ノーマインド シャルノ
No 4679 星不明
1)この季節になると、シャルノのことを思い出す。彼女は、エピソードにあふれた存在なので、私の知っていることなど、ごくごくわずかである。されど、私だけの印象、というものもあるかもしれない。
2)彼女にOshoのメッセージが伝わったのは、1988年8月のことである。後付けで知ったことではあるが、このタイミングは、Osho56才と7か月に対応している。この年齢にピンとくる人もいるかもしれないが、王仁三郎は、自分のことをこの年齢から本当の自分になる、という言葉を残している。
3)インターネットが発達する前のことであり、私がその存在を知ったのは89年になってからであり、まして、私の住まいからほど近いところの出身であることを知ったも、ずいぶんあとのことだったと思う。彼女はOSHO日本大使に任命されたが、マルチバーシティジャパンをつくりたい、と言ったのは彼女本人であっただろう。
4)その土地探しがいろいろな方面で模索され始めた。いくつかある中の一つが私たちの県内にあったある土地である。可能性はあった。しかし、最適地か、具体性、可能性はあるか、となれば、難題はいくつも重なっていた。
5)結局は、その案は消えた。いくつか利用はあったが、結局、それは縁ではなかった、ということであろう。あのタイミングで世界的なニュースになっていたのは、天安門事件だった。そして、あの宮崎勤事件へと変わっていく。
6)それから数年してからだったと思うが、彼女が突然連絡をくれて、県内の西方寺に行きたいと言い出した。別名、定義山と呼ばれる県内一の霊的スポットである。平家の落人に関わる歴史ある施設である。五重塔でも有名だ。
7)二人して、参拝していると、管内アナウンスで、「伊勢崎の石田様と阿部様」という案内があった。ふたりして目を合わせた。別葮呼び出される理由はなかったし、そもそも伊勢崎ではなかったので、私たちのことではない、とはすぐ判断できた。されど、そのシノニマスに二人して驚いた。
8)帰り道、私のワゴン車の運転席でのこと。私はペーパーナイフの代わりに、カッターナイフの刃をダッシュボードに於いてあったのだが、どういうわけか、エアコンの吹き出し口にあったため、ひらりと舞い上がり、私の方にとびかかってきたのである。
9)きちんと確認できたわけじゃないが、彼女の生家は、311津波で被災した。かつて震災前に訪問したことのある彼女の生家は見つけることができない。地理がすっかり変わってしまったからだ。
10)彼女はどんな気持ちでこの世に別れをつげただろうか。
〜〜〜〜〜
と、ここまで書いて1ヶ月放置してあった。言い足りないが、このままアップしておく。
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