「そして花々が降りそそぐ」 OSHO <2>
「そして花々が降りそそぐ」―和尚講話録 <2>
Osho (原著), マプレムプラバヒ(翻訳) 2005/11 市民出版社 単行本: 437ページ 講話時期74/10/31~ 74/11/10 「And The Flowers Showered」
★★★★☆
禅師洞山は納屋で麻を量っていた。
僧がやって来て尋ねた。「仏とは何でしょう?」
洞山は言った。「この麻は三斤だ」 p284 第八章 「洞山の麻三斤」
1)有名な公案「麻三斤」のエピソードである。この公案に対する正解はない。多様性があってあたりまえ。ここでのOSHOの講話が唯一というわけではない。ただし、これもまた正解だ。
2)この本は1974年のOSHO講話の邦訳である。プネー1での、しかも「存在の詩」よりも前の講話である。手に取っているのは英語文献でもない。されど、ここに登場している洞山の名前を確認できれば、今回の「最後のZENシリーズ+英語文献+把不住」の小さな旅の一冊目としては、十分である。
3)馬祖道一の弟子筋であるこの洞山こそは、そのさらに弟子の雲居道膺 (うんごどうよう 835~902)を把不住と評した人物であったからである。
4)この本には、洞山のほかに、獨園、盤珪、道吾、漸源、石霜、東海、玄沙、雲門、南泉、などなど多数の禅師や祖師方が登場する。しかし、数行のパラグラフに登場するセンテンスを繰り返しているだけで、決してその背景や人物像をふかく「解説」しているわけではない。
5)OSHO最後のZENシリーズのように、新たなる文献を側近の日本人サニヤシンに翻訳させながら(と聞いたことがあるが、確証はない)引用しつつ続けた講話とは、違っていただろう。おそらく、DTスズキやそこから派生したZENマニアたちの文献をもとに、ひとつの切り口として引用しているに過ぎないだろう。
6)日本における二冊めのOSHO講話邦訳は「草はひとりでに生える」であった。これもまた禅を多く題材にした講話であったが、プネー1におけるOSHOは決してZENに終着するという風でもなかった。もっともっとバラエティに富んでいた。最晩年になって、禅に終着し、禅宣言で終わったOSHO講話とは、ちょっと趣を異にする。
7)しかし、ここではまあ、各種各方面からそれぞれに評価されるOSHOではあるが、最初期から、OSHOはZENを高く評価していたのだ、ということがわかればいいだろう。
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