<3>からつづく

龐居士(ほう こじ)の語録<4>
山田 史生 (著) 2019/04 出版社 : 東方書店 単行本 : 516ページ
★★★★★
1)もう少しK居士についての話をすすめよう。というのも、禅なり悟りなりの話なら、やはりリアリティ、現実の関わりが重要だと思うからだ。紙上で禅問答を愉しみ、あれこれ言っても、自分の生活とどのようにかかわるのか、いったい今日、私はどう生きるのか、というところに降りてこないと、なんの悟りか、なんの禅問答か、となりかねない。
2)私があえてここで龐居士の流れに巻き込まれたのは、当ブログのそれなりの流れもあったし、私自身のライフサイクルの流れもあっただろう。だが、とにかく一番は、K居士のお宅を横切ろうとした時に、K居士に手招きされて、誘われて私は彼の居間に入り、この「龐居士の語録」を見つけて、その感想を彼に聞きただしたことによる。
3)K居士の前にぶら下がっているテーマはいくつかある。
・そも、家とはなにか?
・そも、寺とはなにか?
・そも、墓とはなにか?
・そも、僧侶とはなにか?
・そも、檀家とはなにか?
・そも、人生とはなにか?
・そも、死とはなにか?
・そも、宗教とはなにか?
・そも、悟りとはなにか?
・そも、私とはなにか?
4)ひとつひとつ、リアリティをもって解が与えられるべきであろう。
5)だがしかし、解などというものはあり得るのか? 龐居士(ほう こじ)などいじっているその文脈に、K居士はその解を見つけることはできるのか?
6)おそらく、これらの問いの中には、究極の問ではないものが含まれる。難題ではあるが、解決しえないもの、解決しなくてもよいもの、そもそも問として存在していないものもあろう。では、究極の問とは、なにか?
7)大疑念。
<5>につづく
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