「スピリット・オブ・ロードスター」<162>実用性と趣味性
1)両極に、実用性と趣味性を振った場合、この両極の中間に位置するものは何か。とくに今回の場合、人生最後に乗るクルマというテーマの場合、経済性と言う視点が挟み込まれてくるのではないか。
2)車は本当に必要なのか。一般的な人々ではなく、私の極私的視点にたてば、ほぼ絶対に必要、ということになる。仕事で使うからだ。日常的な現場や客先周りの営業車として、ほぼ絶対必要である。ないとすれば、ないことを理由に、廃業プロセスに入っていますよ、と言うシグナルとなる。運転できなくなったから、仕事をやめる。これは立派な口実となる。
3)じゃぁ、どれだけのものが必要なのか。ダンプもいらなきゃバスも要らない。普通のセダン型自動車が有れば足りる。軽も可ではあるが、ちょっとひんじゃくだ。できれば1000cc以上。だが、豪華な高級車はいらない。誤解を招くだけだ。別段に特殊な装置も必要ないが、常に洗車などは心がけておく必要があろう。緊急時にエンコじゃ困るので、定期点検整備も必要だ。
4)仕事における実用性はそこまでだが、家庭生活においては、どうか。つまり奥さん目線で考えれば、たまには孫達とドライブもしたいし、離れた親戚回りもしたい。出来ればあまり四角くなく、目立たない色であってほしい、ということになろう。私個人で言えば、たまにDIYで長物を積むし、市民農園用の肥料を積んだりする。あまり気取った車は願い下げ、ということになる。
5)実用性としてはこれで十分だろうが、さて趣味性となるとどうか。奥さん側から見れば、実用性と趣味性がほぼ同じ意味を持っているだろう。あえていうなら、あとは自分に運転できるかどうか、だが、そもそもほとんど運転する気はない。助手席が自分の定席だと思い込んでいる。
6)私の趣味性も、これまでずっと圧迫されてきた、とも言い難い。軽、軽ワンボックス、リッターカー、ツーリングワゴン、ハイブリッド、SUVとほぼ趣味的嗜好性も満たされてきた、と言ってよい。時には2台持ちだったし、サンルーフ車も何台か乗り継いだ。当たりもあり、ハズレもあった。
7)概して言えることは、好みのブランドと、経済性だ、あえて言うならスタイルが気に入っていて、維持費が安けりゃ、なんでもいい、とさえ言い放つ。ちょっと投げやりだが、まぁ嘘ではない。実用性から考えれば、そうだ。
8)では、趣味製の問題から考えてみればどうなるか。これを趣味性と言っていいのかどうかわからないが、このジャンルが好き、とか、これがやりたかった、ということではない。突然湧きあがった景色なのである。一点ものである。
9)86とかS660なんて単語は何も意味しない。ジムニーなんて、ヘ、とさえ思う。だが、あの一台だけは、どうも私のハートから、抜き去ることができない。何事が起きているのか。自分では、正確に自分を理解できない。でも、受け入れることはできる。
10)後付けではあるが、いろいろな理由は思いつく。色がいい、形がいい、手が届く価格である。世界的に評価されている。レンタカーに乗ってますます好きになった。人生最後のシーン、自分の傍に、これがあってもいいだろう。願うような、すがるような思いである。
11)このように両極に振れた指向性を、一本化することは無理であろう。自分の情熱を押し殺すか、あるいは、家族を見て見ぬふりするか。いやいや、無理であろう。私は家族の犠牲にはなる気がないし、かと言って自分の家族も大好きなのである。
12)ここはいよいよ2台持ちの決断をすべきなのか。その際、EVはどうなる。支払いはどうなる。家族の反応は。タイミングは、納車時期は。補助金は。そして、次々と飛び出す新車のラインは、どうなる。正月早々、熱を出して寝込んでいる。平熱±αだが。
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