「方丈の海2021プロジェクト」 <2>
「方丈の海2021プロジェクト」<2>
石川裕人・原作 渡部ギュウ・演出 2021/02~03 せんだい演劇工房10BOX box1
1)ニュートンへ
2)10年後がやってきた。あれから10年が経過した。私は10歳年取った。ニュートンは、まだ59歳のままか。それとも、やっぱり私たちと年をとったか? ニュートン、君は、生きているか? それとも、やっぱり死んでいるのか?
3)昨年、ニュートンの芝居のプロジェクトが立ち上がった。だけど、新型コロナウィルスの感染で、そのプロジェクトは立ち消えになった。残念だったが、他のたくさんのイベントが立ち消えになった。
4)今年、あらゆる感染リスク対策を施したうえで、今年は仙台と東京で、あの「方丈の海」が、君の後輩たちによってふたたび上演されようとしている。
5)君は、この世に何を残したのだろうか? 君は今、君のいる世界で、なにをしているのだろうか。君がいる世界と、私たちがいる世界は、ひとつだろうか。二つだろうか。それとも、別々か。
6)あれから10年、また地震が起こった。今年は2月13日の深夜だった。幸い、震度6強ではあったが、津波は起きなかったし、被害は少なかった。でも、今年も地震の被害は甚大だ。
7)あれから10年、今年の3月11日午後2時、私は、今回の地震で被災した街中のマンションの被害調査に立ち会うことになっている。その前後も、調査や立ち合いで、スケジュールがいっぱいだ。
8)正直言って、いやいや、あの時は大変だった、と過去形で語ることは、今もできないでいる。あれからずっと、一連の物ごとが続いているようにしか思えない。
9)原発事故の処理はこれから何年も何十年も続いていくだろう。真の解決の道はまだ見つかってはいない。アンダーコントロールなどと言って、オリンピック誘致などでお祭り騒ぎで覆い隠そうとしたこの国は、結局2020年に、オリンピックは開催することができなかった。
10)今年に延長されたそのイベントも、今や新型コロナウィルスの猛威の中で、右往左往している。私は基本オリンピックには反対だが、スポーツのもっている大きな意義もわかる。だが、いま、それをやることに奔走するべきなのであろうか?
11)10年前、あの時、私は山の中にエコビレッジ構想をもって入っていた。テントを持ち込み、仲間とともに、語らっていた。だが、そこにも放射能は降りかかった。山全体が汚染された。
12)私の予知感は、十分形にならないうちに、実体が迫ってきてしまった。そして、起きている本質は、今でも、ずっと続いているようだ。あの日、あの時というより、大きな実体が、着々と迫っている。実感としてはそれだけだ。
13)これが人生だ。これが世の中だ。何変わろう。ずっと昔から続いてきた人間世界なのだ。100歳を超えて生きている人々も多くいる。されど、100年などはあっという間だ。
13)あれから、数多くの友人がすでに亡くなった。地震や津波でなくなった人もいるし、寿命が尽きた人もいる。事故や病気でなくなった人もいる。街並みも変わった。そうそうちいさい時、一緒に遊んだ、あの君の家も今はない。
14)君の芝居がどう評価されているのか、正直言って、昔も今も、よくわかっていない。今回も、この三蜜を避けて、ソーシャル・ディスタンスが叫ばれているときに、その動きがどのような働きをしているのか、私にはわからない。
15)あれから10年も過ぎて、私はようやく重いを腰を上げて、自治会の区長などのボランティア活動を引き受けることになった。孫も、すでに5人だ。私の体も、年齢にしては丈夫だとはいうものの、あちこちガタが来ていることは確かだ。
16)私はあと何年生きるだろう。平均寿命まで生きるとして、あと15年。うまくすれば、あと30年は生きられるかもしれない。そんなこと言っていたら、鬼が笑うだろう。この瞬間、次の瞬間、私自身も、このまま逝ってしまう可能性は、十分ある。
17)生きている限り、私がやりたいと思っていることは、君が君自身の人生でやり通したように、私は私で、何事かの表現をし続けていくだろう。そのためには、自分の健康の維持がやはり大事だ。メンテナンスし、直すべきは直さなくてはならない。
18)そして無理なことはやめようと思う。エコビレッジ構想をついで、昨年まではクラインガルテンに通って畑仕事をしていた。これは、最近体力の限界を感じるので、もう今年はやめようと思う。
19)君の母親はまだ元気だ。私の母は、二年前に98歳で亡くなった。複数の観光ガイドに参加していたが、やっぱり体が続かない方は、すこしづつ減らそうと思っている。
20)私はまだ生きている。この世にまだいる。生きている間に、この世にいる間に、やりたいこと、やるべきことのリストは不確かながら、できている。それほど多くない。だけど、大事なものがいくつか残っている。
21)何を書いても、いまや君には届かないかもしれない。でも、私はこの世は嫌いじゃない。楽しいことをすこしづつ探しつづけて、生きていくつもりだ。私はまだ、ここにいる。
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