聖歌472番「人生の海の嵐に」
1)畑で朝しごとをしていたら、この歌が頭の中に響き出した。それこそ50年以上も前に、わずかに通っていた小さなバブテスト教会、そこでおぼえた一曲がこれだ。
2)
- 人生の海の嵐に もまれ来しこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いと静けき港に着き われは今 安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し - 悲しみと罪の中より 救われしこの身に
誘(いざな)いの声も魂 揺すぶること得じ
いと静けき港に着き われは今 安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し - すさまじき罪の嵐の もてあそぶまにまに
死を待つは誰(たれ)ぞ直(ただ)ちに 逃げ込め港に
いと静けき港に着き われは今 安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し
3)私も色々な趣味に出会ったものだ。畑仕事、仏像彫刻、俳句、郷土史、廃物アート、プラモデル、子供ミュージカル、旅行、ブログ、読書、瞑想、どれひとつとっても奥を極めたなんて分野はないし、そもそもそういう発想がない。ただやってみたい趣味は常にある。
4)自分の法名は、素晴楽堂把不住沙門、と決めている。素晴楽堂はスバガットの漢字表記であり、把不住もまた、バヴェシュの漢字表記である。私はOSHOサニヤシンとして生きたので、差し支えなければ沙門と名乗らさせていただきたい。私がもっと海に近くなったら、OSHOの意味を込めて、和尚とつけていただいてもいいのかな、と思うけれど、それは私が肉体を離れた後の話。
5)目下の瞑想はナタラジ瞑想だ。今に私には一番あっている。ここから子供ミュージカルに繋がっていくのかもしれない。ストレッチ、柔軟体操、ステップ、筋トレ、ダイエット、モチベーションは、一つの方向性を帯びてきているようだ。
6)題目が名取老女伝説なら、私は、メッセンジャーの行者役に立候補したいと思う。台本によるし、オーディションもあるらしい。そう簡単にも行くまいが、それはそれ。イメージトレーニングである。
7)道遠し年もいつしか老いにけり思いおこせよ我も忘れじ
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