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2021/02/11

Yakusan: Straight to the Point of Enlightenment OSHO <3>

<2>からつづく

Yakusanstraighttothepointofenlightenment
Yakusan: Straight to the Point of Enlightenment<3>
Osho (著), Ma Deva Padma (イラスト), 1990/10 出版社 : Rebel Publishing House 言語 : 英語  ハードカバー : 224ページ

★★★★★ 
Osho最後のZENシリーズ目次 

YAKUSAN HAD NOT GIVEN A DISCOURSE FOR SOME TIME WHEN, ONE DAY, THE HEAD MONK CAME AND SAID, "THE CONGREGATION OF MONKS ARE THINKING ABOUT YOUR PREACHING A SERMON."

YAKUSAN SAID, "RING THE BELL!"

THE SUPERIOR BANGED AWAY AT THE BELL, BUT WHEN ALL THE MONKS GATHERED, YAKUSAN WENT BACK TO HIS ROOM. THE HEAD MONK FOLLOWED HIM AND SAID, "THE MASTER WAS GOING TO GIVE A TALK, AND THE MONKS ARE ALL READY; WHY DIDN'T YOU SAY ANYTHING TO THEM?"

YAKUSAN SAID, "THERE ARE SUTRA PRIESTS FOR THE SUTRAS, SHASTRA PRIESTS FOR THE SHASTRAS; WHY DO YOU QUESTION MY GOINGS-ON?" p46
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1)どこぞの語録か問答集にこの箇所がないか探したが、すぐにはでてこないので、ネットでの自動翻訳を貼り付けておく
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ヤクサンはしばらくの間、僧侶の頭が来て、「僧侶の会衆はあなたの説教について考えている」と言ったとき、しばらくの間言説を与えていなかった。

ヤクサンは「ベルを鳴らして!

上司はベルを叩き飛ばしたが、僧侶全員が集まると、ヤクサンは自分の部屋に戻った。僧侶は彼の後を追って、「主人は話をするつもりだった、そして僧侶たちはみんな準備ができている。なぜ彼らに何も言わなかったのですか?

ヤクサンは、「シャストラのシャストラ司祭、経道のための経司祭がいます。なぜあなたは私の行き過ごに疑問を持つのですか? (自動翻訳)

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2)表題の薬山は二日目の1989/01/18に登場する。思えば、ちょうどOSHOが肉体を離れる一年前、ということになる。これから3か月、とぎれとぎれの期間を加えながら、彼は89/04/10
まで講話をつづけ、やがて、完全な沈黙へとはいり、1990/01/19に、肉体を離れる。その期間の講話は最後の5冊となって、出版されている。

3)最後の禅シリーズにおける出版物の中においては、歴代の禅師の名前が表題とされているのは、この薬山が最後となるが、さて、薬山とは、どんな禅師だったっけ?

File:Yaoshan Weiyan Image.jpg
薬山惟儼(やくさん・いげん。七四五~八二八)禅師は、山西省、新絳県(しんこうけん)の出身、俗姓は韓(かん)氏、十七歳で潮陽西山の慧照禅師によって出家し、二九歳で衡岳(こうがく)寺の希操律師から具足戒を受け、石頭希遷大師に参じた。

4)つまり石頭禅師の弟子筋ということになるか。いや、同時代ではあるが、決して法脈としての弟子ではないようだ。洞山 や雲居へ法脈をつなげ、やがては道元へ、そして、日本曹洞宗へとつながっていく。

洞山良价 - 雲居道膺 - 同安道丕 - 同安観志 - 梁山縁観 - 大陽警玄 - 投子義青 - 芙蓉道楷 - 丹霞子淳 - 真歇清了 - 天童宗玨 - 雪竇智鑑 - 天童如浄 - 道元

また、曹洞宗の名前の由来であるが、Wikipediaにはこうある。

道元自身は自らの教えを「正伝の仏法」であるとしてセクショナリズムとしての宗派を否定した。このため弟子たちには自ら特定の宗派名を称することを禁じ、禅宗の一派として見られることにすら拒否感を示した。どうしても名乗らなければならないのであれば「仏心宗」と称するようにと示したとも伝えられる。

後に奈良仏教の興福寺から迫害を受けた日本達磨宗の一派と合同したことをきっかけとして、道元の入滅(死)後、次第に禅宗を標榜するようになった。宗派の呼称として「曹洞宗」を用いるようになったのは、第四祖瑩山紹瑾1268年 - 1325年)とその後席峨山韶碩(1275年 - 1366年)の頃からである。

日本における曹洞宗は、中国における曹洞宗の説とは違い、曹渓慧能と洞山良价の頭文字を取って曹洞宗と呼ぶのを定説としている。

「臨済将軍曹洞士民」といわれるように、臨済宗が時の中央の武家政権に支持され、政治・文化の場面で重んじられたのに対し、曹洞宗は地方武家、豪族、下級武士、一般民衆に広まった。第四祖瑩山の時代に男女平等・女人救済の思想を教義としたため武家の女性が曹洞宗の信者となった[4]。 曹洞宗の宗紋は久我山竜胆紋(久我竜胆紋・久我竜胆車紋)と五七桐紋である。

 


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4)この日のレクチャーはつぎのように終わる。

Come back, but be silent, be graceful.

Sit for a few moments remembering the golden path you have traveled, remembering all the experiences at the center, and watch.

The shadow of the buddha is behind you.

Every day, inch by inch, the distance between you and your buddha is becoming less and less.

This is what I have called:

Straight to the point of enlightenment!

Okay, Maneesha?

Yes, Beloved Master.

<4>につづく

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