1975
1)最近、というほどでもないが、これまで一貫して1975年という時代を評価する声が絶えない。基本的には、私もその中の一員である。おお、またやってくれているか、と、感謝さえしている。されど、その取り上げ方には、違和感が ないでもない。
2)話題の中心が、都市部の、ごく一部の、お仲間意識で仕切られていることに、どうも違うなぁ、と思う。懐古趣味的に、同窓会的に、あの頃、俺たちは、的なノリでは、私は疎外感を感じる。
3)うーーん、固有名詞を使わないと、うまく書けないが、使いたくない自分がいる。いや、そうじゃないんだ。あの頃の自分たちを振り返って、あるいは賞賛してくれるわずかな取り巻きたちで、ワイワイやるのは、わたしゃ、ごめんだな、と感じるのである。
4)あの時代性の中で、何をつかみとったのか。その掴み取ったものについて、どうも中心を外しているように思えてならないのである。少なくとも、私にはそう思える。
5)であるが故に、同窓会的な1975年礼賛ごっこには、いまいち乗れないのである。そもそも、私は、当時からはぐれ鳥だった。群れているようで、実は群れを拒否していた。私は私でいたかった。
6)当時もそう表現していたし、いまも、心境に、大きな変化はない。その表現者の多くは、その表現を残し得たからこそ、時代を語る上での話題となり得る。されど、声なき声、姿なき姿、表現なき表現を、うまく掬い取ってくれていないように思う。
7)当時を再現するだけではなく、別な角度から、別な熱意を持って、再認識する努力が必要なのだと思われる。1975年は、一つの通過点に過ぎない。この2023年が、また同じように通過点でしかないように。
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