3・11
1)いやはや、今日は大変な日であった。
2)午前中は1時間ほど人に会い、逆恨みの罵声を浴び続けてきた。午後2時からは、3・11からちょうど10年目というタイミングではあったが、先月起きた震度6強の地震の被害現場に、2時間ほど立ち会ってきた。
3)テレビでは、地震、津波、原発事故の記録映像が繰り返し報道されている。人心が揺さぶられ、荒れているのだろうか。
4)帰宅後、一杯ひっかけて、ふて寝して、ふと我に返り、目覚めた。
5)午前中、我に対していた形相はまさに、般若の面に等しかった。目は三角につり上り、赤く血走り、顔全体はどす黒くくすみ、裂けた口角からはツバキとともに怒号が発射され続けた。私はその間、玄関口に横坐りだったが、彼は胡座より正座が腰に楽だと、板の間に正座しっぱなしだった。
6)話の内容は、無手勝流の無理三昧。一方的な誤解と偏見のオンパレード、さてさて、どこからどこへ納まりをつけるのやら、もうこの人とは絶縁だろうな。
7)鉄拳が飛んでくるか、はたまた奥から出刃包丁でも取り出して、追っかけてでもくるか。幸い、そうはならなかったが、言葉の暴力、ハラスメントはご法度の、この時代である。それぞれの立場がどうであれ、それこそスマホにでも録音してしまえば、犯罪とまではいわないにせよ、でるところに出れば、この人に有利に働くことはあるまい。
8)罵声を浴びつづけながら、ますますシュンとなる我が心。弁解も訂正も返答も聞き入れられず、一方的な決めつけと侮蔑の言葉の羅列。有る事無い事、積年の恨みをぶちまける。それこそ、親の代からの恨みを今こそ晴らしてやらんとするかのような、鬼そのもの。
9)と、その時、わが視界に入る、彼の背後にある額ひとつ。
10)ほう、この方は、見かけによらず、この言葉がお気に入りなのか? 私はますます、我に返る。平常心是道。
11)思った。仮に、馬祖道一を訪ねた龐居士か誰かが、玄関先で一喝された場面。我に対した人物は、馬祖ほどの棍棒を持ち出したりはしなかったし、もちろんそれほどの覚醒はないとして、そして、こちらとて龐居士(ほう こじ)に比肩する何物もないとして、あの禅問答集とやらは、このような場面設定の上、展開されているのでは、なかろうか。
12)今まさに、問答無用の禅問答に足を踏み入れようとしている我が面前。この方のリアリティを借りて、馬祖かOSHOか知らないが、どこぞのZENマスターが憑依した。そして、いたずらに馬齢を重ねたこのわが身に、愛の一棒を振り下して下さったのではないか! 惜しいことをした。
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