吾妻鏡 奥州合戦 <2>
1)歴史モノ、特に軍記モノは、当ブログの対象範囲外であり、資料などの検証はまったく不得手ではある。されども、身に降る火の粉は払わにゃならぬ。吾妻鏡は要所要所でぶつかる超一級の資料である。まずはこの中から、名取熊野三宮とかやの木の伝記にまつわる記録を探ることになる。
2)この部分を見る限りにおいて、文治元(1189)年、源頼朝が奥州合戦のおり、船迫から多賀城に移った8月12日、この地を通り過ぎたことは推測できるが、記録としては、私が期待しているような記録はない。
3)そして、帰路においても、名取宮司や熊野別当の名前はでてくるが、「赦免されて」「元の住所に帰った」と記録されている限り、そもそもがなんらかの咎を受けて捕縛されていたらしき風景を想像するのであり、事なきを得た、という程度で、ことのほか賞賛を受けたとは受け取ることはできない。
4)かやの木の根元に馬を止めた、あるいは頼朝腰掛の石などは、当然、後年の好事家たちにより作話脚色された可能性は大であり、前後の文脈から、物事の要点を基本的に把握しておく必要がある。
5)特に、記録に残っている船迫や多賀城における信憑性、そしてその記録の濃淡、それに比すところの、この地の当時を想像してみる価値はある。
6)そもそもは、この地における郷土史的な関心からこの調査が始まっている限り、その伝説の信憑性において、それぞれの存在意義が揺らぐものではないが、吾妻鏡全体をも、よく咀嚼玩味する必要があろう。
7)時あたかも、大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」が始まっており、リンクして読む解くことも、なかなかに興味深いものである。
つづく
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