2023年2月
2023/02/27
2023/02/26
The Heart Sutra
知恵の完成へのオマージュ、
ラブリー、ホーリー!
聖なる主であり菩薩である観音菩薩は、超えた知恵の深いコースを動いていました。
彼は高いところから見下ろし、
彼はただ五つの山を見た
そして彼は、彼ら自身の存在が空であることに気づきました。
ほら、おおサリプトラよ、形は空である
そして、空虚そのものが形です。
空は形と変わらない。形は空と変わらない。形が何であれ、それが空であり、空が何であれ、それが形です。
同じことが感情にも当てはまります。
知覚、衝動、意識。ほら、おおサリプトラよ、
すべてのダルマは空でマークされています。それらは生産または停止されていません。
汚されていない、または汚れていない、
欠陥または完全ではありません。
それゆえ、おおサリプトラよ、
空には形がなく、
感情も知覚も、
衝動も意識もありません。
目、耳、鼻、舌、体、心はありません。
形も、音も、匂いも、味も、触れるものもない
または心の目的;
視覚器官の要素などはありません。
私たちが来るまで:マインドコンシャスネスの要素はありません。私たちが次のようになるまで、無知はなく、無知の消滅もありません。
腐敗と死はありません。
衰退と死の絶滅なし。
苦しみも起源もありません。
立ち止まらず、道もありません。
認識も達成もありません
そして、達成しないことはありません。
それゆえ、おおサリプトラよ、
菩薩が完全なる智慧に依拠して、
思考を覆うものなしに住む。
思考カバーがない場合
彼は震えるように作られたのではなく、
彼は動揺するものを克服し、
そして最後に彼は涅槃に到達します。
仏として現れるすべての人
3つの期間で
彼らは知恵の完全さに頼ってきたので、完全に、正しく、完全な悟りに完全に目覚めてください。
したがって、人はプラグナパラミタを偉大な呪文、偉大な知識の呪文、究極の呪文、比類のない呪文として知るべきです。
すべての苦しみを和らげてくれる、本当のこと --
何がうまくいかないのでしょうか?プラグナパラミタによって
この呪文は配信されましたか。 IT は次のように実行されます。
GONE、GONE、GONE BEYOND、GONE ALLTOGETHER BEYOND、何という目覚め、万歳!
これにより、完全な知恵の中心が完成します。
危機
1)魂の危機だ。本当だろうか。鬱かもしれない症候群。本当だろうか。素人判断は禁物。と言っても、プロにも難しいだろう。尺度で測って、相対的に判断するだけだろう。万人に効く薬などない。どこかに漏れがある。ある程度はプラシーボ効果だ。薬など飲まず、酒でもカッ食らってた方がいい場合が多い。
2)羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯諦菩提薩婆訶。これが結句だ。ここだ。もう、これしかないだろう。もう、これともいえない。
3)喝破しなければならない。序 破 急。
4)HOMAGE TO THE PERFECTION OF WISDOM,
THE LOVELY, THE HOLY!
AVALOKITA, THE HOLY LORD AND BODHISATTVA, WAS MOVING IN THE DEEP COURSE OF THE WISDOM WHICH HAS GONE BEYOND.
HE LOOKED DOWN FROM ON HIGH,
HE BEHELD BUT FIVE HEAPS,
AND HE SAW THAT IN THEIR OWN BEING THEY WERE EMPTY.
HERE, O SARIPUTRA, FORM IS EMPTINESS
AND THE VERY EMPTINESS IS FORM;
EMPTINESS DOES NOT DIFFER FROM FORM, FORM DOES NOT DIFFER FROM EMPTINESS; WHATEVER IS FORM, THAT IS EMPTINESS, WHATEVER IS EMPTINESS, THAT IS FORM;
THE SAME IS TRUE OF FEELINGS,
PERCEPTIONS, IMPULSES, AND CONSCIOUSNESS. HERE, O SARIPUTRA,
ALL DHARMAS ARE MARKED WITH EMPTINESS; THEY ARE NOT PRODUCED OR STOPPED,
NOT DEFILED OR IMMACULATE,
NOT DEFICIENT OR COMPLETE.
THEREFORE, O SARIPUTRA,
IN EMPTINESS THERE IS NO FORM,
NOR FEELING, NOR PERCEPTION,
NOR IMPULSE, NOR CONSCIOUSNESS;
NO EYE, EAR, NOSE, TONGUE, BODY, MIND;
NO FORMS, SOUNDS, SMELLS, TASTES, TOUCHABLES
OR OBJECTS OF MIND;
NO SIGHT-ORGAN ELEMENT, AND SO FORTH,
UNTIL WE COME TO: NO MIND-CONSCIOUSNESS ELEMENT; THERE IS NO IGNORANCE, NO EXTINCTION OF IGNORANCE, AND SO FORTH, UNTIL WE COME TO:
THERE IS NO DECAY AND DEATH,
NO EXTINCTION OF DECAY AND DEATH.
THERE IS NO SUFFERING, NO ORIGINATION,
NO STOPPING, NO PATH.
THERE IS NO COGNITION, NO ATTAINMENT
AND NO NON-ATTAINMENT.
THEREFORE, O SARIPUTRA,
IT IS BECAUSE OF HIS NON-ATTAINMENTNESS THAT A BODHISATTVA, THROUGH HAVING RELIED ON THE PERFECTION OF WISDOM,
DWELLS WITHOUT THOUGHT-COVERINGS.
IN THE ABSENCE OF THOUGHT-COVERINGS
HE HAS NOT BEEN MADE TO TREMBLE,
HE HAS OVERCOME WHAT CAN UPSET,
AND IN THE END HE ATTAINS TO NIRVANA.
ALL THOSE WHO APPEAR AS BUDDHAS
IN THE THREE PERIODS OF TIME
FULLY AWAKE TO THE UTMOST, RIGHT AND PERFECT ENLIGHTENMENT BECAUSE THEY HAVE RELIED ON THE PERFECTION OF WISDOM.
THEREFORE ONE SHOULD KNOW THE PRAJNAPARAMITA AS THE GREAT SPELL, THE SPELL OF GREAT KNOWLEDGE, THE UTMOST SPELL, THE UNEQUALLED SPELL,
ALLAYER OF ALL SUFFERING, IN TRUTH --
FOR WHAT COULD GO WRONG? BY THE PRAJNAPARAMITA
HAS THIS SPELL BEEN DELIVERED. IT RUNS LIKE THIS:
GONE, GONE, GONE BEYOND, GONE ALTOGETHER BEYOND, O WHAT AN AWAKENING, ALL-HAIL!
THIS COMPLETES THE HEART OF PERFECT WISDOM.
5)なんということか。果てしなく続く、意識のつながり。そして、それを映し出す、更なる空なる意識界。終わることもなく、途切れることもない、連なりと、そしてその不在。
6)愚かしくもあり、賢くもあり、賢くもなく、愚かしくもない。時が過ぎるということもなく、時が過ぎない、ということもない。
7)ただ、この時、あるのみ、そしてあらず。ここしかなく、ここもなし。こえてあるものだけがあり、本来、何もない。であるが故に真とよばれる。
2023/02/25
2023/02/24
状況
1)よくなっているのか、悪くなっているのか。よくわからない。とにかくうねりはすごい。嵐だ。天気曇天にして波はるかに高し。遭難寸前。解決策はあるのか? ある。あるが、ただひとつ。運良く掴まることができるか、どうか。いずれ捕まえるしかない。そしてすでに捕まえていることに気づかなければならない。
2)サイクロンは、中心が一番静かだという。本当か。台風の目が、仮に静かだとして、台風が一箇所に留まっていない限り、一緒に移動していかなければならない。それは不動ではない。動かない、ということは、そもそも動きようがない、ということ。動く、という現象がない状態のことをいう。
3)眠れない。酒を飲んでも眠れない。30数年前にかかったことのある心療内科に行ってみた。名前も聞かない。保険証も受け取らない。よく聞いたら、そこは精神科だという。一般の病院とは違うようだ。システムが変わったのか。時間が空いていれば、相談員が話を聞くという。こちらの名前も聞かずに、外側から観察された。
4)ここは予約制だという。病院のパンフレットも、名刺もないという。ネットでホームページを見てくれという。大きな病院だ。歴史も30年以上はあるはずだ。内科併設なのだから、と気軽に行ったが、どうやらミスマッチのようだ。違う医療機関の方がいいかも、などと、若くて綺麗な相談員が言い始める。おいおい。
5)そういえば30数年前、同じような状況で、この病院にきたことがあった。開設したばっかりの時期で、医師も一人くらいしかいなかった。話もじっくり聞いてくれた。30分くらい聞いて、一番弱い薬を出しましょう、と医師が言った。薬局でもらった薬を飲んで、車で移動した。眠くなって、車を止め、そばの駐車場で目を閉じた。気づいたら真夜中になっていた。
6)目を開けて、なんとかかんとか自宅に帰り、時間が来たから、また薬を飲んだ、また寝た。このサイクルを3日間繰り返した。アホか。単なる眠り薬だ。俺には役には立たん。あれから、似たような病院には、行ったことがない。役に立たないから。そんなんじゃない。俺の病は、魂の危機だ。酒も効かなきゃ、薬も効かん。ネーちゃんの甘い言葉や、文字や映画や、楽器でもだめだ。
7)究極の危機は、究極の手段で乗り切るしかない。結局はここに辿り着くのだ。そして、もうたどり着いているのだ。というか、他のどこに行っていたというのか。ずっとここにいたではないか。ここ以外に、どこに行きようがある。我が魂よ、鎮まれ。増えず、減らず、汚れず、清らかならず、一切の形容のない、意識へと還れ。曇りなく、そして雲さえ浮かべる、究極の彼方へ。往けり、往けり、超えて往けり。
2023/02/23
2023/02/22
素晴楽堂消息⭐️其の参 について
1)実にあっけない108記事であった。動画に次ぐ動画。この時期、何を見ていたのかがわかる。あるいは、何を見ていたふりをしていたのかがわかる。
2)その陰で大きなことが進行していた。
3)語るまい。残すまい。
4)次も続いて、素晴楽堂消息⭐️其の肆 となる。
5)雪溶けて黒々とした大地かな 把不住
6)素晴楽堂把不住沙門 古希
7)退場
2023/02/21
2023/02/20
2023/02/19
2023/02/18
2023/02/17
豆
1)最高の豆がジャコウネコにまつわるコピルアックだとするなら、値段的には、業務スーパーのコロンビア豆が最安値なのか。豆の段階で言うなら、方や一杯分で1万(諸説あり)だとするなら、方やいっぱい分で10円(諸説あり)と言うことになり、その価値において、1000倍の差ということになる。
2)これは、車にせよ、土地の値段にせよ、そのくらいの価値に差は、まぁあり得るものと、理解するしかないだろう。それにしても、車は移動するに役立てれば、それでいいのであり、家もまた、雨露が凌げて、家族仲良く暮らせればいいわけだから、コーヒーだって、喉が渇いた時に、ゆっくりと癒してくれる飲料であれば、いいはずなのだ。
3)しかし、趣味である限り、各人の要望と許容範囲で、自由に楽しめばそれでいいことになる。高級車のサルーンに乗る人もいれば、スーパーカーを何台も集める人もいる。そういえばロールスロイスを93台集めた人もいたな。方や、軽貨物車で十分な人、全く車には関心がなく、もっぱら移動は公共機関を利用している人もいる。
4)結局、嗜好品なのだから、自分の好きなものを、自分で楽しめば、それで完結するのだ。コーヒー豆に、どうのこうのいっても仕方ない。所詮、あれこれ集めたり、飲み回っても、きほんは、個人の財布で十分賄える範囲であろう。
5)これが、車趣味だったりしたら大変だ。乗り換えるだけで、家庭騒動が勃発しそうだ。改造パーツに凝ったりしても、大変なことだぞ。ゼニが羽を生やして飛んでいく。
6)コーヒーなんて、一般的には、可愛い趣味である。多少羽目を外しても笑って済ませられる程度だ。次はどんな方向に拡大させていくかな。一つは珈琲資格。10種類以上あるそうだが、一とつぐらいはチャレンジするのも、悪くない。近場のコーヒショップの探検も面白そう。コーヒーに似合うお菓子作りなんてのもいいかもね。そこから男子厨房につながっていけば、本望だ。
7)たががまね、されど豆。面白いね。
コーヒー本
1)このところ、コーヒー関連の本に目を通すことが多い。ちょっと前までの読書ブログ時代なら、一冊一冊メモして、発売元にリンクを張って、⭐️で評価して、最終的には、珈琲関連リスト、なんてことを作るはずだ。もう30冊以上は目を通しただろう。
2)しかし、全然頭に入ってこない。どうかすると、どの本も同じようにしか見えない。あえていうなら、それぞれの個性は僅かに分かり、また、どこかここかは、どの本も、1ページくらいは、なるほどと思わせてくれる記事がある。今のところは、それで十分だ。
3)豆があり、産地があり、販売店があり、生豆があり、焙煎があり、ミルがあり、淹れ方があり、温度とタイマーと、重量計と、計量系があり、味わい方があり、器があり、保管方法があり、それぞれの評価のしかたがある、ということが漠然とわかってきたとこだ。
3)店の違いや、チェーン店の成り立ち、歴史、美味しい店巡り、などなど、展開していったらキリがなくなりそうだ。今のところは、我が家に溜まったコーヒーの類を一つ一つ味わいながら、処理し続け、とにかく自分好みのコーヒーを我が家で楽しむ、というところまで行けばいいだろう。
4)ちょっと困ったことは、奥さんと私の好みが、はっきりと違っている、というところだ。私は、苦味があって、多少雑味があっても、冷めても熱くても美味いコーヒーがいいのだが、奥さんはかなり酸っぱくなく、雑味もなく、高温で、たまにミルクなども入れたいという。違いがあるのは当然だが、同時に違う二つのタイプのコーヒーを入れるのは、ちょっと手間だということ。
5)二人一緒の時は、どちらかに歩み寄ったレシピで淹れるのだが、早々上手くはいかない。時には大きく失敗する。道具類も、今のところは、ありあわせの、ほんのビギナー用の道具ばかりだ。ここからグレードアップしていくのか、このまま冷めていくのか、不明。
6)趣味と言えるほどでもないが、何か入れ上げるターゲットが必要なのだろう。せいぜい珈琲に売れ上げる程度なら、家計費にも影響は少ないだろう。これがクルマ趣味だったり、旅行にはまったり、ワインだの、グルメだの、とこり始めるよりは、まだ可愛いものではないかと、思う。
7)で、美味しいと言われるコーヒーがあることもわかってきた。暴れているコーヒーというものがあることもわかってきた。そして、自分が何を飲みたいのかも、少しづつだが、わかり始めている。
2023/02/16
名前の由来
1)このブログは特にブロックしてないので、誰もが読めるバリアフリーの自己表現である。と言っても、来訪者は限りなく少なく、情報漏洩の可能性は限りなく少ない。しかしだ。だからこそ、ピンポイントで来訪するかもしれないアクセス者には、関連度が、限りなく高くなる可能性があるだろう。ゆえに、ややぼやけた表現にならざるを得ない。なら書かなきゃいいのに、という意見もありそうだが、自分でもその記憶が何かの拍子に忘れてしまうかもしれないので、自分で、そういうこともあったなあ、と思い出すきっかけになる程度に、エピソードを記しておく。
2)突然、メールが来た。突然というほどではないのかもしれないが、長く会っていない旧友の紹介の電話があってからの、続いての第三者からのメールだった。内容は、ここに直接コピペすれば、最も簡単なのだが、それはできない。URLも控えておこう。ただ、差出人には、まったく興味のない話ではないよ、というニュアンスだけは伝わればいいな、と思う。(おそらく、拒絶感だけ残り、真意は伝わらないだろう)。
3)最近の私はちょっと疲れている。体力的によりも、むしろ心理的に、だ。原因は、数年前に押し付けられた複数の某ボランティアが原因している。自分としては多少のボランティアを引き受けるくらいの甲斐性も必要だろう、と思っては来たが、思った以上に、心理的に負担がかかる。特にこの季節、総会や人事問題で、各関係者の素顔が露わになる瞬間がある。ここが、鬼門なのだ。
4)自分としては、役割分担を十分に担っていると思うので、大手を振って会議に行くのだが、新たなる問題が起きて、必要以上に負担が大きくなってしまうことがある。数割増程度なら許容範囲だが、数倍、時には新規蒔き直し、となると、ちょっと困る。ああ、いい加減にしてよ。自分が協力的なだけに、ずるい奴の面倒は見たくない。それは誰だってそうだよなぁ。
5)まぁ、それはそれでいい。いずれ時間が解決する。数ヶ月すれば、話題は次に変わっているだろう。変わっていてほしい。で、そういうタイミングで、新たなる別な問題が発生すると、グロッキーになる可能性が高い。許容量を超えてしまっているのだ。今回のメールのテーマは面白い。余力がある時なら、ここに書き出して、読者と共有したいくらいだ。だがしない。
6)①まず、グッドタイミングではないこと。だいぶ古い話であり、今更蒸し返して、時間をとられるような問題ではないこと。ご本人にとっては、重要なエピソードであるようだし、ほかのページに何回も書いているようだから、蒸し返しはおそらく今後も可能であろう。(私にはすでに与えられた情報開示で十分である。確かめようのないことだし、緊急性がない)
②重要性。本人は鬼の首でもとったように、生涯の手柄にしているようにさえ推測してしまうが、じつは、それはそれほど重要なことではない。興味深い話ではあるが、本筋からはずれている。そこに留まっていたのでは、本質は見えない。少なくとも、それは一枚皮がむかれただじぇで、その皮もまたむかれ捨てられる必要がある。
③このことによって、この人物は、私との距離感を、どうしようというのだろう。50年にわたって、私を知っているかのように表現する。それは実に断片的で、しかも公開資料によって補強されたものに過ぎない。私が、横尾忠則氏と近しい、と詐称するようなものである。今更その距離を近づけてどうしようというのだろう。
④悪意。野望。意図。戦略。どの単語がふさわしいか、私にはわからない。少なくとも、私の側からは、それはない。羨望、興味、親近感、類似性、それらの感情を、私側では持つことはない。間に入った人物が適任ではなかった。まるで、質の低下したネットワークビジネスだ。私の側からは必要ない。興味もない。人生上、無関係でいて、何の必要もない。
7)とまぁ、今回は気まずい思いで突き放すしかないが、どっか道で偶然会ったら、笑顔で挨拶ぐらいはするだろう。ことの真偽を本人の口から直接聞いてみるのも、一興であろう。ふーん、と、相槌くらいは打ってやる。しかし。喝。一打して、君を目覚めさせる愛情が、その時、私の中に湧き上がってくるか、あるいは残っているか。定かではない。ここのポイントは、私自身が私自身に持っている関心であって、実際そうなってみないと、今に私にはわからない。ひとこと言っておくなら、滴がこぼれると掃除する人が大変だから、一歩、前へ。
タロット
1)100円ショップのリーディンググラスは、すぐに傷ついたり、ツルが折れたりする。多めに買って、頻繁に交換するが、安価なので、気にならない。ましてやちょっとすると度が進んでいたりするので、あまり上等なものを買っても無駄になることが多い。
2)それでも最近は一段と視力が弱り、最近では、拡大鏡を多めに買って、各部屋に置いたりしている。スマホのルーペアプリも役に立つ。それでもやっぱり、読書力は落ちた。読めない、読む気がない、読みたい本がない。いや、読んでもいいとは思うが、面倒になった。できれば、動画や、読み上げアプリで切り抜けたい。
3)IOSHO アプリは便利である。瞑想もこれでやる。動画も見る。タロットもこれでやる。これしかないでしょう、というくらい便利である。一冊の本を読むのは、まどろっこしい。全部が今の自分に必要なわけではない。それでもやっぱり、質問が湧き、アドバイスを求めたくなる。そんな時、タロットアプリは役に立つ。
4)今ここにおいて、一言欲しい、という時、的確な回答がくる。しかも読み上げてくれる。本文は英語だが、翻訳してくれる。英文を見ながら、邦文音声を聞く。あるいは、英文を見ながら英文の読み上げを聞く。英語の勉強にもなる。
5)基本、どのカードも、結局は同じことを言っている。だから、毎回毎回、どの局面においても、ズバリ図星をつかれた気分になる。納得する。納得する以外にない。そして、人生の究極のポイントに思いがつながる。
6)一冊の本を読むのは、正直、もう疲れた。最後の結論を求めて、長旅するのは、もういい。ただただ、結論、結果があればいい。ちょっと変だが、そんな感じさえする。しかし、結局は結論は、本の中にも、タロットの中にもない。生きているこの日々の瞬間にしかない。
7)生きているここで、何かが弾け続けるのだ。これが、生きてうるってことなんだ。
2023/02/15
インスタントコーヒー
1)いやはや、驚いた。我が家にあるコーヒーの類いを、ちょっとだけ、真面目に調べてみた。とにかく驚いたのは、これほどまでに、珈琲文化に侵されていたのか、ということ。村上春樹の小説を、我が家でチェックして以来の驚きである。その種類、数十種。インスタントコーヒー、ドリップコーヒー、オーガニック珈琲、焙煎後の粉、豆、生豆、大瓶の砂糖入り、いやはや、驚きである。(@_@)
2)産地は、ブラジル、ベトナム、コロンビアなどが多いが、ペルー、ホンジュラス、エチオピア、タンザニア、コスタリカ、ガテマラ、などなど、さまざまである。一体、私はこれらのコーヒーを意識して味わっていたことがあっただろうか? いや無い。
3)インスタントコーヒーもさまざまである。今日選んだのは、テーブルに並んだ数種のうち、AGFのMAXiM一杯分の入ったステックを温めたカップに入れ、90度のお湯を140cc注いだ。おそらく、我が家に存在するうちのインスタントの中では、最もコーヒーらしい味だろう。少なくとも、私なんぞはブラインドテストされたら、判別はつかないだろう。味もいい、コクもある。酸味も苦味もありながら、すっきりしている。後味もよろしい。いずれ一品買わなくてならないなら、このブランドになるかも。
4)同じステックで同じメーカーにブレンディという商品がある。パッケージ上は、金色と緑の違いだけ、ほとんど見分けがつかない。説明文もほど同じ。ただ、ブレンディの方には、水または牛乳、という文言がある。つまり、ネーミングからして、ブレンディは、他のものを混ぜやすくできているのかもしれない。マキシムは、名前からして、よりブラックに近く、またブラックで飲んでも十分に美味しい、ということなのであろう、か。
5)コーヒーに混じって、紅茶やココア、抹茶などが混じっている。原材料の一番最初に、砂糖、などと書いてあるものまである。二番目、クリーミングパウダー、三番目、脱脂粉乳。やれやれ、慌てた私なんぞは、コーヒーのつもりが、何が何だかわからないものを口に放り込んで、気づかないでいることになるやもしれん。_| ̄|○
6)これではいかん。廃物アートの、勿体無い主義者の私としては、もちろん捨てるわけはないが、そう意識して、一つ一つを味わえばいいのである。珈琲ばかりじゃない。たまに甘いものも食べたくなる。いちいち面倒くさい時もある。そういう時は、きちんとその目的に沿ったアイテムを選び、適正な使用方法に合った製法で食すればいいのである。いつも意識を清涼に保っていればいいのである。
7)友人の土産やら、葬式のお返し、盆暮の贈り物、家族の好み、などなど、いつのまにか蓄財された食品群のうち、よくよく見れば、さまざまな物語が隠されていたんkである。
2023/02/14
2023/02/13
道元禅
1)片付けしながら、古い永平寺の録画番組を数本連続してみた。そして納得した。やはり既に、法輪は回ってしまっているのだ。私は私の道をゆく。どこかに行くということではない。既に行き着いている、ということだ。
2)最近、困ったことが幾つも連続した。決して自ら招いた迷い道ではないが、とにかく格闘した。それはまだまだ続いているが、それは誰かが対応しなければならない、公共の難所であり、私以外でも、誰でもが悩む道でもあったのだ。
3)最近、私はiOSHOのZENタロットを引くのが日課になっていた。そして、その図星の世界に、実に驚いた。私を導いていたのは、正法眼蔵でも禅語でもなかった。私は、再び三度、OSHOに出会い、見つけ、助けられた。私の道は、やはりここにあった。
4)変なエキゾシズや伝統の煙幕に紛れてしまってはならない。今ここ、私は私に立ち帰る。そういうエネルギーをもらった。
5)迷い、反省、喪失感、混迷、自虐、そのようなものとは別物の世界にいる。
6)深く、息をする。
7)山には籠らない。街に住む。教条主義にならない。自由こそ至上。権威に頼らない。私は私を愛する。
2023/02/12
2023/02/11
2023/02/10
2023/02/09
Mx5 nc rht red
1)新型pを見限ったところで、またゾロ、mx5検索が始まった。そしたら、あった! mx5 nc rht 赤、しかも県内。なんと、昨日走ってきたあの店にあったのだ。値段もお手頃、シートもやれていない。欲しいな。またまた始まる胸算用。
2)いいな、いいな。欲しいな、乗りたいな。
3)沸き立つ心と、左足のブレーキ。まずい。手持ち資金のプラン表を持ち出して、眺める。いいの、悪いの、って、なんであれ、先立つものが必要でしょう。
4)左足ブレーキばかりか、サイドブレーキも、しっかりかけた。衝突安全装置。右を見て、左を見て、うえみて、下見て、はい、それまでよ。
5)夢は夢として、少し、体を休めよう。心も緩めよう。だけど、財布の紐ははしっかり締めざるを得ない。
6)この景気だし、この繁忙期。何がどうなっているのか、わからんような、混乱期。
7)Mx5 nc rht red、いいね👍
2023/02/08
コーヒー検定
1)コーヒ検定というものがあるようだ。その教則本などが有効と書いてある。私は、コーヒー豆店で常備してあるコーヒー本をスマホで撮影し、同じ本があれば図書館から借り出し、約10冊ほど読んだが、ちっとも身に付かない。どの本を読んでも同じようなことが書いてあるように思えて仕方ない。
2)それでも、焙煎に特化した本や、コーヒーの歴史についた本、各商品メーカーや、ブランドチェーン店の成功談を扱っているものなど、さまざまな出版物が、多く出回っていることを知った。驚いた。こんなにもとてつもない世界があるのだ。本当かどうか知らないが、コーヒー産業は、地球上における、石油産業に次ぐレベルの大きさであるという。!(◎_◎;)
3)コーヒーと書いたり、珈琲と書いたりするが、このコーヒーには少なくとも8種、広くは10種以上の資格があるようだ。またまた∑(゚Д゚)
https://coffee-otaku.com/archives/23777
- J.C.Q.A認定コーヒーインストラクター検定(3級、2級、1級)(難易度:★1~2)
- J.C.Q.A認定コーヒー鑑定士(難易度:★3)
- UCC コーヒープロフェッショナル(難易度:★2)
- JBAバリスタライセンス(レベル1・2・3)(難易度:★1~2)
- SCAJ認定コーヒーマイスター(難易度:★2)
- コーヒーマイスター中級資格(SCAJアドバンスド・コーヒーマイスター)(難易度:★3)
- CSP(コーヒースキルズプログラム)(難易度:★4)
- Qグレーダー(難易度:★5)
4)世に、資格ビジネス、というものが存在する。私も、ここまでくるまで、さまざまな資格ビジネスに引っかかった。まず記憶に古いのは、ソロバンや、書道、簿記、英検、があり、時にはポケットコンピューター資格というものがあった。私は4級である。いきなりできて、4級から2級まであり、1級は翌年検定であるという。並んだ級は、時間が重なっていたので、4級と2級しか受験できなかった。本当は2級が欲しかったがおち、4級は当然のごとく合格した。この資格は、何かに笑い話に登場する以外、役立つことはない。
5)産業カウンセラー資格も、銭がかかった。なんせ講義期間が長い。私にとってはおさらいに部分が多かったが、労働省傘下に資格ということで、実務的な有効性も魅力だった。しかし、時代と共に、その基盤は崩れた。国家資格といいつつ、その国家の枠組みが変化したのだ。その国家の認める資格とはなんぞや。
6)最近で言えば、FP資格は金食い虫である。なければ別に必要のないものだが、業界で働くには、チラッと名刺にでも書いておく、まぁ、そんな役割はある。だが、この資格の講習に、たまに竹中平蔵などの名前が出てくるので、うんざりする。社労士の勉強もしたが、結局は法律の小使さんというイメージが定着してきて、モチベーションが下がり、5年もやって、断念した。実際不向きだったのだろう。
7)あとルービックキューブ資格や、温泉湯揉み資格などなど、書き出すときりはないが、最近は、OSHOの資格が一つ増えた。まぁ、なんでもありの、この世の中である。あと10年、笑って過ごしたいものである。コーヒー検定に、私は前向きになるかどうかはわからないが、今更、資格ビジネスの餌食、被害者になるのは懲り懲りである。
禅タロット
1)実は私、若い時からのタロットの使い手である。そのシンボリズムや、その神秘性、円環性、エクソシズム。さまざまな魅力が含まれているタロットを、たくさん集めたものだった。今でも手元に多数ある。
2)OSHOにも、いくつかタロットカードがある。正確には、タロットではなくて、単にカードと言った方がいいのだろうが、本質的な意味において、タロットと言っていいのだろうと思う。
3)正確かどうかはわからないが、OSHOには4〜5種類のカードがある。それぞれがユニークだが、一番人気があるのが、OSHO禅タロットであろう。ところがこれがなかなかの曲者で、禅と言いつつ、いわゆる東洋の禅らしさがない。特に絵が全く、禅画を思わせるような雰囲気ではない。むしろ西洋的なシンボリズムに囲まれた人物が描かれていることが多い。
4)禅といえば、モノトーンで、水墨臭くて、漢字や禅語のような、曖昧なイメージが強いが、OSHOの禅は、まるで違う。別物である。であるがゆえに、むしろ本質的には、こちらが真実だ、と言えなくもない。いや、絶対、今や、こちらが本物なのだ。少なくとも、私にとっては。
5)特に、遅ればせながら、iOSHOアプリを使い出してからは、このタロットは、手放せないものとなった。このカードは、よくできている。ズバリ、こちらの心理を読んでくる。言い得て妙。まさにそのとおり、と手を叩きたくなる。次第次第に内面に浸透し、透明化する。予知するとか、決定する、とかの占いごとではない。まさに瞑想へと誘う、神秘のカードである。
6)私は、iPhoneや、iPadを使う。一枚カードや、5枚カードが好きである。そして、英文を読みながら、翻訳文を聞く。解説は2種あるが、両方聞く場合と、osho版だけ聞く場合とある。どちらかと言えば、最近は後者が多い。
7)一枚一枚のカードも魅力あるが、引きたい時にすぐ引けるiOSHOアプリは大好きである。
翁とコーヒールンバ
1)翁という演歌が大好きである。能楽の翁をも連想させる。されど、この歌は不思議だ。何が不思議かというと、さっぱり歌えないのである。歌えないばかりではなく、さっぱり覚えられない。全く不思議な歌である。
2)基本、おそらく言語体系が違うのだ。違いすぎるのであろう。であるからこそ、その魅力に惹かれ、うっとり聞いてしまうのだろう。しかしである。それにしても、3番まである歌詞は、とてつもなく魅力あるのに、途中から、よそ事を考えてしまい、聞こえなくなる。おかしい。
3)歌っても、うたいにくい。キーが合わない。難しい歌だ。ドライブ中に、カラオケ風に練習したりしてみるのだが、よくじつ、喉がカラカラになっている。なぜだろう。
4)それに比して、最近、コーヒールンバをキーワードにして検索した動画の、なんと心地よいこと。ぜんぜんがんばっていない。フンフフン、と鼻歌で歌える。歌詞も昔から覚えているからだが、簡単に出てくる。同じフレーズが何回出てきても、飽きない。この違いは、どうしたことなのでしょう。
5)翁は、歌詞が見事である。翁だけに、人間存在の高みを示しているように思う。私もそうありたいものだと思いつつ、どうもちがうともおもう。また、本当に、この歌を捧げたい、と思えるような、実際の素敵な翁に、実は私はまだ、お会いしていないと思う。
6)翁は、ある意味、ユートピア思想である。理想を描いているけれど、ある得ないからこそ理想郷であり、翁、なのである。翁とは、実は存在し得ない、神領域の御神体のようなものである。この人は、誰なのであろう。
7)比して、コーヒールンバは、日常の瑣末な出来事。そこに小さな喜びを見つける歌である。アラブの偉いお坊さんと、恋を無くした若い男のお話である。何がどう違っているのか、今晩の私には、よくわからない。だけど、二つの好きな歌の違いに、愕然としている夜である。
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