Osho
私にとってのOshoとは何か。このテーマは言語化せずとも、自分の内部ではすでに了解済みだが、客観的に、Oshoを語る場合、視座としては、このような表現とならざるを得ない。
Oshoを際立たせるためには、彼が愛し、多く語った、クリシュナムルティとグルジェフ、この二人を右大臣と左大臣において、Oshoは、クリシュナムルティでもなく、グルジェフでもない、というふうに位置付ければ、よりその威風が明確になってくるだろう。
手段としての瞑想やマスターの存在を明確に否定したクリシュナムルティ、手段としてのエクササイズやワークを多用あるいは乱用したグルジェフの間にあって、自らをマスターと規定しつつやがて否定し、瞑想を手段として積極的に開発しつつ、さらに日常の一瞬一瞬を生きることを教えたOsho。
Oshoの瞑想とはなんであったのか。それは、伝統の中に消え去りつつある禅でもなければ、新興の心身鍛錬法いわゆるマインドフルネスでもなかったであろう。それは究極の無に至るべき道筋の促進剤としてのテクニックであった。
世界人類の精神史を網羅したOshoが多く語った文化は、タントラでありスーフィーであり、禅であり、道教タオイズム などであった。更に多岐にわたる視線に踏み込みつつ、結局は、無、一字にこそ、その終結点はあった。
無、それは悟りであり、エンライトメントであり、人生の終局であった。それは死であり再生であった。ここに行き着くこと、そして最初の最初から、自分はそこにいたことに気づく、円環の旅の終わりでもあった。
そのOshoのマスタリーを借りつつ、瞑想とおぼしき戯れの流れに合流しつつ、私がたどり着いたのは、今あるところのここだった。つまり最初の最初から、今いるとこにいたのである。ふと目をあけて見れば、眠りから目が覚め、自分が今まで夢を見ていただけだった、ということに気づくのである。
楽しい夢もあった。苦しい場面もあった。ひどく逃げ出したいような思いもした。悩み苦しんだ。それを他人に投影し、状況のせいにし、ありとあらゆる口実をつけて、自分を守ろうとした。だが目が覚めて見れば、それは夢だった。実態のない虚像に過ぎなかった。自分が作り出した虚像に振り回されていただけであった。
OshoのOは、 ◯、である。Oshoなどという必要もない。◯ なのである。無と表現するのも、最後の手段だ。それ以上はない。◯は更に究極だ。されどそれもまた、くぐられ、後ろへと置き去りにされる運命のシンボルでしかなかった。
そに先にあったのは、今ここにある、この私なのである。変わり映えのしない、いつもの自分。老いつつ、悩みつつ、重荷を背負ったままだった。されど、その老いは楽しいものだった。悩みもまた、ゲームのような、解き明かされるのを待っているかのような、エピソードの一群に過ぎなかったのである。今となっては、背に負う荷物さえ、私の存在を際立たせてくれる明かりのようなものだった。
雪見酒気がつきゃ家で着所寝 把不住
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