君は乙女座、僕は牡羊座。そもそも星座占いなんかも知らないまま、小学生から中学生になっていた。僕ら、というにはあまりにまとまったカップルでもグループでもなかったが、おそらくだが、二人には二人にしかわからない、何かがあったのだと、今の僕は思いたい。
昨年僕は銀行のATMの列に並んで順番待ちしていた。その時、脇の道路を赤いスポーツカーが、通り過ぎていった。あれから僕は熱病にかかった。呆気に取られ、まるで別次元に連れ去られたようだった。
あれから僕は、MX5、Miata、に恋してしまった。あのソウル・レッド・クリスタル・メタリックという奴に、やられてしまった。どれだけやられてしまったか、ということは、いずれ書こう。いや、そこは主題じゃないので、ここでは飛ばすとして、とにかくこの一年、一年半、そのことで頭一杯で、生きてきたっていうわけだ。日本名マツダ・ロードスター。
しかし、今年も夏がようやく過ぎ去ろうとしている最近、僕の中に、一つの変化が見えてきた。つまり、僕の本当の恋は、別のところにあったんじゃないか、ということ。赤ロードスターは結局まだかってはいない。その前に、もう12年も乗っている20プリウスに愛着が戻ってきて、いろいろ検索をし出したんだよ。
そして映画ララランドに出会った。どうやら、20プリウスが、ハリウッド映画に出ているらしい。これは僕にとってビックニュースだった。映画も見ないし、音楽もあまり興味ない僕にとっては、映画はどうでも良かったんだが、とにかく20プリウスのシーンを見たかった。TSUTAYAに行ったら、120円で借りることができた。でも本当は、市立図書館でも借りることがわかった。
何回かこの映画を見ているうちに、僕の中で、何かが騒ぎ出した。クルマのことばかりではなく、ストーリーがなかなかに素敵だ。夢を叶えるってことが、とても美しいことに思えてきた。そうそうだよね。その通り。で、まもなく70歳になる僕は、一体何が夢だったんだっけ、と考え出した。
最近の僕は、自分の人生の成り行きに、それなりに納得していて、まぁ、これでいいんじゃない、と思ってきた。赤いロードスターを手に入れることも夢ではあるが、割と年取ってからの最近の夢である。もともとジャーナリスト志望の僕は、何事か書き記すことが夢だった気がするが、いつの頃からか(自分ではしっかり分かっているが)、そこを封鎖してしまったのである。
そこは分かっていたんだが、今回この映画を見て、何か書こうかな、と思った。まとまったもの。この20年ほど、あまりアクセス数も多くないブログも書き続けてきて、書くことには慣れているが、まとまっているかどうか、定かではない。どうせ書くなら、地元の何かの賞にでも挑戦するような意欲作を書こうじゃないか。夢は大きい方がいい。
で、君のことを思い出したわけだが、その理由はいろいろある。それはおいおい説明するとして、どれだけの量を書けばいいのだろう。縦書きか、横書きか? 文体は、小説風? それともノンフィクション風? 実名を出していいのか、それとも大ボラ風? 結局、いつも書いているブログ風でいいじゃないか、という結論に達した。
さて君のことを書くとなると、とめどなく長い文章になりそうだ。書いてもいいのだが、実は君は20代半ばから、ちょっとした有名人になってしまって、僕だけが知っているなんて部分は、かなり少なくなってしまった。むしろ、みんなが知っていて、僕こそが知らないことの方が多そうだ。ここは、出会いの小学生時代から、君が劇団を作り、僕がミニコミ雑誌に関わることになった時代までに限定した方がいいと考えた。
君は生前ブログを書いていたし、僕も君についてだいぶ書いてしまった。残っていることはそう多くない。だが、順序立てて、ノンフィクションだが、小説風にまとめておくのも悪くないんじゃないか、と思った。君を書くという行為の中に、実は僕自身を描くことになるのだが、本望とするところだ。
タイトルは、ボーイズ・ファイターとすることにした。この英語は、いまだに正しいのかどうか確認できていないが、おそらくタイトルにふさわしいのは、これしかない。元ネタは、君が教室に持ち込んだ雑誌、ボーイズ・ライフだ。中1の僕らには、ちょっと大人びたざっしで、外人のヌードポスターなんかもついていた。
月刊誌ではあったが、読者層は高校生から成人向けであっただろう、内容は、それこそクルマから拳銃、プロレス、映画、ヌードなどのエンターテイメント。この雑誌はそう長く続くことはなく、後から君はあの雑誌の編集部は解体されて、週刊ポストになったと教えてくれた。
僕たちが中1の1966年は、東京オリンピックから2年経過し、ビートルズが来日した年だ。その6月、僕たちは初めて同じクラスになった。小学校から中学校の9年間、ずっと同じ学校に通っていたのに、同じクラスになったのは、この学年だけ。モモコ先生は音楽と習字を担当していて、習字の時間、僕は自分の席を離れて、一列挟んだ君に席まで行った。そして、なんか楽しいことしようぜ、と耳打ちした。
休み時間まで、二人の考えはまとまっていて、雑誌をつくろう、ということになった。雑誌と言っても藁半紙に手書きした漫画なり小説なりを綴じたものである。タイトルは、ボーイズ・ファイターとなった。ボーイズ・ライフのモノマネである。
中1になって、僕たちは英語を習い始めていた。英語を使ってみたかったが、自信はなかった。早速、職員室に英語担当にシゲジ先生を訪ね、この語感でいいかどうか、聞きに行った。そして概ね間違いではない、という感触を得た。今思えば、少年達の命、ならなんとなく様になっているが、少年達の戦士、とはこれいかに。
ボーイズ・ファイト、や、ファイター・ボーイズの方が、まだ収まりが良かった気もする。でも、現在検索してみると、どこかの少年スポーツ団には、この名前を使っているところも、チラホラあるので、まんざら間違いでもないだろう。こうして僕たちの青春時代は、静かにスタートしていた。
続く
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