「サイコロジー・オブ・ザ・ブッダ」瞑想のエッセンス Vijay 辻本恒 OSHO’S BOOKS
「サイコロジー・オブ・ザ・ブッダ」上下合冊版: 瞑想のエッセンス
2022/3/19 Vijay 辻本恒(著)OSHO’S BOOKS ペーパーバック 318ページ
No.4644★★★★★
1)Vijay君の最新刊。ブッダの心理学。Vijay君、だなんて、ちょっと慣れ慣れしいが、さん、でも、様でも、ちょっと違うかも。まったくの呼び捨ても、なんとなく違和感がある。彼とは一期一会、一回だけフィジカルにお話ししたことがある。1987年のプーナでの4か月間の、OSHOカウンセラー・トレーニングの2期と3期の切り替えのタイミング。わずかだが、私のほうが先に受講した。
2)あのトレーニングは、OSHOのグループ・セッションではめずらしく、ノートを持ち込むことがOKだった。4か月間なので、けっこうな量になり、私もいつかまとめてどこかに貼り付けようと思い続けてきたが、結局それはできなかった。ある意味、ここでVijayが言っているアメリカ・セドナのOSHOアカデミーにおける「サイコロジー・オブ・ザ・ブッタ」は、ここにつながるコースと云えなくもない。
3)ただ、あれからさらに10年を経て、1999年からのミレニアムを挟んで彼が参加したコースは、さらに進化し、特化したものと思われる。一週間のコースに三年ほど続けて参加したようだし、前後して、他の補完するコースも受講したようだ。その時のメモを、今回彼は惜しげもなくシェアした、ということになるだろう。
4)そもそもこのコースは門外不出、内部での体験を外に漏らしてはいけない、とか、その体験を熟知しないまま人に勧めてはならないなどのルールもあったようだ。彼としては、あれから20年も経過しているし、自分も体験し、カウンセラー・セラピストとしてクライエントと共有しているという自負があり、今回公開に踏み切ったようだ。というか、これまで断片的にシェアされてきたものがまとめられた、ということなのだろう。
5)Vijayには、セドナとやや傾向性の似ているエサレン(エスリンとも)についてのレポート「エスリンとアメリカの覚醒」人間の可能性への知挑戦( ウォルター・トルーエット・アンダーソン /伊東博 1998/09 )を紹介されたことがあった。2008年のことであった。当ブログとしても、だいぶ深読みした記憶がある。翻訳者の伊藤博氏のセッションは、私も地元で受けていたので、興味深くあった。
6)今回この本を一読する限り、重要なキーワードは「パーツ」である。心理的内面を検索した時に、自らのパーソナリティを形成していると思われるいくつかの主なる要素のことのようで、なぜにそのことに「こだわるのか」を、深く見つめる、というところあたりだろうか。それらを一週間のセラピーとしてパッケージしたのが、「サイコロジー・オブ・ザ・ブッダ」の一側面のようである。
7)70章に渡る長文の目次を見た時、個人的に私が最初に引っかかったのは、第49章「リムジン・カーの秘密」だった。内容もよく知らないまま、その部分だけチラ見したのだが、それはこのセドナでも重要なキーパーソンであるディアン・ヨギの「パーツ」だったようだ。ヨギ自身が自らの内部の要素として、その部分を強く見ようとしていたようだ。
8)そしてまた、私はなぜその章のタイトルに引っかかったのかを考えた。それは、最近ずっと私は、赤いスポーツカーにこだわり続けていたからである。ほぼ一年間と言ってもいい。ひっかかったのは、ヨギとはちょっと違うかたちではあったが、なるほど、と思った。ある心理学(アサリ式色彩心理診断法)においては、赤と黒の組み合わせは、マザー・コンプレックスと言われている。あるいは、クルマそのものは母親の象徴なのだ。2年前に98才の母親を亡くしたことが、どうやら私の場合、この二つのことがつながっているのではないか、と思えた。
9)この本を読む前から、そのことはうすうす気づいていたのだが、この本を読むことによって、ますますそのことについての関心に加速度がつきそうだ。ツーシーターのスポーツカーは、ある意味、他の夾雑物を拒否する姿勢でもある。そのスタイルを能面にたとえ、狭い車内を茶室に例えるようなロードスターに、なぜにこれだけ惹かれるのか。当面、私の瞑想は、この周辺をうろうろしそうな予感がする。
10)この本、読み進めるうちに、どんどんセラピーの深淵に引き込まれていくのだが、最終章に近づくにつれて、なんとなく寂しくなる。最初は華々しい肩書とともに紹介される講師陣だが、ひとりひとりが亡くなり、あるいは離れ、次第にこのセドナのOSHOアカデミーは終焉していくのである。また関連してOSHOインナーサークルの面々のネットワークも大きく崩れていくような印象がある。それが本当なのかどうかは、私には調査できないが、おそらくそれは外れてはいないのだろう。
11)この本を読む限りにおいて、著者本人はその後継者として、この2022年において起立しているのはよく理解できるとして、その周辺は、そのネットワークは、今後のビジョンは、となると、ちょっと心細い気分になる。そのような私の読み方が正しいのかどうかはわからない。また、この文章における名称や個人名の私の捉え方は、ややラフにすぎる。ファースト・インプレッションを記憶しようとして、あちこち間違った言葉使いになっていたら、著者をはじめ、周辺の方々のご容赦を願います。再読、再再読の過程で訂正加筆していきます。
12)この本、Kindle版でネットで完読できるが、私は紙版で読んだ。簡易表紙のぺーバーバックスタイルは、以前読んだことのある「Life in Orange: Growing Up with the Guru」 (著者: Tim Guest 発行年 2005年 出版社: HARVEST BOOKS Paperback)の装丁に似ているな、と思った。タイトルが、手書きの筆記体であったことが類似点だった。それ以上の他意はあるまい。
13)個人的には、この15年ほど続けてきたブログが、三本目となり、しかも容量が定量に達して、現在書き進められない状態となっている。この文章を最後に、書き納めとするか、あるいはこれを積極的な起爆剤として、新たなるブログに進むか、逡巡している。どちらにもメリットがあり、どちらにもデメリットがある。新たに始めるとしたら、タイトルは「コンシャス・シンギュラリティ」としたいと思っているが、その突破口として、この本を深堀するのもありかな、と思っている。
つづく・・・・・かも
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