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2023年10月

2023/10/31

We are the world

 

 


When thousands and thousands of people around the earth are celebrating, singing, dancing, ecstatic, drunk with the divine, there is no possibility of any global suicide. With such festivity and with such laughter, with such sanity and health, with such naturalness and spontaneity, how can there be a war?... Life has been given to you to create, and to rejoice, and to celebrate. When you cry and weep, when you are miserable, you are alone. When you celebrate, the whole existence participates with you. Only in celebration do we meet the ultimate, the eternal. Only in celebration do we go beyond the circle of birth and death.

. OSHO

 地球のあらゆるところで数えきれないほど多くの多くの人びとが祝い、歌い、踊り、歓喜に満ち、神性に酔っていたら、どんな地球規模の自殺も起こりえない。

 そのような祭とそのような笑い、そのような正気と健全さ、そのような自然さと自発性があれば、どうして戦争などありえるだろう?

  生は創造するために、楽しむために、そして祝うためにあながたに与えられている。涙を流して嘆いているとき、惨めなとき、あなたは孤独だ。祝っているときは、全存在があなたと共に参加する。

 祝祭のなかでのみ、私たちは究極なるもの、永遠なるものと出会う。祝祭のなかでのみ、私たちは誕生と死の輪廻(りんね) を超える。Osho I Celebrate Myself Chapter 4

 

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2023/10/28

古希

1)70。この数字が、これほど身近になるとは、、。しかしこれが現実。幸い私にはまだ仕事があり、健康も維持されている。家族もあれば、趣味もいろいろある。友達もまずまずあり、まぁ、なんとか日々は送れている。

2)しかしいつ何時、体調を崩すかもしれないという不安はある。それは周囲を見ていての話。同年輩の友人たちの急変を見ることが多くなった。明日は我が身と、身震いする。

3)まずは健康だろう。毎年の健康診断、ぷrぷらながら、なんとかクリア。よくもなっていないが、急激に悪化しているわけではない。視力が落ち、歯の具合が悪くなり、精力が切れがちになるが、まぁ年齢相応だろう。

4)経済。年々手取りは少なくなるが、まだ仕事とは続けていられる。いつまでやれるかは微妙だが、新しい仕事を見つけにいかなくてもいいのは、幸せなことだ。あと5年、あと10年、曲がりなりにも働くことができたら、プラマイ0の人生を全うすることができるであろう。

5)それもこれも、周囲との和睦があったればこそ。家族に感謝し、友人に感謝し、なるべく争い事から身を引くことが大切だ。戦争は嫌いだ。

6)この三つ。健康、仕事、家族。ここが肝要だ。そして生涯現役が理想。今の仕事形態はいつまで続けることができるだろう。延長して、さらなる愉しみへと、続いていきますように。

7)  古希祝い恩師の墓前菊飾る 把不住

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ニュートン

1)仙台文学館の企画展 石川裕人展を二人で見てきた。

2)思っていたように、私の知っているニュートンは、ほんの始まりのせいぜい小学校から20前後までの、短時間である。

3)短時間とは言っても、からの人生の方向性を決める重要な日々であったわけだから、稀有な出会いであったと言える。

4)企画展を見、パンフレットを読んだリすると、彼に存在の全体像が見えてくる。

5)こういう縁で、我が時空間も、一目に触れるわけだから、幸運と言わざるを得ない。

6)記念館を、なんて話し合ったこともあるが、こういう形で集約されれば、あの思いの幾分かは、全うされた感じがする。

7)関係者に感謝します。ニュートン、フォーエヴァー。人生夢芝居。

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2023/10/25

【科学】賢者タイムの仕組み

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過不足

1)何かが多すぎる。何かが足りないな。なんだろう。

2)何かが多すぎる。なんだろう? やりたくないことが多すぎる。減らさなくてはならない。減らすまでもなく、勝手に増えてくるのだから困る。元を断たないといけない。

3)何かが足らない。それは精力だろうな。やり切る力が不足し始めている。もっと的を絞らなくてはいけない。やりたくないことを減らし、やりたい的を絞る。そして、注力する。

4)このデザインは、簡単なようでいて、そう簡単ではない。気がつけば、バサバサになってしまっているのだ。まるで私の机の上のような状態だ。

5)どうする? 結局、時間がかかろうが(いや速攻しないと意味がない)、このデザインの方向にいくしかない。

6)有限のものと、無限のもの。有限の力を使い、無限のものの方に向かう。有限とは何か? それは肉体的な命。無限とは何か? 意識の海原。

7)結句。今日も歩く。

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感想

1)率直な感想。面白かった。できればこれ期間限定の企画展ではなく、常設展にして欲しいと思った。

2)最初の最初は、やはり、あの石川家の暖かい環境であっただろう。本をたくさん読んだ。読ませてあげたあの家庭。二番目は小学校、仲間たち、越前先生。そして中学、高校と彼をデビューに繋いだのは、やっぱり私だ。

3)しかし、誰かがその役割を果たさなければならなかった、とするなら、その役割は単に私に割り振られただけで、元々の素因はニュートンにあった、というべきであろう。

4)一気に彼の人生を十月劇場やオクトパスから読むことはできない。座敷童子や洪洋社を経ていったプロセスを見つめる必要がある。

5)1978から1981までのブランク。これはニュートンの人生においての、私の欠損である。そして決別。私の不在からの、復活。私にはこれしか読めない。

6)そして吹っ切ったところからの再生。大人になったのだ。私は私の道を見つけた。

7)最終章、私は彼の多くは知らないが、私の中で、どう仕舞われるかについては、私は知っている。

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2023/10/24

気分

1)どんな気分? うーーん、変な気分。よくもない。悪くも、まぁまぁじゃないかな。確かに絶好調、というわけにはいかないな。

2)なぜ? なぜって、やっぱり心配ごともあるし、失敗したなぁ、ってこともあるからな。一番悲しかったり、寂しかったりすることは、期待通りではなかった時だな。

3)何を期待しているの? うーーん、自分が思ったことや感じたことが、みんなに伝わっていくことかな。共感、一体感、みんなひとつ、という感覚が失われると、寂しくなるのかな。

4)寂しい? うん、寂しい。一人だから? うん、そうだと思う。誰かに慰めてほしいわけ? かもね。

5)どうして欲しいの? 聞いて欲しい。分かって欲しい。黙って、ただ聞いて欲しい。つまり、誰か、カウンセラーが必要、ってわけね。そうかもしれない。自分がクライエントになって、自分がカウンセラーになるって、できないの? 多分できると思う。

6)共感的受容。自分自身が、自分自身を、分かってあげることね。うん、できると思う。そして、そこから、何が始まるの? 確かに何かは始まるが、おそらくそれは次のこと。ここはここ、瞬間的に完結する必要があると思う。

7)で、どうなった? 少し落ち着いた。よかったね。うん。

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先生

1)帰り足に明観寺に近づいて、ふと越前先生のことがよぎって、車をとめ、墓前に手ぶらのまま参拝した。昔に加えてますます立派になるお寺に比べると、本堂の左手のすぐ前にある質素な越前家の墓は、参拝者が少ないのか、彼岸の花が枯れていた。

2)墓石の裏に回って、消え掛かっている法名の一覧をみると、確かに釈慈恵の名前が見えた。自分のブログを読み返してみれば、先生の葬儀は2006年10月13日に行われている。享年70歳。今の私たちと、ちょうど同じ年齢だった。

3)先生は結婚して武田姓になったが、実家の越前家の墓に入ることを希望した。あるいは分骨したのだろうか。あるいは私たち教え子たちと共にいたいと願ったのだろうか。

4)お寺の老婦人によれば、先生には二人の娘さんがいて、次女の方が、毎年夏に東京からお参りに来るという。おそらく学校の先生をしているので、夏休みを利用しているのだろう。娘さんは、自分には実家がないのでお寺さんが実家のようなものです、と、毎年庫裡に上がって、長時間過ごしていくという。

5)ご主人は確か90歳をとうに過ぎた思われる。娘さんが一緒に住もうというが、今でも元気で公団アパートで一人暮らしを続けているという。でも家族としては、そろそろ施設のことも考えているという。長女の方は、顔を見せないらしいが、葬儀の時、あなた達の先生をやめて、私のお母さんになるために東京に来てくれたんですよねぇ、と涙ぐまれていたことを思い出す。

6)ニュートンが小学校3年の時に先生から、あなたは大きくなったらシナリオライターになったらいいわね、と語りかけられて、その言葉を一生大事にしていたことを思い出す。そういえばニュートンも亡くなって11年になる。演雅一道居士。2012年10年11日没。ひょっとすると、越前先生と同じ命日か?

7)私は道元ゆかりの禅宗に割と縁が深く、最近も曹洞宗のお寺で坐禅を組ませていただているが、最近は、親鸞に思いを馳せることもたびたびあり、この浄土真宗の明観寺の親鸞の旅姿の像を礼拝してきたことだった。 南無阿弥陀仏 合掌

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Sōtaisei Riron ( 相対性理论) - Chiffonism [シフォン主義] (Full Album)

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今日

1)今日はどんな日だっただろうか? 良いこともあった。悲しいこともあった。

2)今週はどんな週だっただろうか? 面白いこともあったが、つまらんこともあった。

3)今月はどんな月だっただろうか?  悲しいこともあったが、楽しいこともあった。

4)この夏はどんな夏だっただろうか? 喜びもあったし、辛いことも多かった。

5)今年はどんな年だっただろうか? 思い出になることもあったし、思い出したくないこともあった。

6)この数年どんな老齢だっただろうか? 老いることの愉しみと、老いることの寂しさがあった。

7)この人生どんな人生だっただろうか? 悔いることもあったし、誇れることもあった。

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2023/10/22

メモ

1)12月2日、何を語ろうかな? 構想は色々あるが、想いを巡らしているうちに、漏れが出てくるかもしれないので、メモしておく。語る時間も十分じゃないだろうし、来場者の雰囲気にもよるだろう。

2)成人して、波に乗ってからの彼については、来場者の皆さんにとって、すでに十分にご存じのことが多いだろう。私の役割は、おそらく子供時代や10代の彼についてのエピソードであろう。

3)小中学校の同級生、という触れ込みだが、実は9年間の間、本当の同級生だったのは、中学校1年の時の一年間しかない。だから、私は他の友人たちより彼を多くを知っているわけではない。むしろ、小学校時代は親しく話したことは少なかった。

4)一番最初に彼を意識したのは、小学校3年の時の学芸会。練習の最初の日に集まった時、主役に選ばれていたはずだった(と思い込んでいた)私は、2回目に練習した時には、村の子供3になっていて、新しく主役に選ばれたのは、彼だったのである。

5)この時の彼のクラスの担任は、越前千恵子先生と言って、山形大学を卒業したばかりの新任の先生だった。彼は図工の時間に、人形を作ったのだが、決して上手とは言えなかった。ところが、クラスのみんなが作った人形を組み合わせて物語を作ったところ、大受けしたという。その時、越前先生は、あなたは大きくなったらシナリオライターになったらいいわね、と褒めてくれたらしい。そのことが彼の人生を決定づけたと言える。

6)小学校5・6の時には、彼の書いたシナリオが昼休みの時間に、学校放送で校内に流れたというが、残念ながら私は覚えていない。しかし、彼は徐々にその自分の才能に目覚めて、自信を深めていったのだと思う。

7)この頃の彼の友人に、大山明くんというのがいて、放課後、二人して彼の家に行って漫画本を読んでいるらしかった。私はその風景を羨ましく見送っていた記憶がある。大山くんは現在、外科クリニックの院長をしている。

8)中学校になって、初めて同じクラスになった。1966年、ビートルズが日本に初来日して、大きなニュースになったった頃だった。大友ももこ先生の習字の時間、隣の席の彼に、何か一緒に面白いことしようと、と話しかけた。それがきっかけとなって、ワラ版紙に手書きで書いた漫画や小説などを綴じた雑誌を作ることになった。タイトルは「ボーイズ・ファイター」。当時のティーンエイジャー向け雑誌「ボーイズ・ライフ」にちなんだものだった。

9)さてこの辺で、何時ごろから彼はニュートンと呼ばれることになったのかということだが、私の記憶する限り、すでに小学低学年から、そうニックネームがついていたはずだ。彼が語ったエピソードに、クラスメイトの林信夫くんがニュートンと叫んだのがきっかけだった。

10)中学校1年の時、自衛隊の飛行機の整備士だった彼のお父さんの計らいで、航空祭の時、ヘリコプターに乗せてもらう好運に恵まれた。彼と二人で乗せてもらい、飛行場を飛び立ち、山並みを見ながら阿武隈川まで行き、回旋して海岸線を北上、広瀬川まで行って、戻ってきた。その時、初めて空から自分たちの街を見ることが出来た。13歳当時に私たちにとっては、銀河鉄道の旅のような素晴らしい旅の始まりだった。

11)進級して、クラスは別だったが、私たちは新聞部というつながりがあり、謄写版で学級新聞を競い合って作っていたこともあった。彼の新聞のタイトルは「1+1=3」というもの。私の方は、「MPC」という除草剤ゆかりの名前だった。

12)高校生になった私たちを待っていたのは、俗に68/69と言われたり、70年安保と言われた政治の時代であり、学生運動や若者文化の盛んな時代だった。彼を一番最初に演劇に誘ったのは私の方で、夜行館という荷車を引きながら、全国公演を旅するというアングラ芝居だった。その後、演劇シアター68/69、いわゆる黒テントや、状況劇場の紅テントなど、たくさんの芝居を一緒に見た。

13)高校生の私たちに大きな転機をもたらしたのは、朝日ジャーナルのミニコミ特集1971年春のことだった。お互いが個人ミニコミを作っていたので、全国リストを募集しているので、送ってみよう、と私が誘った。取り扱いはとても小さかったのだが、その反響は凄まじいものがあった。実名と自宅住所が記されていたものだったから、全国から問い合わせやら、宣伝やらが押し寄せてやってきたのである。

14)その中には、東京キッドブラザーズやら、天井桟敷や、岩波映画やら、たくさんの誘いがあり、これが縁で彼は、東由多加やら寺山修司やらと会うことになった。彼の演劇熱はますます深まって、学校内で、独自の演劇集団「座敷童子」を立ち上げ、文化祭で初公演することになった。

15)高校生卒業後、私たちは進学も就職もしない、いわゆるドロップアウトの道を選び、アルバイトで生活費を稼ぎながら、みんなで共同生活をし、それぞれの道を歩むことになった。私は雑誌編集の道を、彼は演劇の道をひた走ることになった。当時の彼の決意は、みんなで発行していたミニコミ誌にも表れている。

16)彼の芝居団は、決して演劇志望の若人を勧誘したものではなく、とにかく周囲にいた友人たちを演劇の世界に巻き込んでいくスタイルだった。だから敢えて言うならど素人集団。演劇や芝居という形から大きくはみ出るような活動だった。私もシルクスクリーンでポスターを作ったり、謄写版でチケットを作ったりして手伝った。

17)そんな中でも、彼は演劇志向のコアな仲間を発見し、やがて新しく洪洋社という新しい演劇集団を形成していった。私は雑誌編集の過程で、スピリチュアルな道を求め始め、インドへと旅立つことになった。彼は私の旅の送別会を、洪洋社の稽古場で開いてくれた。ここから以降については、サキくんの方が詳しい。

18)最近もよく思うことは、彼のことを語る場合、その後の十月劇場やオクトパスだけが語られることが多く、それ以前のことにも注目してほしいな、と思う。

19)最後に、一つだけエピソード。彼との最期の接触は、電話だった。サキくんの治療院で二人でコーヒータイムをくつろいでいた時、彼から突然電話が来た。入院することになった。したがって保証人はセイコウに決めたから、というもの。ええ? それは大変、じゃぁ今から行くから、というと、いいや大丈夫、代筆でもOKらしい、という。ほう、このコンプライアンス時代に珍しい。じゃぁ印鑑を持っていくよ、というと、いや、母印でいいらしい、俺が自分の指で押しておく、と彼は言った。

20)これが最期の別れとなった。彼は、最期の最後、私になりすまして、三途の川を渡り天国に行ったのだと思うと、不思議にも思うし、彼の演劇人生の最期の演劇だな、と、大いに笑える。

21)語るべきことは他に山ほどあるが、時間もスペースにも限りがある。他は、彼の著述なり、私のブログなりを参照していただきたい。今年は私たち同学年生にとって、70歳、古来希なると言われる古希の年です。このタイミングで、仙台文学館で石川裕人展が企画されたことを大変意義深く感じます。関係諸氏に深く感謝いたします。

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2023/10/19

‘A Lovely Night' Scene | La La Land

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紙芝居『名取老女ものがたり』

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老年の価値(再掲)

2009/12/11 の再掲

 

老年の価値
「老年の価値」
ヘルマン・ヘッセ /マルティーン・ヘッセ 2008/06 朝日出版社 単行本 445p
Vol.2 No856 ★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★★

 この本を図書館で見つけて、もう一年以上になる。一度ならず借り出しては来ているのだが、そしてその都度、延長をしているのだが、なかなか読みだすまでには至らなかった。今、私がヘッセに求めているものとしたら、きっと、その内容は、この本に書かれているようなことに、一番関心があることだろう。それは分かっていた。この本を読む、というより、この本が傍らにある風景、というのを思い描いてみることが私は好きだ。

 しかし、今回ようやく読み出せたのは、「青春の作家」、「反体制的でアナーキーな反戦平和主義者」、「老いと死についての叡智を語る老賢者」、というヘッセの三つの局面を、全体像の中から捉えてみよう、という気持ちが湧いてきたからであった。

 老いと死についての叡智を語る老賢者、というイメージは、ヘッセにはあまりにもハマりすぎる。「ガラス玉演戯」はヘッセの代表作であり、55歳から65歳の10年間に渡って書かれたものだが、まさにそこに現れた思想を、当ブログは「レムリアの古老」とニックネームをつけて、愛してきた。この本に収められているのは、さらにそれからの20年間に渡るヘッセの人生の中で書かれた膨大な書簡集などである。

 抜き出したらきりがないのでやめておくが、忘れられないほど強い印象の詩がいくつも収められている。編集者のミヒェルスによる信頼おける一冊であり、時代や文献の種類にさまざまな順序の異動はあるが、さまざまな工夫がされている。

 その上でなお、この本が特異なのは、ヘッセの三男のマルティーン・ヘッセの手による写真がたくさん収められていることだろう。素晴らしいけれども文章だけでは分からないヘッセの世界が、たくさんの写真から、動きを持って蘇る。

 ヘッセの豊かな自然観察の文章を読んでいると、ある種、クリシュナムルティを連想する。クリシュナムルティは、一旦、当ブログでも読みだしたのだが、途中で一休みしている。それはなぜか。よく自分でも理由はわからないが、ひとつは、その美的な諦観、というものに対する、読者としての準備ができていないのではないか、と思える。控え目に言っての話だが。

 ヘッセのこの本があるのは分かっていたし、今、この本こそ読んでみたい、とは思いつつ、この本だけ単独で読むことの違和感は、正直言って強くある。老年は老年として、単独であるものではない。「青春」、「反体制主義者」、「老賢者」、という三つの局面に代表される、ひとつの、一貫した人生。その中でこそ老年は語り得る価値が生まれてくるのではないだろうか。

 今日は、Oshoの誕生日である。1931年生まれのOshoが、今日生きていて、もし78歳になっていたとしたら、どんなレクチャーをしただろうか。それをイメージしてみることは楽しい。そうであったら、もっともっと別な話を聞くことができただろう。

 しかし、「もし~~たら」の話は、人生にはない。起きたことだけが事実なのだ。すでにOshoはここになく、話もしていない。もし肉体の中にいたとしても、彼は沈黙の中の饒舌を持って静かに座っていたことだろう。つまりは、肉体の中にいようがいまいが、結局は同じことなのだ。

 85歳の天寿を全うしたヘッセの言葉は貴重だ。その言葉をきくことは、心踊る。この本は、ヘッセの作品全体に対する仕分けに従って、当ブログでは「表現からアートへ」カテゴリに入れておくことになるが、実際はむしろ「地球人として生きる」カテゴリに属する一冊であろう。地球人として生きたヘルマン・ヘッセを誇りに思う。こういう人生があるのだ。内省的で、なお、外側の世界への関心を失わず、かつ、人々に愛され、人々を愛し、人としての命を全うする。なんと見事な人生なのだろう。

 それはある意味、クリシュナムルティ的な悟りへと通じるものがある。しかし、ここで、グルジェフならなんとするだろう。多分、大きな声で、叫ぶに違いない。

 

 

 

      STOP!

 

 

 そして、Oshoなら、クスクス笑い出すだろう

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2023/10/18

2022 名取老女 虹色マカロン 影絵シアター

 

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1)今日はちょっと早いが、床に就く。今日は今日で、今日だった。良いこともあったし、目を逸らしてしまって後回しにしたこともあった。

2)で、思う。情報が多すぎる。情報おのぼりさんで、浦島太郎がタイや平目の舞い踊りに目を奪われているうちに、すっかりお爺さんになってしまった例えも、思い起こされる。

3)情報断捨離、資格断捨離、人間関係断捨離。なかなか進まない。

4)ようやく通信設定が断捨離できそうだ。月に数千円カットできる。年に数万円以上。だけど、インボイスや太陽光電力買取価格ダウンなど、迫り来るクライシスの方が遥かに先手だ。

5)増税メガネの手下たちが、虎視眈々とコチラを睨みつけている。

6)10年なんて、あっという間だな。80までの十年間、悔いを残さずに、生きるには。

7)自分の真価が試される秋である。

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同級会

1)昨夜は遅かった。このまま床の中でまどろんでいたい。

2)同級会幹事の女性一人が、腰を痛めて当面寝たきりらしい。大事なスタッフが一人減った。

3)電話で話す同輩たちも、なんだかふがふがで、うん、やっぱり年だな、と感じないわけにはいかない。

4)そういえば、今日は歯医者に行く日だ。入れ歯の作り直しだ。

5)最初に部分入れ歯を作ったのは、50歳過ぎの頃だっただろうか。それが上下になり、下は全面的な大きな入れ歯になった。

6)その歯医者さんはコロナ前に高齢で廃業し、ちょっと若い歯科医師に変えた。先日、寝ぼけて外しておいた入れ歯を踏んづけて変形させてしまった。今日は新しい歯医者さんに、新しい入れ歯を作ってもらって、受け取りに行く日。

7)このまま横になっていたいが、どうもいかない。そろそろ診療時間が始まる。

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今日もなんとか、、、

1)色々あったが、今日もなんとか過ごすことができた。良いことも、そうでないこともあった。吉凶半々である。

2)最近の私の心臓は、ノミの心臓である。あまり刺激的なことは好まない。平穏な日々を送りたいのだが、まぁ、なかなかそうはならない。

3)具体的には、色々面白いことはあったが、日々の暮らしの中に消え去っていくのであろう。

4)明日への心配事の持ち込みもいくつかある。処理しきれない案件が、日々、毎日、波のように押し寄せる。

5)推し寄せては、消えていく。消えていくのだから、戦わなくてもいいのだが、身に降る火の粉は払わにゃならぬ。

6)処理し続けることができているうちはいいが、どこかで、デッドエンドになってしまうかもしれない。

7)それでも今日も、なんとか、生きた。

 

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2023/10/17

2022年Youtubeの始め方初心者入門講座

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素晴楽堂消息⭐️其の伍 について

1)思いもよらなかった経緯である。

2)2023/06/30のOSHO NATARAJ MEDITATION - RUSSIAN から始まって、2023/10/17 の La La Land Soundtrack に辿り着いた。

3)市民ミュージカルに始まり、市民ミュージカルに浸った日々、と言っていい。戦争があり、車検があり、友人のがんの告知があり、古希の同級会の準備が始まった。ダンスから始まって、ダンスにたどり着いた。

4)次は、ヘルマン・ヘッセの「老齢の価値」と、「京都人の密かな愉しみ」をコラボさせて、「老齢の密かな愉しみ」としよう。

5)mx5の愛称が、Miataで、lalalandの主人公がMiaであることも不思議な符合だった。名取老女ミュージカルの主人公がすずで、朝ドラ「ブギウギ」の主人公がすずであることも不思議な符合であった。

6)谷村新司が亡くなった。合掌 

7)那智神社の古道で、鹿の屍を拾ったのは象徴的であった。いよいよレムリアの老人に出会う。

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La La Land Soundtrack

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映画「ラ・ラ・ランド」オリジナルmusicPV

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映画 フラガール 予告編

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『Shall we ダンス?』予告編| Shall we Dance? - Trailer HD

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2023/10/16

Zorba the Greek

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2023/10/15

ダンス

1)モール街の靴屋に行った。あれこれ見たが、ない。土曜日で、少ない店員も来客の対応が忙しそう。ようやく手が空いた、男性店員に聞いて見た。ダンスシューズはありますか?

2)ダンス? どんなダンスですか? 私もダンサーですが。ほう、どんなダンス? 若い男性店員は答えた、ストリート系ですね。ほう、なるほどぉ、そういうもんですか。

3)見かけだけではわからない。この人は、モール街の靴店で真面目そうに働いているが、時間や場所があれば、ストリートダンサーになって、踊りまくるんだ。うーーん。

4)タップダンスなんですが。仕事帰りの私は黒スーツ革靴姿で答えた。ああ、あの金属がついていて音の鳴る奴ですか? いやいや音が出なくてもいいんですが、つま先と踵が分かれていて柔らかいといいんですが。

5)前もってわらしも店内を見て回ったが、どうやらその傾向はなさそうだ。この年でタップでもないんですがね。いやいや年齢は関係ないですよ。若いストリートダンサーの社交辞令に、こちらも大いに気が楽になる。

6)ネットですでに見つけていて発注寸前だが、実際に触って感触とサイズ感を確かめたかったのだ。まあいいや。それにしても、ダンスというキーワードで、世界は広がる。靴店も、店員も、ストリートさえも、なんだか身近なものに感じられてくる。

7)ゾルバに手を取られて、踊り出したような気分だ。

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2023/10/13

コミューン

1)若い時、オレゴンのコミューンに夢みたものは、なんだっただろう。今朝、畑仕事をしていてふと思った。車で5分ほどのところにある市民農園。5坪ほどの畑を借りて、野菜や花を作り、時に汗をかき、時に北風にさらされ、時に異常飛行物体を発見し、時に隣人たちと談笑する。

2)コミューンという言葉を、今は町内会活動と理解しブッダホールを禅寺に見立て、仏像を彫り、能舞台を楽しみ、質素ながら豊富なグルメ街に繰り出し、野球やプロバスケットボールの試合をおうえんし、海に行き、山に行く。

3)様々な年代の女性たちと、談笑し、時には同年輩の男たちと、小さな自慢比べ。笑ったり、失敗したり、時には訃報も入る。踊り、歌い、歩き、尋ね、時には眠る。

4)小さな旅行に出かけ、博物館に出かけ、ドライブし、時には一週間の瞑想に入る。山道で拾った鹿の骨を剥製にし、ザリガニに餌をやり、時には人の相談に乗り、時には1300年の樹齢を持つ古木に会いに行く。

5)スポーツカーのモデルを作り、ときに高速を走り、剣豪小説に涙を流し、龍の彫り物を見つけ、昼寝をし、映画を観、ご飯を作り、洗い物をし、友を尋ね、友に便りを出し、町内会のゴミ置き場の修理をする。

6)自分に与えられた仕事は、締め切りまでにはなんとかこなし、古く遠い友人たちとはSNS.新しくできた友達も増えた。近い人もういるし、遠い友人もいる。

7)あのコミューンに夢見たものは、なんだったのか。思えば、全て、コミューンなしで、満たされて得るのではないか。これはすでに、本当のコミューンではないか。

 

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今日一日

1)なんやかんやと一日が過ぎていく。毎日毎日、あれこれいろんなことがあるもんだ。あちゃー、これはどうしよう、ということの一つ二つは毎日の出来事。それでも過ぎてしまえば、やれやれ、なんとかやり過ごした、の連続。

2)最近で一番困ったことは、争いごと。国家、民族、ことごとく争う。スポーツ、ゲーム、身内のいざこざ。嫌だな。巻き込まれたくない。逃げる。言い訳せずに、逃げるしかない。

3)楽しいことは、子供達と、同じ空間にいること。少子化時代なんて嘘だろう、と思うほど、子供達と遊ぶ。孫の送り迎え、こどもミュージカル、こどもたちの遊ぶ公園清掃、未来あふれる子どもたち。

4)思えば、十牛図十番は、老人が子供と遊んでいる。玄関じゃ良寛さんがお出迎え。こちらも、もともと根がこどもだけに、それこそ年を忘れて遊んでいる。

5)ん? だろうか? 頭の中では、自分の年齢が、チラチラと何度もよぎる。古希。古来希れらしい。現代じゃまだまだ働き盛り。働かなければ食えない、と言いつつ、働けてしまう、不思議。

6)目はますます視力を失い、入れ歯はまたまた作り直し。精力は衰え、筋力も衰える。思考力も下がり、記憶力もますます低下傾向。幸い頭髪面積の低下はそれほどでもないが、白髪化は避けられない。若いと褒められるほどには、肌に艶は残っておらず、思えば年相応の爺いの姿が残される。

7)それでも、今日一日の一日が過ぎていく。気になることはあれこれあれど、今日の一日は、今日の一日。川の流れのように、今日も一日中、サラサラと流れていく。

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2023/10/12

Dance to your way to god

1)ダンス? ゾルバは言った。最後の最後、二人は踊った。

2)ダンスは、私にとっては、ムーの象徴である。洞窟の瞑想はアトランティスだ。山上の隠遁はレムリア。

3)先日、山上の神社への参拝の裏道を辿りながら、鹿の頭骨を拾った。私にとってはレムリアの象徴でもあり、龍の象徴でもある。

4)瓢箪は、今年ようやく2個できた。亡き母の遺品の反物で浴衣を奥さんに仕立ててもらった。帯は赤帯、般若の面も踊りのシーンに被る。グラスジェムコーンも、小物としては使える。

5)Shall we musical? ははは、こんな道筋になるとは......。これもよし。

6)座る。踊る。耕す。遊ぶ。

7)私にとってのシンギュラリティは、この半年で、やってきそうだ。

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2023/10/09

【超初心者向け】タップダンスの8つの基本ステップを紹介【はじめの一歩】

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Legend Tokyo Chapter.5 | NATSUKO | title "般若の面 〜オイランノカクシツ〜"

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角帯の結び方「神田結び」。緩みにくく、激しい動きにも最適!【男着物やメンズ浴衣の着付け】

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2023/10/06

パソコン

1)仕事以外、プライベートではパソコンを使わなくなって、かなり時間が経過したように思う。すでに2年か3年、あるいはもっとかも。

2)スマホから入力することは少ないが、寝床に転がって、タブレットで入力することが増えた。楽なのである。タブレットでの文字入力もだいぶ慣れたのだろう。

3)翻って、今晩、パソコンからこうして書き込みをしていると、だいぶタッチタイピングがヘタになったように思う。決して打ち間違いはないのだが、なにか指がこころもとない。ちゃんと動いてくれてはいるが、どうしても指を意識する。絶好調の時は、指はないようなものだった。思考と書き込みがほぼ同時なのである。だから、だいぶ長文でも、短時間に終了したし、文字数も打てた。

4)タブレットもだいぶ慣れたが、長時間打つのは疲れる。せいぜいメモ書き程度にしかならない。バーチャルキーボードの打ち間違いはしょっちゅうあり、しかもいつもおなじキーを打ち間違える。これは習性なのだろう。眼の位置がわるいのか、タブレットの感度のせいなのか。打ち間違いの修正は結構疲れる。

5)疲れると言えば、最近は、目が相当に疲れる。タブレットでみていたユーチューブなどの動画を、テレビの大画面でみるようになって、なるほどおもしろい動画ともたくさんであったが、あの間隙をぬってアップされるCMには参る。あれはいやだな。しかし、これがユーチューバーたちの大きな目的の一つなのだからしかたないのかも。とにかく、大画面をみつづけることは、目の疲労につながる。

6)最近はパソコンは人気ないのかもしれない。通信機器としてはやはり圧倒的にスマホは便利だ。検索もナビもSNSも即座につながることはすごい。ただ頻繁にピンピンなるのは困る。設定の仕方なのだろうが、相手によって、使い方がまちまちなので、あまりきつく統一するのもどうかと思う。

7)パソコンの欠点は、立ち上がりが遅いことだ。私のパソコンは早い方だが、それでも、スマホのようにはいかない。こまかい作業をするのはパソコンの勝ちだが、その細かい作業をする機会が、最近、めっきり減った。できれば面倒くさくないやり方がいいと思ってしまうのだ。

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1)今日の風は強い。西から、北から吹いてくる。ふぇんすを、かべを、やねを、吹き飛ばす勢い。年に何度もないような大風。

2)鹿の頭骨を拾った。山道に埋もれていたのである。角はすでになく、歯もこぼれそうになっていた。洗って、除菌して、乾燥中。うまくいけば、宝物が一つ増える。

3)瓢箪を2年連続で栽培した。実をつけたのが4つ。二つはぱんく、一つは若干のひび、一つは、汚れ。結局、満足のいくものはできなかったが、まずまず形は二つ残った。これで満足してもいいのだが、来年もチャレンジしそう。

4)鹿島香取神宮参拝計画を立てている。結局、要石がメインターゲットか。瓢箪を抑える、というのと、地震ナマズを抑えるというのが、どうも重なる。

5)人脈がダブり、行事がダブり、繋がる繋がる、繋がらなくてもいいところまで、繋がり始めた。繋げ始めたのは自分だから、ある程度はわかっていた。しかし。

6)一つになり、空になり、今ここになるのが、理想というか、オチ。そうなるプリセスで、一つ一つの具象を巻き込みながら、今日も繋がり続ける。

7)それを、風が吹き飛ばす。

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