SPSについて、FBからの続き20220524
1)最後の最後まで、後妻の連れ子のような待遇を受けながら(我ながら表現がまずい)、なんとか最後までコンサートができた。これを楽しみにシンポジウムに参加してくれた人たちも多かった。チャンプルーズを初め、当時の関係者の多くに感謝します。
2)ここまで、FBに連投したため、ブロックがかかって書き込めなくなってしまった。特段に、急ぐような内容ではないので、残りは後日に回す。もっとも書きたい欲求が湧いてくればの、話だが。
3)いずれに、ひとまとめにする機会もあるだろう。
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1)敏腕なノンフィクションライターか、命知らずなフリージャーナリストでもなければ、再現は難しいでしょう。生半可な職員レベルでは、おざなりな記録で終わるでしょう。
2)いろいろなタブーに接触してしまわずを得ません。(いろいろありますよ)。
3)私はライターでもジャーナリストでもないので、瞑想者として、自らの体験を私的に記録するに止まります。
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1)そもそも、加藤氏は何をやりたかったのだろうか。のちにNPOセンターを半官半民的に軌道に乗せた業績は認められるとして、それから次。健康に人一倍留意しているかと思えば、還暦を迎えて、早々とガンで亡くなっていった。遺言めいた言葉の中に、自分の名前を冠した財団の設立を希望していたことばを残している。
2)彼はそれほどの財を残すことはできただろうか。ふるさと福島の原発事故を病床から見つつ、その数ヶ月後、彼はどんな想いを残して逝っただろうか。人生は、思ったようにはいかないのは、誰でも同じだから、誰かが誰かを責めるなんてことはできない。されど、彼を思うと、私は、一抹のやり切れなさを感じる。
3)SPS直後、地元の政財界はトンデモない疑獄に巻き込まれた。県知事は逮捕され、市長も逮捕され、環境大臣は失脚し、別な国会議員まで疑惑に包まれた。その地元の金庫番と言われた県会議長は、我が家の隣家だったので、メディア報道のカメラが毎日トップニュースを狙って放列を作っていたのが、みえた。
4)関係者の中には、松下政経塾出身の政治家志望の青年たちも混在していた。今は代議士だ。個人的には薄っぺらいものを感じる。薬物に対しても鷹揚な対応する人々もいた。いろんな人がいていいのだが、はてさて、この人々は、自分が 何を求めて、どこに行こうとしているのか、自覚しているのか。もちろん、私も含めて。
5)自問自答する。私は誰か。環境心理学とは何か。
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1)転居した街中の予備校を改装して作ったNPOセンター。おそらく多くの人が利用し、時代的にも画像や記録として残っているだろう。私は親族の依頼を受けて、あるNPOを作ろうとしていた。結果としては未完成で、最終的な目的は達成していないが、殆どがスタッフ達の動きや、センターとしての機能を把握できた。
2)その後、更に繁華街のお洒落なファッションビルにセンターが転居してから、私も図書館利用カードなどを登録して通ったことがある。まぁ、よくぞまぁ、公的資金を引き出して、ここまでの活動をするもんだ、と感服いたしました。このようなセンスがある人とない人では、大きく世界観が違うのだろうと思った。私はますます街に出るのが億劫になり、しんにセンターを活用することなどなかった。世界観が違いすぎた。
3)彼の葬式にも出席した。特段に義理があったわけじゃないが、彼の人生はどのような締めくくりになるのだろう、と関心が湧いた。確か街中の葬儀会館だったと思うが、大変な人出だった。活動家達も、議員達の顔も見えた。彼の人脈の広さが伺えた。一番驚いたのは、花輪の数だろう。30とも50とも記憶する。
4)そこに書かれているNPOの名前の多様さと、数の多さに驚いた。この人はこのような活動をして一生を送ったんだな。特段に敬服するような感慨には打たれなかったが、記憶には残った。葬儀委員長は古い友人とか言っていた。当時は北海道にいた(と思う)息子さんが、淡々と挨拶していた。奥さんの顔は見えなかった。
5)
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