『サピエンス全史』をどう読むか 河出書房新社編集部
『サピエンス全史』をどう読むか
河出書房新社編集部 (編集) 2017/11 出版社 : 河出書房新社 単行本 : 144ページ
No.4482
1)最後の禅シリーズ突入中の当ブログであるが、以前にリクエストしていた本がようやく届いたので、メモだけ残すことにする。以前、書店で立ち読み済みなので、目新しくはないが、禅問答のやっちゃもっちゃにもみくちゃにされている最中でもある。すこし換気して、風通しをよくしておくか。
2)(略)ハラリ氏は、物静かな方だった。背丈は170センチ余り、体重は50キロ強ぐらいだろうか、痩身で、ジーンズにスニーカーをはいた脚はずいぶんと細く見えた。p2 柴田裕之「スーパーヒューマン」
3)テレビでみると、割とスマートな方とは思ったが、予想以上に小柄な人であるようだ。自らをジェンダーフリーに表現する彼のこと、なるほど、と思わないわけではない。
4)ハラリ氏は原則としてヴィーガン(肉や魚ばかりではなく、卵やチーズ、牛乳などもとらない人)なのだ。しかも、瞑想を日課としている。インタビューの合間にも、ホテル内の部屋に戻ってしばし瞑想をしていた。p4 同上
5)彼が瞑想をしているのはすでに衆知だが、ヴィーガンはなかなか一般的には知られていないのではないだろうか。肉や牛乳をカットすることは私にもできるかもしれないが、逆にストレスがたまりそうだ。魚や卵は不可欠だなぁ。
6)ハラリ まず重要なのは、政治、政治家、そして政治システムが科学と技術の進歩についての認識を深めることです。私たちはもはやこの二つのシステムを分けて考えることはできません。もし政治システムがこの科学の現在を理解していなければ、21世紀の人類のために有意義なビジョンを描くことはできないのです。
第二に、重要なのは、人間の心と意識を理解するためにもっと努力することです。私たちは体と脳の理解のために大きな努力をしていますが、私たちの問題の根源は脳ではなく心です。人類の不幸と幸福の根源は心のパターン、私たちの心のパターンなのです。
残念なことに現在、科学の世界でも心の理解は重視されず、体と脳の理解に集中されすぎています。技術の進歩によって私たちの体と脳を巧みに操作し対処する大きな能力を獲得することができるかもしれませんが、このままではそれをどう活用してよいのかわかりません。
自分自身にとって、そして人生にとって何が重要か、そして幸福と不幸の根源が何かを本当に理解するには、体や脳を理解するだけではなく心を理解する必要があります。p36 池上彰との対談
7)実際は、この後、ここに続く部分が最も当ブログとしては関心あるところであるのだが、先を急ぐまい。
8)ハラリは、イスラエル人でありながら博士号はイギリスのオックスフォード大学で取得し、年末は毎年インドに瞑想のためのリトリートに出かける、といった多文化的環境下での生き方を実践している。菜食主義者(ヴィーガン)でゲイであることは、彼により進歩的なじんせいを歩ませてもいるのだろう。p130 池田純一「サピエンスからデウスへ、あるいはへロス」
9)一般的なハラリ理解は、仏教、瞑想、インド、リトリート、ヴィーガン、ゲイ、あたりまでは降りてきている。されど、ハラリ自身は知っているのだろうが、多くの読者や解説者は、仏教や瞑想、という程度でとどまってしまう。で、その仏教の、その仏教の、なに? というレベルになると、もうそこからは降りていかない。
10)むしろ事態は逆で、これほどの全史はもはや必要ないのではないか。どれほど論争してみたところで、外側の大勢にはそれほど大きな変化はなかろう。むしろ、なになに教とか、心とか、テクニックのレベルを超えて、さらにその意識そのものについての思索や体験が、もっともっと必要とされるのではなかろうか。
11)とりあえず、当ブログにおいては、そこのところを「地球人スピリット」と呼称し、さらにその解を「把不住」と自覚して、now here に生きている。
12)巻末には、「Book Guide 」(「サピエンス全史」を楽しむためのブックガイド)がついている。22冊が紹介されていて、タイミングであれば、当ブログの新しい散歩道にもなりえたかもしれないが、もはや、その様相はすでに一変している。先を急ごう。
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