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2022/08/03

マスターエースサーフ CM

 

No4852 星5
1)我が貧しき愛車歴の中で、思い出深いのは、マスターサーフ。胸ドキドキ、夢満載の時代である。

2)まずワゴン車にする必要があった。業務での移動、積載に必要、家族の増加。結局ワゴンワンボックスの走りには、大した車はなかった。キャラバンとか、ハイエースとか、商用車のみ。その中に登場したトヨタ三兄弟のタウンエースたち。その中でも、フロントバンパーが出っ張った、このマスターサーフに一目惚れ。なんつったって、マスターがサーフするんだからね。これで決まりでしょう。

3)私は絶好調だったが、車はスのまま。まずエアコンが付いていなかった。ワゴン車なので、後席も冷やす必要があった。ディアルエアコンを追加した。そして今となっては記念碑的な冷蔵庫をつけた。(これは結局あまり役だなかった) 窓はハンドル式だったので、後付けでモーターをつけた。(このモーターが88の時に故障して88の八ヶ岳に行けなかった) サンルーフはもちろん、後席のムーンルーフというやつもついていた。ワンボックスでありながら、オープン感覚だった。テレビもダッシュボードの上につけた。カセットビディオも再生して、子供たちに見せた。(このテレビは自宅駐車場で盗まれ、2代目もつけた)。後席2列で8人乗り、真ん中の席は回転できて、ボックス席にできた。そこにDIYで机を作り、キャンプで大いに役立った。ハイルーフなのにも関わらず、ルーフキャリアもつけた。荷物運びには、大いに役立った。ハイマウントストップランプも後付けで自作した。窓ガラスと天井ルーフにはスモークフィルムを貼った(自作)。奥さんお手製のカーテンまでつけた。いやぁ楽しんだな。永平寺にも、京都にも、天川にも行った。車中泊も、何度したことだろう。思い出満載の、我がバブルカー、だった。東和町のコミューン騒動の時も、この車だった。永遠にこの夏が続くかに思われていた。

4)しかし、この車は、突然に、事故をもたらした。詳細は省く。助手席に乗っていた私は、お怪我をして4ヶ月入院した。後遺症は今でもある。

5)50万かけて直したが、車の調子は下降した。足回りがガツンガツンになり、サンルーフから雨漏りが始まった。ガラスにワイパーの傷がつき、燃費も悪くなった。子供たちは次第に成長し、後ろの席が余るようになった。いつも一人で運転することが多くなり、座席運搬車になってしまった。結局9年乗って友人に譲り、奥さんのダイハツアルトと共に2台持ちの時代は、終わった。

6)ああ、こうしてみると、我が愛車遍歴も、特段に他人と比較しない限り、結構豊かだった、と思う。no car no life である。

7)荷物も、家族も、運ぶ必要がなくなった。仕事もテレワークがほとんど。となると、やっぱり、2シーターの赤が欲しくなるんだよね。

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