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2023年9月

2023/09/29

無題

1)今日のタイトルは、なんとすべきか。思いを巡らして見たが、まずは無題とするのがよろしかろう。

2)何も書かなければ、何もなかった日のようなイメージが残ってしまうが、それは違う。

3)良いことも、できれば避けたいことも、good newsも、bad newsも、あることはあった。それが日常というものであろう。

4)しかるに、ここに書くべき何かがあるかと問われれば、別段にそれほどbig newsは、なかったのである。

5)日日是好日。にちにちこれこうにち、と読むらしい。つつがなく、今日も一日中、過ぎてゆく。

6)無。

7)

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2023/09/19

金蛇翁夜話 高橋勝三郎遺稿集

1)2023/9/17、縁あって、市民ミュージカル名取老女のメンバーの一人として、金蛇水神社参拝、FMラジオ収録のイベントに立ち会い、この本に出会った。

2)中興の祖とされる人物の孫が残された直筆の遺稿集をまとめたものである。神社の由来より、当時の伝承を記録したメモ書き風なところは、不明確でもありまた貴重な言い伝えでもあり、他の伝承や史実と合わせて読み解くと、面白いことが出てきそうだ。

3)三色吉という地名には、どうも熊野三社の意味が含まれているような気がしてならない。現在の名取那智神社に移籍される前に、下余田から岩沼に移築されたという言説にも多く出会っており、追調査が必要とされる。

4)少なくとも、この夜話の中には、熊野の文字が多く繁出し、その意味と存在を確認する必要がある。少なくとも、金蛇水神社の謂れとその性格だけに、拘泥してはならない。広くネットワークの中の、一地点として捉え直す必要を強く感じた。

5)7世紀の世情の動きと、中央と蝦夷を結ぶ東街道にまつわる出来事から、広く巨視的に時間空間を把握しておく必要を強く感じる。

6)この他にも当神社にまつわる続編が出版されそうなので、期待して見守りたい。

7)この小冊において、この神社⛩️の色合いが、私の中でぐらっと変貌した。

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2023/09/18

今日もひとこと

1)良いこともあり、悪いこともある。昼もあり、夜もあるし、春もあるし、秋もある。夏も冬もかくの如し。上にせよ、下にせよ、想定内の限界内にあるのなら、それは予定内の許容内、ということになる。

2)今日一日を言えば、まぁまぁそんな日だった。特別おいしいものを食べたわけでもなく、誰かにこっぴどくやられたわけでもなかった。畑に行って、秋野菜準備のための畑を耕した。市民ミュージカルのポスターをさらに二箇所張ってもらうことになった。テレビで面白い番組を見た。預かり物を紐解いて見たが、期待外れだった。瓢箪が乾いたが、小さなヒビが入っていた。少し日中の気温が下がってきた。のんびりした。

3)仕事は早めに切り上げて、ルーティンワークにとどめたいのだが、毎日のように、面倒なことがおきる。真正面から取り組めば、毎回なんとか解決するのだが、あまり負担がかかることはしたくない。若さで売ってきた我が人生だが、鏡を見るとどうもくたびれた顔になっている。今日一つ、老眼鏡が壊れた。

4)車検も高かったなぁ。予備資金でなんとか潜り抜けたが、毎回毎回じゃぁ、身が持たない。車を持つのは、銭食い虫を待っているようなもんだ。確かに、車がないと、生活が成り立たないが。通信費も見直しが必要だなぁ。無駄な出費もちょこちょこある。閉めてかかる必要がある。実に消費税の重量感がのしかかる。

5)こんなこともあって、あんなこともあって、色々あって、結局楽しいのは、日々新しいことが起きることだろうな。毎瞬毎瞬が新鮮だ。

6)酒を飲んでも、あんまり美味しくない。体のあちこちが痛む。くだらん自慢話や、見栄や、争いごとには、首をつっこみたくない。読みたい本もない。

7)てなわけで、🏉ラグビーもイングランドに敗北。

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2023/09/15

車検

 

1)結果的に、車検を受けた。ついに14年目に突入である。気になっていた足回りの異音は、故障というわけではなく、経年劣化ということで、基本今回のメンテナンスで、回避されたかのようである。

2)購入したメーカーディーラーによる車検だけに、安くはない。子バッテリーも交換したし、必要な処置も全て行なった。前方の片方のスモールランプが切れていたらしい。自分では全く気づいていなかった。

3)ライズという車を代車に出してくれた。大体予想はしていたが、パンパン跳ね上がり、左右に揺れて、気持ち悪くなる。赤信号で再スタートごとにかかるエンジン音がうるさい。ハンドルは不安定。図体は大きく見える割には、結局は乗り降りが若干窮屈である。

4)高い運転席が結局揺れるので、なんらメリットを感じない。乗り味は、全く気に食わない。20とは全く違う。こうしてみると、60やmx5は、ある意味20との親和性があった。それほど変わらないのである。逆から言えば、この程度だったら、20でもいいじゃない、ということになる。笑

5)逆に、2日間乗っただけのライズから20に戻った途端、あれ、こんなにのんびりした車に乗っていたのか、と、正直、不安にもなった。ハンドルが重い。アクセルのレスポンスがのんびりしている。運転していて、全体的に、鈍重だ。室内インテリアは20の方が落ち着いていて好みだが、決して先端的では毛頭ない。

6)結果として、それなりに経費は嵩んだが、私はこれで行く。新車で300万ぶっ飛ぶことを考えれば、車検延長の方がよっぽど負担は軽い。20嫌いじゃないし、愛着もある。便利な家具でもある。

7)不動車にでもならない限り、これでいい。どっちみち新車は納期に難がある。1年や2年待ちなんて異常である。当面はこのままでいこう。不動車になったらなったで、その時だ。その時考えよう。

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2023/09/08

YouTuber になろう <6> ところで実態は?

1)実は私は10年前からYoutubeで動画を公開している。総数13本。総アクセス数は871。最高人気は223アクセス。わずか12秒の動画である。最長の動画は3分、自分が出演したテレビ番組の報告だ。(著作権の問題ありそう。要注意)

2)ほとんど編集の技もなく、ただただスナップ写真のごときプライベート動画である。なぜアクセス数が3桁まで伸びたかと言うと、おそらく自分でどこかのSNSに貼り付けたのだろう。

3)よくよく考えてみれば、一つ一つが思い出深い動画である。それぞれ1分程度の動画であるが、けっこうアップするのに手間がかかったように思う。

 

 

4)そして、他人の動画に夢中になり始めたのは、どうやら去年の春、コロナ真っ盛りの頃だった。

5)一つ自分の替え歌を見つけた。

 

 

 

「もう老いなのか」 把不住替歌

老いというもの 知りたくて
阿弥陀の名まえを呼んでみた
俺の心のかたすみを
冷たい夜風が 吹きぬけた
ああ この淋しさは もう老いなのか
ああ この淋しさは もう老いなのか

菩薩になりたい頃がある
浄土に行きたい頃もある
の笑顔も 約束も
信じられないことばかり
ああ このむなしさは もうなのか
ああ このむなしさは もう老いなのか

死ぬということ 知りたくて
月の光に 照らされた
冷たい世間をみつめていたら
いつか小水もれて
ああ この悲しみは もう老いなのか
ああ この悲しみは もう老いなのか

6)くくく😆 

7)やっぱり、YouTuber になろう、よ。

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YouTuber になろう <5> あなたは誰ですか?

<4>からつづく

1)趣味ネタ、時事ネタでは、一時しか持たないだろう。鉄板で長持ちするのは、ひょっとするとプロレスにヒントがあるかもしれない。正確にはすっかり忘れてしまったが、あるレフリーの言葉として、ブームが生まれるのは、景色とと、勢いと、風、が重要だと。

2)どう言う景色があるのか。まず、コロナがあり、戦争がある。そして高齢社会がある。

3)ヘッセに、老年の価値、と言うタイトルと、庭仕事の愉しみ、と言うタイトルがある。勢いとしては、高齢者の密かな愉しみ、と言うタイトルはどうか。

4)そして、風。これからますます、高齢者受難の時代が想定される。そこが、風だ。

5)さて、高齢者、とは何歳からなのか?

何歳以上を高齢者と呼ぶかは、時代や地域によって異なりますが、現在、世界保健機関(WHO)では65歳以上を高齢者としています。 日本では行政上の目的によって異なり、「改正道路交通法」では70歳以上を「高齢者」として、高齢者講習の受講や高齢運転者標識の表示を課しています。wikipedia より

と言うことである。

6)高齢者というと、いささかひねたイメージがあるが、密かな愉しみ、とするところで、やや隠微な面白さが出てくるか。このテーマなら、毎日、10分間の動画を作ることはできるのではないか?

7)まずは、YouTuber になろう、と叫んで(呟いて)みよう。

<6>につづく

 

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YouTuber になろう <4> さて、どこから手をつけるか

<3>からつづく

 

1)図書館には、これと言ったガイド本はなさそうだ。ネット上では、https://www.4900.co.jp/smarticle/9634/ のような断片的な情報を得ることはできる。

2)私にできるとすれば、まずは手元のiPhone を使って、声と風景やオブジェだけの動画を作ることだろう。毎日アップするとすると、日常のありふれた生活からスタートすることになる。そんなことに誰が一体関心を持つだろうか。これまでの私の動画は、自分の忘備録としての機能の他には、数人が何かの縁があってアクセスされただけである。

3)ブログにおけるランキングは、やはり、偏りがある。存在の詩や、ボケたらあかん、の動画にアクセスが集中している。オンザロード1972などの旅行記にも関心が集まるかと思えば、耕運機の修理記事も人気があったりする。やって見なければ、わからないことが多いだろう。

4)これまでの読書ブログの推し本を紹介していく、と言う手🖐️もあろう。廃物アートの画像を連続風景としてアップしても面白いかも。市民農園の畑仕事などは、人気でないだろうな。

5)逆に、私は炎上ネタ🔥は嫌いである。大騒ぎしてうるさいのは苦手だ。堀江ポンとか、ヒデユキ?だっけ、あんなの大嫌い。爺さんが、したり顔で説教するのもウザい。趣味ネタも、一時的にはいいが、飽きるのは早い。時事ネタも、正確性に欠けるし、どんどん時代に取り残されていく。閲覧数をアップさせるだけの馬鹿騒ぎも、実にアホらしい。

6)ロードスターものも、プリウスものも、だいぶ見た。コーヒーネタも、爺いバイクものも見た。Oshoネタも見た。リゾマンものも見たし、年金もの、老後壊滅のような脅かしも見た。アンパンマン動画とか、バトルカーアクションのような動画も、孫に付き合って、だいぶ見させられた。だいぶ飽きてもいるのだよ。でもだからこそ、自分でもやってみようと思う。

7)YouTuber になろう。

<5>につづく

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Youtuber になろう <3> 雑感

<2>からつづく

1)第一に、やりたいことは大体やり尽くしていることに気づく。今現在チャレンジしていることは、市民ミュージカル、町内会役員、能面彫刻、楽天イーグルス応援団、市民農園上級編、歴史民俗資料館ガイド、などなど。どれもまぁ、想定内の趣味である。ボランティアに毛が生えたようなものばかりだが、若干の手当をもらうこともある。手出しをして楽しんでいるものもある。

2)しかし、今回考えているのは、収入を得ることだ。小学生から10代にかけて謄写版ミニコミ発行は、自分の思想や人生の方向性を決定するに、大いに役立ってくれた。中年から始めた読書ブログは、専門分野の哲学や精神性を深めることに、欠かすことのできない良き学びの機会であった。そして、今回、私は収入を考えている。

3)現在私は30年以上続いている稼業で生活をしている。十分とはいえないが、食えていることは事実である。すでに何年も前から、わずかな年金も手にしている。貯金も僅かながら、あることはある。吾唯足知、というレベルでは、十分満足できるレベルにある。

4)されど、生涯現役を目指す人生目標としては、とりあえず95歳の自分の姿を想定する。配偶者や子孫がまだまだ健康だとしても、自分はその頃まだ現役で頑張っていることはできるだろうか。少なくとも、多くの趣味やボランティアは卒業しているだろう。現在の稼業もまずまず健在としても、客あっての商売につき、せいぜい現役と言えるのは、75か80歳までのことであろう。

5)近親者を失い、自活も難しくなれば、当然の如くどこかの施設に身を寄せなければならないだろう。それには銭が要る。現在の経済モデルでは破綻するのは目に見えている。だから、これから始める趣味は、手出しではなく、わずかであっても、実益を兼ねることが期待されるのである。

6)さて、YouTuber は実益を兼ねることができるのか。これはかなり難しいだろう。謄写版ミニコミだって、印刷するまでの経費を回収するのは至難の技だった。読書ブログもまた、アフェリエイトが発生したとしても、月に1冊ほど新刊を買えば消えてしまうほどの、あやゆいものだった。あまり期待できるものではない。しかし、まずは意気込みだけでも、張り切っていこう。

7)YouTuber になろう。

<4>につづく

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YouTuberになろう<2> 目次

<1>からつづく

Youtuberになろう 

 

目次

4)さて、どこから手をつけるか

3)雑感

2)目次

1)はじめに

 

<3>につづく

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YouTuberになろう<1>はじめに

1)と書いてしまったが、こうでも書かないと、動きがなさすぎる。まずは、このテーマをシリーズ化してみよう。

2)そう思ったのは、自己表出することは、決して嫌いじゃないからだ。10代における謄写版のミニコミ発行、50代になってのブログ作成、それに続く、大きなテーマになりそうではある。正直、動画作成は得意ではない。しかし、見るのは好き。特に最近は、夢中になって見てる。見ない日はない。

3)動画と言っても、全く調べたことがなかった。すでに動画を10年ほど前から、何本かあげたことはある。YouTuberなんて言葉がない時代だ。お試しに、というところで、まぁまぁ面白かった。再生した人も、ほんの何人かはいた。だけど、そこに新たな展開は、何もなかった。

4)今現在そう思うのは、ブログはほぼやり切った感があるからだ。読書ブログとして5000冊の書評を書いた。かれこれ20年ほど前から、各種の図書館が限りなくオープンになったことは、かなりの推進力になった。自分で読みたいテーマもあった。ほぼ1日に一冊のペースで読み進めた時代もあった。

5)夢中だった。他人の目など気にならなかった。ただ自分のテーマを追いかけた。せっかく読んだ人がコメントを書いてくれても、正直きちんと対応しなかった。炎上商法は、私の得意とするところではなかった。ひたすら走って、今思うこと。とりあえず、終わったな、ということ。

6)ここから、電子書籍の方向へ行くことも考えた。おもいついたのは、もうだいぶ前のことだ。しかし、技術力の問題もあり、完成度の問題もある。そもそも、その目的はなにか。どうもピンと来なかった。正直いうとSNSも飽きている。そこで起死回生をねがって、重い腰を上げて、とりあえず、呟いてみる。

7)YouTuberになろう。

<2>につづく。

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2023/09/05

ミュージカル

1)ここまで来て、中途半端だが、中途半端なまま、メモしておく。正直言って、何が何やらわからない状態に巻き込まれている、と言う感じがする。はてどうする。

2)ことの始まりは4月だ。ひょんな誘いに、ひょんなことで応答したことが、最初の始まりだ。ことは5月から始まった。月2回程度の練習は、どこかやっぱり、本格的だった。下手の横好きとはいえ、どこかの地点で、引き返すことはできなかったのか。今は9月、残されているのは、2ヶ月。どれほどの行程が残されているのか。今の私には、不明だ。

3)現在困っていることは、まずは自分の体。とにかく、痛い。練習やそのストレッチばかりが原因とは言うまい。町内会のお祭りや避難訓練、公園清掃や巡回活動も、私の日常を拘束する。市民農園の収穫や片付け、秋野菜の準備。夏休みの孫隊の世話、そして趣味の能面彫刻、などなど、私の体にのしかかる負担は多い。活動量は多くないにせよ、我が同輩たちの、古希祝いの準備も気にかかる。それらの疲れが、どっと出た。

4)それに、茶飲み友達の、告白。肺がんでステージ4という。これにはまいった。後回しになっていた、自分の体の点検が始まった。歯、目、年に一度の健康診断。定期的な飲み薬の補充。耳の点検。そして、手足の痺れ。喉の痛み、咳。一つ一つが気になってくる。そういえば、本日は、6回目のワクチン接種の日だ。

5)友人の鍼灸師によれば、疲れであるという。疲労しているのだ。初冬には、亡くなった友人の記念企画展があり、部分的に協力要請を受けている。一つ一つは、どれも大切なことで、願ったりのことばかりだ。

6)しかし、この体にはまいった。静養が必要だ。突然の仕事発生にも、左右される。突発的な事故など、起こって欲しくない。

7)今日は、寝ていよう。ワクチン接種後の、反応結果も気になる。

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三つのストーリー

1)まずは名取老女物語であろう。直接のメインのストーリーはここにある。ストーリーというべきか、構成要素は、実にここに類似している。そのものズバリといえないのは、その構成要素は、図式として、私の脳裏にしかないからである。

2)二つ目は、ララランド。ある意味で、この物語の基本構造は、普遍的なものである。そうならざるを得ない、必然性を抱えている。しかもなお、パーツ、パーツが、偶然的に奇跡的に繋がっているところが、感動的である。

3)3つ目は、あえて言えば、キネマの神様。そうだろう、そうあって欲しいだろう、という結論性を秘めている。巨視的にみれば、そういうことなのだ。安定性、共感性に満ちている。

4)これら、基本性、現実性、本質性、の三つが重なって、よりシンプルな存在へと、変容している最中である。あえて科学、芸術、神秘、に並べるなら、ララランド、キネマの神様、名取老女、の順になろう。

5)さらには、20プリウス、ミュージカル、ふるさと、となるだろう。ここからさらに煮詰めることは、難しい。一言で、たった一言で言うなら、それは、命であろう。

6)そして、そこからさらに無に向かうとするなら、それは死であり、不死、あるいは再生であり、永遠である。このただならぬ、言葉とシンボルが砕け、流れる、大滝にあって、それを巨視的に見ている私がいる。

7)今、私がここで対峙しているのは、いま、ここ、である。

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2023/09/03

今日の気分はこの三冊

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1)このシリーズは、シリーズとしては、もう途絶えてしまった。そこにさしたる意味も無くなってしまったのだ。そして今日ここに、このような形で表出してくると言うことは、結局ここが、一番安定性があって、本質的であるからである。

2)して、ならば、あえて、これらを仏法僧に例えるなら、隠れ家、講義、友、の順になろう。仏の影に法僧があり、法の影に仏法があり、僧の影に仏法がある。

3)たった一文字で表すなら、禅、である。

4)もう旅は終わったと思う。ナビは終了だ。ディストネーション イズ ヒア。

5)裕次郎は歌う。長かろうと、短かろうと、我が人生に、悔いはない。ひばりは歌う、川の流れのように、穏やかに、身をまかせていたい。

6)終わりは必ず来る。

7)そして始まる。

 

 

 

 

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腰が痛い

1)別段、初めてではないにしろ、久々にその身になってみると、同病相憐れむというべきか、友人たちの悩みにも、普段からもっと共感しておくべきだと、反省する。

2)今回は、特段にギックリ腰という程でもないのだが、いつもとちょっと訳が違うのである。

3)思いつくことといえば、能面翁を彫っていて、ちょっと集中しすぎたか、ということである。姿勢が悪かったのだ。

4)最初は腕から肩、そして次には反対側の腰。次には膝に来て、やがて膝下から足先にかけて、痺れるようになった。

5)ひどい2、3日は久々に杖をついた。布団から立ち上がったり、階段の上がり下がりは苦しかった。

6)確かに、この頃は、町内会の避難訓練や、市民ミュージカルのストレッチ、農場の片付け、孫の世話と、なにかと忙しかった。

7)でも、一番感じることは、老化。私も一人前に加齢しているのである。私だけが健康を維持できるわけではない。人並みに養生する必要性を今更ながら痛感する。友人の整体師Sによれば、疲労である、ということである。

 

 

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2023/09/02

現代坐禅講義-只管打坐への道-角川ソフィア文庫-藤田-一照

https://www.amazon.co.jp/現代坐禅講義-只管打坐への道-角川ソフィア文庫-藤田-一照/dp/4044004315

1)最近は書店に行っても、図書館に行っても、読みたい本や、買いたい本が ない。それでも先日ようやく購入して来たこの一冊ではあるが、散歩コースとしての書店に対する利用料を支払うようなもので、読みたい、と思って買った本ではない。

2)仮に、学生、弟子、帰依者、のステージがあるとすれば、学生向けの本であり、大いに研究、議論、体験すべき内容が詰まっている。どちらかといえば、良本であり、わかりやすく、得難い一冊ではある。されど、一般論はともかく我が身の読書として取り上げようとした場合、あまりに小うるさく、回りくどい。

3)筆者は、私と同年代であるが、学年は一つ下であるかもしれない。同年代としては、似たような時代体験をしているのだろうし、またその中においても、生き方としては真面目であり、優秀であり、実績を上げた、信頼すべき人格者である。

4)しかし、人生においては、真面目で優秀で実績がある、というだけでは、良き教師ではあったとしても、必ずしも、岐立する宗教的存在ということはできない。

5)この本は一度、311震災後に単行本として出版され、それから10余年経過した後に文庫化されたものである。執筆者も、読者も、あれから幾多の水が流れてしまったのかを、感じざるを得ない。

6)視力も落ち、意欲も減衰し、自らの心身にいささか不安を持ち始めた昨今だが、やはり、当ブログとしては、5000冊のレポートでほぼ一巡してしまった世界であり、その過程において、この本が全く引っかからなかったとすれば、両者の距離感が測れるというものである。

7)いつの日か、学び直しの機会もあろう。自らの未熟さ傲慢さにようやく気づくこともあろう。そのような時は、この一冊を傍らにおけば、良き反省材料となるかもしれぬ。少なくともこの本にいくばくかの購入費を払ったことを、悔いてはいない。

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