「スピリット・オブ・ロードスター」<170>RC1 RC2 RC3
http://krdayji1988.blogspot.com/2014/09/nc2.html
1)NC1(前期型) 2005~2008年
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1)NC1(前期型) 2005~2008年
1)あるボランティアの総会に出席した。少人数の観光ガイドの会の集まりだが、ほとんどが高齢者である。すでに5年ほど加わっているが、一人抜け、二人抜けして、ちょっと寂しいかも、という状態だ。
2)私は若い部類で、年寄りと付き合うのも悪くない、と思って加わっている。
3)会員リストの補充確認ということで、メールや年齢の確認があった。薄々気づいてはいたが。私は最年少の部類。同輩というより一つ若い人が一人いるが、あとはそれぞれに高齢者だ。
4)戯れに、平均値を出してみると、ちょうど75歳だった。つまり、上もだいぶいる。比較してみれば、年齢的には施設にも入っていないし、頑固に引きこもっていない高齢者達なので、っきあっていて、楽しい。
5)鎧作りに邁進する人、地元のまとめ役を買って出ている人、神社の総代を若くして引き受けている人、クラシックなどにも含蓄の深い人。男性ばかりで、女性がいないのが残念ではあるが、lなかなかの仲良しグループだ。
6)個人的には、元気なお年寄りたちに混ざって活動することは面白い。こちらも観察されているとは思うが、私もじっくり彼らを観察している。過去においては現在に私と同業であった人もいて、なるほど、こういう人生も悪くない、と思わせてくれる。
7)いいんじゃないかな、人生。楽しく生きて、静かに消えていく。よきかな人生、これぞ人生。
一人消え二人消えして春間近 把不住
No.4629★★★★★
1)かやの木に頼朝が馬を繋いだと言う伝説は、どれほどの信憑性があるのか。
2)この本を見る限りにおいては、その証拠は見つかっていない。ましてや熊野神社にある腰掛石だって、明示的に確定されるわけではない。
3)吾妻鏡については、義経の首が鎌倉へ運ばれた経緯や、他のいくつかの歴史物で、傍証的根拠として引用されているのを読んだことはあるが、まともに読める本ではないと思ってきた。
4)つまり漢字だらけで、人名地名とも、多くの引用なくしては、概略さえ掴めないものと、思ってきた。それにひかくすれば、このような現代語訳が存在する事を知ったことは、個人的には大発見である。
5)ただし、どうも読めない理由に、戦記物の惨たらしさ、血の匂いというものに、極端に反応してしまう私の体質もある。こういう戦いモノは嫌いなのである。
6)そうは言っても、鎌倉時代の日本仏教の祖となるべき人脈の理解や、平泉との葛藤などを深く理解していくには、どうしてもこの吾妻鏡は避けては通れないようである。
7)深く百科事典的に理解することは必要あるまい。されど、日陰あればこそ日向あり。どこに太陽があって、どの地に影ができたのか、大略的に把握しておく必要はあろう。
道一つ日向と日陰春遠し 把不住
No.4628★★★★☆
1)今更ワーケーションなどという言葉が流行っているが、元々そうでなくてはならないと、私は思ってきた。最初に痛感したのは、アルビン・トフラーの「第三の波」の中の、エレクトロニック・コテッジ、という概念であった。
2)農業の波、工業の波に続いてやってくる第三の波、情報化社会の波。1980年前後においては、まだまだ予兆に過ぎなかった。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが登場する前夜のことであった。
3)その後の展開は目まぐるしいものがある。パソコン時代がはじまり、スマホ時代がやってきた。GAFAと言われる恐竜たちがのさばる現代において、都市はさらに密集化し、個人が無視される、国家主体型の社会の逆転現象さえ起きてきている。
4)世紀末あたりには、SOHOという言葉が流行った。Small Office Home Ofiice、の略称だ。フリーランス、という言葉も流行った。略してフリーターなどという派生語も登場し、物事は風化したり、揶揄されたりして、混沌とした状況に巻き込まれていった。
5)形態で言えば、私のライフスタイルは、エレクトロニック・コテッジに着想を得た、SOHOのフリーランスである。言葉のない時代ではあったが、ローカルなエリアに車で移動し、形態したパソコンで仕事をした。私なりのワーケーションであった。
6)行き過ぎたIT管理社会には、私は反対である。クルマ社会が一定程度行き着いたように、パソコン業務が一定程度完成してしまったように、情報化社会も、ほどを知って、そろそろ吾唯足知の時代である。禅でもマインドフルネスでもいいが、人間は人間に立ち返って、生き直すべきである。
7)断捨離とかミニマリストとかいうスタイルも関心を集めている。情報化社会、ハードもソフトもインフラも揃ったからこそできるワーケーションである。私は私なりのシンプル・ライフを生きようと思う。
No.4627★★★★☆
1)ネットただ読みでなければ、このような本には出会えないし、読む気も起きないだろう。
2)友人の子供や親族には、自衛隊員がいる。おそらくどの人の周辺においても、一定程度の割合で、警察官や自衛隊員がいるだろう。
3)私は、組織が好きじゃないので、自営業を選んだ。勝手自由が効くし、他人の自由を束縛することも少ない。だから、自衛隊や警察になろうなんて、考えたこともない。
4)関連で言えば、サムライや、戦い、戦国時代や、戦記物は苦手である。だから、歴史も嫌いになる。
5)ただ、3・11のような状況の中で、最初に身を投げ出して、復興に当たった人は誰であっただろうか、とおもう。みんな、自衛隊には感謝してる。彼らがいなかったときのことを考えることはできない。
6)向き不向きがある。もちろん自衛隊だけで世の中が成り立っているわけではない。和尚さんも、料理屋さんも、建築屋さんも、みんな必要だ。みんな、なりたい自分になればいい。
7)みうちに、この春、自衛官として巣立つ女子がいる。彼女の意思は固い。なりたい職業のトップだ。祝福したい。
https://www.osho.com/ja/read/featured-books/yoga/seven-years-cycle
49歳から56歳までのあいだに、この独りあることがあなたの存在の焦点になる。世の中のあらゆることが意味を失ってしまう。残っている唯一の意味あることはこの独りあることだ。
56歳から63歳までのあいだに、あなたは自分のなるはずだったものに完全になる。潜在的な可能性が花開く。63歳から70歳までに、あなたは肉体を落とす準備をしはじめる。いまやあなたは自分が肉体ではないことを知っているし、また自分が心ではないことも知っている。35歳頃のある時期に、あなたは肉体が自分とは別のものであることを知った。49歳頃のある時期に、心が自分とは別のものであることを知った。いまや、観照している自己以外のすべてのものが落ちてしまう。ただ純粋な気づき、気づきの焔だけがあなたのもとにとどまり、それが死への準備になる。
70歳が人間にとっては自然な寿命だ。ものごとがこの自然な道筋をたどったなら、彼はあふれるような歓びと共に、大いなる歓喜と共に、この生は無意味なものではなかった、少なくとも自らのわが家を見つけることができたという、この上もない祝福を感じながら死んでゆく。そしてこの豊かさゆえに、この成就ゆえに、彼は全存在を祝福することができる。
このような人物が死んでゆく傍らにいることは素晴らしい機会だ。彼が肉体を離れるとき、あなたは目に見えない花々が自分に降りそそいでくるのを感じる。見ることはできないけれど、それを感じることができる。
Osho: From Darkness to Light より抜粋
1)源頼朝が奥州合戦で平泉に向かう際、柳生かやの木の根元に、馬を停めた、とされる伝説。その真偽を確認することは難しいとしても、その史実をどこまで追いかけることができるのか?
2) 奥州合戦(おうしゅうかっせん)は、文治5年(1189年)7月から9月にかけて、鎌倉政権と奥州藤原氏との間で東北地方にて行われた一連の戦いの総称である。
3)
ということは、この期日なので、往路であれば、1989年8月11日前後となる。
9月22日 頼朝、陸奥国の奉行を葛西清重に命じる 吾妻鏡
9月28日 頼朝、鎌倉に向けて帰還
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と、ここまで書きかけて、すでに自分のブログにメモしていたことを、思い出した。
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http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-f326.html
「囊塵埃捨録」(のうじんあいしゃろく)」 「仙台叢書第七巻」所蔵
仙台叢書刊行会 1924 ハードカバー 図版6枚 449p 仙台柳生「かやの木 薬師様保存会」資料集
Total No.3241★★★★☆
p345
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参照 「仙台市史」特別編9 地域誌 2014/03 仙台市史編さん委員会/編集 p595
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となれば、かやの木に馬を止めたのは、畠山重忠、と考えることもできる。
で、畠山重忠、って誰?
https://ja.wikipedia.org/wiki/畠山重忠
最近 エスニックなお店ができたので行ってみた。
なんか、いいね。心休まります。
http://www.malaika.co.jp/shop-natori/
レイジーキャットから早30有余年。わが生家のすぐそばに、こんな店が出る時代になったんだね。
温室も付帯してあり、結構広いよ。コーヒーも食事もできて、おそらく昼寝もできる。
1日いても飽きないかも。
ここがいいのは、広いことだね。のんびりできて、いきなりリゾートに行った気分になる。
それとコーヒーカップが大きいw ガブ飲み派の私には嬉しい。400円
近いから、歩いて行ってビールを飲んで、昼寝も悪くない。
オフィスで詰まったら、パソコン持ち込んで、ワーケーション、というのもどうでしょう。
No.4626★★★★☆
1)あれ、私はこのカタログを明示的にはまだメモしていなかったらしい。購入して2ヶ月ほど経過しているが、メインの話題注目にはならなかったらしい。
2)今朝目が覚めた時、オーラもいいじゃないか、と思い直した。あの赤と、あのスタイル、あの価格帯、悪くないんじゃないか? そう思えたのだ。
3)しかし、カタログをパラパラみたり、紹介動画をググったりしているうちに、どんどんエネルギーがダウンしていくのを感じてしまう。ダメだ、こりゃ。
4)そもそも日産がダメである。ノートがダメである。eパワーとやらがダメである。それに、なんだこりゃ、と思うほどのゴチャゴチャした飾り物。いらんいらん、そんなものいらん。もっとシンプルでいいよ。
5)赤は赤でもいいが、赤が似合う車と、そうでない車がある。高齢者には、赤は似合わないかも、と遠慮がちだったが、老齢ドライバーには、膨張色がお勧めとなっている。
6)今日の本命は、やっぱり、ソールレッドクリスタルメタリック、だった。対抗はNCRHTのカッパーレッドマイカ。穴は、ソールレッドプレミアムメタリック。
7)現実ラインは、20と赤の二台持ち。さぁ、ガレージを片付けよう。
<小説>藤沢周平作「山桜」 朗読*池上伴湖 <期間限定配信作品>配信期間2021年5月31日~2022年5月30日
No.4625★★★★★
1)山桜はテレビ番組で、何回も見た。録画してあるので、何回見たか忘れたが、おそらく10回はくだらない。まだ残っていて、これからも何かの折に、思い出して、見るだろう。
2)テレビドラマと違って、朗読は、藤沢周平の原作により近いだろう。この二つの違いに、関心があったが、両方とも秀作だと思った。朗読の方は、よりリアリティがあり、あの田舎の風景が、より鮮明に浮かんでくるようだった。
3)この小説を思うと、2年前に亡くなった母を連想せずにはいられない。昨年末に亡くなった瀬戸内寂聴と同い年だった。時代体験は、ほぼ同じものだろう。
4)最初の夫を数年で亡くし、婚家から生家に一旦生家に戻り、再婚したのだ。
5)最晩年、施設で横たわりながら、つぶやいたことがある。せん妄というのだろうか、話している相手が誰だか分からなくなり、時間の順番もあやふやになりながら、私も、みつどころ、で暮らした人だから、と呟いた。一回だけだったが、聞き逃さなかった。
6)初婚については、タブーだった。何一つ話さなかった。全く知らないでいたわけではないが、そこを探っても、何一つ嬉しいことなど出てこないことを知っていた。
7)自分の名前に、孝、の一字をいただきながら、決して親孝行な子供ではなかった。時に反抗し、時に必要以上の心配をかけた。私の持って生まれた性格もあったのだろうが、彼女もまた、客観的にみれば、何事かに秀いではいても、何事かを秘しているような、性格に凹凸があった。
8)私は現在67歳。父は45歳で亡くなった。母は享年98歳を全うしたが、親子の葛藤は、すでに消滅していたと言ってもいい。決して母の望むような子としての人生を作り上げることはできなかったが、もうすでに、人間としての群像はすでに風雪に耐え、半ば、定型的な背景のように固定されている。
8)最後の呟きを聞きながら、何事かが変化したわけではなかったが、あの戦争時代に青春を送りながら、一人の女性として、一人の人間として必死に生きてきたのだ、という事実に触れた。
9)藤沢周平の山桜と、ダブルところもあれば、当然全く違った展開の部分もある。当然だ。だが、立場を離れて、ふと思えば、一筋に生きた一人の女性像に圧倒された。
10) 三つ所一筋に咲く山桜 把不住
1)タイヤについては、ホントまったく関心がなかった。ついてれば走るんだろ、程度で、もうどうでもいいや、という感じでござりました。
2)しかし、このところ、昨秋に冬タイヤに履き替えてから、やたらと燃費が下がった感じがする。超近距離しか走らないし、暖気運転時間も長いし、冬道だし、暖房も焚くし、と、原因はいろいろあるのだろうが、少しはタイヤのことを勉強しないとな。
2)これは冬タイヤ。185/65R15 880 の数字が見える。これは一体どういう意味を持っているのだろう。いつも工場に任せっぱなしで、適当につけておいて、とお願するだけ。あれ、それでいいんだろうか。
3)タイヤの空気圧も低すぎたり高すぎたりでもダメで、適当なことが大切と聞いたことがあるが、それも工場やガソリンスタンドのスタッフにまかせっきり。これでいいのかな。
4)こちらは野ざらしになっている夏タイヤ。おそらくそろそろ履き替えなくてはならない時期かもよ。また想定外の予算が割り込んでくる。😢 しかし、これは必要経費ですね。消耗品だよ。
5)185/65R1588S の文字が見える。冬タイヤと夏タイヤでは、微妙に表現が違っている。どうちがうんだろう。それにホィールも、きったねぇなあ。傷だらけで、錆びだらけ。ホント、これで大丈夫?
6)ほう、いろんな情報があるんだね。メモメモ。
1)人間なかなか、諦めがつかないことも多いようだ。年末年始に免許返納の相談を受けたのだが、結局はみんなそれぞれに諦めが悪い。体を悪くして60代で返納の人もいるにはいるが少数派。70前後では、みんな生殺し。まだまだ死にぁしない。本当に諦めがつくのは、80越えの人たちだ。
2)迷うことは迷うが、そうそう人生淡白には終わらないようだ。未練たっぷり、思わせぶり。そういうみっともないところがあってこその人間なんだな。エッセが来るかと、一瞬色めきたったが、いえいえまだまだ、言ってみただけよ、のトボケぶり。まぁ、そうだろうな、それでいいと思う。
3)どこかの山の中のエコロジストは、コムスを手に入れて、これからカスタムに取り掛かる風情。ゴルフ場の電動カートのように、山中のコムスは楽しいだろうな。風景が面白い。絵になる。それだけだけどな。
4)考えてみれば、決して20プリウスEXも悪くないよ。ちょっと飽きがきちゃてるだけで、決して悪くない。不足を補って余るものがある。
5)いつまで経っても電動車BEVは来ないもんだ。諦めたよ。チットも楽しくない。いちユーザーが悶々したってどうにもならない。あまりに円環が大きすぎる。
6)クルマなんか、 もっとお気軽でいいんじゃない。冷蔵庫の中の余り物で作った、まかないクルマ、なんてのもあっていいはずだよ。昔の荷車や馬車なんか、そんなもんだっただろ?
7) これがまぁ終のクルマか霊柩車 把不住
今日の気分はこの3冊 目次
1)今日で正月も終わり。散歩がてらに家を出たら、ホンダEが走っていた。デザインですぐわかる。これで価格が安かったらな。小さく見えるが、意外と大きい。いいかも。
2)中古車店に新しく入ったND黒を見に行く。なかなかいい。黒もいいかも。価格も手頃。下取りもまずまず。若い営業マンも必死。
3)本屋をぶらぶらこんな本もあるんだな。
No.4619★★★★☆
軽もいいかな、とも思う。
No.4620★★★★☆
車も大事だが、風景がね、必要だ。
No.4621★★★★☆
4)帰り足に黄色いエッセ発見。なんとすぐそばに生息していたんだ。うれしい。
これもなかなか、可愛い。
今日の気分はこの3冊 目次
1)どうも最近、マイカーの所業がおかしい。以前から気が付いてはいたのだが、秋の終わりにタイヤを履き替えて、本格的に冬になって、暖房を強くし、出発前の予熱運転をしたり、家族を乗せるために待ち合いの時間をとったりする変則的な使用方法が増えているからかも知れない。
No.4616★★★★☆
2)我が家のカーサイクルプランは、全くもって白紙である。色々理想形は想定できるが、軸となる中心ががたついているために、決めようがないのだ。さて、どうするか。毎日毎日堂々巡りする想定案に、結局自分で振り回されっぱなしだ。
No.4617★★★★☆
3)メインのハイブリッド車が10年10万キロをだいぶ前に超えてしまっていること。次なるEV車がなかなか登場しないこと。岡惚れしたロードスター熱がなかなか下がらないこと、この三つが、重なる要因である。それに絡んで、自分の年齢から、人生最後の車選び、というテーマが重なってくることが、話を更にややこしくしている。
No.4618★★★★☆
4)さらには免許返納する姉の15年落ち軽自動車の処置も絡んできて、可能性は増えると同時に、状況をめちゃくちゃにしている。この状況から脱出するには、幾つものアイディアがあるが、また重要なポイントも外すわけにはいかない。1つ、これから10年、まともに動くファミリーカーは必要である。一つ、予算枠は、中堅クラス1台分しかない。これだけなら、中堅クラスの一台を揃えれば良い、となるのだが、ことはそう簡単ではない。
5)これは、と納得できる一台がないのである。10年前にハイブリッド車に乗り換えたとき、次は完全BEVと決めていた。決意は固かった。固かったが故に、その目標を崩すことがなかなかできない。理想のBEVが、まだできていないのだ。車格、価格、性能、メーカー、どれもこれも納得がいかない。
6)この状況を更に面倒にしているのが、人生最後の車、という概念である。決して直接結びついたわけではないが、昨年からロードスターに見惚れてしまい、視野を狭くしてしまっているのだ。そして派生した、2台持ちという概念。これがますます迷宮化しつつある。ああ、これじゃいけない、と思いつつ、解決策を探しあぐねている。
今日の気分はこの3冊 目次
No.4613★★★★☆
2022年2月号だからとはいえ、2台持ち特集とは、ちょっと変。でも、二台持ちという概念が脈々と生きている、というのを知って嬉しい。
だけど、二台持ちなんて、本当はありふれていて、あちこちが、ほら、みんな二台もち。二人の運転手がいて、二人の働き手がいれば、大体車が二台ある。
そのうちに一台は高い確率で、軽自動車。もう一台は、乗用車だったり、ワゴン車だったり、SUVだったり。二台とも軽のところもあるし、もちろん2シーターオープンのオタクもある。
この雑誌における2台持ちの概念は、ほとんど外車やスポーツカー。一般家庭から考えれば、ちょっとかけ離れている。ガレージもでかい。結局、だから、どうした、と白ける。
2)
No.4614★★★★☆
この本の著者はsnsで繋がっていて、ちょこっと気の利いた批評でも書ければいいな、と思ったが、どうも最近一冊の本を読み切るのが億劫だ。その中にあっても、この本は、それでもチャレンジしたくなる一冊。
スティーブ・ジョブスは56歳と7か月で亡くなった。私の56歳と7か月は3・11だった。王仁三郎は、自分のことをどういっていたかなど、興味深い点も多い。
著者は結構若い。1969年生まれだったかな。ジェネレーションとしては、この本の話題はちょっと古すぎるだろう。しかし、だからこそ、面白いのかもしれない。
最近の私は、触らぬ神に祟りなし。あまり横道しなくなった。
3)
No.4615★★★★☆
郷土史コーナーから一冊。知人の嫁ぎ先の地名があったので、興味深かった。瀬戸内寂聴の若い時、晴美時代に、雑誌の編集で丸森大張を訪問していたというエピソードが紹介されている。
郷土史という分野は、楽しい。へぇー、そんなことがあったのか、と、新たな発見に圧倒される。知れば知るほど楽しい。
しかし、限界もある。何でもかんでも知っていればいい、ということでもない。どこかにテーマを絞っていかないと、結局は、なんとかの生き字引なんて冷やかされて、それで終わってしまう。
一般に言われている郷土史というものに対する私個人の姿勢をもう少し整理すべき時期に来ている。
1)もしESSEが入手できたとして、まず不満なのは、アームレストがないこと。これは私にとっての必須アイテム。こんな改造案がベストだとはいえないが、みんな工夫しているんだな。
5)ところで、この車ってエアバック付いているのだろうか。事故現場も色々立ち合ったが、エアバックが広がるまでいくのはそう多くない。されど小さい車だけに、事故ったら怖い。せめてエアバックが必要とおもうが、後付けはできないはず。ググってみると、タカタ製が付いているはずだが、2015年にリコールになっていて、キチンと交換されたか、要チェックだな。
6)あと気分の問題だが、外装的に、屋根の部分を黒く塗装したい(笑)
7)追加で、ガラススモークなんて、あり? 今までやったうちで、うまく行った試しはないが、まぁ、やってみる面白さはある。
8)あと、天井材? 走行時の外音もともかく、雨の音まで気になる、なんて話もある。
9)世に足回りイジリ派はいるわけで、命に関わる部分はあまり責任を持ちたくはないが、どんなもんか、と、興味ないわけじゃない。
10)あと、ナビとか、etcもつけないとな。
1)もはや、今どこからEVが出てきても、ちっとも魅力的に見えない。そのほとんどが、絵に描いた餅だからだ。それぞれがどんなアドバルーンを上げようと、全てがスケスケ、ちっとも魅力的ではない。
2)ソニーブランドも、腐ってしまったものだ。私は今でも、敬意を評して、PCはVAIOオンリーで使用しているが、もちろんもはやソニーとは、特別な関係にはない。
3)PCも、様々な関連要素によって成立しているが、車はさらに複雑だ。そう簡単にこの車が販売につながっていくだろうとは、予測できない。
4)こんなに高級なものではなく、かつてのエッセのようなEVを作って欲しい。
5)最近の車は、あまりにも重装備になりすぎている。何かに特化した、ユニークな作品を見てみたい。
6)ソニーらしい、ユニークな、コンパクトで、超先進的な、ソニーブランドにふさわしい、何か。
7)もう、無理かな。
1)ひょんなことで、身内の高齢ドライバーの自動車免許証返納に伴う、自家用軽の廃車作業を引き受けることになった。誕生日は夏なので、廃車はそれ以降になる。免許返納は、当事者にとっては人生上の大きな決断のようで、大きな重荷になっている様子。数年前から話題としてはあったが、今回の更新時期に決行する決意を固めたようだ。
2)そして更には、所有車の廃車作業も面倒なようだ。15年落ち4万キロ走行で、どれほどの価値あるものか、分からないと。いつも車検とか頼んでる知り合いの業者さんも、80才越えとなるらしく、いろいろ頼むのも、可哀想だと。新車時は100万くらいしたとおっしゃるが、諸経費込みでもそこまでは行ってない。当時の本体価格は60万後半くらいであろう。
3)これは本人が還暦したタイミングで、当時30代の長男が、一人暮らしになる母を思ってプレゼントしたものである。保険も車検も自動車税も息子持ち。至って恵まれたカーライフを送ってきたご婦人である。それと、シルバー枯葉マークもつけてくれた、と。
4)さて、今回この車を調べて驚いた。これまでは、廉価なオバチャン車で、すでに市場から消え去ったものとばっかり思っていたが、いやいやどうして意外な人気車種であった。つまり、ほとんどすっぴんの、経済性優先の一台であることには変わりはないが、そのことが幸いして700キロと軽量である。ここにカーマニア達のカスタム趣味が重なってきたのだ。
5)雑多な軽礼賛の動画に混ざって、エッセは小さなスポーツカーである、と結論づける御仁もあり、いやはや、驚いた。私は別にカスタムマニアでもなければ、スポーツファンでもない。単に赤いロードスターNDに心奪われてしまっただけである。NDがスポーツカーというジャンルに分類されることはなんとなくわかったが、ロードスターなんか、スポーツカーではない、と吐き捨てる評論家もいる。
6)スポーツカーとは何か?細かいことはわからないが、当の評論家にしてみれば、もっと強力なエンジンを積んでブイブイ疾走しなければならない、ということらしい。少数派だが、この意見はある。私にとってのNDの魅力は、あの赤をまとった2シーターのオープン、そこに尽きる。そして、価格帯で言えば、ひょっとすると自分でも新車に手が届くか、という廉価さ、だ。
7)さて、エッセは小さなスポーツカーか、というテーゼは、私にとっては、エッセは小さなロードスターたりうるか、という問題提起に置き換わる。ロードスターとは何か? エッセとは何か? 現在の私にしてみれば、二つの車に共通項は、ほとんどない。せめて色だけでも似通っていればよかったのだが。例えば、赤コムスのように。スタイルだって、もっと刺激的であればなぁ。コムスのドアがキャンパストップで、なくても走行可能、というのもいい。それこそオープンワンシーターだ。完全BEVというのも、なんともチャレンジングだ。初期投資40万以外、維持費が実に安い。車検なし、保険、自賠責、原付並み。\(^o^)/
8)走りにおいては、もちろんエッセの方がいい。細かい味付けはともかく、エッセの走りはそれなりに評価されている。車両重量700kg。ロードスターの990kgなんてよりもはるかに軽い。ただ、オープンにはならないし、スタイルもおとなしめ。せめて色だけでも赤ならよかったか?
9)そういえば、ロードスターの黄色は少ない。あればあったで可愛いが、ここは、互換性、ありか? 屋根を黒く塗るだけでも雰囲気が似通ってくるかな。
10)内装はどうか。まず気になるのは、シート。エッセの後席はほぼ不要。そもそもロードスターの2席を許容する限り、エッセの後席はトランクルーム、とわりきる。それはそれでいいとして、運転席に、肘掛けがないのが困る。MTならともかく、ATだと、左手左足が手持ちぶたさになる。左半身をもたれかけるアームレストがないのは、今のところ、大きな欠点である。
11)ダッシュボードは、これはこれでいいのではないか。タコメーターなんていらないし、ナビもスマホ台があればいい。ETCもなければないで不要である。プラスチック丸出しといっても、これはこれでいい。あっぱれじゃ。けれん味がない。usb電源も、シガーソケットさえあれだ、変換可能だ。ハンドルは、泣きたくなるほど質素だが、カバーなり交換なり可能だろう。
12)ギアシフトも至ってシンプル、棒一本である。MTならばもう少しなんとかなるが、来るのはATのはず。そもそも私にはMT願望はない。昔はみんなそうだった。調子悪くてエンストなんてしょっちゅうだった。ATいいんじゃない。ロードスターだって私はATで十分。むしろ、ロードスターになくてエッセにあるのは、広い空間。両席リクライニングできる。これは朗報。こちらは高齢ドライバーだ。どこでも駐車して休憩仮眠できるのは、むしろ必須アイテム。
13)ここまでくると、あとはエンジンをどうのとかは、よくわからない。走ればいい。法定速度でほかの車の迷惑にならない程度でいいのだ。車検や定期点検をしっかりやっておけばいいだろう。これは現行プリウスもロードスターもエッセも、皆同じ。やるべきことはウィンドウウォッシャー液の補填ぐらいだ。
14)足回りはなぁ。これはもっと分からん。せいぜい洗車時に泥をよく落しておくくらいしか知恵はない。タイヤについてもその通り。年2回の、夏タイヤと冬タイヤの交換を忘れなければいい、程度だ。
15)そもそもがだ、この程度の指向性趣味性しかないオトコが、ロードスターに憧れること自体、かなりチグハグなのではないか。下町の老いぼれた職人風情が、城下一番の花魁に見とれて惚けているようなものじゃないか。やっぱり、まもなく年金暮らしに突入するジジィに、赤いロードスターは勿体ないだろう。それに比べりゃ、初期投資ゼロ。維持費数千円/月で収まる黄色いエッセは、趣味グルマとして、うってつけではないか。
16)黄色いエッセはは、私にとって小さな赤いロードスターたりうるか? この問題提起に対し、なり得る、と回答しておかなければならない苦境に立たされているのが、本日の私である。
1)さして欲しくもないが、かといってまんざら具体化に可能性がないでもない風景を思い浮かべてみる。それはそれでなんだか愉快でもあり、ちょっとだけ重荷でもある。
2)車検、保険、税金、燃費、タイヤ、洗車、ちょっとしたあれこれの手直しやら、調整。そして、その風景を受け入れるための準備。ガレージを開けなくてはならないし、シャッターを直すのかどうか。あれこれの存在意義を、少し方向転換しなければならない。
3)負担感は、思ったよりも大きい。楽しみと、負担感、どっちが大きいかといえば、うーん、どっちもどっちだな。少なくとも、苦しいばかり一辺倒ではない。それと同じく、楽しいことばかり、一辺倒でもない。
4)感情がないまぜになる。面倒を背負い込んだような気分になったかと思えば、いいもの拾っちゃた、という有頂天の気分もないわけではない。調子いいのは、視覚的に自分の生活が彩られている風景が、カラフルに広がっていく時。
5)ちょっとまずいぞ、ブレーキ、と思うのは、色々とあれこれ経費の算段をしてしまうとき。すくなくとも、ほかの一回性の遊びとは違う。長期間のぐったりとへばりついてくる重苦しさだ。
6)しかしだ。それにしても、先だってまで思い詰めていたシチュエーションに比較すれば、五分の1の負担ではないか。やってやれないことはない。でもそれって、あの5分の1の楽しみを与えてくれるだろうか。そもそも5分の1の必要性も、あるのだろうか。
7)どうやら、5分の1とか、逆に5倍とかいうようなものはないようだ。そもそも比較できない。算段では5倍だろう。確かにその程度か、それ以下である。しかし、風景としての広がりは、おそらく5倍掛ける5倍かける、あと何倍かの広がりがありそうな気がしてくるのだ。
1)何かが何処かで通じたか、専門外の私に廃車依頼が飛び込んできた。
2)意図しない結果であったが、結局そうなった。
3)ワンオーナーではあるが、青空駐車の15年落ち。
4)別段悪いところも無さそうだが、何せ旧世代のベーシック軽。
5)それなりに経年劣化はあるはずだ。
6)走行4万キロとか。
7)ネット検索してみると、流通していないこともないが、本体価格1000円から始まっている。
8)業として買い取り、整備し、再販するまでに、それなりのプロセスがあるはず。
9)おそらく売り手は無料買取か、廃車費用として幾許かの手数料を負担しているかも。
10)ふと考える。
11)廃車もいいが、貰い受けて、我がガレージで解体してみるのもいいかもしれない。
12)実車を見るまでなんとも言えないが、ひょっとするとまだ走れるかも。
13)整備いかんにもよるが。
14)もっとも、すぐの話ではない。半年後だ。
15)思えば、これも廃物アートの一環。
16)まずは一案。
1)正月早々、二人の女性から、免許返納の話題が振られてきた。一人はまもなく70才になり、もう一人は75才となる。若い時からの知人ゆえ、まだまだ若いイメージの二人、返納という話題は似つかわないと最初は思ったが、いや待てよ、と思いなおした。
2)まだ現役と思っていた69才の女性は確かに近年ちょっとしたトラブルが増えてきた、大きな人身事故までいかないとはいえ、事故処理に何度も時間を取られた。その都度。保険料もうなぎ昇り。年金暮らしでは、車の維持費と合わせれば、大きな負担になっているだろうことは、容易に想像できる。
3)74才の女性からも実は5年前に返納の話題を振られたことがあった。70才、という年齢は、自らの境遇を振り返る良い機会になるらしい。どうしようか悩んだ結果、70代になって、いざなってみると、あ、まだまだやれるなと、そのままで数年がすぎてしまった。しかし最近は、危険を感じ、公共交通機関やタクシーを使うことも多くなっているという。
4)現在の私なら、まだまだお若い雰囲気のお二人ではあるが、やはり返納なり、自粛をお奨めせざるを得ない。車のあるなしは、ライフスタイルに大きく影響するが、また、負担感も相当に大きい。税金、保険、燃費、駐車場、そして運転そのものが負担感の上乗せになる。
5)往年のプロドライバーだった男性は、80を前に断念した。免許更新に際して、視力が極端に下がったようだ。もう一人の同年輩の男性は、現役時代は10人のスタッフを従えた企業を率いていたが、引退したあと、気が緩んだか、夕方コンビニでビールを一本購入し、一口したところでミニパトのチェックにひっかかった。その後のことは聞いていないが、もう運転はしないし、できないだろう。
6)ある60代の男性は、退職したこともあり、免許を返納しようとしたら、拒否されたという。迷っているうちに更新日を数日すぎてしまったらしい。これはただの紙屑です、と、窓口できつく説教された、とか。返納するなら、有効期間中じゃないと、何のサービスもないよ、と男性は教えてくれた。現在、電動アシスト自転車を活用中。
7)まもなく90になる叔母は最近まで小さな軽自動車を運転していたが、今回の更新時に返納したらしい。車がなければ生活できない地方部ではあるが、家族が複数台所有しているし、タクシーの共有などの方法もあるらしい。
No.4612★★★★☆
1)アイコン検索したら、一番上にリンクされていた一冊。現在はこのような読者層に支えられているのか。我が家のリビングにあったので、一気に読んでしまった。絵本プラス漫画プラスイラストなのだから、歴史に疎い私にも優しい。
2)郷土に英雄ゆえ、知らないはずはないが、どうも気恥ずかしいやら、面倒臭いやら、敬遠しがちである。その私が、瑞鳳殿観光ガイドの研修に参加し、ガイドを志したのは5年ほど前。なかなか興味深い道行ではあった。
3)1970年前半に、私たちがカウンターカルチャーの拠点地して作った雀の森は、旭ヶ丘の瞑想の松から、北山の資福寺・覚範寺の裏に引っ越した。この両寺は、伊達家に深く関わる寺だった。そこから土曜坐禅会に参加した輪王寺もまた、伊達藩抜きには語れない禅寺であった。
4)78年にインドから帰国した時、輪王寺を再訪し感じたのは、血の匂い。サムライの怨霊が満ち満ちているかのようだった。最近は、寺が変わったのか、私が変わったのか、そのような感じは薄れた。ただひたすら、只管打坐。
5)思えば政宗が初陣に出て、金山城、小斉城、丸森城を奪還したのは、我が奥さんのし出身地のすぐそばの歴史であった。このような事実を、最近までどうして知らないでいたのだろうと、自分ながら、訝しむ。
6)とにかく、年齢と共にますます高まる郷土愛と郷土歴史への関心の高ぶりを考えると、この地で暮らすには伊達政宗公の生涯を知らないではすまされない。むしろ政宗公あったればこそのこの地方なのだ、と理解した方が実にわかりやすい。
7)そんなことを、改めて思い知らされている、この頃だ。
新年を寿ぐ歴史政宗公 把不住
1)NHW20、bz4x、サクラ、の場合、必然的に2台持ち、と言う可能性が飛び出すことはないだろう。この3だいは、一台ですべてを充足している。実用性は当然として、道具としての要素を兼ね備えている。一台あれば十分なのだ。不足するとするなら、趣味性。ないわけじゃないが、もっとあってもいいかな。
2)趣味性とはなんだろう。あってもなくてもいいもの。だが、あるレベルにおいては、絶対なくてはならないもの。じゃぁ、どこまではなくて大丈夫で、どこからは絶対に必要、となるだろう。
3)便宜上、当ブログに3つの指標、科学、芸術、意識、と言うマトリックスを使ってみる。科学の一分野としてのファイナンシャル・プランナーとして、この問題に取り組んだ場合、一台持ち、しかも20温存、ないしサクラ、と言う答えしかないだろう。bz4xなんて問題外である。
4)芸術ジャンルのカウンセラー的立場なら、指向性、趣味性も無視はしないだろう。N(X)だって視野に入ってくるし、またその趣向性を研ぎ澄ましていくからこそ芸術と言える。その地点からの助言となるだろう。
5)さて、意識としての瞑想者として直面した場合、この問題は、大した問題ではない、ということになろう。なんでもありなのだ。どれがダメということはない。全てに可能性があり、全てに可能性があるなら、この地平において、N(X)は、もっとも自由に振る舞えるということになる。
6)つまり、実用かつ有効な道具として車を見る限り、N(X)は浮かび上がってこない。美として、アートとして車を愛でるなら、ここから N(X)は存在感を増す。しかし、意識の世界を行き来する瞑想者となれば、どのような選択肢であろうと、与えられたものが、最も好ましいものとなる。
7)2台持ちという問題は、車選びの中で必然的に浮かび上がってくる問題ではない。それはN(X)という存在が、目に入った時に直面する課題であり、どれが正解、ということはない。起きた状況を起きたまま受け入れるしかない。つまり、全ては自由なのだ。ここに立ち返ってこそ、全体性を獲得した、ということになる。
1)両極に、実用性と趣味性を振った場合、この両極の中間に位置するものは何か。とくに今回の場合、人生最後に乗るクルマというテーマの場合、経済性と言う視点が挟み込まれてくるのではないか。
2)車は本当に必要なのか。一般的な人々ではなく、私の極私的視点にたてば、ほぼ絶対に必要、ということになる。仕事で使うからだ。日常的な現場や客先周りの営業車として、ほぼ絶対必要である。ないとすれば、ないことを理由に、廃業プロセスに入っていますよ、と言うシグナルとなる。運転できなくなったから、仕事をやめる。これは立派な口実となる。
3)じゃぁ、どれだけのものが必要なのか。ダンプもいらなきゃバスも要らない。普通のセダン型自動車が有れば足りる。軽も可ではあるが、ちょっとひんじゃくだ。できれば1000cc以上。だが、豪華な高級車はいらない。誤解を招くだけだ。別段に特殊な装置も必要ないが、常に洗車などは心がけておく必要があろう。緊急時にエンコじゃ困るので、定期点検整備も必要だ。
4)仕事における実用性はそこまでだが、家庭生活においては、どうか。つまり奥さん目線で考えれば、たまには孫達とドライブもしたいし、離れた親戚回りもしたい。出来ればあまり四角くなく、目立たない色であってほしい、ということになろう。私個人で言えば、たまにDIYで長物を積むし、市民農園用の肥料を積んだりする。あまり気取った車は願い下げ、ということになる。
5)実用性としてはこれで十分だろうが、さて趣味性となるとどうか。奥さん側から見れば、実用性と趣味性がほぼ同じ意味を持っているだろう。あえていうなら、あとは自分に運転できるかどうか、だが、そもそもほとんど運転する気はない。助手席が自分の定席だと思い込んでいる。
6)私の趣味性も、これまでずっと圧迫されてきた、とも言い難い。軽、軽ワンボックス、リッターカー、ツーリングワゴン、ハイブリッド、SUVとほぼ趣味的嗜好性も満たされてきた、と言ってよい。時には2台持ちだったし、サンルーフ車も何台か乗り継いだ。当たりもあり、ハズレもあった。
7)概して言えることは、好みのブランドと、経済性だ、あえて言うならスタイルが気に入っていて、維持費が安けりゃ、なんでもいい、とさえ言い放つ。ちょっと投げやりだが、まぁ嘘ではない。実用性から考えれば、そうだ。
8)では、趣味製の問題から考えてみればどうなるか。これを趣味性と言っていいのかどうかわからないが、このジャンルが好き、とか、これがやりたかった、ということではない。突然湧きあがった景色なのである。一点ものである。
9)86とかS660なんて単語は何も意味しない。ジムニーなんて、ヘ、とさえ思う。だが、あの一台だけは、どうも私のハートから、抜き去ることができない。何事が起きているのか。自分では、正確に自分を理解できない。でも、受け入れることはできる。
10)後付けではあるが、いろいろな理由は思いつく。色がいい、形がいい、手が届く価格である。世界的に評価されている。レンタカーに乗ってますます好きになった。人生最後のシーン、自分の傍に、これがあってもいいだろう。願うような、すがるような思いである。
11)このように両極に振れた指向性を、一本化することは無理であろう。自分の情熱を押し殺すか、あるいは、家族を見て見ぬふりするか。いやいや、無理であろう。私は家族の犠牲にはなる気がないし、かと言って自分の家族も大好きなのである。
12)ここはいよいよ2台持ちの決断をすべきなのか。その際、EVはどうなる。支払いはどうなる。家族の反応は。タイミングは、納車時期は。補助金は。そして、次々と飛び出す新車のラインは、どうなる。正月早々、熱を出して寝込んでいる。平熱±αだが。
1)と言う命題があって、幾人かのコメントが載っていた。私からすれば、みんなに似たような傾向があるなぁ、と思ったが、まず3台、とはずるい。そもそも2台持ちさえ贅沢なのだから、3台という設問自体、現実離れしている。通常は1台だ。さて、一台まで絞り込めることができるものなのか。
2)30人ほどの回答者の中に、かなりの確率で、マツダロードスターの文字が踊っていた。これには半分驚き、半分そうだろうな、と納得した。他の車名あげた人であっても、スーパーカーであったり、2シーターオープンであったり、他社の類似のスポーツカーだったりして、いざとなれば、みんなそうなんだな、と納得した。
3)ある人はスズキワゴンR類似を3台上げている人もいた。これもまた、一つの知見であろう。またプリウスを上げた人もいる。なんであれ、現代では、VWゴルフとプリウスは、車選びの中心に位置しているようだ。私は車に感しては愛国主義者だから、プリウスもあると思う。
4)質問の時期やタイミングの問題もあろうが、テスラのようなEVや、トヨタミライのような水素自動車をあげた人も、少数派だが、いた。
5)さて、我が身に振り返ってみて、三台ではなく、1台に絞り込まなければならないし、経済的に手の届く実車である必要がある。敢えて言うなら、中古は避けたい。この年齢で最後の一台を選定し、墓場に行くのである。残り10年10万キロはお付き合い願いたい。
6)さらに条件をつけるとするなら、奥様は免許を返納し、運転しないこととする。いまでもこの十年間ペーパードライバーなのだから、小賢しいことは言わせない。(ここが実は、一番のネックなのだが、涙。)2台持ちもなし。
7)そして、現在の車は、もう廃車にするしかない、と条件づける。(いやいや、まだまだ健在ではあるのだが。次第によってはあと10年のれるよ)。そのようなさまざまな条件の中で、考えていくとすれば、私も3台に絞り込むことはできるだろう。
8)まず一代目はプリウス。これより車格が下がると、どうもいけない。でも現行プリウスは価格も高いし、車体も大きい。だが、プリウスからプリウスなら、乗り換えやすい。周囲も説得しやすい。奥さんは、自分が運転しない限り、この案がベストと思っているはずだ。彼女の笑顔が思い浮かぶ。
9)もう一台は、ロードスター。中古ではなく、現行車となれば、なおのこと周囲の反対意見が聞こえてきそうだ。その反対意見に、一つ一つ反論できない自分が悲しい。体力が落ちたらどうするのか、視力が下がっているのに、ますます危険。腰を痛めるよ。近所の買い物はどうするの? これらの反対意見は外部からだけではなく、自分の内部からも湧き上がる。
10)市民農園に行くとき、肥料はこびはどうするの? 孫の保育園や小学校の送り迎えはどうするの? 一人じゃなくて、二人の時は? 三人の時は? 実用性におけるチェックポイントは限りない。そこを我が趣味性で立ち向かっていけるものか。
11)三つ目の選択肢は、日産サクラ。まだ発売されてはいないものの、軽のEVで、200万を切る価格は魅力的ではないか。自宅の太陽光パネルで充電する。ある種の理想型の完成である。軽なら、ひょっとすると奥さんでも運転する気になるかもしれない。私が介護状態になっても、病院くらいまでは運んでくれるかもしれない。税金、保険、車検も、軽くなるかもしれない。
12)人生最後のクルマが軽かよ、なんて、悲観してはならない。これはこれで立派な選択肢である。もし花が欲しけりゃ、たまにレンタカーで突っ走ってくるという手もある。確かに遠出ができなくなるが、その時は公共交通機関も悪くないのでは?
13)ということで、今日のところは、本命サクラ、対抗プリウス、穴ロードスター、であった。
今日の気分はこの3冊 目次
1)年が明けても、どうもこの熱は冷めやらない。いや、年末から喉に引っ掛かっているエヘン虫のコトではない。純正N(X)熱についてである。どうすればこの熱は下がるのか。あの手、この手はお試し済み。どうすることもI can not。お手上げでござる。
2)どうやら、高齢化しつつ、この熱に侵される患者は決して少なくないらしい。必ずしも若者文化ではないのだ。寿社会を席巻する、定番株である。若い時に大きな事故に遭い、安全運転だけは留意してきたが、自他共に、走り屋でも、運転上手でもないことを、認める。単なる高齢ドライバーだ。
3)これまで色々やった。もう詳しくは書くまい。残されている選択肢はそれほど多くない。残されているのは、買うか、我慢するか、のどちらかだけだ。どちらの道を辿っても、イバラ道である。買う、と言うプロセスの中には、さまざまな要素が入り混じっている。それをいっぺんにやってのけるには、相当な思い切りが、必要じゃ。
4)我慢する、というのも、なんだか自分らしくない。おかしい。不似合いである。じゃぁ、どうするか、それがわからない。何か、今年、新たなる要素が加われば、いずれにせよ、どちらかに向けて動き出すのではないか。
5)病気をする。これはアウトじゃ。N(X)愛どころじゃない。これだけは避けたい。宝くじで一億円あたる。これも可能性はゼロ。そもそも宝くじを買ったことがない。誰かが私に、N(X)の廃車を依頼する。これがもっとも私らしいアプローチだが、極端に寂しい、侘しい、シチュエーションだ。負担感満載じゃ。
6)もっともラッキーな環境は? ・・・・・、ない。どんな環境になっても、もっともラッキーとは言い難い。どれもこれも、デメリット感、負担感が残る。向かい風じゃ。
7)地吹雪や止まってみるか進もうか 把不住
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