シリーズ 歎異抄にであう 無宗教からの扉
No4651 星3
1)日曜nhkこころの時代、8回シリーズ、3回目まで来た。親鸞はいつかはどっぷりと取り組みたい。だが機縁は薄い。
2)みんなの寺小屋の土曜座禅会にひとりの中学生男子が参加している。春に高校生になった。彼は僧侶になりたいという。決して寺に生まれたわけではない。彼の高校はいわゆる進学校、前途は洋々、後は本人次第である。
3)座禅会に来ているのだから、禅宗を目指しているのかと思えば、さにあらず。曹洞宗か真宗か、揺れているという。親の実家の片方が禅宗で、もう一つが真宗であるという。親孝行な子供であるのだろう。親族の系統に、何代かに一人は、こういう存在が現れる。警察官になりたい、自衛官になりたい、というのと同じように、僧侶になりたい、と思う子供が出て来て不思議はない。
4)しかして、禅宗と浄土教、道元と親鸞では、あまりにがっぷり四つの迷い道になってしまうのではないか。そもそも、古希を迎えんとする我が身においてさえ、全く未解決のテーマである。いやいや、逆に、わが迷いは、高校生以下、中学生や小学生レベルで立ち往生しているのかもしれない。
5)思えば、Oshoの道に照らしてみれば、道元は、仏陀の真っ当な承継でありながら、であるからこそ、どこかに不足がある。親鸞は、ある意味、破戒僧であり、仏教の新解釈者、曲解者である。そこから阿弥陀仏を特化し、念仏をツール化したとして、それもまた、世界宗教たる<大きな物語>には、辿り着けそうがない。
5)思えば、道元+親鸞をこそ、わがゾルバ・ザ・ブッダとみなすことも可能であろう。
6)かの少年に、導きの光あれ。
7)種蒔きてようやく芽を出す双葉かな 把不住
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