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2023年5月

2023/05/31

シャル ウィ ダンス?1080p ( Shall We Dance? ) 1996 Original Revision/English subtitles

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2023/05/29

Shall We Dance?



1)細かいことは、まだ言えない。


 

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2023/05/28

替え歌

元歌は、こうだ。

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働く人が 大好きだから

働く者の 砦となって
我を投げすて 嵐を浴びる
無欲無限の その愛に
人は翁の 人は翁の 名を贈る

がまんの文字を 笑顔に隠し

よっしゃと腰を 上げるやいなや
粋な捌きも 電光石火
花の世直し 手だれ者
月も翁の 月も翁の背に照る

そしりの中に 身を置くときも

言い訳無用 誠を通す
山に譬える 不動の決意
いつか解って くれりゃよい
それが翁の それが翁の 独り言 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

いい歌だとは思うのだが、いつまで経っても違和感が残る。いっそ、曲はそのままで、替え歌にしてみたらどうだろう。

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道ゆく友が 大好きだから

道ゆく友の 砦となって

我を投げすて 嵐を浴びる
愛と瞑想 その
人はOshoの 人はOshoの 名を贈る

がまんの文字を 笑顔に隠し
獅子吼の咆哮 上げるやいなや
粋な捌きも 電光石火
叛逆のブッダ スピリット
月もOshoの 月もOshoの 背に照る

批判の中 毒を盛られても
覚めたる意識 ますます冴える
海に溶けゆく 如来の姿
いまここ 誰にも わかるはず
それがOshoの それがOshoメッセージ 

ーーーーーーーーーーーーーー

赤文字が替えた部分。

これでもまだ、しっくりはこないが、本歌よりは感情移入できる。

そも、演歌という曲調が、結局合わないのか。

未完! 落ち着いたら、作業続行

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2023/05/27

瞑想する人の食事

https://www.osho.com/ja/read/featured-articles/body-dharma/meditators-diet?fbclid=IwAR05_QoyUDd_HvVvE9i8FKMLNHGEpFPVRrU8JTtMBkmx7FHdaXCpDdpnJ4k

 

瞑想する人の食事





 人間はその食事が予測できない唯一の種だ。他のすべての動物の食事は一定している。彼らの基本的な肉体的要求と彼らの本質が、何を食べなければならないのか、そして何を食べてはいけないのかを決める――どれくらい食べなければいけないのか、どれくらい食べてはいけないのか、いつ食べるべきで、いつ食べるのをやめるべきなのか。だが、人間はまったく予測がつかない。まったく一定していない。何を食べるべきかを彼の本質が教えることもなければ、どれだけ食べなければならないかを彼の気づきが教えることもないし、いつ食べるのをやめるべきかを彼の理解が教えることもない。

 人間のこれらの質のどれひとつとして予測がつかないために、人間の生はどこかひじょうに不安定な方向に入り込んでしまった。だが、少しでも理解があれば――人間が少しでも知性をもって、少しでも思慮深さをもって、少しでも目を開いて生き始めたら――そのときは正しい食事に変えることは少しもむずかしくない。ひじょうに簡単だ。これ以上簡単なものは他にない。正しい食事を理解するために、私たちはそれをふたつの部分に分けることができる。

 第一のこと――人間は何を食べるべきで、何を食べるべきではないのか?

 人間の体は化学元素でできている。体の全プロセスがひじょうに化学的だ。もし人間にアルコールを入れたら、その体は化学作用によって影響を受けるだろう――酔ってしまう、無意識になる。その人がいかに健康であろうと、いかに穏やかであろうと、酔いの化学作用が彼の体に影響を及ぼす。いかに聖人のような人であろうとも、もし毒を盛られたら、死んでしまう。

 人間をどのような種類であろうと無意識へと、どのような種類であろうと興奮へと、どのような種類であろうと極端へと、どのような種類であろうと動揺へと入り込ませる食べ物は有害だ。そして、もっとも深い、究極の害は、これらがへそに届き始めたときだ。

 おそらくあなたは気づいていないかもしれないが、世界中の自然療法では体を癒すために泥パック、菜食、あっさりした食べ物、水に浸した布きれ、そして入浴が使われている。だが、どの自然療法も、水に浸した布きれ、泥パック、あるいは入浴の体への効果がそれだけあるのは、それらの特質のせいではなく、それらがへそのセンターにどう影響するかにあるという点をまだ理解していない。そして、へそのセンターは、次に体の他の部分に影響を及ぼす。これらすべてのこと――泥、水、入浴――は、へそのセンターで眠っているエネルギーに影響を及ぼし、このエネルギーが立ち上がったとき、その人の生に健康が生じ始める。

 だが、自然療法はまだこれに気づいていない。自然療法は、これらの有益な効果は泥パックや入浴や腹の上の濡れた布きれから来ているのだろうと思っている! それらには確かに利点がある。だが、ほんとうの利点は、へそのセンターで眠っているエネルギーが目覚めたことから来ている。

 もし、へそのセンターが酷使されたら、間違った食事、間違った食べ物が使われたら、そのときはゆっくり、ゆっくりと、へそのセンターは活発さを失い、そのエネルギーは弱くなっていく。ゆっくり、ゆっくりと、そのセンターは眠りについてしまう。ついには、ほとんど眠ってしまう。そうなったら、私たちは何らかのセンターとしてそれに気づくことすらない。

 そうなったら、私たちはふたつのセンターにしか気づかない。ひとつは、思考が絶えず動いている脳、そしてもうひとつは、感情が動いている、少しだけハートの部分だ。これより深いところとは、私たちはどのようなものともまったく接触がない。だから、食べ物はあっさりしていればいるほど、体を重くすることがなく、あなたの内面の旅の始まりにとって、より貴重で意義のあるものになる。

 正しい食事にとって、覚えておく最初のことは、それが興奮を生み出してはならない、酔わせるものではあってはならない、もたれるものであってはならないということだ。正しく食べた後に、重さと眠気を感じてはならない。だが、おそらく、私たちはみな、食事の後で重さと眠気を感じるだろう――そうだとしたら、私たちは間違った食べ方をしているのだと知るべきだ。

 充分な食事が摂れないので病気になる人もいれば、食事を摂り過ぎて病気になる人もいる。餓死する人もいれば、過食で死ぬ人もいる。そして、過食で死ぬ人の数は、餓死する人よりこれまでつねに多かった。餓死する人はひじょうに少ない。たとえ飢えたままでいたくても、少なくとも3か月は死ぬことはあり得ない。どんな人でも、食べ物なしで3か月は生きられる。だが、3か月間食べ過ぎたら、生存の可能性はない。

 食べ物への私たちの間違った姿勢は、私たちにとって危険なものになりつつある。それには大きな犠牲が伴うことがわかってきた。それは私たちを、なんとか生き延びているだけという地点に連れてきた。私たちの食べ物は、私たちの中に健康を生み出すようには思えない。病気を生み出すように思える。食べ物が私たちを病気にさせ始めるとは、驚くべき状況だ。それは、まるで朝に昇る太陽が暗闇を生むようなものだ。これは起こるにしては、同じように驚くべきで奇妙なことだろう。だが、世界の医師たちはみな、人間の病気のほとんどは人間の間違った食事に原因があるという意見をもっている。

 だから、第一のことは、ひとりひとりが自分の食事にしっかりと気づき、意識していなければならないということだ。そして、私はこれを、とくに瞑想する人のために言っている。瞑想する人にとって、自分は何を食べるのか、どれくらい食べるのか、そして自分の体へのその影響はどうなのかということに絶えず気づいていることが必要だ。もし人が数か月間、気づきをもって試してみれば、どれが自分にとって正しい食べ物なのか、どの食べ物が自分に静けさ、安らぎ、そして健康をもたらしてくれるのかが確実にわかるだろう。現実的なむずかしさは何もないが、私たちが食べ物にまったく注意を払わないために、私たちは正しい食べ物をけっして見つけることができないのだ。
 

Osho, The Inner JourneyTalk #3 

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2023/05/24

Okina

 

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「翁」  

鳥羽一郎   発売 1994/08 日本クラウン 形式: CD  Single   
★★★★★ 

ーーーーーーー

 

 

 


作詞:星野哲郎,作曲:北原じゅん

働く人が 大好きだから
働く者の 砦となって
我を投げすて 嵐を浴びる
無欲無限の その愛に
人は翁の 人は翁の 名を贈る


がまんの文字を 笑顔に隠し
よっしゃと腰を 上げるやいなや
粋な捌きも 電光石火
花の世直し 手だれ者
月も翁の 月も翁も 背に照る


そしりの中に 身を置くときも
言い訳無用 誠を通す
山に譬える 不動の決意
いつか解って くれりゃよい
それが翁の それが翁の 独り言 

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2023/05/23

俳句

1)俳句が出ない。この頃、だいぶ続いている。道元は自分では随分いろいろ書き残しているが、門弟には決して文芸を勧めてはいない。

2)仰々しく、大騒ぎしながらの俳句は、そもそも好みではない。かと言って、長文のダラダラした世界観もどうなのか。キリリと引き締まった俳句はかっこいい。短歌のような説明を省いた、ズバリ本質に俳句。

3)最近出ないのは、季語の問題。季節をうまく読み込めない。素養がないのだ。もっと気の利いた言い回しがあるだろう、といつも思うのだが、出てこない。季語辞典でも揃えようかとも思ったるするが、何かが違う。

4)そもそも私が俳句を書こうとと思い立ったのは、短冊があったからである。いや正確には、資料の補強材として梱包されてくるA4厚紙を縦3割にすると、ちょうど短冊風になることに気付いたところにある。廃材利用だ。

5)廃材がだいぶ溜まっていたのだが、私の俳句心に合わせるように、次第に在庫がほぼなくなった。ここが、俳句が出てこなくなった理由の一つではないじゃろうか、と思われる。

6)現在、私を誘惑するのは、更なる俳句ではない。むしろ、一字写経。そんなに多くの言葉はいらない。あれこれ、下手な工夫はしないほうがいい。ありのままでいい。

7)押し寄せる妄想は、ただただ、空になり切るこちで、逃げるしかない。

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乗り物🚗

1)乗り物に対する興味は尽きない。と言っても、船や飛行機、電車やドローン、空飛ぶ自動車など、超未来系の乗り物には、あまり興味がない。必要性がないからだ。メインは自動車。日々日常で使うマイカーについてだ。

2)我がマイカーは13年目。まもなく14年目に突入する。1500ccハイブリット、5ドアセダンのシルバー色。至って当たり前の、日常風景にある一台である。基本不足はない。

3)当然本体の残債ほ残っていないが、日々のメンテナンスと燃料、税金、保険などがのしかかる。されど、必要性は無くならない。一生なくてはならないだろう。運転できる限りは運転する。

4)デメリットというかマイナス要素はそれほど多くはない。多少のキスマークはある。見栄えはしない。こんなもんだろう、と割り切った整備。至って必要十分なのだ。本来、これ以上の何が必要か。

5)敢えて言うなら、新装性能ということになろうか。衝突防止、周囲の可視化、最新ナビ、まぁまぁここらあたりまでは、。あればいいかなくらいのところ。EVとか自動運転とか、大型ディスプレイとか、本当に必要か。あればあったに越したことはないだろうが、なければないで、不要なものだ。

6)逆に、軽自動車ではちょっと不安。バイクや自転車だけじゃ、これも困る。免許返納してタクシー暮らし? いやいやそれは非現実的。適正サイズの乗り物は、現代生活には、絶対必要だ。

7)2シーターオープンスポーツカーも、かっこいい😎と思うけれど、うまく生活に組み込めない。邪魔だ。はみ出してしまう。結局、現状維持。なんか物足りないあ、と思いつつ、このままでいいじゃん、と思う日々。

 

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珈琲道ビギナー

1)道半ばである。業務スーパーの豆が最安値だとは思うが、ハンドピッキングが必要となる。この作業を楽しいと思うか、面倒と思うかで、今後の道筋は大きく変わる。

2)一番面白いのは、マライカで白豆を買ってきて、自宅のフライパンで焙煎することだが、自己満足はともかく、お客さんに出せるほど美味しいとは自信がない。

3)今のところ、一番関心があるのはエスプレッソだが、「グレースの履歴」の影響大。エスプレッソを語る商品は、ドリップ用粉と、ブレンディのスティックがある。さすが味の素と思うが、これで作るアウスコーヒーはなかなかいい。

4)エスプレッソのミニマムハンド器具は数千円で販売しているが、単に銭失いになりそう。そもそもミールもまだキャンプ用で代用。コーヒーマシンに手が届くのは、いつのことやら。

5)あちこちのカフェを飲み歩く趣味はない。ドリップ商品では、名取老女ブランドが一杯300円で最高額(今のところ)。美味さはともかく、それらを飲み分ける力が、こちらにない。

6)各人各様、さまざまな珈琲談義がある。議論を交わすというより、そもそもが趣味範囲の話。それぞれのご意見や感想を拝聴するにとどまる。結論はない。悪影響受けるほどでもない。

7)エスプレッソに角砂糖を浸して舐める、という、はしたない流儀は面白いと思うが、やっぱり糖分の摂取が気になる。スイート類の突き合わせも関心があるが、出たとこ勝負の、一期一会、がかんようだな。

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2023/05/20

OSHO NATARAJ MEDITATION - RUSSIAN

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【コペン】納車から1ヶ月乗ってみた感想|良い所・悪い所 L880K

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2023/05/17

OSHO(和尚)という名を提案した経緯 改訂版

https://www.facebook.com/bhavesh.prem.1/posts/6578133845532007?comment_id=1290111671579138&notif_id=1684124362087112&notif_t=feed_comment&ref=notif

1)あまりにスレッドが伸び過ぎ、また、書き込みの機能が落ちてきたので、一旦、中締めとし、こちらに繋いでおく。これまでかいたことも、いずれ、少なくとも私の書き込みだけでもこちらに転記し、整理しておく予定。

2)まず、天河弥勒宣言公案だが、解決はついていない。このテーマは、数年前の話題の蒸し返しだが、とうじY氏は、曹洞説はあり得ない、と断定していたが(どこかに記録がネット上に残っているはず)、今回は、あり得るかも、と意見を変えている。

3)もちろんわかっている、ここにおいては、実はどっちもいいのだ。問われているのは、私は、誰か、である。そこにこだわっている、私は、誰か。「これこれ千回もこれ」において、私は、把不住の、位置関係を理解した。この本は、邦訳の講話日程が間違っていた。5月27日から6月1日までではなく、6月10日までである。

4)曹洞説はほぼ間違っていて、天河説が正しい。それを、OSHOは、なぜに捻じ曲げて、曹洞説にしてしまったのか。本人の誤解か、仲介人の作為か、説明不足か。あるいは、天の配剤か。

5)アメリカ大統領選推薦や、オーストリアからのコミューン要請、あるいは、ドイツジャーナリストの取材の件など、事情を知らなければ、聴衆は一切そのことを気にしないだろう。この天河公案について、日本人の多くも、ほとんど気づかないまま、今日まで来ているだろう。

6)この件に深く関わっていたのは、オールドS、首謀者と言ってもいい。このエピソードをどう理解するかはそれぞれの自由だが、OSHOは、天河より曹洞の方が欲しかっただろう。ストーリーとしては、そちらの方が面白いし、私も賛成。天河説は、どこかで尻尾切れになっている。

7)OSHO世界宗教説にもとづくなら、ここは曹洞説で押し通すしかない。そもそも神話なのだから。信じるか信じないかは、世界市民次第。掻き回す必要はない。で、私は誰か。OSHO神話で、go!

 

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2023/05/16

bhavesh left his body on 25 February 2022. 

検索していて偶然、もう一人のBhavesh が、すでに肉体を離れていたことを知った。

https://www.oshonews.com/2022/04/06/bhavesh/ 


left his body on 25 February 2022. すでに一年以上前のことだった。フランス人のSwami Prem Bhavesh 。オレゴンで一度会って握手した。その後、ネット時代には、友人として繋がってくれた。彼がいたおかげで、ネットのIDは、Bhavesh.jp を名乗らなくてはならなかった。😅偉大なアーティスト。愛すべきBhavesh.fr。ご冥福を祈ります。LOVE

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2023/05/11

リアリティ+ 上 バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦 デイヴィッド・J.チャーマーズ/著 -- NHK出版 -- 2023.3

1)図書館から借り出して、読もうとしている間に、あっという間に返却日になってしまった。延長しても、全文を読むことはあるまい。素直に返却しよう。されど、久しぶりに借り出してみよう、と思える本に出会えた、と言うことは嬉しかった。メモを残しておく価値はあるだろう。

2)テーマは、ズバリこれでいいだろう。興味深い。読み切れる人には、適度な知的リクリエーションになるだろう。忙しい人にとっては、不要な暇つぶしでしかないだろう。

3)究極的には、このテーマが、残るのだ。そして、もともと、このテーマがアルファ&オメガであったことに気づく。散歩する人は散歩すればいい。呻吟する人は呻吟すればいい。されど、結論が出ている人には、もう結論は出ているのだ。

4)例えばゴータマブッタ。彼には、見えた。あるいは、同類の瞑想家たち。彼らには見えた。おそらく、多くの人間存在は気づいてしまったのだ。ただ、表現しきれたかと言うと、そうではないだろう。ごく限られた人間にしか表現されていない。才能が必要だ。

5)難しくして、難解極まる高山を、易々と闊歩できる人間は、そう多くない。稀な人々である。されど、物事は簡単であるはずだ。ごくシンプルに生ききられるべき、人生であるはずだ。

6)日日是好日。更に参ぜよ三十年。喫茶去。

7)このような書籍が出回って、人々の話題になることは良いことだ。されど、ここから突破できる人は、どれだけいるだろう。知的リクリエーションでリフレッシュした後は、ひたすら、自分の足で歩き、坐り、瞑想に入る。今日も一日、生活が、待っている。

 

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2023/05/09

「私」という意識の正体【意識は幻想? 受動意識仮設・哲学的ゾンビ・意識のハードプロブレム】

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面打師 新井 達矢 | 明日への扉 by アットホーム

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知られざる能面の世界〜中村光江〜

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Process of making traditional Japanese masks.Craftsmen who have been making masks for 40 years.

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2023/05/08

デイヴィッド・チャーマーズ

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【ヴァーチャルはリアルなのか】『リアリティ+』デイヴィッド・J・チャーマーズ(高橋則明 訳)を紹介します【書評家Vtuber】

 

1)5000冊についてコメントした後は、読書ブログとしては、当ブログは休業中となった。理由は大きく言って3つ。まず、目が悪くなって、読書がキツくなってきた。老眼の進化がちょっと早くなってきた感じがする。一冊の本を読むのが実にめんどくさきなってきた。二つ目は、ブログの容量が定量に至って、もう画像をアップすることができなくなってきた。三つ目、読みたい本が少なくなってきた。ほとんどお手上げ状態である。

2)反面、動画は見ることは可能で、特に大画面のテレビでYoutubeを見ることができるようになって、結構楽しんでいる。そして、動画のリンクを貼り付けるだけなら、当ブログもまだまだ受け付けてくれるようだ。三つ目、こういうテーマの動画はないだろうと思っていたテーマの動画が、実は豊富にあることが分かってきた。

3)特にこのようなディビッド・チャーマーズの「リアリティ➕」のようなテーマについて、結構手応えのある動画があることも分かってきた。これなら、読書ブログから、動画視聴ブログに転身して行けるにではないか、というこちがわかってきた。

4)WIRED誌の48号、RETRET特集、編集長の松島倫明の文が、少し救ってくれた。松島がチャーマーズについて触れていた。決して深い論述ではなかったが、あるリンクが見つかった気がした。私のテーブルには、WIREDとチャーマーズの本が揃っていて、尚且つ、動画が関わってくると、ひょっとすると面白くなっていくかも知れない、という予感がしてきた。

5)心、あるいは意識については、当ブログとしては結論が出ている。脳科学には深入りしない。AIテクノロジーにも深入りしない。伝統的修行論にも耽溺しない。ごくごく市井の凡人の姿勢で、当たり前に、普通語で対応していきたいのだ。

6)結論としてのOSHOは、これもまた短絡的な逃避であって、私には私の旅があるのであって、そのづランクをあまり簡単に省略してしまっては、もったいないとも思う。ここに、今後の当ブログの活用方法があるかも知れない。そう思うようになった。

7)ポアンカレ予想。宇宙はざっくり丸いのか。出発地点は、私という意識である。そして宇宙を一回りしてきて、自分のここ今に戻ってくるなら、自分が見た意識の全体なのである。宇宙の果てまで行っても、戻ってこれなければ、それは簡潔した宇宙ではないのである。そういうことにしておく。

 

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近況

1)あっという間に春の大型連休が終わり、またあたりまえの日常がやってくる。あっという間と言いつつ、色々なことが整理ついた。仕事を片付け、部屋を片付けた。畑もなんとか形をつけることができたし、祭り事もだいぶkちついた。

2)「グレースの履歴」もようやく終わった。結論から言えば、60点ギリギリというところ。8回連続としては、ちょっと長すぎた。8時間だから、普通の映画の4本分だ。最終的なエンディングも、決して私好みではない。

3)さて、五重塔1/59スケール(だっけ?)の制作に戻ろうとしたが、どうも違う。材料は全て揃っているので、気力さえ持続すれば、1ヶ月で完成する。しかし当面はこのままスケルトンの状態でいいように思う。あまり立派にすると、我が瞑想ルームでは存在が大きくなりすぎる。

3)名取老女の面は、しかるべきグループに寄贈した。今後、どのようなエピソードが引き続きやってくるか、楽しみ。お導きのまま、しばらくは様子を見よう。新しいめいしもつくった。必要性はやっぱりあった。

4)ゴシップとしては、ちょっと頓珍漢な人物の闖入があった。この件に関しては、後日、ひとまとめしておくつもりだが、まぁなんというか、我が人生の、馬鈴の重なり具合が、実に軽妙で、面白いものだと思った。

5)自治会の方も、実に多忙である。これでは、本当に好きな人じゃなければできないな。私も甲斐性の一つとして引き受けて入るものの、実にまどろっこしいものである。慣れては来たが、まだまだ未知なゾーンが多い。

6)今後やりたいこと。空間の断捨離、仕事の断捨離、ネットワークの断捨離。テーマの一本化。そして自然体。日日是好日。喫茶去。晴耕雨読。大きくは、人生の最終章の準備。

7)コーヒーを取り巻くトリップは、小さく一回りして、やや落ち着き気味。なんちゃってエスプレッソにハマっている。20プリウスは、夏タイヤを新調して、実に快適。まもなく定期点検に出して、税金を払って、来月にも北の方へ、小旅行の予定。

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2023/05/07

OSHO: The Problems That Face Mankind

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OSHO: If You Are Creative You Will Be Happy

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OSHO: The Whole Existence Needs You

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2023/05/03

大法輪

1)大法輪という雑誌があったな、と検索してみたら、すでに2年ほど前に廃刊になっていたことを知って、びっくり。そうなのか、やっぱりそうなのか、と納得するやら、ちょっと悲しいやら。

2)中高生時代、同居していた祖父が定期購読していたので、普通に家庭内に積み上がっていて、パラパラめくった記憶がある。だけど、記憶にあるのは、宗教論争、どっちが負けても、釈迦の恥、と言う、川柳くらい。

3)今回検索してみると、3.11の一年後ぐらいの200ページ以上の一冊がまるまんま読めるようになっていた。通読したわけではないが、目次を見ただけで、お腹がいっぱいになった。

4)仏教の各宗派ばかりか、老荘やキリスト教は言うに及ばず、ギリシャ哲学やイスラム教、神道やマインドフルネスまで、目配せの範囲があまりにも広すぎる。これで購読者が減り続けたのでは、あまりにも編集者が可哀想だ。

5)と思いつつ、これは自業自得だな、と感じた。編集者は、読者におもねて、自らの探究ターゲットを見失ってしまっている。ほんらい、ダイナミックに回り続けるはずの大法輪が、あちこちにバネや支柱がツギハギだらけになって、経年劣化で、自己分解してしまったに、過ぎないのだ。

6)これは、一雑誌に見られるだけの現象ではない。あらゆる精神的支流のあちこちに見られている現象である。伝統的宗教の専門的指導者の希望が激減している。なぜか。法輪の回転力が終局に到達してしまっているからである。

7)しかし、見えるものには見える。新しき潮流が、その法輪を再び回し始めていることを。誰かのために求める何かではなく、自らの内なる意識に向かう確信。再び1000年、2000年に向けて回り始めた新しき法輪に気づいているものは決して多くない。しかし、確実な一歩は始まっている。

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2023/05/02

自宅で簡単に作れるエスプレッソの作り方

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