« 「空っぽの鏡・馬祖」OSHO<5> | トップページ | RINZAI : Master of the Irrational「臨済録」OSHO<6>/「臨済録」入矢義高<3> »

2021/02/02

MA TZU, the Empty Mirror <2>

<1>からつづく

Matzu_3
Ma Tzu, the Empty Mirror Zen Discourse Series
<2>
OSHO (Author) September 1988 Publisher: Rebel Pub. House Hardcover: 10 pages Language: English
★★★★★

1)At the time of MaTzu, there was another great Zen master in China; his name was Sekito. 

You are perfectly well acquainted with Sekito; he is reborn here.

Sekito means stonehead, and this time he is born as Swami Niskriya; I call him Sekito, stonehead.

And I had to send himi back to Germany, just for a few weeks, because only stoneheads can hit against other stoneheads in Germany, you cannot  send anybody else.

So he goes, and hits his head against other heads for a few days.

When he gets tired of enlightening other people, he comes back to rest.

Right now he is in Germany. p111 MA TZU, the Empty Mirror to the sorce

2)う~む、そうであったか。石頭禅師をOSHOがおちょくっていたのは知っていたが、このような形で馬祖道一との対比で語っていたのであった。禅師系図の中に石頭希遷の名前は必ずでてくるが、OSHOの講話として一冊にまとめられていることはなかった。つまり馬祖道一と石頭希遷は同時代のライバルで、お互いに行き来していた形跡もあるが、OSHOとしては、圧倒的に馬祖道一のほうがお好みであったのだろう。

3)ということは、薬山推厳や洞山良价や雲居道膺は、石頭希遷の系譜につながり、当然、ここから天童如浄、そして永平道元とつながっていくわけだから、道元がどちらかといえば、只管打坐になることは、運命づけられていた、というべきなのだろう。

4)これゆえ、どうも道元禅にはゾルバ性が薄いのかなぁ、と感じたり、OSHOが、十牛図の十番目が日本に届いていない、という表現をすることになるのかもしれない。

5)そしてまた、この唐代における中国禅の爛熟が、インドにおいて目を出した禅の系譜が、中国で大木となった、という表現に対応するのだろう。さらには、日本で禅の花が咲くころ、宋代以降の中国禅は、いまいち堕落の道をたどったのだ、という評価がされるところなのかもしれない(未確認)。

6)そしてさらには、日本の禅も、桜の花がいっせいに散るように、その輝きを失ってしまったのか??? そこは急いで評価をだすところではないかもしれない。ゆっくり行こう。

cotinued to <3>

 

 

 

| |

« 「空っぽの鏡・馬祖」OSHO<5> | トップページ | RINZAI : Master of the Irrational「臨済録」OSHO<6>/「臨済録」入矢義高<3> »

09)蓮の巻」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「空っぽの鏡・馬祖」OSHO<5> | トップページ | RINZAI : Master of the Irrational「臨済録」OSHO<6>/「臨済録」入矢義高<3> »