中国唐代禅師系図
1)仮に中国唐代禅師系図と銘打ったが、検索すれば複数図式はあり、いずれが妥当とも決めかねるが、現時点では、Osho最後の禅シリーズ登場のマスター達の顔ぶれが一番わかりやすそうだ。
2)黄色枠は、OSHO最後の禅シリーズの本のタイトルになるような登場人物である。青色枠が現在当ブログがチェックしようとしている系譜の部分である。OSHOは禅講話のなかで、これ以外の禅師たちにも触れているが、今後、もっと明確になってきたら、系譜そのものを訂正するとともに、チェックもやり直すこととする。
3)馬祖を中心とした臨済宗の系譜が多く語られているようでもあるが、薬山と道元も語られているところから、曹洞宗の系譜も触れられている。当ブログとしては、まずは薬山は要チェックとなる。道元については以前よりチェック中。
4)そもそも松島雄島にある「把不住軒」の雲居希膺(うんごきよう、1582~1659)は江戸時代の日本の禅僧であり、いわゆる臨済宗に属する法脈ではあるが、その「把不住」の語源は、中国唐代の禅師、洞山良价(とうざん りょうかい、807年~ 869年)から雲居道膺(うんごどうよう、835年~902年)が評価された際の表現である。
5)私は、雲居希膺(うんごきよう)は臨済宗に属する禅僧であるから、いわゆる「把不住」はそちらの系譜のエピソードかなと思っていが、いえいえどうしてどうして、 洞山良价(とうざん りょうかい )も雲居道膺(うんごどうよう)も、道元が系譜を継いだ、いわゆる曹洞宗に属する禅僧たちであったのである。
6)つまり、ここにおいて、すくなくともOSHOの禅シリーズにおいては、ナニ宗カニ宗とわけていくこと自体、おかしいのである。さらに言えば、松島の雲居希膺(うんごきよう) においてもまた、当然であろう。雲居希膺(うんごきよう)な、禅とともに真言宗の「南無阿弥陀仏」のマントラをも民衆に勧めていたというから、ここで細かいことをいっている場合ではないのである。
7)節分や山なし寺なし仏なし 把不住
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