Yakusan: Straight to the Point of Enlightenment OSHO <2>
<1>からつづく
Yakusan: Straight to the Point of Enlightenment<2>
Osho (著), Ma Deva Padma (イラスト), 1990/10 出版社 : Rebel Publishing House 言語 : 英語 ハードカバー : 224ページ
1)さてOsho最後のZENシリーズ 27冊の大枠が決まれば 、これからどのようにせめていくかだが、いくつかの方法論が思いつく。
①一冊づつ順番に時系列に並べて読み始める。
②邦訳分を再読し、その間隙の英文を読む。
③まったく手当たり次第、目についたところからランダムに蚕食していく。
④読まない。放置して積読する。
⑤手元のビデオ資料などを援用しながら、立体的に読み解く。
⑥気になるところから読み始める。
⑦「把不住」をキーワードとして、検索しつつ、全体を俯瞰する。
他
2)どの方法であっても構わないだろう。これまでの15年の無駄歩きを考えれば、これからだって何年かかるかわからない。
①時系列に並べて、まずは風通しを良くして虫干しの意味を込めて、一ページづつめくってみるのもいい。
②邦訳本は大いに役立つが、そこにもうあまり時間はかけないことにしよう。
③この世界観がひとかたまりであるなら、あちこち連動しながら読む必要がでてこよう。
④結果として、またまた積読になったとしても、別段、義務ではないのだから、自分を責めないでおこう。
⑤ビデオは必要だろうが、もともと十分ではないし、ビデオ一本見るのも大変なエネルギーを必要とする。されど、今回は機縁だから、そのビデオの存在をこの27冊関連として整理しておくのも悪くない。
⑥「無門関」「臨済録」「碧巌録」などと並列して、記憶していくのもありか。
⑦おそらくこれが、最初の眼目に一致しているだろう。「把不住」、つまり薬山、洞山、この辺を検索しつつ、深堀する。
3)当ブログにおいては、OSHO-ZENは規定路線である。これ以上外れようがない。ここが突破口ではあるが、これではもひとつ物足らない。ENLIGHTMENTが足らない。そもそも日本文化のよくも悪くも影響下にある当ブログとしては、悟るとか覚醒する、あるいは仏になるなどという言葉は、極めて重要なタブーに属する言語で、一般的には軽々しく使ってはならない言語だとされている。されど、今回はそれでいかんだろう。Straight to the Point of Enlightenment、のような強いメッセージが必要となろう。
4)OSHO-ZEN ーENLIGHTMENTが、ようやく当ブログの三位一体として直視される必要がでてきた。
5)ひょうたんナマズをテーマとするなら、ナマズを禅シリーズと見ることもできる。その時、瓢箪は、当ブログである。なかなか難しい、などとため息をついていては、ここまで追いかけてきた意味がない。ナマズー瓢箪ー村夫子の三位一体のなかで、もっとも重要なのは、追いかけられる目的物でもなく、追いかける手段でもなく、追いかけるその人間その者である。
5)十牛図で言ったら、牛を追いかけてどこにいくのか。捕まえて、乗って、くつろいで、わが家に帰って、そして・・・・? が問われる。
6)エンライトメント。つかいにくい言葉であるが、この際、ここを避けて通るわけにはいかないだろう。Straight to the Point of Enlightenment。そしてそれはYakusanなのか・・・?
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