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2022年6月

2022/06/30

潜入ベラルーシ ウクライナの隣の「独裁政権」

no4666 星2 nhk bs世界のドキュメンタリー

1)偶然、戦争前にベラルーシに入っていたフランス人ジャーナリストの映像レポート。ソビエト連邦崩壊後に独立した旧連邦国。大統領ルカシェンコもまた、1954年生まれだ。プーチン、習近平、と同年輩。私の世代が世界を牛耳っている。

2)偶然だが、この作品につけられたnoは4666。特に意味はないのだが、666の数字が印象的。

3)旧ソ連で何が起きていたのか。崩壊後、何が起きていたのか、現在、どうなっているのか。これから、どうなってしまうのか。

4)ある意味、こういう形で、状況を知ることができたのは、良かったと言える。あるいは、こうなっていたから、知らないではいられなくなってしまった、ということもできるだろう。

5)しかしまぁ、島国ニッポンに住まいしていれば、それなりに問題は見えてくるが、他国もまあ、なんともすごい状況になって入り所もあるもんだ。

6)独裁政権は、いずれ歴史的に制裁を受ける。

7)悲しいが、これが、現在の地球の現在だ。

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れいわ新選組 参議院選挙 政見放送

No4665 星5虹🌈

1)選挙が近づいている。

2)海外にいた時を除いて、公選挙投票率100%の私としては、投票先はもう既に決めている。

3)当落率は、50対50である。そもそもが、当落線上にある人にある候補者に入れるのを信条としているので、結果そうなるのは当然である。

4)生涯の浮動票であるが、絶対当選するような候補者とか、終始替えして裏切った者には投票しない。

5)全く関心を持てない選挙もあれば、是非ともボランティアをしてまでも応援したくなる候補者もいる。だけど、あまり入れ上げない。

6)民主主義の根本は、投票である。しかも、一般には、一票しか与えられていない。その一票を、大事に投じる。

7)より良い未来が来ることを願う。

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2022/06/29

ダークサイドミステリー 鬼と日本人 1500年物語 鬼はどこからきたのか?

no4664 星4

1)ある意味、コズミックサイエンスやヒューマニエンスと、対を成すnhkテレビ番組。どっちも面白いが、やっぱりどっちもどっちだ。

2)科学ではないとは言え、その根拠を求めるのに、古典文学や、神社仏跡の資料が必要となる。これもまた科学の一種だ。

3)宇宙vs人間vs神秘。

4)いずれもテレビ番組である限り、限界がある。方法論を徹底的に改めない限り、満たされない想いは残る。

5)自らの身体性を見つめずして、論理の空中戦だけでは、結局はカラ回り。

6)平成の鬼退治、とは、れいわ新選組のキャッチフレーズであったか。

7)当ブログなら、能の般若の面が、最も鬼に近いか。龍と鬼の近似性もきになる。

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ヒューマニエンス 絶滅人類

no4663 星4

1)いつから始まったのか、いつから見始めたのかは不明だが、割と最近のことだと思う。せいぜいこの数年か。つまらんアニメやお笑いに比べたら、なかなか興味深いテーマが多い。

2)手法は科学。しかも最新の。その装いが新鮮なので、説得力はあるが、科学には推論も多く含まれているので、絶対真実とは言えない。されどパーツパーツに真実性があれば、ジクソーパズルの大枠をきめていく。

3)面白いが、絶対無謬とは言えない。そうであろう、という想像だ。科学からアートへ、精一杯の浸食だ。

4)テレビ番組ゆえ、デフォルメされていることも多いだろうし、特殊な事例が混在して、実像を捻じ曲げている可能性は、常にある。

5)科学はモノへの視点である。望遠鏡や顕微鏡、分析や、解析、説得力はあるが、騙される可能性もある。

6)面白そうで面白くない、この番組。不満は一体なんだ?

7)この番組で、意識の深みへと、究極へと、進みいくことは可能か。

 

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コズミックフロント

No 4662 星4

1)人生を通じてのポン友と言うものも、いるものである。そう多くはないが、確実に複数いる。性質上、今から増やせる、というものではない。人生の何かを共有する、私じゃない、別の人間としてに存在。彼らとは一体、何を共有して来たというのだろう。

2)同級生やガキグループの中には、結構いわゆる出世した連中もいる。教授になったり、銀行頭取になったり、医者になったり、公益団体のトップになったり、いろいろいる。

3)かといって、生涯庭師を続けたものもいれば、イベントトラックの運転者を務めたもの、コマーシャルカメラマン、芝居の裏方、エクステリア工務店、などなど、なかなか渋い役柄を務めた連中もいる。

4)もちろんこの年になれば、亡くなったものも多い。生き残った連中も、人生最後のラストコーナーを曲がり切り、直線コースに入り始めている。ゴールをどこに設定するかは、それぞれだが、直線コースで足がもつれるやつ、ゴールなんかかんけいねーと、突っ切っていくやつ、そもそもコース上にいなかったやつ。いろいろあるだろうよ。

5)いつもテレビで見ているコズミックフロントの制作スタッフにポン友Tの名前が出てくるという。それをポン友Oが見つけ、Tに電話したという。私は所用でTに電話して、Oの話題が出て、おおあいつも元気か、とホッとする。

6)Tは若い時にコンサート企画して、ギャラクシーなんとか、と名乗っていたから、今の仕事にも繋がっているかもしれない。いや、それは少し穿ちすぎか。まぁなんでもいい。まだまだポン友達も生きている。

7)コズミックフロント自体は、ちょっとスケールがデカすぎて、息が詰まる時がある。わたしゃー結局、娑婆の空気感で生きているのがいい。大地があって、空があって、木が生えてて、山があって、川が流れて、海がある。人体バラバラも、脳みそぐちゃぐちゃも、結局好きではない。

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ガレージライフ 2021_07 no88 18万から始めるガレージライフ

No4661 星3

1)ご近所のおばちゃんから、声がかかった。冬タイヤ、要らないか、と。おばちゃんと言っても、同年輩だから、すでにお婆ちゃんだ。つうことは、こちらも爺さんなのだが、今回はまぁ、あまり突っ込まない。いずれ、壮年期を過ぎて、最晩年を睨んだ、人生最後のクルマ選び世代だ。

2)いよいよ13年目を迎えたプリウス30を、ダウンサイズするという。子供達に言われた。いつまで、そんな危険な車に乗っているの? ガラは大きいし、窓はちっちゃいし、古いし。だそうだ。ガラが大きくて、窓が小さい、という欠点は、私も同調する。特に彼女はごく近所の買い物にしか車を使っていない。公務員を退職した御亭主は、いつもゴロゴロ、お出かけは大きな体をのせてママチャリをご活用。

3)奥様も、結局は腰を痛めていて、歩くよりは車の方が楽、という意味でのドライバーであり、おそらく長距離や高速道路で運転することはまずない。で、乗り換えることにしたのは、車名は知らないが、軽かリッターカークラスの車内が広くて、窓も大きいやつ。着座位置も高くて、見晴らしもいいという。それに、車椅子になっても車載できるね、と、余計な一言はわたくし。

4)いや、あれはもっと上のクラスかもしれない。1500とか、1800とか。でもタイヤは小さかったな。いずれにせよ、あの車は、彼女の人生最後の車だ。ある意味羨ましい。あそこまで割り切れる。いいことだ。心の中では、私もこれでいいなぁ、と思わないでもない。十分間に合っている。吾唯足知。

5)でも、イヤじゃ。俺は好かん。あれならまだ、俺のプリウス20EXの方がまだいい。ということで、5穴の冬タイヤ4本、ホイール付きでいただくことになった。山は十分ある。少なくとも、私が履き減らしたタイヤよりはまともだ。ホイールは、まずまず。決して好みじゃないが、ないよりマシ。

6)車があれば、やっぱりガレージが欲しくなるものだが、せいぜいタイヤを収納する物置があればいい方、屋根無し駐車場を確保するのが精一杯だ。もっと郊外に行けば、余裕でガレージを設定できるのだが、なかなかそうも行かない。

7)我が家のビルトインガレージは、電動シャッターが故障して久しい。毎日力任せで開け閉めしているのだが、用途は既に曖昧になっている。ハイルーフのワゴン車も入るように天井を高くし、天井扇風機もつけているのだが、ここは、物置になり、野菜置き場になり、廃物アートのアトリエになり、孫達のキッズルームになり、瞑想ルームになり、現在は、梅干用のウメの乾燥ルームになっている。

 

 

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2022/06/28

映像の世紀 バタフライエフェクト キューバ危機

No4660 星4

1)なんとも切ない、白黒世界である。1962年10月、私は小学3年生だ。クラスの学級新聞を、色マジックで書いて壁に張り出していた頃のお話だ。リアルタイムでは、全くそのような世界の動向など、関心もなければ、知る由もなかった。

2)ローマオリンピックは1960年、小学校入学の年だ。ケネディを意識したのは、まさに1963年、ケネディ暗殺の日だった。その日は、東京オリンピックに向けて、日米衛星放送の初めての日であった。記念すべきその日に、いきなり飛び込んできたのは、偉大なるアメリカ大統領の訃報だった。

3)その裏に米ソの対立があり、核による戦争の危機が高まりつつあり、キューバにミサイルが配備されるなんていう裏世界のことなど、思いを巡らすことはなかった。

4)このキューバ危機を、ある意味、裏から救ったのは、ひとりの在ソビエトのスパイだった。彼のもたらした情報がアメリカに伝わることにより、世界は核戦争を際どく回避できたことになる。アメリカ側がつけたジャレのコードネームは、ヒーロー。彼はスパイ容疑でソビエトの裁判にかけられ、死刑判決の元、銃殺された。

5)翌年、ケネディも、銃撃に遭い、一命を落とした。

6)今回のウクライナ戦争も、プーチンと、NATO、その他諸々の情報がやがて明らかにされれば、一般にもわかりやすい構図が浮かび上がってくるに違いない。それにしても、悲しい現実である。小学生ならぬ身であっても、事実を事実として知ることも不可能で、知ったとしても、やりようのない悲しみを、見つめるしかない。

7)こんぐらかってしまった人類という生命体。傷つけ合い、苦しめあう、人類。

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東洋経済 2022/4/30 世界激震! 先を知るための読書案内

No4659星3

1)かつての当ブログなら、この手の本には、かなり鋭敏に反応していたように思う。実際、含まれている書籍には、当ブログで取り上げた、しかも精読して、当ブログのバックボーンになっている書籍も多数含まれている。

2)にもかかわらず、最近手が伸びなくなったのには、いくつか理由がある。ひとつには、もはや一巡してしまって、目新しさがなくなっていること。時事をテーマとするなら、それは限りなく新しい出来事にまつわることごとを追っかけなくてはならなくなる。

3)されど、当ブログは、積極的な意味で、時事を扱ってこなかった。苦手というより、そこにはない何か、を志向して来たからと言える。かといって古典とか、歴史にこだわって来たわけでもない。あえていうなら、普遍のもの、永久性のあるもの、真実性のあるものに、強い関心を持ってきた、ということができようか。

4)読書生活では得られない何か、本や文章や、言葉や概念にては捉えきれない何か、を求めて来た、とも言える。されど、残念なことに、その状況を表現するのに、視覚的な文字媒体を媒体として選ばざるを得なかったことに、悲劇があった。

5)本当の私は、実のことを言えば、極めて怠惰な男である。横になって転がっていて、何もしたくない。朝起きて、障子の隙間から、上る朝日の光が差し込み、部屋に舞い上がるチリや煙のようなものを照らし出しているような風景を、ただただ見続けていたいだけだったりする。

6)ごくありふれたことであり、特段に表現しなけれnばならないことでもなく、かといって、今ここにいたら、この風景を見逃してはいけないな、という意識の働きを、じっとみつめていたいだけなのである。

7)ああ、そうであるのだ、ということが、このような雑誌に出会ったりしたときに、割としっかり、反語的に、意識されるのである。これは良くも悪くも老化の一種であろう。

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2022/06/27

禅の友 2022/07

no4658 星3

1)参禅しているお寺さんより頂いてくる、宗派の機関紙である。一般的には以前より配布されていたようであるが、当寺では、ごく最近から配布が始まった。

2)ごく最近から、と思っていたが、実は今号でちょうど十二冊目。もはや一年間も頂いてきたことになる。内容はまずまずの容量と質感で、正直、ないよりはいいか、という程度か。

3)しかし私はこの手の小冊子があると、ついつい手が出て、頂いてしまうことが多い。正直いって、それほど精読しているわけではないので、絶対必要というわけではないのだが、やはり頂かないではいられない。

4)この手の機関紙では、近所の某教団の小冊子をもらい続けて、当ブログにも記録しておいた。その教団の変貌ぶりが面白かったので、一体あの教団はどうなってる?と興味津々だった。3種類あり、一般用、青年用、婦人用?があり、エコ路線をとる内容は大いに賛成するところも多かった。

5)だいぶ昔で言えば、30年前ほど、某キリスト系集団の小冊子をもらい続けたこともあった。ここも特徴的な集団で、なるほど、とうなづくことも多かった。縁があれば、どの集団性であれ、行動をともにすることもできるのではないかと思う。換言すれば、100点満点ではないにせよ、みんなどこであっても共感することは可能であるということである。

6)禅の友も、悪いものではないが、いずれ私は、頂かなくなるのではないだろうか。一巡すれば、内容は大体わかってしまう。ある意味、一般的な入門用であり、ご挨拶的な表面的な一冊であることは免れない。そこからさらに前に、あるいは深みへと進むとすれば、この手の小冊子では満足できなくなる。それは当然のことである。

7)一歩前に、一段深みに、となれば、さらに深い機縁が必要となる。すべての集団性に関わり続けることはできないので、さらに自分がなにをもとめているのかをキチンと把握していくことが必要となるだろう。

 

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2022/06/26

お宝鑑定団

no4657 星4

1)もう20年も前からある名物番組。ハマり切る時もあったし、すっかり忘れてしまっていた時もある。全体的に言えば、この番組を見たのは、20分の一か、それ以下だろう。ほんのたまに見る、といった程度だ。

2)不祥事のため、司会者も途中で代わったりしたので、一時期人気も下がった。私の見なくなった。それでも、この番組のエンターテイメント性は、復活し、過去以上の面白さに溢れている。

3)先ずは骨董という趣味の、意外性、投機性、芸術性、そしてそれにまつわる人間という存在の愛らしい側面を浮き彫りにする。時にはストーリーに無理があり、フェイク性が暴露されるが、骨董というモノの存在が、その真贋性がよりリアリティを高める。

4)この番組で初めて知ることが多い。あまりに守備範囲が広いので、一人の専門家が熟知しているなんてことはない。何か新しいモノが持ち込まれたら、その時点でそのことをしっかり下調べをし、その分野の専門家を探し出し、説明させ、鑑定させ、断定させればいいのである。

5)この番組を見ている時は、かなりいい加減にこの番組に没頭する。だがいかんせん、民放ゆえ、コマーシャルが長すぎる。大体3分間続く。だから、録画して、コマーシャルを飛ばして見る。

6)我が家にも、なんかお宝はないものか、と思いを巡らすが、何もない。残念なが視聴者参加型のこの番組に出場できる見通しは、何もない。笑

7)笑いながら、楽しみながら、お宝を、鑑定するとするなら、他人にではなく、モノではなくて、なにか、もっと大事なものがあるだろう。人生の本当の楽しみは、・・・・

 

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雲霧仁左衛門2

No4656 星5 nhk

1)この数年、いつの頃からか、この手の時代ものが好きになった。ちゃんちゃんバラバラ物だが、フィクション性が強く、後腐れがない。ストーリーがわかりやすく、だいたいが想定内の結論となる。

2)年を重ねりゃ、この手の番組が好きになるのだろうし、逆に作り手側も、誰が好んで見るのか、キチンと把握しているに違いない。

3)だけど、この雲霧モノは、だいぶ見たので、ちょっと飽きてきた。フィクションがすぎて、リアリティが剥げてきた。おいおい 幾ら何でも、それは、という、無理なストーリーが多くなってきた。

4)それでも見続けているのは、映像というか、背景がとても魅力的だからだ。時代考証もおそらく、しっかりしているのだろう。見ていて面白い。

5)雲霧を見ていて面白いのは、雲霧一味と、火事盗賊改との、葛藤が、両サイド側からアプローチされていて、必ずしも勧善懲悪ともならず、善対悪といような単純な図式ではないところである。

6)それでもやっぱり、回を重ねてくると、かなりストーリーに無理が出てきている。そろそろタネが尽きているのではないか。

7)それでも、ジャニーズ系男子が主役の大岡越前なんかよりは、親しみやすい。

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おぎやはぎの愛車遍歴

no4655 星4

1)ちょっと前見て、また見てしまったので、毎週録画することにした。何と言っても、対象がモノだけに、ガチャガチャ文句をつけても、ほとんど許される。誤解OK、偏見OK、言いぱなし OK。こりゃ、楽しいね。

2)愛車遍歴は、ある意味、人生の縮図。この漫才コンビの芸風はまったくしらないが、この番組にはマッチしている。嫌味がない。変に下卑ていない。そしてそれなりに視野は広い。

3)考えて見れば、自分にもそれなりに愛車遍歴がある。10年10万キロを基準としてきた割りには、数年に一度づつ同じ車を買い替えたこともあったし、10年を目指していたにもかかわらず、全くダメな車もあった。好きじゃない車に乗っていたこともあったし、押し付けられて乗ったこともある。必要に迫られて2台持ちになったこともあったし、あれこれ逡巡したことは、数知れず。

4)外車とか、高級車とかばっかりだと、これも面白くない。ディラーも好みが決まっていて、他のメーカに全く関心を持たないと、大事なことを見逃している場合もある。

5)自分の車ばかりではなく、友人知人の車に乗せてもらうこともあるが、意外とお気に入りに出会わない。どれもこれもケチをつければ、つけられる。結局、自分の乗りたい車を見つけることができずに、えいや、と、いい加減な車選びになってしまうことが多い。

6)全ての反省を込めて、これからの、おそらく人生最後の一台に辿り着く前の、ポイントを絞ってみよう。

・結局はなんでもいい。

・どれもこれも、最低基準をクリアしている。

・パソコンも、冷蔵庫も、マイカーも、結局は家電化しており、悩む方が、どうかしている。

7)という、今日のところの結論。大爆笑。

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世界サブカルチャー史 欲望の系譜 アメリカ 葛藤の80s

no4654 星5 nhkbs

1)サブカルチャー史とは、大ヒットした映画史のことなのか。それらをうまく繋ぐことが、サブカルチャー史、なのか。

2)oshoのアメリカとの接触は1981〜1985、80年代の前半だ。彼はレーガンと戦い、一方、80年代の後半のソビエトのゴルバチョフを最大評価した。そして、経済的に勃興した日本の経済力を礼賛さえした。

3)そのポジションが、固定的に維持されたのなら、oshoの世界はもっと直線的に拡大していったかもしれない。しかし、そうはならなかった。

4)日本は、どうなった? 私は、どうなった? 世界は、地球は、人類は、?

5)21世紀は既に、22年も経過した。世界は、アメリカは、そして、日本も、世界も、私も、人類も、全く別な局面に立たされている。

6)しかし、時代はどう変わろうと、世界はどう変わろうと、私は私。人類がどうなろうと、意識は意識。命は命。結局は、これらを精一杯、生き切るしかない。

7)このシリーズ、まだまだ続くようだ。すくなくとも、あと2回。7月16日と、23日。見逃せない。

 

 

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2022/06/24

プラネット・ローカル :静かなる革命

No4653 星5🌈

1)snsでこんな動画が飛び込んできた。美しい、素敵な動画だと思う。短いかな、と思ったが、意外と長かった。いろいろ感じ、いろいろ考えた。趣旨はわかるし、方向性もその通り。だが、何か残されたものがある。

 

2)ローカライザーションがキーワードだが、そのサイズ感が、いまいち不明である。中国やアメリカに巻き込まれない、インドの立場を表明しているのか、ほとんど自分の村で自給自足できているアフリカの村を言っているのか、大都市文明に対峙するパーマカルチャーに基盤を置くエコビレッジを推奨しているのか。

3)私は習慣として300枚の年賀状を書く。年に一度のグリーティングとしては300家族がマックスだろう。実際に顔が見える日常的な交際範囲は70人ほど。多めに見ても、150人ほどの友人がいれば、人生を全う出来るはずだ。あとは架空の、虚構としての人間だ。

4)私は自治会の区長としての活動は3年目に入った。区内には300家族の会員がおり、会に入らない移動型や孤高型の人々もいる。ここに40年暮らしていて、顔馴染みなのはおよそ10分の1。適度な距離感を保ちながら、適度な友好関係を築いている。もっとも密度が濃いのは、やはり家族である。伴侶がいて、豚汁が冷めない距離に子供家族が住んでいる。小学生の孫達は、毎日のように遊びにやってくる。

5)仕事も今はかなりの比率でテレワークで済ます。付き合いは長い。だが、何かの折にプッツリ切れる。転勤、契約の終了、意思の齟齬、体調、生死、冷却期間。それでも自分の生活基盤を支えるための、最低限の付き合いは維持する。お互いにそれは必要だ。

6)3.11後に始めた市民農園の自分の畑は、自給自足にはもちろん十分じゃない。タネ選びや、水やり、肥料、ウィルス、鳥獣害など、意表をつかれることが多い。隣の畑の人々はいたって親切だ。私にとってのパーマカルチャー・エコビレッジだ。とても気に入っている。自転車で10分。ナス、きゅうり、ズッキーニ、インゲン、里芋、ミニトマト、ほうれん草、カブ、大根、カボチャ、オクラ、紫蘇、、、、

7)ローカルゼーションとは何か。月に数回の近くの寺小屋における坐禅会。これも気に入っている。週に数回のオンライン瞑想会。私は自分の瞑想センターが好きだ。廃材で作った、物置小屋。これもお気に入り。究極のローカライゼーションとは、自立、インディビジュアライゼーションであろう。そして、そこには大地があり、空があり、山から川が流れ、やがて海に至り、グローバルに繋がっている。

 葉に隠れ息を秘そめる雨蛙   把不住

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2022/06/23

Wired 41

 No 4652 星4

http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2022/02/post-f76f75.html から続く

1)雑誌ただ読みソフトで出てきた。去年の本だから持ってるなぁと思いつつパラパラしたら、なんとプリウス・ホテルというタイトルが出て来た。現在、当ブログは画像が使えないのが、惜しい。

2)テキサスの瀬年が、盗難に遭い、車で暮らすことになり、プリウスで、しかも20で、1年半を暮らしたというレポートである。1ページだけなのが残念だが、文字が小さいので、結構な情報量だ。

3)実際、プリウスで寝っ転がったことがある。眠れないこともないが、一晩となると、私には無理だろう。ましてや1年などとは考えられない。シャワーはどうするか、電源はどうするか、冬場の寒さ対策は、夏のエアコンは、疑問だらけである。

4)現在、孫の小学2年生の要望により、物置を改造して隠れ家を作成中である。なに、孫を語って、わが方丈庵もどきであるが、まぁ、割と上手くできている。雨露をしのぐだけなら、これもいいだろう。しかし、一晩とてここに泊まることはないだろう。

5)さりとて、プリウスを住まいにするかどうかはともかくとして、いざ震災などという状況になった場合、2シーターのオープンカーではなお一層悲しかろう。プリウスはまだまだ存在意義がある。

6)子供達がまだ小さかった時代は、1ボックス車でキャンプにも出かけたし、宿泊もした。しかし、4人家族ではせいぜいお昼寝程度。やっぱり基本的な住まいは、最小限必要となる。

7)方丈庵キャンプ季節の夢誘う 把不住

 

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2022/06/22

シリーズ 歎異抄にであう 無宗教からの扉

No4651 星3

1)日曜nhkこころの時代、8回シリーズ、3回目まで来た。親鸞はいつかはどっぷりと取り組みたい。だが機縁は薄い。

2)みんなの寺小屋の土曜座禅会にひとりの中学生男子が参加している。春に高校生になった。彼は僧侶になりたいという。決して寺に生まれたわけではない。彼の高校はいわゆる進学校、前途は洋々、後は本人次第である。

3)座禅会に来ているのだから、禅宗を目指しているのかと思えば、さにあらず。曹洞宗か真宗か、揺れているという。親の実家の片方が禅宗で、もう一つが真宗であるという。親孝行な子供であるのだろう。親族の系統に、何代かに一人は、こういう存在が現れる。警察官になりたい、自衛官になりたい、というのと同じように、僧侶になりたい、と思う子供が出て来て不思議はない。

4)しかして、禅宗と浄土教、道元と親鸞では、あまりにがっぷり四つの迷い道になってしまうのではないか。そもそも、古希を迎えんとする我が身においてさえ、全く未解決のテーマである。いやいや、逆に、わが迷いは、高校生以下、中学生や小学生レベルで立ち往生しているのかもしれない。

5)思えば、Oshoの道に照らしてみれば、道元は、仏陀の真っ当な承継でありながら、であるからこそ、どこかに不足がある。親鸞は、ある意味、破戒僧であり、仏教の新解釈者、曲解者である。そこから阿弥陀仏を特化し、念仏をツール化したとして、それもまた、世界宗教たる<大きな物語>には、辿り着けそうがない。

5)思えば、道元+親鸞をこそ、わがゾルバ・ザ・ブッダとみなすことも可能であろう。

6)かの少年に、導きの光あれ。

7)種蒔きてようやく芽を出す双葉かな 把不住

 

 

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2022/06/21

Osho ブッダ カード

no4650 星5

1)今日は夏至だった。本来であれば、上半期に読んだ 新刊本ベスト10を発表する日であったが、既にもうその企画はほぼ全滅している。読まない書かない、読めない書けない、状況がずっと続いている。そのこと自体は、別段に困ったことではない。ある意味想定内のことである。

2)そんな日、Oshoブッダカードが届いた。

https://www.amazon.co.jp/Buddha-Discovery-Deck-Osho/dp/0717136655

中古品だから、梱包やケースは満足がいかない品質だが、カードそのものは痛んでいない。あとは枚数の確認。カードの程度より、カードの内容が問題でしょう。ましてや、それをどう読み、どう理解し、自らの人生に活かすか、ということが問題である。

3)今週は大きな仕事で多忙になるはずだったが、変更となり、若干の時間ができた。昨年から懸案だった物置のかたずけをした。体力が完全に戻ってきたわけじゃないが、このような天候が続くと、部屋の中でじっとしていることはできない。

4)掃除し、片付けし、ゴミを捨て、家具を修理し、組み立て、構想し、試作し、きゅうけいし、瞑想した。

5)今日は夏至だから、日照時間が一年間で もっとも長い。明日からは冬に向けて、だんだんと日は短くなって行く。もちろん、夏はこれからが本番。

6)友人から、手打ち蕎麦が届いた。今日はちょっと薄味だったが、夏のこの日は、この薄味がいいかもしれない。

7)大地揺れ戦さ続いて夏至る  把不住

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サブカルチャー史

No4649 星4

1)nhkbsで放映中。50年代、60年代、70年代まで来た。今月末に80年代をやって終わるようだ。興味深く、録画しながら見ているが、共感していたのはやはり60年代だけか。全体として、登場する二人の解説者がわかったようなきとを言いすぎる。一人は私と同輩、もう一人は私より5歳も若い。

2)奴らに分かるもんかと、毒づきたくなるが、じゃぁ、一体誰が他に解説するだろう。そもそもサブカルチャー史というより、映画史という側面が強すぎる。画像が中心だから、そうなるのも仕方ないか。

3)いよいよ80年代はどうなるか。まぁ私の印象からかなり離れたものになるだろうが、Oshoがアメリカと接触したあたりを取り込むなら面白いと思うが、そうはなるまい。

4)日本の禅的風土に生まれ、60年代アメリカサブカルチャーに啓発され、インドのOshoの薫陶を受けた。今や、コンサル業を生業とし、ネット社会でサテライトワーク生活を送る。

5)基本的には、これで何が不足であろうか。月の満ち欠けはある。潮の満ち引きもある。春夏があり、秋冬があり、生老病死もある。全てが流転し、止まるものなど、何もないが、私は私が生きているということを知っている。人生の不思議さ、人生の有り難さを感じている。

6)もう私は準備はできている。だいぶ多くの知人友人を見送った。そして、新しいふわふわの来るべき人たちも迎えた。日々、みんなで、生きている。止まっているものなどない。止まっているようでも動いている。目にも止まらぬものも、視点を変えると、結構、姿をとどめている。

7)   梅雨明けてここまで来たか一人旅  把不住

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イージーライダー 3

1)この映画に触れたのは、3回目である。

1回目 2007.08.17 https://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200708170005/
2回目 2009/09/20 http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-1820.html

2)2回とも割と抑えめに書いているが、極めて印象的な映画だった。見たのは高校時代。当時いつも一緒だったE君と見たのだった。彼はあれから何回か浪人して、外科医となり、父親に後を継いだ。最近ニアミスした。

3)イージーライダーをもじって、私はイージーライターを名乗り、ミニコミ発行に人生をかけた。雀の森時代の流峰はバイク乗りだった。私は日本一周をヒッチでやり通したが、彼はバイク。125か250か、その程度。れおんは50ccで西日本を駆け抜けた。ニューヴァーブのS氏は、原付で何度も山形から東京まで行っていたらしい。

4)周囲ではこんなチョッパーを乗りこなしていた友人はいないが、16歳のジープは、中古自転車をチョッパー風に改造して、盛岡から仙台まで家出して来た。

5)この映画が、こんなに印象深いのは、単純な構成となっているからだろう。最後のエンディングは、何度見ても悲しい。されど、彼らは、あのまま突っ走って、一体どこにたどり着いただろう。いやいや、この映画は老齢になってふりかえる映画ではあるまい。突っ走る青春の映画だ。それにしても、最後のエンディングは、ティーンエイジャーにはあまりにも不可解で、容認できない。

6)ドラッグカルチャーは、どこまで進んだのか。医療用大麻とか、今風の新薬も出ているようだが、早晩、この映画のエンディングのような結末が用意されている。

7)もう少し何か書けると思ったが、割と少ない。象徴的ではあったが、結局は、私の道ではなかった。

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Wired. 45 2022

No4648星5

1)当ブログは5043点の資料を読み込むことが、途中から目標になって来た。つまり、残り396点を読み込めば、一応の目標の達成となる。自分の70歳の誕生日までとすると、残されているのは1年と9ヶ月ほど。635日ほどで、ここまで辿り着くとすれば、1.6日に1冊ほどのペースが必要となる。かなりなハイペースだ。

2)しかるに諸事情が、色々とハードルを上げてくれている。一つはブログサービスの低下。二つ目は、書き込みのデバイスが、タブレットになったこと。そして、三つ目には、視力を中心としたわが身体の衰え、がある。その他諸々あれど、何はともあれ、このまま、ありのまま、生き切るしかない。

3)当ブログの主テーマは、仏陀の悟りであり、唐代禅師たちの禅であり、現代におけるOshoのエンライテンメントについてである。これが一貫したものであり、同一のものであり、したがって、無であり、空であり、道である、ということを体感すれば、それでいいのである。物事は実にシンプルに終着点を見つけている。というか、無限のループに入り始めた、と言える。

4)wired 今号は、割と簡単に書店で購入した。ホールアールカタログのような、シンプル思考な、先祖回帰的なわかりやすさがちょうどいい。1972年に、熊本の虹のブランコ族、神饌堂で垣間見て以来、このシンプルさと実用性と、夢、これらが一体となった一冊空間が小気味いい。宝島のシティカタログ第1号に、わが時空間が紹介されて以来、この人生は、これはこれでよかったのだ。

5)数日前、映画イージーライダーをnhkの録画で見た。2001年宇宙の旅、と共に、わが人生を決定づける何かであった。もう一つ、何かをあげたかったが、あえて言えば、ジョブスの伝記を書いた映画が、この十年間ではベストであったかも。ピーター・フォンダのクールさが、カッコいい(二重形容)。で、途中で出てくる、砂漠の中のコミューン、あれを高校生の私は、どう見ていただろう。

6)現在、物置を改造中。というか片付けして、再デザイン中。ようやく体力と気力が戻って来たというべきか。畑のズッキーニ、成長が良かったのだが、ここにきてバイキンが入って枯れ始めたのは、がっかりした。当ブログ、けなす人もいないわけじゃないが、褒めてくれる人がでてきたことも嬉しい。けなす人は、文章や一言一句。割と単純なので、反論してあげる気力がない。まずは隗より始めよ。ご自分でどうぞ。褒めてくれる人は、長年の集積を誉めてくれる。しかも、具体的に、実用的に。

7)たんぽぽの綿毛に乗って夢よ飛べ  把不住

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2022/06/15

2001年 宇宙の旅 パンフレット

No4647 星5


1)セコハン書店は、好きではない。なんというか、小馬鹿にされている感じがする。一度段ボール一つ、なきのなみだで本を売りに行ったことがある。一冊一冊ためすがえすチェックされたあと、2冊ほど抜き取られて、20円を渡され、あとは要らない、と返却された。あの体験のあと、もう大嫌いになった。

2)それでも最近は、暇に任せて覗きに行くことがある。ほとんど私はマーケットから外されているので、読みたい本はまず無い。あっても安いとは思えない。これなら図書館から借りるか、ネットで探したほうがまだ安い。

3)先日、また覗いてしまった。大手セコハン書店は素通りして、セコハン衣類コーナーを覗いたら、映画パンフレットのワゴンセールをやっていた。別段映画ファンでもないので素通りしようとしたが、その安さに目が止まった。

4)1冊110円。なら、まずはありえるだろうが、セールで5冊まとめて110円と来た。これは通常あり得ないでしょう。ひょっとするとほりだしものがあるかも、と足が止まった。そして結局、10冊のパンフレットを220円でゲットして来てしまった。

5)帰宅してネットで調べると、大体中古パンフは送料込みで400円平均。考えて見れば、一冊売れれば粗利200円程度、あのワゴン全部買って来たとして、ネットで販売すれば、数万から10数万になるに違いない。手間を惜しまなければ、だが。

6)しかし、私には正業がある。それだけのエネルギーを生業に注ぎ込めば、ネットオークションよりも稼げるはず。あちこち浮気するのはやめておく。そしてまずは、その10冊の中に、2001年宇宙の旅、も含まれていたことを、ここにしるしておく。画像をアップできないのが残念だ。

7)当ブログは、no5034冊を目指している。先を急ぐ必要がある。最近停滞気味な冊数稼ぎに、このパンフレット達にも活躍してもらうことにする。以下、続く。

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2022/06/14

レインマン

No.4646星5

1)レインマンを見た。ちょっと古い映画だ。携帯もなければ、ネットの匂いもしない。されど、最初のつかみで、車が出て来たのには、参った。一気に2時間の映画を見た。

2)ダスティ・ホフマン扮する、いわゆる自閉症と称される人と、カウンセラーの立場であったことがある。確かにあのような存在は確かにあるのだ。しかも、おそらく絶対数は決して少なくなかろう。

3)トム・クルーズ扮する、いわゆる冒険的若者にも、ビジネスマンとして、対峙した時がある。国柄の違いはあれ、若者の何割かは、あのような人生の軌跡を描く。あれはあれでいい。

4)されど、2時間のこの映画に、一気に引き込まれたのは何故だっただろうか。ひとつには、最初の最初から、最後に最後まで出てくる、古いオープンスポーツカーだろう。あの車のあるアメリカの風景が、魅力的であった。

5)そしてやっぱりダスティ・ホフマン扮する役柄の、不可解かつ深淵な人間というものの存在感であろう。どちらも、単立では単調なものとなる。その対比、その取り合わせの妙に、私は惹かれたのであろう。

6)そしてあのラスベガス。いかにもアメリカ的であり、また、幻影的である。オレゴンのコミューンを思った。ある意味、あの時あそこも、ラスベガスだった、ということもできよう。まさに、ゾルバ・ザ・ブッタ的問題提起のエンターテイメントであった。

7)結論はでない。解決はしない。しかし、一段深まり、一段、登る。無駄ではなかった何か、確実に記憶されるべき何かがある。何事にも執着しない人生もおかしい。引っ掛かりを持ち、何事かに、積極的に巻き込まれながら、人は生きていく。

 

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