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2022/07/09

雷鳴

 

印刷会社で働いていた若いとき、演劇集団を立ち上げるためのパンフレットやチラシ、ポスター、チケットなど一連の製作を依頼されたことがある。窓口になってひととおり面倒みたのだが、最後の依頼事には参ってしまった。ひとり役者が足りない、ひとつ、その面も手伝ってくれないか、というのだ。とんでもないことを見こまれてしまったものだ。結局、断りきれずに、その演劇集団の立ち上げに役者として参加することになった。

練習そのものは楽しかったが、シナリオがいまいち面白くなかった。どうも私は乗り切れなかった。街なかの定禅寺通りに面した雑居ビル4階にあるとは言え、真夏の練習で、クーラーもないアングラ演劇団のけいこ場はとても蒸し暑い。なんともぐったりしたのだった。

そんなある日、にわかに空がかき曇り、ものすごい雷鳴が下った。練習していた団員達は、全員けいこをやめ、窓際に走り寄った。まだ昼下がりだというのに、西の空はどんよりと暗雲を垂らし、稲妻が何筋も走った。倦怠している団員たちを、激励しているのか、叱責しているのか。いやいや、あの迫力は、まるで街全体に「喝!」を入れているような、激しいものだった。ビルの階上から眺める稲妻は、それこそひとつのエンターテイメント・ショーだった。

その時、私は劇団の団長に嫌味っぽく言った。「もし、あの稲妻を、この演劇のステージに乗せることができるなら、私はあなたの演劇団の一員として、一生付き合ってあげるよ」

幸い、芝居そのものは好評で、最後まで責任をはたした。観客からもらう拍手が、これほど気持ちがいいものかと思った。ナントカと役者は、3日やったらやめられない、と言うが、その気持ちがわかった。この演劇集団は、立ち上げ公演一回きりで解散した。それ以降、こんな体験をしたことなど、すっかり忘れていた。私はこの、自分のセリフを5年後に思い出すことになる。

私は仲間たち21人と、米国オレゴン州コミューンのセレブレーションに参加していた。巨大な瞑想ホールで、一万人を超すサニヤシン達は、Oshoが到着するのを待っていた。その時、にわかに雷鳴がとどろき、いきなり激しい豪雨となった。いきなり暗転した天空の龍雲をともなって彼は静かに、ゆっくりと、ロールスロイスでやってきた。そして、巨大な瞑想ホールのステージ中央に彼が立って、人びとにナマステを送って、いまや人々が興奮のるつぼにいる時、ふいに私は、自らの5年前のセリフを思い出した。

 「もし、あの稲妻を、あなたの演劇のステージに乗せることができるなら、私はあなたの演劇団の一員として、一生付き合ってあげるよ」

 Oshoは、見事に稲妻を自らのステージに乗せることに成功していた。あまりに見事だった。あれ以来、私は自分の約束どおり、Oshoの演劇集団に参加することになったのだった。

マックス・ブレッカーは著書『アメリカへの道』 で書いている。 

7月6日、新たに設けられた『マスターズ・ディ』では、毎日のドライブバイのコース上空を小型飛行機が飛んで、ポートランドから仕入れた5万ドル(約1300万円)分のバラの花びらを降り注がせた。その夜、ラジニーシが弟子たちと座る最後のラウンドの直前、急に天候が崩れた。稲妻が光り、雷鳴が轟き、にわか雨が天井があるだけのホールへと吹き込んだ。ラジニーシを反キリスト、その信者たちを邪神バールの子供とみなす者たちの目には、それは天罰の前兆のように見えたかもしれない。
 ラジニーシのサニヤシンたちにとっては、それは笑ったり踊ったりして、大声で嵐を吹き飛ばすもうひとつの機会にすぎなかった。」『アメリカへの道』和尚アートユニティ (2005/10/1) p131

 

 

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