« 龐居士(ほう こじ)の語録<1> | トップページ | 終活 »

2021/02/25

I celebrate myself: God is no where--life is now here OSHO<2>

<1>からつづく

 

686_lrg
Celebrate myself: God is no where--life is now here<2> 
OSHO (英語) ハードカバー 言語 : 英語
★★★★★ Osho最後のZENシリーズ目次 

1)当ブログは現在、OSHOの最期のZENシリーズを追っかけ中である。対象となるのは、1988年から1989年にかけての講話録27冊。この中に邦訳が6冊あるが、当面、これ以上は増えそうにない。そこで残り21冊は英語本で読むことになった。そのためにはまず、英語本を集めることから始める必要がある。

2)幸い、その手はずはほとんど取れていて、わが意識がそちらにセンタリングされていくタイミングを待つだけである。そもそも15年前に当ブログがスタートした地点から、このテーマはずっと存在していたのだが、なかなかにこの世界は、興味深い、面白いことに満ち溢れている。ついついあちこち遊んでいるうちに、竜宮城の浦島太郎のような状況になってしまった。

3)これではいけない。そろそろお里ごころが強烈に湧き上がってきた。そろそろ最後のタイミングだろう。お土産に、玉手箱一つの頂いて、もとの村に帰る季節になったのだろう。最後の最後、玉手箱を開けた途端、あ~ら、若かった浦島太郎も真っ白いお髭のお爺さん、ということになってしまうに違いない。

4)タイムリミットは、あと2年足らず。当ブログは、3つのバージョンを合わせると、1日約400アクセスがあり、すでに200万以上のアクセスがある。多いのか少ないのか分からないが、全くの一人相撲ではなさそうだ。およそ2年後に、5048冊目を読了した際に、当ブログは終了する。現在4480冊目だから、あと500冊強である。1日一冊として、あと2年。

5)OSHO最期のZENシリーズ、入手するのに最後まで困難だったのは、このI celebrate myself: God is no where--life is now here OSHOであった。本文そのものは、ネット時代の今、簡単に読むことは出来るが 、やはり本としても手元に欲しい。そうしてようやく見つけたのが 、配本先の在庫最後の一冊だった。しかも正価のまま。早速依頼したのだった。

6)しかし、配本先の配慮で、私はこの一冊を贈呈されることになったのである。ああ、ありがたい。これは天の配剤か、運命の悪戯か。私にとっては、どうやら、この一冊は、竜宮城からのお土産としての、玉手箱に見えてくる。私は、自分自身を祝うことができるのか?

7)  I celebrate myself: God is no where--life is now here 

<3>につづく

| |

« 龐居士(ほう こじ)の語録<1> | トップページ | 終活 »

19)蓮の巻」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 龐居士(ほう こじ)の語録<1> | トップページ | 終活 »