2022年10月
2022/10/30
2022/10/27
2022/10/24
夢
1)夢を見た。カヤの木屋敷の古いご先祖様たちに包まれている夢。私はどうやら、家族でお世話になったらしい。2〜3日泊めてもらったのだ。最初は、小さな女の子が、水路の水を取り込んで、それをさらに小分けにする方法を考えたという。それには、ゴムの手まりが必要で、ちょっとした工夫が必要だ。だが、もう一つうまくいかない。そこで私も手伝うのだが、なかなか思ったふうにはならない。
2)そこで私はその屋敷に泊まり込んで、その作業を手伝うのである。いつのまにか、私の家族もやってきた。家内、子供たち、孫も何人かいたようだ。でも私はまだ壮年期。30代、あるいはまだ学生時代であるような雰囲気。屋敷は決して大きくない。むしろ古びた小さな農家作りだ。畑や庭は広い。そこにお爺さんや、お婆さん、中年夫婦、女の子たちが住んでいる。
3)近所の人たちもやってくる。近くのお爺さん、ふおーふぉーと言いつつ、目の見えない人もやってくる。家のお爺さんは心付けを渡そうととするのだが、手持ちがない。帰ろうとするその人に、この次ね、と約束する。その人も何もなかったように、静かに帰っていく。私の連れたちは、どうやら学校に行ってしまったようだ。近くには、本数は少ないが、バスも走っているらしい。
4)そろそろ私も出かける時間だ。どこに出かけるのだろう。身支度をして、出かけようとするのだが、くつしたがない。あちこち探していると、若夫婦の女将さんが、奥から季節外れの分厚い靴下を出して来てくれた。模様がついている。時代遅れだが、高価なものだ。私は立ったまま。その靴下を履こうとするのだが、なかなか履けない。もうバスがやってくる。あせっていると、目が覚めた。
5)最近、カヤの木の人気が上昇中だ。地域の商工会が、地域のシンボルとして地域おこしに活用しようとしている。パンやクッキー、アロマなどに、かやの木を活用し始めた。ボールペンやシールになったりしている。テレビや新聞に取り上げられることもある。市内一の古木とされているが、調べた人によっては、カヤの木としては、日本一古いのではないか、という人もいる。
6)もちろん、千三百有余年の歴史とあらば、大事にしなければならないのは当然であるが、もっと大事なことは、生態系に沿った我々人間の生き方のみさくであろうし、従って、一人一人の、人間の意識の在り方に問いかけはなされていくべきであろう。
7)夢を見た。夢に現れた昔の人々は、現代の人々が、カヤの木に想いを寄せてくれることに、きっと感謝して賛同してくれているに違いない。
カヤの実やみんないっしょに夢になれ 把不住
2022/10/21
雑感
1)銀行帰りにいつも気になるのが、某教団の施設の窓際にあるPR誌。PR誌だけに悪いことは書いていないが、私はこの教団に対して、斜に構えてきた。教団にその成り立ち方からして、納得ができないところがあるのである。私ばかりではなく、ジャーナリズムにも決して評判が良いとは限りない。
2)だいぶ前から、通りがかりに、このPR誌3誌を頂いてくるのだが、決して悪い印象ではない。かつての政治志向の色合いをかなり脱色して、自然志向を全面に押し出している。
3)私はこの傾向には大賛成で、何年間かは「定期購読者」笑、として、当ブログにおいても、感想文を連載していたくらいだ、先日は、トヨタコムス試乗の折り、施設付帯の充電設備を利用させてもらった。玄関にいつもイメージ戦略で白い20プリウスが置いてあるのも、我が意を得たりである。
4)昨日も、最新号の3冊を頂いてきたのだが、やっぱりどうも最後の1マイルが縮まらない。そこにあるのは、教団であり、教祖がいて、教えがある。形を変えた仏法僧の、紋切り型の残存物が気になってきてしまうのである。
5)人それぞれで、きのスタイルが適当な人もいるから、このように存続しているのだろうし、お節介を焼くほどでもない。
6)だいぶ休んでいて、久しぶりにめを通してみると、あちこちが乱反射して、こちらを熱中させない。いやいや、いつも行っている禅寺のPR誌だって、実は大差ないのだ。もっというなら、我が愛すべきOSHO関連のプレゼンだって、心からいいなぁと思えることは、少ないのである。
7)道問えど我が声ばかり枯れ野原 把不住
幸せの国
1)昨日の朝、起きた時の感想だったのだが、起きてすぐ、書き取りしないまま、1日が過ぎてしまった。感想としては一日幸せに過ごしました、という経過報告でいいのだろう。
2)結論としては、ようやく一円相が書けそうだな、ということ。実は生家からもらってきた大きな桶があった。古いもので、もう水が漏れる状態。ちょっといじっていたら、タガが外れて、バラバラになってしまった。周りのタテの部分はともかく、底の丸い部分がとても気に入っていた。
3)洗っておいたが、何に使おうか。何が作れるかな。そうそう、廃物アートの復活である。形状からして、看板にしようと思っていたが、構想がまとまらない。まずはバーナーであぶり、焦げ目をつけて、腐敗防止加工をしておいた。
4)実は、真円と楕円とあって、楕円の方が厚くて、少し大きい。まずはラッカーでも塗ろうかな、と、スプレーは用意しておいた。そのスプレーを昨日はしっかり施しました、というお話である。
5)先日庭仕事をしていたら、いろんな人に声かけられた。お母さんに連れられた幼稚園児が、こんにちは😃と大きな挨拶をくれたので、ゴーヤを数本あげた。最近救急車で運ばれたという90歳のお婆さんも立ち話をしていったので、ごーやをあげた。別なもうチョッと若いお婆さんは、この花はなんですか、というので、ホドイモですよ、と、そのうち種芋をあげることになった。若い二人連れのギャル連が賑やかに通りかかり、こんにちわ、と声をかけてきたので、こんにちは😃、とマスク越しに大声で返答した。突然仕事仲間がやってきて、いつもいつも手ぶらでごめんね、先日のお礼を言いにきた。続いて農家の主人が、ひとめぼれの新米を持参して、雑談していった。乳飲料の営業男性が、試飲品を数本くれて、また来ます、と立ち去った。すぐ近くのアパートに住む一人暮らしの有閑マダムは、今日は街まで歩いてきて、いろいろあって、私はこんなに素敵なところに住んでいるんだなぁ、と感想を述べた。向かいの妙齢のお嬢さんも、あちらから挨拶してくれる。一軒向こうのお堅いお勤めの町内会班長さんも、書類の確認で、立ち寄った。
6)へちまもそろそろ加工の準備だな。カヤの実の乾燥はもういいだろう。市民農園も、秋野菜の手入れが必要だ。クルマは洗車したが、室内はもうすこし綺麗にしないとな。あの大きな杉の木の丸太はどうしよう。客人がガンの病身を顧みず切り出してくれたものだ。予定としては、薬師如来の小像を彫ってお礼にするつもり。そしてやっぱり、今日あたり、天気が良かったら、黒いおけ桶底板に、白いペンキで丸を書く予定。練習はしない。一気に書く。
7)桶抜けて秋空見えるぞ一円相 把不住
ハートネットTV 「“好き”を大切に~発達障害の子育て~」
No5046⭐️5🌈 left 2
こんにちは
直前で申し訳ないんだけど、もし都合よければこの番組を観てみてください
私が観てもおもしろかったので
今日の15時30分〜16時 Eテレです
https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/2192/
—————————
本人も楽しそうだし、お母さんや、周囲の理解もあって、うまくいっているようで、いいですね。
うまくいっているところだけが放送されているのかもしれないが、いいところがもっと伸びていってくれればいいなぁ。
自己肯定感が必要、あまり褒めすぎないことも大事かな。
今はこういう話題が共有されているんですね。自分のことも考えてみると、昔から、こういう子供はいっぱいいたような気がします。
親や周囲も、自分のことで精一杯で、兄弟も多かったので、見過ごされていたというか、あんまり話題にならなかったのかな。
見ていて、意義深く、楽しい番組でした。
OSHOは、こんなことを言ってました。
https://www.osho.com/ja/read/featured-books/yoga/seven-years-cycle
2022/10/20
永平の風 道元の生涯 大谷哲夫
No5045⭐️5🌈 left 3
https://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/4-8355-3017-9.jsp
1)映画「禅 ZEN」は、わが書庫の数少ない保存版DVDなので、時折観たくなったりすればすぐ観ることができる。だが、時間も短く、ストーリーも超簡潔、また、映画ゆえの虚飾もあるので、短期間に繰り返し観ることはない。俳優演技ずるところゆえ、入りやすくもあるが、精緻な考証に耐えるようにはできていない。
2)それではこの映画の原作は、と検索してみて出てくるのが、この本である。近くの公立図書館学も蔵書しているようだが、借り出してみると、閉架図書となっており、必ずしも多く読まれている本でもなさそうだ。出版社は文芸社。自費出版などを扱っている会社であり、結構マイナーな形で扱われているのかも、しれない。
3)ネットでも、思わぬ安価で流通していて、この機会に我が書庫においても、一冊求めることにした。多くの人に読まれることを前提にするなら、安価で流通していることは好ましいことだ。多くの道元本が存在しているようだが、この一冊は、読みやすく、巻末の資料など、よくまとまっていて、我が宗教観を顧みるに、大いに参考にさせていただきたい内容である。
4)今回はほんの斜め読みもいいところで、500頁をはるかに超える紙片をただただめくったに過ぎないが、早前半部においてさえ、唐代の禅師についても多く詳細が示されている。このぶぶんは、当ブログの、OSHO最後のZENシリーズに関わってくる部分であり、大いに興味惹かれる部分である。
5)道元の生きた時代背景である鎌倉時代についても、予備知識を深めようとして、今年の大河ドラマである鎌倉殿の13人も、最初は興味津々でみ始めたが、10回を超える頃から、どうも殺し合いと騙し合いの権力闘争ストーリーにはついていけず、録画しているものの、見ないまま削除することが多くなってきた。
6)あのような時代であればこそ、道元は、華燭を嫌い、権力を疎んだのであろう。おりしも、ロシアとウクライナの戦争が勃発し、見たくもない戦争情報に晒されている、私たち現代人である。道元とOSHOは直接系譜としては繋がらないが、本質として、一つごとである。気になるのは、私の父方も母方も、菩提寺としては道元に繋がっていながら、このところ、その系譜から離脱して、単立寺院となったことである。珍しいことであろうし、不思議なことでもある。
7)私は和尚沙門(OSHO サニヤシン)としての、素晴楽堂 把不住(svagat bhavesh)を自称するものである。すべての支流は大海へと注ぎ、大地に深く根付けば、樹木はすべて天空へと伸びていくものである。みんないっしょに空になれ。
2022/10/19
2022/10/17
2022/10/16
新世紀ミュージカル映画進化論-映画秘宝セレクション-映画秘宝編集部
https://www.amazon.co.jp/新世紀ミュージカル映画進化論-映画秘宝セレクション-映画秘宝編集部/dp/480031237X
1)ウェブ進化論で始まった当ブログが、ミュージカル映画進化論へと終局するのも興味深い。科学の進化論、芸術のしんかろん、そして精神文化の進化論、それなりに収まったな。
2)この本、一冊丸まんまでララランド論に満ちているのに、20プリウスが出てこないのは残念である。もっとも、一番最初の斜め読みゆえ、みおとしている可能性はある。
3)最初に町山智浩が書いていることに、びっくりした。このひとについては、ごく最近テレビの深夜番組でアメリカ文化を紹介していて、なかなかに面白い人だと思っていた。
4)また観に行ってしまった。昨年末、試写で初体験したとき、天まで上げていた期待値のハードルをぽ〜んと遥かに飛び越えて以来、ずっとココロは虜。劇場公開されてからは取り憑かれたように足を運び、もちろんIMAXへも。
自宅の仕事部屋ではえんえんとサントラーー歌曲盤とスコア盤を交互に流すありさま。そんな筆者の立場を明確にしておくと、完全に中毒患者である。
『ラ・ラ・ランド』というタイトルを書いたそばから、あの「めくるめくテクニカラーの世界」がもう一発ほしくなってくる。しかしなぜ、ビターな恋の後味まで快楽的なのか?
めっちゃウザいはずの交通渋滞からハイパーな祝祭感を立ち上げてくるアヴァンタイトルで、生きなり涙が止まらないのか? p042 森直人 『ラ・ラ・ランド』に流れる「普通さ」の正体
5)ふむふむ、なるほど、こういう人もいるのだ。ちょっと安心した。同病相憐れむ。最近の私に生活も似たようなものだ。
6)もう6〜7年も前の映画であり論評なのに、遅れてた前期高齢者には、いまだに新鮮である。
7)ここを契機として、何かがぶっ切れようとしている、
2022/10/10
2022/10/08
2022/10/05
君に伝えるメッセージ 21
七つの子父の死にさえ4月馬鹿
初恋の君を想いて草枕
縁側に一筋残る夏日かな
子が生まれ祭の歌を遠く聞く
目を覚ませ長き闇打つ鐘の音
我が家より見上げる月の遠かざり
年月が命紡ぎて一巡り
魂を揺らして荒るる波と雪
萱の実を集めて香る母の日々
今日こそは実りの大地に我は立つ 把不住
君に伝えるメッセージ 20
1)みんないっしょに空になれ、は当ブログの結句である。
2)そして、1975年富士見仏舎利塔コンサートで、当時のアシッドセブンが歌った歌の一節である
3)現在ググってみても、ダイレクトには、この語は引用されていない。
4)されど、当ブログの結句にはふさわしい。現在のドクターセブンに感謝しつつ、この語を引用する。
5)賢治が、人類全体が幸福にならなければ、個人の幸福はあり得ない、と言った。
6)SDGsは、一人も取り残さない世界、という。
7)当ブログは、みんあないっしょに空になれ、という。
21に続く
君に伝えるメッセージ 19
1)当ブログは、ヘルマンヘッセの、ガラス玉演義、にインスピレーションを受けている。一つの作品として、そういうイメージに仕上がればいいな、とおもう。
2)されど、長すぎる文体は、私を始め、一般には、歓迎されないであろう。
3)私の最近の文体は俳句である。一字禅語ではあまりに短すぎる。敢えて575に留まるところが、現在の私である。
4)多弁を弄するのは、私の趣味ではない。敢えて私は、自虐ネタとして、バベリッシュ、などとふざけたりはするが、作ったパーソナリティである。
5)いずれ、一回は一字禅語から、無言、へと突入するだろう。
6)やがて、簡潔な自由詩に戻るだろう。
7)提灯を吹き消し歩く月夜かな 把不住
20に続く
君に伝えるメッセージ 18
1)若き日の、最も核となるべき日については、当ブログにおいては記していない。記す予定はない。
2)しかし、当時のメモは残っている。
3)映画ウッドストックを見て、彼が、オー マイ ピーポー、と言った、という噂を真にうけた私が、そう記したところ、その出典を問われ、ついぞ発見することは出来なかった。
4)その失敗談があったために、抜き書きした文献には元ページを記すようになった。これは再読する時に、便利である。
5)しかしながら、彼とウッドストックのつながりは、ないとは言えない。ジャイナ、インド、神智学協会、カウンターカルチャー、ZEN。彼は、それぞれにステージをくぐり抜けて去っていったが、どれか一つにとどまる存在ではなかった。
7)無から来て無に去った、理解することも可能である。
19に続く
君に伝えるメッセージ 17
1)当ブログは、1.0、2.0、述懐、と三つのパートに分かれいるが、人連なりの記述と考えて構わない。
2)そのように三分割されてしまったが、自律的、他律的、相互に理由が交錯している。
3)当ブログにおける郷土史は、エスノセントリズムの類で、卓越した何かを表記したものではない。
4)されど、自らが生まれ育って、住まいを作って生活している場が、恋しくないわけがない。誰でもにとってそうであるように。
5)当ブログにおいて5048冊の本を読破した、というのは、言い過ぎである。その1割は、音楽や演劇、映画の類である。
6)また読破したというより、その作品に対峙した時に、自らの中から湧き出したものを記録しただけなので、書評ではない。
7)ジャーナル、と銘打ってはいるが、いわゆるジャーナリズムではない。
18に続く
君に伝えるメッセージ 16
1)畏友ニュートンとの絡みは、当ブログのキモである。演劇人ニュートンを鏡として使って、私は私を顧みた。
2)ロードスターmx5ミアータへの思いは、おいらくの恋である。なかなか出来の良いEVが出てこないので、時間稼ぎをしたということか。
3)現在リンクを消してあるが、Yamanishi もなかなか面白い企画であった。いずれリンクを復活する。
4)廃物アートの数々は、全て未完成でありながら、完成というものを拒否した、無限の変化への対応である。
5)最終的な、ララランドは、とても楽しかった。20プリウスが取り持った縁である。プリウス、ミュージカル、ダンス、のトリニティ。
6)ダンス ユア ウェイ トウ ゴッド。
7)ナタラジは、お気に入りの瞑想だった。
17に続く
君に伝えるメッセージ 15
1)その他、諸々の手作りエンターメントが隠されている。
2)それらはカモフラージュでもあり、熱な角度からの招待状である。関連リスト一覧は、様々な視線への迷い道である。
3)一つ一つが、読み切りの物語のプールである。無理に関連づける必要はないが、縦と横の網目が醸し出す、不思議な模様を味わうことができる。
4)プレムバヴェシュと孫との対話、未完、進行中である。このメッセージを彼らが読むとすれば、その祖父がどのように、その対話をスタートさせたかが、興味深いだろう。
5)さとりサーマディーにて、は、母さとりを看取るために、施設に介護に行った時の、ランダムな記録である。
6)約80のカテゴリー名は、その時その時の、時代性を反映していて、同じものが繰り返し使われていることがある。お気に入りのネーミングと言える。
7)地球人スピリットジャーナルというネーミングに落ち着くまで、数ヶ月かかった。
16に続く
2022/10/04
2022/10/03
キター
1)何かのお祝いの、何回分かを合わせた形、とかで、我が家のリビングに、新しいテレビが、きた。
2)実は、現在のテレビは、確か、学生時代に子供が使っていたテレビ(か、初任給で買った)で、結構年代ものだ。いや、正直言って、わたしゃ、これで十分なのだが、孫たちがきた時には、何かが不足しているらしい。
3)新しいテレビは、画面が大きい。すぐにwifi につながる。美しい、軽い、音もまずまず。でも、欠点を言えば、これまで使ってきた周辺機器が繋がらなくなる。ビディオやdvd、ラジカセの類の、そもそもの接続器具が違うのである。改めて確認すると、これまで使ってきた周辺セットは、すでに20年前のセットなのである。ガンジス河の水は、どれほど流れ去ったことだろう。
4)古いセットは、小分けにして、他の遊びのパーツとして組み込むとして、当面購入しなければならないのは、DVDプレヤーだ。実は最近、我が家のセットでは、折角のDVDが、綺麗じゃないなぁ、と思っていた。つまりメッシュが荒いのである。
5)私は、テレビは情報を取るだけなので、スマホや、クルマのナビ画面程度で十分、などと思ってきたのだが、最近、TSUTAYAのレンタルビディオに目覚めてからは、やっぱり、美しいものは、美しく見たいと思い始めたのだ。
6)というわけで、明日あたりから、家電店巡りが始まりそう。実は、近々、近くに超大型家電店が開店する。環境派を自認する我輩としては、商店街の電気屋さんも大事にしたいと思っているのだが、大型家電店も嫌いじゃない(音響のうるさいのは困るが)。開店したら、すぐ買えるように、買い物リストに入れておくことにしよう。
7)というか、やっぱり最後は、価格比較で、ネットで宅配注文、ということになってしまうのかな。
2022/10/01
君に伝えるメッセージ 14
1)彼については、限りない。様々ないメディアが君を惹きつけるだろう。これまで縁がなかったとするなら、このメッセージが、キッカケになってくれるだろう。
2)私が愛した本、は、網羅的で面白い。
3)講話録年代リストは、彼の全体像を把握するのに便利である。
4)最後の禅シリーズは、彼の晩年の爛熟した世界を知るのに、役立つ。
5)関連リストは、当ブログと彼の関わり、あるいは一方的な当ブログのアプローチの記録である。
6)この10冊は、恣意的なものである。彼と私の、距離感、が表現されている。
7)禅宣言は、彼の最終コメントである。
15に続く
君に伝えるメッセージ 13
1)私については、いくつかメモしておいた。一番古い部分は、最近、名前にない新聞、に書いた。
2)次にまとまったものとしては、オンザロード1972、に書いてある。18歳の時に、ヒッチハイクで日本一周した時の記録である。そこに至った経緯も、時代背景と共に記した。
3)雀の森の物語、は、青春怒涛編である。四年間の経緯は、ここから経緯を察することができる。ミニコミ時空間は、模索の時代である。
4)存在の詩 創刊号は、私が彼にあった契機である。
5)1992にツクヨミに寄せた、湧き出ずるロータス、には、それまでの、私たちと、彼との、出会いが記録してある。
6)その後は、地球人スピリットジャーナルダイジェスト版、による。彼、ついては、別途記す。
7)最終的には、把不住述懐、がランダムに、最後を守っている。
14に続く
セロ弾きのゴーシュ 演劇体験ワークショップ事業「石川裕人の戯曲の世界」
No5009⭐️4left 39
1)このイベントについて、当日まで何も知らなかった。情報にアンテナを張っている訳ではないので、当然だ。
2)本日、知ったのは、私はホールの2階で活動し、彼らは3階で、発表公演を行なっていたからだ。廊下ですれ違って、声かけられて、初めて気がついた。
3)思えば、いつもニュートンニュートンと、追っかけている時代は、もう終わったのだ。彼は、普通に街角になじんで紛れ込み、私は私で、町に紛れ込む。
4)作品は、震災後の海岸沿いや、山沿いのコンビニ駐車場で公演されたという。すでにあの時から、彼は積極的に、街にまぎれ混んでいたのだった。
5)もうすでに、街の風景となっている。別段に、そこに、何事かを求めることもなく、何事も付け加えることもない。
6)物事はあるようにあり、人は、去っては、やってくる。
7)瓢箪がヒョッコリ顔出す垣根かな 把不住
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