「日本三景への誘い」―松島・天橋立・厳島 島尾 新 他
「日本三景への誘い」―松島・天橋立・厳島
島尾 新 (編集), 長谷川 成一 (編集) 2007/02 清文堂出版 単行本 : 202ページ
No.4459
1)何かの拍子に、視覚のなかにひっかかってしまった一冊。日本三景。いまだにこの言葉が生きているのかどうか、さだかではないが、地元松島がそう呼ばれていることに、いくばくかの誇りを感じないわけではない。かと言って、何度も遊びに行っているわけでもなく、行楽期の松島など、混雑して近づきたくない、というのが本音だ。
2)ただ、わが畏友モンジュ氏がいつぞやか、日本三景ネットワーク・プロジェクトとかいう言葉使いで、なにやらエソテリックな思いつきがあったようで、いつか松島に行ってみたい、と言っていた。それが実現したのは、すでに5年ほど前のことである。そのことが急に思い出されてきた。
3)日本海側の京都に生まれたモンジュ氏は、いわば天橋立ちかくの住人であり、現在は岡山県だが、広島の宮島に限りなく近いところに住んでいる。ただ、松島には来たことはなかった。
4)かくいう私は、子供の時分から松島には何度も遊んだし、宮島には、18歳の時に日本一周ヒッチハイクの旅の時に、訪れている。その時の印象はかなり深かった。ただ、残念なことに天橋立には立ち寄らなかった。
5)だから、モンジュ氏が言い出したころは、このネットワークは、内部的な精神的な完成していなかったのだが、前回のモンジュ氏一行の東北巡幸の旅で、いちおう形としては成立した、ということになっている。
6)その時点でのわが見証が、松島の雄島における「把不住」訪問・拝命につながるわけだが、その経緯については、これまで何度か書いてきたし、まあ、これからようやく明らかになることもあろう。
7)いずれにしても、その経緯を彷彿とさせてくれるきっかけとなったのが、この本である。最初エソテリック的には、宮島の弁天、琵琶湖の弁天、金華山の弁天、この弁天ネットワークであろう、と考えていたのだが、またレイア―が違っていて、こんどは日本三景エソテリックの旅である。
8)半分冗談だが、その話題へとつないでくれる内容がこの本には含まれている。
9)最近、尾島から十二世紀に遡る蔵骨器検出の報告があり、「奥州の高野」伝承を裏付ける事となった。その雄島に供養の印としての板碑が建立されるのが十三世紀後半。著名な頼賢の活躍期に重なる。
頼賢を雄島の妙覚庵に住せしめた臨済円福寺(瑞巌寺の前身)六世覚満禅師空厳⊡慧和尚もまた、異能者であった。師はその獲得した眼力で中国径山寺の火災を感知、法力をもって鎮火せしめ、御礼に光鈴を贈呈されたと伝える(「諸勝記」)。
右のような異界・異能の伝承は江戸前期。当山九九世中興開山雲居禅師(1598~1659)まで続くのである。師が雄島で坐禅すると不成仏の冥衆が顕れて救助を乞われ、偈を授けて往生せしめた。
また、あるV干の歳には五大堂前に船を浮かべ、北条政子寄進の仏舎利を一粒海に投じ祈雨を乞い、感応の降雨があった事を伝える(雲居和尚年譜)。春斎の「三所奇観」の提唱は雲居の活躍時期に重なる。p75
10)モンジュ氏が、松島へ至って雄島を巡ったことによって、把不住を拝命したことも、これもまた日本三景プロジェクトのスタートと考えてもおかしくはない。
つづく
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