少なく、にこやかに挨拶した。あっちの方がずっと感動的だったが、映画にはならないだろう。
7) おしゃべりが正月映画をぶち壊し 把不住
1)少なくとも現在、一つの決まりができつつある。20EX温存。車検期間はあと1年半残っている。この期間に、故障で、20万程度の修理ならば、あえて修理をして、延命する。それで行けたら、さらに2年、4年の延命をする。しかし、度重なる修理やサドンデスの事故等の場合は、潔く乗り換える。
2)現在、積極的に乗り換えるべき車種がない。帯に短したすきに長し。アクア、カローラ、ヤリス、クラウン、レクサス、ホンダ、マツダ、スバル、ニッサン、スズキ、ダイハツ、VW、テスラ、中国車、韓国車、欧州車、アメリカ車、EV、PHEV、全てにおいて、不合格。
3)経済性、機能性、趣味性、において、ちょうど良いというバランスの車が見つからない。これをあげるよ、これしかないよ、と言われれば、おそらく、どの車でも受け入れるだろう。軽や軽トラ、2シータースポーツ、プロボックスなどの商用車、不人気車、多少の高年車であっても、おそらく私の要求する、走る、曲がる、止まる、については、日本の車検制度を潜り抜けてきている以上、どれでも間に合うだろう。
4)あえて現在の20EX以上の機能を求めるとすれば、アラウンドビューモニター、これは必要を感じる。駐車スペースにきちんと入らないのは、毎回、すっきりしない。バックカメラやドラレコのモニターを活用すれば、代用はできるが、あれば便利である。あとはサンルーフ、スカイビューなどはあれば気持ちいいが必須とは言い難い。PHEVもトレンドではあるが、もう一つこなれていない。
5)結局、現在は60Xシルバーがなんとか最短距離なのだが、どうも納得がいかない。サドンデスの場合、納期1年半は、ゆるせない。間に合わない。鉄チンホイールが許せない。頭がぶつかる。ナビなしではいかないだろう。結局総合75点、いや60点台か。ただでくれるというならもらうが、金出してまで、乗るだろうか。
6)人生最後のクルマ、というのなら60Z・PHEVイエロー、スカイルーフも悪くない。もうこれしかないだろう。最大のネックはファイナンス。いよいよキントでも考えますか? いえ、考えません。人生全体のバランスが取れなくなる。結局、現実解は60Xだろう。それでも納得がいかない。待っている間に、何か別なグットニュースが来ないものか。
7) 伏して見て仰ぎ見ても雁を得ず 把不住
老齢の密かな愉しみ<1>について
1)書かれたのは2023/10/17から2024/01/02まで。わりと短期間だった。この期間、私の中では、ある種のピークを迎えた。古希の同級会があり、市民ミュージカル「名取老女」の公演に出演し、仙台文学館における「石川裕人企画展」に出演することができた。
2)さらには、アトランティスの謎が解かれ、ムーの謎がさらに開陳され、そしてレムリアの古老、とは何か、という因縁までが溶け始めたのだ。我が人生に仕組まれた、この仕組みがほぼ全体像を表したのだ。もちろんこの固有名詞は、単に仮称にすぎない。あるいは、第三者に示すエビデンスにはなり得ない。全ては内的な、秘密ごとである。
3)龍のシンボルも解けた。あとは、自らの誠意に背かぬように、この時を、生きることだ。ここが一番大切。その時が至ったのだ。
4)2024(R6)年は、元旦早々、令和6年能登半島大震災という忌まわしい災害で始まってしまった。政治の腐敗はあまりにもねがふかく。地球上には、幾多の怨嗟の戦争が打ち続く。身内を見れば、事業自得の阿鼻地獄。自ら信ずる道にただただ邁進し、余命を使い尽くす。覚悟はいいか。
5)1300有余年の命を紡ぐ老木との関わりはいかに。いずれ解かれ、深まり、一体となるだろう。それはは一つの象徴となろう。
6)次なるカテゴリーは、老齢の密かな愉しみ<2>となる。
7) 参道を登りて雪の古城かな 把不住
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