葬儀
1)69歳で、男が亡くなった。ごく当たり前の風景である。家族だけの密葬と言いつつ、それは建前上で、ごく普通の葬儀が戻ってきているような風景であった。
2)和尚さんは、ちょっと訛ったような、聞き取りにくいお経であったが、よく聞いてみれば、結局、曹洞宗の経典を使っているようである。服装はは、今まで見たことのないようないでたち。袈裟でもない、風呂敷でもない、でっぷり太った体型が、なお一層、出所不明な雰囲気をかもしだす。
3)まぁ、結局は、どうでもいい。フリーなのだよ。こうしなければならない、なんてことは、基本、何もないんだよ。
4)もっと寂しい葬儀かと思ったが、小さな孫たちが走り回り、同年齢と思しき参列者も多く、喪主を務めた30台後半の息子の挨拶も、淡々としたもので、涙を誘うようなものではなかった。むしろ、長い看病のクビキから解放されて、むしろホッとしたような雰囲気さえ感じ取れた。
5)内実はわからない。そう振る舞っているだけかも知らず、また、それぞれの表現の仕方に、違いがある。こうなければならない、なんてことはない。これはこれでいいのだ。
6)死というものは、人それぞれに重く大きく覆いかぶさってくるが、いざその機に及んでみれば、極々あたり前の風景なのである。一人の男が死んだ。ちょっと平均より短命ではあったけど、仕事もし、子もあり、孫もあり、多くの仕事仲間や、親戚、近所の人々に囲まれながら、死の野辺に送られる。ごくごくありふれた、ごく当たり前の、見慣れた風景でしかないのだ。
7)何はともあれ、合掌。この前まで会話を交わしていた男が、黙って横たわっていた。生前、彼からもらった杉の丸太で、いずれ仏像を彫る。そう約束した。合掌。ご冥福を、お祈りいたします。
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