吾妻鏡 奥州合戦 <1>
No.4629★★★★★
1)かやの木に頼朝が馬を繋いだと言う伝説は、どれほどの信憑性があるのか。
2)この本を見る限りにおいては、その証拠は見つかっていない。ましてや熊野神社にある腰掛石だって、明示的に確定されるわけではない。
3)吾妻鏡については、義経の首が鎌倉へ運ばれた経緯や、他のいくつかの歴史物で、傍証的根拠として引用されているのを読んだことはあるが、まともに読める本ではないと思ってきた。
4)つまり漢字だらけで、人名地名とも、多くの引用なくしては、概略さえ掴めないものと、思ってきた。それにひかくすれば、このような現代語訳が存在する事を知ったことは、個人的には大発見である。
5)ただし、どうも読めない理由に、戦記物の惨たらしさ、血の匂いというものに、極端に反応してしまう私の体質もある。こういう戦いモノは嫌いなのである。
6)そうは言っても、鎌倉時代の日本仏教の祖となるべき人脈の理解や、平泉との葛藤などを深く理解していくには、どうしてもこの吾妻鏡は避けては通れないようである。
7)深く百科事典的に理解することは必要あるまい。されど、日陰あればこそ日向あり。どこに太陽があって、どの地に影ができたのか、大略的に把握しておく必要はあろう。
道一つ日向と日陰春遠し 把不住
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