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2021年1月

2021/01/31

雲居道膺和尚図像

絹本著色 雲居道膺和尚図像

 

 

 

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  本図は袈裟を着けた雲居和尚の上半身を描いたものである。禅僧の堂々と、しかし、落ち着いた風格が写実的に描かれている。
  雲居和尚は唐時代の禅僧で、雲居山に30年間住んでいたことからその名がある。本図像は宝慶寺開山の寂円禅師が請来したものと伝えられ、画面上部には寂円禅師の高弟で、宝慶寺2世、永平寺5世になった義雲禅師の賛がある。寸法は縦100.0cm、横55.0cm。

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いやはや、とんでもないことになって来たぞ。いかに無知な戯れとはいえ、不可侵領域に足を踏み入れてしまっているのではないか・・・(~_~;)

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最後の禅シリーズ<3>

<2>からつづく

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1)予約済みだが、まだ当ブログにメモしていないのが、2冊。

88/08/02 The Miracle
88/08/12 Turning In
88/08/16 The Original Man
88/08/29 The Language of Existence
88/09/08 The Buddha: The Emptiness of the Heart
88/12/03 Kyozan: A True Man of Zen
89/01/08 Zen: The Mystery and The Poetry of the Beyond
89/01/17 Yakusan: Straight to the Point of Enlightenment
89/01/30 Communism and Zen Fire, Zen Wind

2)未入手なのが1冊。

89/02/13 I Celebrate Myself: God Is No Where, Life Is Now Here

3)検索してみると、15年前に当ブログが始まったころから、すでに最後の禅シリーズは意識されているのだが、実にゆっくりとしたペースで進んでおり、まだまだお愉しみが残されているようだ。やらなければならないような義務ではないが、やったほうが楽しそうだ、というワクワク感に誘われて、いざゆかん。

<4>につづく 

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Words from a Man of No Words <4>

<3>からつづく

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Words from a Man of No Words<4>
Osho (著), 2015/12 Osho International Foundation (編さん) 出版社 : Osho Media International 
(英語) ペーパーバック  136ページ
No.4452 

1)OSHO最後のシリーズへの、何度目かの突入を試みている。とりあえず手元にありながら、これまで当ブログにメモしなかった6冊と、まだ手元になかった5冊を、チェックする。手元になかった5冊のうち、ちかぢか2冊は入手可能なようだ。のこり3冊も、コレクションとしてはほしいところだが、ネットでも十分内容を確認できそうなので、場合によっては、それで間に合わせよう。

2)で、その最後の禅シリーズも、決して全体を網羅して整理する、というほどの野心はない。とにかく全体を俯瞰したうえでえ、このWords from a Man of No Words のような簡潔なパラグラフ一冊に収まる程度にOSHOを理解できればそれでいいのではないか。

3)この本は、邦訳「瞑想録・静寂の言葉」によれば、1984/10/31~12/29の間に語られた講話からの抜粋によって構成されているという。決してプネー2の最終局面ではないのだ。オレゴンの最終期の始まりの場面での言葉なのであった。

4)ネットの読書投稿によれば、この邦訳は、賛否両論である。私はSNSでの邦訳の紹介を知り、邦訳を入手し、だが、やはり英文で読みたいな、と思って、今は英文で読んでいる。小さなパラグラフの集まりだから、読むのに苦労はしない。ひとつのパラグラフにわからない単語は1~2個あるが、前後からほぼ類推できるので、読解に困ったりはしない。

5)ネットの感想文の中に、翻訳者のマインドが見え隠れする、というような評価があった。ふむ、そうか・・・? と思った。実は、私も、英語力が達者であれば、英文で読み切りたい、というのが本音だ。最近までも、たくさんの邦訳がでているが、入手したあとも、結局は積読になってしまっているOSHO本がいくつもある。

6)絶版になる前にコレクションしておいて、読みたくなったら読もうという意図なので、これはこれで構わないのだが、今回の最後の禅シリーズは、英文で読もう、という意図が含まれている。

7)OSHO最後の禅シリーズの中に、中国唐代の禅師たちの姿を見出し、その中に「把不住」なる言葉の源泉をみつければ、それはそれで、達成ということになる。決して探求ではなく、愉しみの目安、メルクマールである。そこまでいけば、ひょっとするとなにか見えるのではないか、という淡い期待をもって、愉しんでいこうという趣旨である。

8)そして、最終的には、このWords from a Man of No Words のような小さな禅語的パラグラフに行き着ければいいなぁ、と思うのである。こんなに一冊になるほどでなくてもよい。ほんの数ページ、あるいは数語、あるいは一句あれば、それでいいのである。そのような、淡い旅路になるはずである。

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「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」 ユヴァル・ノア・ハラリ<2>

<1>からつづく

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「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」 
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) 2020/10 河出書房新社 単行本 : 128ページ 

1)すでに店頭で手にして目を通した一冊であり、後半はNHKテレビで何度も放映されたインタビュー記事なのであり、内容的には、まさにこの通りだ、両手を挙げて、賛成できる一冊。ただ、2020年4月時点でのハラリ氏の言説であるので、時間的は多少の修正が必要であろう。

2)2021年の1月末において、寄稿とインタビュー内容と違っているのは、アメリカの大統領がすでに変わっていることと、ワクチンがそろそろ出そろうか、ということだろう。ただ、リーダーシップの不在、各国の責任のなすりつけあい、変種ウィルスの複数発生など、残念ながら予測どうりのことが起きつつある。

3)今日、人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウィルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある。

 この数年間、無責任な政治家たちが、科学や公的機関や国際協力に対する信頼を、故意に損なってきた。その結果、今や私たちは、協調的でグローバルな指導者が不在の状態で、今回の危機に直面している。p27 ハラリ「人類は新型コロナウィルスといかに闘うべきか」

4)同じような提言はあちこちから上がっている。もちろん、これに反するかのような意見もないわけではない。しかし、当ブログがハラリ氏に信頼を置くのは、「21レッスンズ」において、ハラリ氏はゴエンカの指導のもとで、この20年来、日常的にビパサナを励行している、ということを知ったからである。

5)ゴエンカについては、私は初めて「聖者たちのインド」島岩他をパラパラ読みして知ったばかりだし、ゴエンカそのものを、OSHO自身は「Mindfulness in the Modern World」の中でめっちゃ切りをしていることを知ったので、ここでは多言を弄さないでおく。

6)されど、その「21レッスンズ」21世紀の人類のための21の思考の中の21番目に「瞑想」をもってくるあたりに、ハラリ氏の信頼できるセンスを感じるのである。

7)今のような時には、国民はさまざまな責任があります。一つは、情報と行動にかかわるもので、どんな情報を信じるか、用心に用心を重ね、科学の確かさを信頼し、科学的裏付けのある指針を実行に移すことです。p99ハラリ 緊急インタビュー「パンデミックが変える世界」

8)ざっくりと対比してしまえば、ウィルス・パンデミック VS I T・人工頭脳(AI)という図式になるだろう。ここにさまざまな思惑が絡み合い、地球全体のグローバルな進化があるかないか、そこが今回問われることとなる。

9)今回、個人的な想いを7つにまとめてみた。

①ベーシック・インカム 格差の是正 MMT

②ソーシャル・ディスタンシング 過密都市の終焉 Minimalism

③ビックデータの共用公開 GAFA解体 GAFAM

④地産地消  自給率の確保 DIY

⑤テレワークの推進  職住一致(近接) SOHO

⑥スポーツの非商業化  オリンピックの終焉 ZEN

⑦ひとつの世界政府  WHO、国連を乗り越えて SDGs

10)個人的な貧富の差をなくし、足ることを知って、自らの情報を自ら管理し、身近な材料で生活を作り上げ、ライフ&ワークのバランスを取り、静かな瞑想を生活を取り入れながら、地球政府を信頼する。

11)そのような方向性に、動いていくことを期待している。また、それは個人的にもできることだろう、と直感する。

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2021/01/30

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<80>「違の巻」について

<79>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」ダイジェスト版

<80>把不住述懐「違の巻」について

1)シンニュウのある漢字の中で一番画数の少ないのは、「辷」(すべる)である。文字通り、するっと元のあるべき姿に戻るというような意味合いのようである。最も画数の多いのは「邏」(ら)である。警邏隊、などのように、めぐる、という意味合いらしい。円周と点、なかなかいい取り合わせのようである。これが、前回、前々回の巻名の由来である。

2)シンニュウ漢字に巻名を求めたのは、ジョージ秋山の漫画「浮浪雲」の巻名にちなんだのだった。元漫画のように、特段その巻名に縛りはないのであるが、時期的にひとまとめにして、整理しておきやすいからである。

3)今回の「違の巻」も、その字に関しては特段の意味合いは含まれていない。「辷」と「邏」の間にあって、ちょうど中間の画数だったのが、「違」であった。そこから「違の巻」は命名されたのだが、このような経緯がなければ、この巻名が冠されるチャンスはなかったかもしれない。

4)書かれたのは、2020/07/17~2021/01/31の間。実に半年以上の期間を費やした。108の記事をひとまとめにしてカテゴリーとする当ブログの慣習において、最もスローペースな期間だったかもしれない。その理由は、最近は、めっきり読書量も減り、体力も衰え、またメモする気力も減退しているからである。

5)そして、例のパンデミック危機により、ステイホームの期間が長くなり、このチャンスを利用して我が廃物アート20分の1の五重塔の製作に取り掛かってしまったからであった。かなり大きなもので、まだ途中だが、あと数か月、あるいはもっと長い期間が必要とされる。当然、相当な集中が必要だ。ブログなんて書いている暇はない。読書もまた同じ。

6)そして、9月には、5番目の孫が生まれ、一定期間同居する必要が生まれ、爺さんは爺さんの役目を与えられ、そちらもなかなか忙しかったのである。さらには、つづく10月あたりからは、ウィキペディアにおけるOSHOについての記事の訂正騒ぎが起きた。こちらはすでに既報どおりだが、なかなか神経を使う大変なチームワークだった。

7)そして加えて、2020年度は、ボランティア活動のうえで、二つの団体の役員の役目が増えた。希望したわけではないが、行きがかり上、まぁ年齢的にも仕方ないかなという役割なので、しぶしぶ引き受けることにした。初めて引き継ぐ役目はなかなかに苦労が多い。右も左もわからないことも多い。一生懸命やった。

8)だが、よくしたもので、これまで加わってきたボランティア活動のうち、このパンデミック危機で、いきなり活動の回数が減った。激減、というか、ほぼ中止状態に追い込まれている団体が複数ある。これまでの活動力が減ったので、新しいボランティア活動に振り分けることができたので、なんとかかんとか、抜け切りつつある、というところ。

9)ブログ活動としては、仏教の一切経とやらの巻数5048巻にあやかって、5048冊を目指しているところだが、2021/01/19に読んだ「禅百題」鈴木 大拙が4451冊目の最新である。わずかに目標の後ろ姿が見え始まったとは言え、これから追加するところの600冊程度が必要となる。一日一冊のペースとしても、ほぼ二年がかかるという段階だ。現在のスローペースでいくと、下手すりゃ5~10年だってかかるかもしれない。のんびりいくしかないな。

10)全体としては、新刊本や新しい本に手をつけるよりも、再読、再々読、精読の流れに入っており、新規の冊数を稼ごうとするエネルギーが枯渇している。まぁ、それもありか。ゆっくり行こうぜ。

11)テーマは、例のOSHOの「Words from a Man of No Words」に象徴されるような静寂な方向へとながれている。把不住としての俳句のように、できれば、静寂な五七語で完結するような世界をめざしはじめている。そしてまた、OSHOの最後のZENシリーズの中に、「把不住」の姿をみようという、探求とはいわず、たんなる愉しみへと、あゆみは変化してきている。唐代の禅師たち、その中に、インド、中国、日本、そして現代西洋哲学、そしてアフターパンデミックをにらみつつ、グローバルな地球人としてのスピリットが、当ブログをして、命脈を保ちさせている。

12)次の巻名は「蓮の巻」とする。南無妙法蓮華経や一蓮托生や、マハカーシャップの拈華微笑にかかわるニュアンスはあるが、直接には、昨年9月に生まれた5番目の孫の名前に由来する。彼の名前には、この一字が含まれている。思えば「遼」、「進」もまた別な孫の名前に含まれているから、場合によっては、続編として、これらの巻名を採用するかもしれない。そのへんは、大きな理由立てはない。随意に愉しんでいくつもりである。

13)再読したいこのカテゴリこの3冊「違の巻」編は次のとおり。


「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」 
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) 2020/10 河出書房新社

「禅百題」
鈴木 大拙 (著) 2020/12  河出書房新社 


Cabin Porn Inside 小屋のなかへ
ザック・クライン (編集), 渡部 未華子 (翻訳) 2019/11 出版社 : グラフィック社

 

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<81>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「違の巻」編

<前>からつづく  
再読したいこのカテゴリこの3冊 
「邏の巻」編

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「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」 
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) 2020/10 河出書房新社

 

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「禅百題」
鈴木 大拙 (著) 2020/12  河出書房新社 
★★★★☆


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Cabin Porn Inside 小屋のなかへ
ザック・クライン (編集), 渡部 未華子 (翻訳) 2019/11 出版社 : グラフィック社
★★★★★

後ろにつづく

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Words from a Man of No Words <3>

<2>からつづく

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違の巻も最後の一冊となった。現在の私にとっては、最後の一冊、このWords from a Man of No Words以外はすべて、違である。この翻訳本ですら、違である、としておこう。

 

<4>につづく

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最後の禅シリーズ<2>

<1>からつづく

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1)検索してみると、これら6ないし7冊については、過去すでに、当ブログ立ち上げ時点から何度も逡巡して、メモしまくてっているシリーズなのである。

「ボーディダルマ」  ✖ 7回

「これこれ千回もこれ」 ✖ 3回

「道元」 ✖ 8回

「空っぽの鏡・馬祖」 ✖ 4回

「臨済録」 ✖ 5回

「ノーマインド」 ✖ 5回

「禅宣言」 ✖ 23回

2)すでにこれらの講話録については、過去10数年に及んで、あちこち蚕食してしまっているので、あえて今回は触れる必要もあるまい。ここでは、これらについてすでに、これだけ時間をかけて散歩済みだった、ということを確認すればいいだろう。

 

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3)このように本を重ねたイメージは、自分の中では、すでに原風景として凝り固まっている、とさえいえる。この辺で、いよいよ新風が必要だな。喝。

4)過去につくったリストだが、この当時より蔵書は増えている。

Osho最後の講話録・ZENシリーズ(未確認版)

88/04/22 Live Zen
88/05/27 This, This, A Thousand Times This: The Very Essence of Zen  「これ、これ、千回もこれ」
88/06/11 Zen: The Quantum Leap From Mind to No-Mind
88/06/27 Zen: The Solitary Bird, Cuckoo of the Forest
88/07/12 Zen: The Diamond Thunderbolt
88/07/25 
Dogen, the Zen Master: A Search and a Fulfillment 「道元」
88/08/02 The Miracle
88/08/12 Turning In
88/08/16 The Original Man
88/08/29 The Language of Existence
88/09/08 The Buddha: The Emptiness of the Heart
88/09/16 
Ma Tzu: The Empty Mirror「空っぽの鏡・馬祖」
88/09/26 Hyakujo: The Everest of Zen, with Basho's Haikus
88/10/05 Nansen: The Point of Departure
88/10/15 
Joshu: The Lion's Roar
88/10/23 
Rinzai: Master of the Irrational 「臨在録」
88/11/01 Isan: No Footprints in the Blue Sky
88/12/03 Kyozan: A True Man of Zen
88/12/26 
No Mind: The Flowers of Eternity 、「ノーマインド」
89/01/08 Zen: The Mystery and The Poetry of the Beyond
89/01/13 
One Seed Makes the Whole Earth Green
89/01/17 Yakusan: Straight to the Point of Enlightenment
89/01/22 
Christianity: The Deadliest Poison and Zen: The Antidote to All Poisons 
89/01/30 Communism and Zen Fire, Zen Wind
89/02/06 
God is Dead, Now Zen is the Only Living Truth
89/02/13 I Celebrate Myself: God Is No Where, Life Is Now Here
89/02/20 
The Zen Manifesto: Freedom From Oneself 「禅宣言」


赤字
がまだわが蔵書に加わっていない1冊だが、今回、これを揃えてみるのも一興だし、いやいや、すでにネットで十分、と悟ってしまうのも、案としては正当である。

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5)禅宣言においては、唐代の禅師ならぬ、現代の「禅師」達が、OSHO最後の返し刀によって、滅多切りにされている。

「禅宣言」でOSHOのまな板に乗った人々 工事中 

U.G.クリシュナムルティ p13
J.クリシュナムルティ p14
神智学協会 p17
リード・ピーター p19
アニー・ベサント p20
ゴータマ・ブッダ p20
ソクラテス p25
鈴木大拙 p26
ジャン・ポール・サルトル p27
ボーディ・ダルマ p30 p334
アラン・ワッツ p31
マハカーシャッパ p31
カビール p32
丹霞天然 p49
ミケランジェロ p55
天竺 p57
カザンザキス p63
マグダラのマリア p65
南陽 p70
百歳 p72
馬祖 p93
トマス・マートン p92
ポール・レップス p96
ユベール・ブノワ p96 p284
イエス・キリスト p101 p347 p419
クリシュナ p101
アリストテレス p118
マハヴィーラ p123
長蘆(ちょうろ) p160
千崎如幻 p166
アルバート・アインシュタイン p172
E.ムーア p174
石頭和尚 p206
ラーマクリシュナ p226
羽紅 p247
宝徹 p262
石室 p298
長髭 p298
フリッチョフ・カプラ p315
仰山 p328
ゲオルギー・グルジェフ p336 p466
凡兆 p348
ウィルヘルム・ライヒ p350
大顛(だいてん) p366
一休 p368
ジョン・スティーブンス p381
ウォルト・ホイットマン p385
ジークムント・フロイト p395
芭蕉 p401
ソロモン p402
フィリップ・カプロー p402
ナンシー・ウィルソン・ロス p441
コンスタンティヌス p444
清平(しょうへい) p456
翠微(すいび)p456
ケン・ウィルバー p458
マンタク・チア p461
ヘロドトス p463
カリフ・オマール p467
ピカソ p469
ムムタズ・マハール p471
一茶 p475
エーリッヒ・フロム p476
カール・グスタフ・ユング p478
洞山(とうざん) p490
潙山(いさん) p490
雲厳(うんがん) p490
ゲシュタ・イタル p492
カール・ヤスパース p518

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6)はてさて、どこから、どう攻めようか? そろそろ「違の巻」も終わり。「蓮の巻」はどんな展開になるのやら。我ながら、愉しみである。

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<3>につづく

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2021/01/29

こんにちは

1)いきなりメールをもらう。親しげだ。わからない名前なので、躊躇していると、次の日あたりに、ニックネームをつけて、もういちどメールがくる。わすれたのかな?と問いかけてくる。いや~、忘れたわけじゃなくて、最初から出会っていないのではないか?

2)いや、日常的にも、普段付き合っている人物の名前がまったくでなかったり、完全に忘れてしまったりという体験は茶飯事にある。ましてや過去数十年前に一度や二度あったかもしれない人物など、忘れてしまっていたとしても、勘弁してもらうしかない。

3)しかれども、これってひょっとすると、ひっかけのジャンクメールだったりするかもしれないのだ。電話やDMなども、この手の非道が流行ったことあるよなぁ・~~。くわばら、くわばら。

4)久しぶりにメールなり手紙をくれるなら、やはり、きちんといついつどこでこんな形で出会っただれだれですよ、と自己紹介すべきだ。私が勝手に忘れてしまったのだろう、なんて思わない方がいい。久しぶりにメールをくれるなら、キチンと要件をつたえたまえ。

5)そして、それに返信するかどうかは、こちらの権利だ。義務ではない。まったく無視する自由さえ残されている。残しておいてほしい。あと数年もすれば、私だって、古来稀なる年齢となる。これまで出会った人々のひとりやふたり忘れてしまったって、そうそう怒らないでほしい。その程度のことで、こちらの人格を疑わないでほしい。

6)無限の可能性、というやつを信じてみたいけれど、地球人類70億人と、フェイスtoフェイスで付き合えるわけがない。人生の人間関係を結べる範囲は、どこぞの研究によれば、せいぜい150人程度だそうだ。フォロアーがなんぼ、アクセス数がなんぼと、意味のない数をカウントしている輩もいるかに聞くが、人生の真の価値から考える、それらはあんまり意味がない。

7)だから君よ。君のメールは削除した。本当に久しぶりで意味があるものならば、きちんと、その意趣を表明せよ。納得できれば、返信する。いや返信させていただく。私にとってはとても大事な人生上の機縁かもしれない。そのようなチャンスは失いたくない。それはそうだろう。

8)だけど、そういう幸運や、奇譚はそうそう多くはない。新手のネット販売や、団体の勧誘などは願いさげだ。そういうつきあいは、お互いやめようね。清い関係でいましょう( ´艸`)。

9)ということで、今夜も、ゆっくり寝ることとする。お休み。

 

男児(あに)走り女児(いもうと)走る枯れ木道 把不住

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最後の禅シリーズ<1>

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1)私の知っている範囲で言えば、OSHO最後の禅シリーズは88/04/22 88/05/26の Live Zen から、89/02/20 89/04/10 The Zen Manifesto: Freedom From Oneself 「禅宣言」までの約27冊。そのうち邦訳されているのは6冊。今回はこれに加えるところの87/07/05 87/07/14 Bodhidharma: The Greatest Zen Master 「ボーディダルマ」 と87/07/15 87/08/20 The Great Zen Master Ta Hui から一冊加えて7冊。

2)大体が、ざっとは目をとうした邦訳群ではあるが「これこれ千回もこれ」と「空っぽの鏡・馬祖」は、もうすこし読み込んでもいいかな、という気がする程度。

3)英語版は、その30冊のうち20冊程度は蔵書しているが、もっていないものが10冊程度ある。それらを集めてみるか、という誘惑にも駆られるが、別に本としてあつめなくても、ネットでも十分内容を把握できるページがそろっている。

4)さて、OSHOがなぜに最後に唐代の禅師たちを遊んだか、ということが気になっているわけだが、おそらく、ひとりひとりの禅師を追いかけることに、よくよく考えてみれば、それほどの意味はないのである。

5)話を面白くしたり、複合的な背景をつけて、楽しんでいたにすぎないのではないか、と思うのである。つまり、当ブログとしても、なにやら学術的な探求などする段階ではないのだろう。つまり、そうしなければならないのではなく、楽しみのタネをみつけて、面白がればいいのだろう、と納得するのである。

6)そもそも、これらの邦訳は、本当に一冊を本気になって取り組めば、いきなり時間がかかり、こんなにたくさん読めるはずはないのである。数量的に読み込んだとしても、だから、それがどした? ということになってしまう。

7)読み込まずに、むしろ、楽しむ。断片的であれ、直観的であれ、あるいは誤読、あるいは曲解もあり、で、とにかく戯れてみることのほうが、大事なのではないか。今はそう思う。

8)いずれ、全体的に英文の蔵書とミッシングリンクも整理してみるが、結局そこにあるのは、何かを読み込むという姿勢ではなく、遊ぶ、戯れる、時間と、空間と、そこにいる、ということなのであろう、とさえ思うのである。

9)完璧とか、正確とか、妥当とか、そういう価値観ではなく、ひたすら愉しむ、ひたすら没頭する、ひたすら忘我がする、というあたりが、結局は、最後の禅シリーズがのこされた、真価なのであろう、と、今日のところは納得しておくこととする。

<2>につづく

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「禅の知恵に学ぶ」山川 宗玄<12>

<11>からつづく

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「禅の知恵に学ぶ」 NHKこころの時代~宗教・人生~ <12>
(NHKシリーズ) ムック 山川 宗玄 2019/03 出版社: NHK出版 ムック: 160ページ 
★★★★★

山川様

お役に立てずにすみません。

そもそも、二回あった放映を見逃されたのは残念でした。私はたまたま立ち寄った書店に、NHKテキストをみつけ、放映を待ち構えて視聴したのでした。そもそも、ひと月に一回の放映なので、半年ほど続いていたことになります。

すこし間延びした放映だったので、ちょっと関心が別なほうに行ったので、結局、最初は全部削除してしまったのでした。(我が家のハードディスクには容量の限界があります。)

しかし、再放送があるとのアナウンスを聞いて、今度こそはと、またまた待ち構えていたのですが、やっぱり、ひとつの番組だけに集中しているわけではないので、結局、再放送分も半分は削除してしまった、というわけです。

この番組にはいろいろ考えさせられることが多かったです。老師も素晴らしい方ですね。ただ、我が人生を考えてみると、いろいろな素晴らしい人々との出会いもたくさんあり、そしてまた、師と仰いで教えを請おうという方もいらっしゃいましたが、そう多くはありませんでした。

弟子もまた師を求めて旅をするのですが、師もまた弟子を求めて旅をしていると聞きます。師と弟子の出会いというものは、奇跡的なもので、よく卵の中のひなの成長と、その殻を突っつく親鳥にたとえられますね。

おひとりの師においても、複数回のチャンスがあり、ちょうどぴったり、という機縁がきっとあるものと推察いたします。

また、この番組でも繰り返し語られていることですが、人生といえ、禅といえ、結局の目標は己事究明である、と聞いています。師あったればこそ正しい道にたどり着く人生もあるでしょうし、師を持たずに究極の道へと進む人もあるかに、聞きおよびます。

どうぞ、山川様におかれても、すばらしい出会いがあり、そして我が家へと帰り着く道筋が見つかることをお祈りいたします。

 

鳥啼きて草木目覚める春陽かな   把不住

 

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「禅の知恵に学ぶ」山川 宗玄<11>

<10>からつづく

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「禅の知恵に学ぶ」 NHKこころの時代~宗教・人生~ <11>
(NHKシリーズ) ムック 山川 宗玄 2019/03 出版社: NHK出版 ムック: 160ページ 
★★★★★

山川様

ご事情ご推察申し上げます。さて困りましたね。

現在私の手元にあるのは、1回、3回、5回分の録画ですね。ビデオのハードディスクに入っています。これを見ていただくには、どのような方法があるのでしょう。著作権のあるものであり、未知の人とシェアするには、いろいろな難易度のハードルがありそう。

①お近くの方であれば、我が家に来ていただいて、一緒に見る。これなら、3時間分だし、私も繰り返し見たいし、正当なNHK視聴者の行為ですね。

②ハードディスクから記録媒体に録画し、友人として貸し出し、見終わった後は返却してもらう。これならギリギリセーフか。ただし取り出すのは私は得意じゃないので、息子か誰かの手を借りないといけない。

③どうせ取り出したのなら、プレゼントするなり、有料で送付する。もうここまでくると、ちょっとまずいかも。常態化した商いになっていなければ、大目に見てもらえるか。

④もっと手っ取り早く、ヤフオクやメルカリに時間指定で出品して瞬間的に落札してもらう。これもありだが、結局は履歴が残り、お互い犯罪者のお仲間入り、ということになってしまうのも困る。

⑤同じようにyoutubeや動画サイトにアップして、ダウンロードしてもらう。これもありそうだが、タイトルや中身を検索して、そもそもアップ自体を拒否されるかも知れない。たまに非合法の動画もあるので、網の目を潜れるか。

⑥でもそういうのは、外国人の友人がいたり外国のサイトやサーバーを使ったりしなければならないので、現実的ではないよね、きっと。もうアンダーグラウンドの世界ですね。

⑦C to Cというか、ファイル交換ソフトのようなものもあるようなので、それも有りかと思うが、我が業務上、我がパソコンにそれらのソフトをインストールすることさえご法度なので、これは無理。

⑧最後に残されているのは、しつこくNHKにみんなで再放送要求の圧力をかける。「皆様のNHK」なら、オンデマンドや再放送のチャンスをつくってくれるかも・・・・w

⑨あるいはDVD化されて発売されるのを待つ。これは可能性はあるかもよ。企業秘密で未発表だけど、すでに実現化に向けて企画が動いているかも。

はてさて、他にどんな手があるかな・・・・・。

<12>につづく

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2021/01/28

「禅の知恵に学ぶ」山川 宗玄 <10>

<9>からつづく

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「禅の知恵に学ぶ」 NHKこころの時代~宗教・人生~ <10>
(NHKシリーズ) ムック 山川 宗玄 2019/03 出版社: NHK出版 ムック: 160ページ 
★★★★★

コメントをいただきました。

 

山川宗玄老師のNHK放送を見逃し、探していてここにたどり着きました。テキストを読み、美濃加茂での老師の講話も何度か聴講しました。なんとか、この放送を録画された方を探して、ダビング等のお願いをしたく、ここに書き込みさせていただきました。
よろしくお願いします。投稿: 山川正治 | 2021/01/28 15:07



山川正治様
書き込みありがとうございます。山川宗玄老師を縁起として、こうして書き込みをいただいたのも、深い因と縁のつながりがあることだろうと、感謝いたします。
老師について、すでに美濃加茂での老師の講話も何度も聴講されておられるということですので、私から申し上げることのできることはほとんどありませんが、おそらくNHKの番組ですので、オンデマンドとか見逃しなんとかで、正式に再視聴できるシステムがあるはずだと思います。
また、なんどか再放送された履歴もありますので、NHKでの今後の放送予定などもチェックする方法もあるかと思います。
チラッと、動画検索をしたら、下記のビデオがでてきたので、参考までに貼り付けておきます。

<11>につづく

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IT社会と企業の未来

このタイトルズバリではなかったが、関わりのある会社のオンラインセミナーとやらにZoomで参加した。

本来は毎年立派な会場を借りて、会社の顧客向けに綺麗事に終始する企画ではあるが、今年はパンデミック下において、オンラインで開催された。

二部構成で、パート1が若き女性イノベーターたちの体験談のようなもので、なかなか物事をはっきりとした口調で発言し、また自らの体験でなければ語れないような内容も多くあった。

一時間強の時間枠でのパネルディスカッションには当然不足もあるが、まあこんなもんだろうな、という内容であった。

別段にひらめいた、ということはなかったが、大いに気付かされたのは、若さの持つエネルギーというものについてである。

彼女たちの持つ若さは、年老いた私などからみると、ワカ者というより、バカ者と揶揄したくなる部分もないわけじゃないが、であるからこそ、若者なんだ、と思わされた。

当然私自身も若い時分には相当にバカ者だったわけで、年寄りたちがハラハラしながら見守ってくれていたのだろう、ということは、今になってみればわかる。

しかし、今回のパネラーたちは、若い時分の私などより、はるかに知性を携えて、それぞれに立ち位置を与えられ、また自分でそれを獲得してきたイノベーターたちである。心から応援したいと思った。

パート2においては、それぞれの有名企業に属するイノベーターたち3名のパネルデスカッションである。ほぼ引退を間近に控えているような方もおり、主婦から再出発した有名編集者もいた。

メディアなどでは、内部崩壊しているかのような評価をされている企業に属する登壇者もいたが、なかなかに元気で、決してメディア情報で出来上がっているイメージとは、ちょっと違う。

表面的な情報だけに頼っていると、本質的なニュアンスを掴むチャンスを失ってしまうこともありうるな、と反省したことだった。

かくいう私が関連している動きについても、30年前や40年前の情報から一歩も出ていない一般人を見るにつけても、常に感性を磨き、より新しい今日的な実態に触れ、さらには進んで自ら体験することの大事さに、心が巡った。

企業主催の、顧客向けセミナーとなれば、ネガティブ情報は避けて、より希望に満ちた、宣伝効果を狙った内容になるのも仕方ないとして、時にはこういう試みがあれば、積極的に参加してみるのもいいもんだ、と感じた。

IT社会や企業の未来について、分かった訳ではないが、人間こうして、日々葛藤して生きていくんだな、って思うと、何やらシミジミとしたエネルギーが湧いてくるのだった。

 

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京都人の密かな愉しみ <14> blue編

<13>からつづく

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「京都人の密かな愉しみ」 <14>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ

 

テレビの番組表を見ていると、またまたこの番組の再放送が始まったようだ。本編のファンの一人としては、blue編は、いまいち感情移入が出来ず、ちょっと引き気味だったが、どうしてどうして、なかなかに魅せられる場面も多かった。

その理由の一つには、最初の放映の時に、キチンと見ていないせいもあるだろう。食事しながらとか、グラス片手に寝込んでしまうとか、途中で電話が入って、中座してしまうとか、とにかく視聴者としては、自慢できないことも多い。

そのせいで、全編をきちんと見ていないのだろう。あちこちに強い印象を受けた場面はちゃんと記憶にあるので、一度見たことは見たのである。

それとも再放送用に、再編集されているのだろうか、30分番組をそうそういじれるわけがないだろうから、それはこちらの勝手な邪推として、再度繰り返し見ても、なかなか楽しいblue編である。

似たような体験として、繰り返し再生してみる番組もあるが、途中で飽きてしまうこともよくある。ストーリーのネタバレで興味を失っていたり、あちこちにアラが見えてきて、愚痴ばっかりが多くなり、途中でプチ消ししてしまうのである。

そういう観点からいうと、この番組は、なかなかに興味深く、飽きない。おそらく最初から正座して、きちんと完全に視聴したとして、おそらく見落としも相当に多くなるに違いない。

これだけ作り込まれていると、せいぜいがタブレット新聞見開き大の我が家のテレビではなく、畳のような、それ以上大きな画面で見たら、また感想も違ったものになるかもしれない。

あと数回分の放映が残っているようなので、楽しみである。

<15>につづく

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「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 <24>ケヴィン・ケリー

<23>からつづく 

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「<インターネット>の次に来るもの」 未来を決める12の法則 <24>
ケヴィン・ケリー (著),    服部 桂 (翻訳) 2016/07 NHK出版 単行本: 416ページ 目次

何気なく、放送大学の「日常生活とデジタルメディア」を録画しておいたら、これがなかなかに面白かった。

まず見たのは第一回目の40分。ありきたりのベタな講義だろうと、期待もしていなかったのだが、いきなりケヴィン・ケリーを紹介していて、ハマった。

例の「<インターネット>の次にくるもの」をとりあげたうえ、翻訳者の^_^っm氏がインタビューを受けていたので、なかなか興味深かった。

ケヴィンの翻訳者だけあって、なかなかの経歴で、時代体験は先端的なものであったが、よくよく考えてみれば、誰もが似たような体験をしているのだった。

イノベーターやアーリー・アダプターならず、60点合格主義者としてアーリーマジョリティを自認する我が身としては、まあまあそんな時代だったよな、と追認するにとどまった。

ケヴィンの12の法則とやらも、当ブログとしては、かなり追っかけたつもりだった、結局深みには至らず、我が専門分野ならずなテーマなので、最終的には忘れられたテーマとなった。

この本は4年半ほど前に邦訳されて、この番組も2018年あたりの教材のようで、ほう、こういう番組をやっていたのか、という以上の驚きはなかった。

まだ第一回目。飛び飛びだが、録画しているものがあるので、15回連続の講義の全体を見た上で、後日改めてメモすることとする。

続く

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お好み三句 把不住選

三席

『ソロキャンプ そもそも毎日 ソロライフ』(愛すべきソロ)

次席

『孫の顔 初めて見るのは スマホ越し』(デレデレじいちゃん)

首席

『「行ってくる」ふすま一枚 テレワーク』(今日も出勤)

 

        把不住選  (独断と偏見による)

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上位10句 (独断と偏見による)

『十万円 見る事もなく 妻のもの』(はかなき夢)

『ソロキャンプ そもそも毎日 ソロライフ』(愛すべきソロ)

『収入減 まず削られる パパの趣味』(大好きな家族)

『リモートの 背景だけは タワマン風』(温洸)

『「行ってくる」ふすま一枚 テレワーク』(今日も出勤)

『プツプツと 途切れる意識と 無線ラン』(竜士)

『3密を 避けて振り込む お年玉』(孫孝行)

『今の何? 半裸横切る Web飲み会』(あけたん)

『孫の顔 初めて見るのは スマホ越し』(デレデレじいちゃん)

『リモートで 不要不急に なる職場』(シュー)

 

         把不住選

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第34回サラ川優秀100句

■第34回サラ川優秀100句は以下のとおり
作品(雅号)

『リモートで 便利な言葉 “聞こえません!”』(リモートの達人)
『「出社日は 次はいつなの?」 妻の圧』(在宅ワークマン)
『テレワーク いつもと違う 父を知る』(秋乃アキ)
『倍返し 言えぬ上司に 「はい」返し』(ギレン総帥)
『激論も パジャマ姿の 下半身』(王様の耳)
『十万円 見る事もなく 妻のもの』(はかなき夢)
『密ですと ますます部下は 近よらぬ』(急いで待て)
『抱き上げた 孫が一言 密ですよ』(白いカラス)
『コロナ禍が 程よく上司を ディスタンス』(大舞剛人)
『YOASOBIが 大好きと言い 父あせる』(テンビ)
『エコなのか どんどん増える マイバック』(忘れん坊)
『ソロキャンプ そもそも毎日 ソロライフ』(愛すべきソロ)
『いつだろう 同期の素顔 見れるのは』(なんちゃって大学院生)
『嫁の呼吸 五感で感じろ! 全集中!!!』(鬼嫁一家)
『下書きの 送信キーを 猫が押し』(油断在宅)
『テレワーク 大きな子供が ひとり増え』(ミートテック)
『あつ森で 仲良くなれる 僕と妻』(指マジック)
『虹プロで 学ぶダンスと 上司像』(のぼる)
『収入減 まず削られる パパの趣味』(大好きな家族)
『「密です!」と 訴えたいのは 仕事量』(まっさん)
『どの店も ドレスコードは マスクあり』(もやし)
『力メラOFF 忘れて晒す OFF姿』(にじのいろ)
『社会人 出社したのは まだ5回』(テレ新入社員)
『ハンコ不要 出社も不要 次はオレ?』(我楽多魔手箱)
『リモートの 背景だけは タワマン風』(温洸)
『会社では 偉そうなのねと 妻が言う』(テレワークの弊害)
『マスクだと 良く言われます イケメンネ。』(ソノマン)
『喫煙所 入場規制で“密”の列』(禁煙してよかっ太郎)
『自粛中 見えた夫の 定年後』(ハジちゃん)
『脱ハンコ 進めるために 判が要る』(公務印)
『密なのに 妻の抗体 なぜできぬ』(パパ抜き)
『体重増! リモート会議で あなた誰!?』(ダイエットスタート)
『会社へは 来るなと上司 行けと妻』(なかじ)
『「行ってくる」ふすま一枚 テレワーク』(今日も出勤)
『アイメイク 仕上げにマスク 時短術』(コダクさん)
『別人か 初めて知った 仕事顔』(ぴょんきち)
『オンライン 説教したら 画面消え』(メタボリック父)
『はんこレス 上司の仕事 吹き飛んだ』(ラッキー小太郎)
『気付かない 理由はマスクか すっぴんか』(チュニャン)
『小遣いを 電子マネーで チャージされ』(息子も同じ)
『じいちゃんに J.Y.Parkの 場所聞かれ』(けぇぽっぷ)
『週一の 通勤だけで 息切れる』(けぇぇぇぇぇ)
『トレンドは ワンチームから Teamsに』(マイクロそふと)
『プツプツと 途切れる意識と 無線ラン』(竜士)
『マイクON 部長の悪口 配信中』(逆ペリカン)
『マスクさえ 妻と娘と 別洗い』(まさるクエスト)
『オンライン 見える範囲で 見栄を張る』(多苦労)
『リモートで ミュート忘れて 愚痴バレる』(ねぼ)
『はたら苦が はた楽になる 子の笑顔』(さらり丸)
『咳き込んで 視線が痛い 電車内』(愛飲酒多飲)
『久々に 家族が揃った 在宅で』(もう100パーセント出社おやじ)
『持ち帰り 昔は仕事 今はメシ』(主夫と主婦)
『耳痛い 常時マスクと 妻の愚痴』(サミー)
『出勤が 運動だったと 気付く腹』(からあげ大好き)
『買ってきて 俺は我が家の ウーバーか』(めがね家族)
『3密を 避けて振り込む お年玉』(孫孝行)
『副業で 出前届ける 部下の家』(緊急事態宣言)
『遊ぼうよ! 息子よ、パパは 仕事中』(ぼぼるん)
『グータッチ 妻は私に ノータッチ』(一生ディスタンス)
『「5円」見て ビジネスバッグが エコバッグ』(おつかいパパ)
『「やばいです」それはいいのか 悪いのか』(カクト)
『あつ森に「ローンの返済 先越され』(NOベル)
『あの密を 恋しがる日が くるなんて』(めめりん)
『お父さん マスクも会話も よくずれる』(さごじょう)
『ズーム飲み 背景代えて はしご酒』(五時から男)
『ダイエット 時を戻そう おやつ前』(フィード・パス)
『定年後昔悠々 今窮々』(こんなはずでは)
『テレワーク 子供の参入 場が和み』(ヨミ坊)
『今の何? 半裸横切る Web飲み会』(あけたん)
『弁当に 今日の元気を 詰める母』(ぜんしょう)
『何曜日? 在宅勤務で わからなく』(小平主計将校)
『スマホより 俺を認証 しない妻』(山宗雲水)
『マスクでは 防ぎきれない 妻のグチ』(ワイさん)
『ペイペイは どこのパンダと そっと聞き』(アナログ子龍)
『マスクして 上司の顔色 読み取れず』(やればできる)
『孫の顔 初めて見るのは スマホ越し』(デレデレじいちゃん)
『飲み会の 会場さがし 家の中』(ひだっち)
『我が部署は 次世代おらず5爺(ファイブジイ)』(松庵)
『休日は 息子鬼滅で 嫁キツめ』(キツめの八重歯)
『あなたとは 要請なくても ディスタンス』(おとう)
『通勤も しなくていいと したくなる』(ないものねだり)
『テレワーク 気付いた会社の イスの良さ』(首肩凝蔵)
『終電が、、。 WEB飲み会では 充電が、、。』(直行直帰)
『子は鬼滅 夫婦は亀裂 おうち時間』(ねこのすけ)
『お若いと 言われマスクを 外せない』(エチケット)
『終われない 終電が無い ズーム飲み』(ヒゲだるま)
『寝ているの? 返事がないよ Web会議』(ラーノ)
『新人が イケメンと知る 食事中』(しーしー)
『世は鬼滅 給与減って 俺自滅』(下町の優男)
『掃除して! 一応これでも 勤務中』(掃除洗濯犬散歩)
『リモートの 上司の指示は 現場見ろ!』(万年課長)
『置き配を 不審物だと 騒ぐ祖母』(う一婆いーつ)
『熱っぽい 昔は出社 今待機』(メタボ)
『リモートで 不要不急に なる職場』(シュー)
『倍返し 真似してみたら 俺無職』(たけしん)
『晩ご飯 娘退出 妻ミュート』(じょせふ)
『部下を褒め 妻に気遣う テレワーク』(名ばかり父さん)
『自宅でも 嫁との会話 画面越し』(ホットライン)
『テレワーク 妻へ感謝の 倍返し』(つべる)
『どこにある ステイホームで 俺の場所』(するめのいのち)

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シルバー川柳入選作品

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2021/01/27

THIS, THIS: A Thousand Times This: The Very Essence of Zen: OSHO<5>

<4>からつづく
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THIS, THISA Thousand Times This: The Very Essence of Zen <5>Zen Discourse Series
OSHO 1988/05~06 Rebel Pub. House , English


UNGO DOYO WAS THE CHIEF DISCIPLE OF TOZAN. WHEN HE FIRST MET TOZAN, HE WAS ASKED, "WHAT IS YOUR NAME?"

HE ANSWERED, "DOYO."

TOZAN SAID, "TELL ME TRANSCENDENTALLY!"

UNGO REPLIED, "SPEAKING TRANSCENDENTALLY, MY NAME IS DOYO."

TOZAN SAID, "WHEN I SAW MY MASTER, MY ANSWER WAS NO DIFFERENT."

UNGO REMAINED WITH TOZAN MANY YEARS. TOZAN NEVER HAD LESS THAN ONE THOUSAND, FIVE HUNDRED DISCIPLES, OF WHOM TWENTY-EIGHT WERE ENLIGHTENED.

AFTER UNGO HAD REALIZED HIS OWN ENLIGHTENMENT AND BECAME A MASTER, A MONK ASKED HIM A QUESTION.

UNGO SAID, "YOU ARE A FOOL!"

THE MONK SAID, "SO ARE YOU!"

"WHAT IS THE MEANING OF 'FOOL'?" ASKED UNGO.

THE MONK DANCED.

OFF HE WENT, AND UNGO PRAISED HIM, IN HIS ABSENCE, SAYING, "AFTER ALL, EVERYBODY IS OUT TO GET SOMETHING, THOUGH OF COURSE ZEN-GETTING IS A NO- GETTING."

ON ANOTHER OCCASION, AN OFFICIAL SAID TO UNGO: "THE WORLD-HONORED ONE HAD A SECRET MESSAGE; MAHAKASHYAPA DID NOT KEEP IT A SECRET. WHAT IS THIS SECRET WORD OF BUDDHA?"

UNGO CALLED TO HIM, "YOUR HONOR!"

HE ANSWERED, "YES?"

UNGO SAID, "YOU UNDERSTAND?"

"NO," HE REPLIED.

UNGO SAID, "IF YOU DON'T UNDERSTAND, THAT IS BUDDHA'S SECRET WORD; IF YOU DO, THAT IS MAHAKASHYAPA'S NOT KEEPING IT A SECRET."

1)では、気になるあのUNGO DOYOとTOZANの対話の部分を、英語で転記しようと考えたが、ああめんどくせーということになる。それでは、画像で残そうかな、と思ったが、ひょっとするとOSHOの文献はほとんどネット上で読める時代だから、検索してみると、見事にありました

2)いつまでアクセス可能なのか不明なので、とりあえずその部分だけをコピペしておくけれど、たとえば雲居道膺がUNGO DOYO となったり、洞山良价
TOZANになったりすることに、どう対処すべきなのか。いや逆か。そもそもOSHOはUNGO DOYO と表現し、TOZAN と表現しているのである。それをさらに逆転させて雲居道膺 や洞山良价と翻訳したり、とらえ直したりすることに、日本人としての感覚がかなり揺さぶられていることを感じる。

3)OSHOの講話における人名は、ひとりひとりの実在性や研究成果の結果としての存在性を浮き彫りにしているわけではなくて、ひとつひとつのエピソードの小さなパラグラフに対して、多少のリアリティを加えてために使われているような気がする。

4)OSHOは研究者でもなく学者でもない。ましてや聴衆や読者が一つ一つ追いかけることは、ないだろう。あったとしてもかなりめんどくさいことになっているはずである。今回の当ブログのこの「ちょっとした小さな旅」は、たったワンワードを探る旅なのだが、結果として、大きな関わりのパラダイムに気づかされることになるだろう。

5)また、それに気づくためにこの小さな旅に旅立とうとしているのである。そもそも、OSHOの最後のZENシリーズとはなんだったのか?というところまで行きつくことになるだろう。

6)そしてまた、中国禅の爛熟期である唐代禅師祖師方の、決して膨大ではないが、かなりな多様性の悟り方を追いかけてみることになるだろう。

7)そしてまた、把不住、というキーワードとして、自らの在り方を私自身が私自身に問いかける旅となろう。

8)プネー2の中の、さらに最後のZENシリーズとなったもののリスト。

88/04/22 88/05/26 Live Zen 

88/05/27 88/06/10 This, This, A Thousand Times This: The Very Essence of Zen 「これ これ 千回もこれ」

88/06/11 88/06/26 Zen: The Quantum Leap From Mind to No-Mind 

88/06/27 88/07/11 Zen: The Solitary Bird, Cuckoo of the Forest 

88/07/12 88/07/24 Zen: The Diamond Thunderbolt 

88/07/25 88/08/01 Dogen, the Zen Master: A Search and a Fulfillment 「道元」

88/08/02 88/08/11 The Miracle 

88/08/12 88/08/28 Turning In 

88/08/16 88/08/25 The Original Man 

88/08/29 88/09/07 The Language of Existence 

88/09/08 88/09/15 The Buddha: The Emptiness of the Heart 

88/09/16 88/09/25 Ma Tzu: The Empty Mirror 「空っぽの鏡 馬祖」 

88/09/26 88/10/04 Hyakujo: The Everest of Zen, with Basho's Haikus 

88/10/05 88/10/14 Nansen: The Point of Departure 

88/10/15 88/10/22 Joshu: The Lion's Roar 

88/10/23 88/10/31 Rinzai: Master of the Irrational 「臨済録」

88/11/01 88/12/02 Isan: No Footprints in the Blue Sky 

88/12/03 88/12/06 Kyozan: A True Man of Zen 

88/12/26 89/01/07 No Mind: The Flowers of Eternity 「ノーマインド永遠の花々」 

89/01/08 89/01/12 Zen: The Mystery and The Poetry of the Beyond 

89/01/13 89/01/16 One Seed Makes the Whole Earth Green 

89/01/17 89/01/21 Yakusan: Straight to the Point of Enlightenment 

89/01/22 89/01/29 Christianity: The Deadliest Poison and Zen: The Antidote... 

89/01/30 89/02/05 Communism and Zen Fire, Zen Wind 

89/02/06 89/02/12 God is Dead, Now Zen is the Only Living Truth 

89/02/13 89/02/19 I Celebrate Myself: God Is No Where, Life Is Now Here 

89/02/20 89/04/10 The Zen Manifesto: Freedom From Oneself 「禅宣言」

9)この中には、現在手元にないものが多数ある。されど、それらを実態として購入する楽しみもあるが、場合によっては、今回みたいに、全文がネット上で読めてしまうものが多数あるはずである。むしろ、今後の拡張性から考えて、あやうくはあるが、ネット上のリンク幅を広げていくことのほうが大事なような気もしてきた。

10)本は本として、実体化した物理としての存在を集めていくのも楽しいことではあるが、積読だけでは意味がない。今回は、決して全体ではなく、一つのキーワードを広げていく意味で、いずれ全体が見えてきてしまう、という効果を狙ていきたいと思う。

11)あと、ちょっとひとつだけ。バージョンによって違いもあるのだろうが、英語本では14章は「Zen is Nobodies」となっているが、ネット版では、「No Title」となっていた。一応、それぞれにあたってみる価値はあるかも。

つづく

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これ これ 千回もこれ <4>

<3>より続く

 






「これ これ 千回もこれ」 <4>
       禅のまさに真髄Osho /スワミ・アナンド・ソパン 1993/06  和尚エンタープライズジャパン OEJ books 単行本  362p 

1)思えば、この本は、今回の「ちょっと小さな旅」における重要な一冊である。当ブログにおいても1.0から読み始めており、その重要性については、最初の最初から重要マークがついていた。翻訳は澤西康史(ソパン)である。

2)雪峰、厳頭、長生、洞山、百丈、南泉、韓盧(かんろ)、潙山(いさん)、忠国、石頭、馬祖、道悟、崇信、黄檗、徳山、龍潭(りょうたん)、香厳(きょうげん)、常州(じょうしゅう)、烏臼(うきゅう)、趙州 (じょうしゅう)、帰宗(きすう)、 米嶺、大梅(だいばい)、などなどの禅師、祖師方が登場する。

3)今回の、ちょっと小さな旅の要素として、最後のZENシリーズの一冊であり、洞山良价や雲居道膺を含む唐代の禅師祖師方が登場する限り、この一冊は、今回、とても重要な一冊となる。

4)ただし、これは邦訳本であり、英語の要素がない。またちょっと気になるが、英語本は、出版されているとはいうものの、名前はバグワン・シュリ・ラジニーシとなっている。邦訳は和尚だが。

つづく

 

 

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「OSHO、ZENを語る」玉川信明<6>

<5>よりつづく

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「和尚、禅を語る」 <6>
玉川信明 2002/02 社会評論社 単行本 263p

不思議なものである。ここにきて、洞山良价(とうざん りょうかい)や雲居道膺(うんごどうよう)の片鱗が見え始めた。

七話 知識人より愚か者たれ雲居道膺(うんごどうよう) は洞山の第一の弟子として知られている。洞山に初めて対面した雲居は、「名は何と言うか?」と尋ねられた。/雲居は答えた。「道膺です」/洞山は言う。「それを超えたところを言ってみなさい!」/雲居は応えた。「それを超えたところをいうなら、私の名は道膺です」/洞山は言った。「私が師とお会いした時も、同じように答えたものだ」/雲居は洞山 のもとに何年もとどまった。洞山の許に集う弟子たちは常に五百や千を下らず、そのうちの二八人が悟りを得た。/雲居自らが悟りを開き、師となってからのこと、ある僧が問いを訪ねた。/雲居は言った。「お前は愚か者だ!」/僧は言う。あなたもです!」/「では、その『愚か者』の意味はなんだ?」と雲後は尋ねた。/僧は踊りだした。/その僧が去った後、雲居は彼を讃えて言う。「なんにせよ、誰もが何かを得ようと努めている。無論、禅の利得は無利得であるが」。 p115「第四章 答えはこれ、これ、千回もこれ」

1)この玉川本シリーズも困ったものだが、困った本のサンプルとして置いておくことも悪くはない。基本的に私は好きなのだ。少なくとも、このような杜撰な編集をした本はほかに存在しない。ここに引用されている部分も、何を言いたいのか、わからなくなってしまう部分でもある。

2)そもそも、この第四章第七話なんて、原点にはどこにもないのだ。そして現代は「これ これ 千回も これ」禅のまさに真髄ーーーである。少なくとも「答えはこれ」ではない。また引用部分は途中でぶちぎれた形になっている。これではなぁ・・・。

3)洞山良价
雲居道膺の出会いのエピソードについては、「雲居和尚墨跡集」における次の部分に当ブログは関心があるのだ。

 把不住(はふじゅう)というのは、中国唐代の禅僧、雲居道膺(うんごどうよう)が師の洞山良价(とうざん りょうかい)から「此の子、巳後千人万人といえども把不住(とらまえられぬ)ならん」といわれた故事による。 「雲居和尚墨跡集」 表紙

4)ということで、ひょっとすると、違う部分の引用なのかもしれない。その可能性も含めて、今後、留意しながら、読み進めるものとする。

5)OSHOの最後のZENシリーズ+英文+把不住の小さな旅といいつつ、この玉川本に躓いている程度では、まだまだ旅は始まった、とは言えない。ただ、この本に引用されている。道元、馬祖、臨在、などは最後のZENシリーズに入っていたことを思い出さなければならない。

6)玉川本は、邦訳文献だけが引用されており、さらには、誤引用、不明瞭引用で、混乱してしまうこともあるが、明晰な理解力をもってすれば、なぜに玉川本が間違ったのか、が明確になってくる。そういった意味においては、貴重本である。(反語的であるが)

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「そして花々が降りそそぐ」 OSHO <2>

<1>からつづく

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「そして花々が降りそそぐ」―和尚講話録 <2>
Osho (原著),    マプレムプラバヒ(翻訳)  2005/11 市民出版社 単行本: 437ページ 講話時期74/10/31~ 74/11/10 「And The Flowers Showered」
★★★★☆

禅師洞山は納屋で麻を量っていた。
僧がやって来て尋ねた。「仏とは何でしょう?」
洞山は言った。「この麻は三斤だ」   p284 第八章 「洞山の麻三斤」

1)有名な公案「麻三斤」のエピソードである。この公案に対する正解はない。多様性があってあたりまえ。ここでのOSHOの講話が唯一というわけではない。ただし、これもまた正解だ。

2)この本は1974年のOSHO講話の邦訳である。プネー1での、しかも「存在の詩」よりも前の講話である。手に取っているのは英語文献でもない。されど、ここに登場している洞山の名前を確認できれば、今回の「最後のZENシリーズ+英語文献+把不住」の小さな旅の一冊目としては、十分である。

3)馬祖道一の弟子筋であるこの洞山こそは、そのさらに弟子の雲居道膺 (うんごどうよう 835~902)を把不住と評した人物であったからである。

4)この本には、洞山のほかに、獨園、盤珪、道吾、漸源、石霜、東海、玄沙、雲門、南泉、などなど多数の禅師や祖師方が登場する。しかし、数行のパラグラフに登場するセンテンスを繰り返しているだけで、決してその背景や人物像をふかく「解説」しているわけではない。

5)OSHO最後のZENシリーズのように、新たなる文献を側近の日本人サニヤシンに翻訳させながら(と聞いたことがあるが、確証はない)引用しつつ続けた講話とは、違っていただろう。おそらく、DTスズキやそこから派生したZENマニアたちの文献をもとに、ひとつの切り口として引用しているに過ぎないだろう。

6)日本における二冊めのOSHO講話邦訳は「草はひとりでに生える」であった。これもまた禅を多く題材にした講話であったが、プネー1におけるOSHOは決してZENに終着するという風でもなかった。もっともっとバラエティに富んでいた。最晩年になって、禅に終着し、禅宣言で終わったOSHO講話とは、ちょっと趣を異にする。

7)しかし、ここではまあ、各種各方面からそれぞれに評価されるOSHOではあるが、最初期から、OSHOはZENを高く評価していたのだ、ということがわかればいいだろう。

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把不住述懐<>

<**>からつづく

 

1)ちょっとした旅に出ようと思う。いえいえ、このパンデミック下、不要不急の旅を遊ぼうとしているわけではない。私は基本、GOTOトラブル(トラベル)政策には反対だ。普段だってほとんど自宅でテレワークだ。ステイホーム信奉者だ。もともと、どちらかといえば、引きこもり派なのだ。

2)しかし、精神まで引きこもりになってはいけない。自由闊達に出歩き、出会い、さまざまな試みを試すべきだ。今回思い立った旅は肉体をともなった外部への旅ではない。むしろ内面的なものだ。内面の内奥への旅ではあるが、いくつかの目的地点がある。最終的に自宅に戻るまでのスタンプラリーみたいなもの、とでも言えばいいのか。

3)今回のスタンプラリーのポイント地点。

a.英語でOSHOを味わう機会を増やす。
b.OSHOの最終地点であるZENシリーズの深読み。
c.当ブログのネーミングでもある把不住の意味の再確認。

4)お気に入りのOSHO本は何冊かあって、何度も何度も読んでいたりする。しかも、お気に入りのページはそれぞれ固まっている。それはそれでいいとも言えるし、いやいや、そうではない、という意見もある。今回は後者の立場だ。邦訳本の、翻訳者のマインドを一度通ったものを何度も読みくだしていても、本来OSHOが、いわんとしたことが、こちらまで伝わっているか。できれば、英語でOSHOを読み下してみよう、というのが、まずはa.のポイントだ。

5)OSHOの長い旅は、最終のZENシリーズに終着した、とみるのが当ブログの立場だ。そこで安心してしまっているために、OSHO-ZEN1を極めず、ついつい横滑りして、伝統的禅に視点が行ってしまっているのが事実だ。プネー2、特に最晩年のZENシリーズも実は、英語版の蔵書が欠番しているところがある。そこを揃えつつ、全体の流れを再確認する必要を感じる。これがb.ポイント。

6)そして、何時のころからか、わがブログのネーミングにお借りしている把不住。レアな使用方法しかないので、特段にクレームを受けているわけではないが、はてさて、これでいいのか、という不安要素の一つでもある。かつての唐代の中国禅師にまつわる文言でもあり、また、気が付いてみれば、OSHOもたびたびこの辺に触れているのである。ここをキチンと把握しよう、というのがc.ポイントである。

7)つまり、英語のOSHO-ZENの中に把不住を見つけにいこう、というのが、今回の小さな旅の主意である。

8)さて、そう思いついて、まずは英語文献を揃えてみると、すでに邦訳されているものも多数あって、それらに背を向けて、あらたに英語文でスタートするのは、ちょっと粋がりすぎだと思う。邦訳文は邦訳文としてありがたく読ませていただきながら、時には英語に戻り、時にはビデオや動画まで行ってみよう、か、と思う。

9)そして、どうせならプネー2全体を網羅してみようとも思ったが、それもまた気負いすぎだ。直接OSHO-ZENのタイトルを持たないものは、スタート地点では割愛し、時には拡大して引用しよう、というところにとどめようと思う。

10)そしてまた、把不住については、すでにいくつかの文献を揃えて当ブログへアップ済みだが、より濃密に、より距離をつめて、日本語文献や、中国文献を漁ってみよう、という試みである。

11)この小さな旅の試みにおいて、中国伝統禅+日本今日的禅を把握し、OSHO晩年の言葉を再確認し、パンデミック下において、21世紀を生きる自らを再確認してみよう、というの、今回の旅の、お楽しみ部分である。

12)こんなことを思いついたのは、実は、読書ブログとしては、かなりネタ切れになっていて、書き手の私のエネルギーもかなり消耗してきている、ということに遠因がある。そしてここに書いたことは、これまで大雑把なくくりで放置してきたものを、再確認して、一粒で二個おいしい、という、振り返りの旅を試みよう、としているからである。もう、ここしかないだろう。

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2021/01/24

木刀による剣道基本技稽古法

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2021/01/21

「禅百題」鈴木 大拙<2>

<1>からつづく

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「禅百題」<2>
鈴木 大拙 (著)
2020/12  河出書房新社 単行本 : 208ページ
No.4451★★★★☆

Oshoの晩年は限りなくzenに終着していった。登場する人物、エピソード、経典、一つ一つが禅そのものになっていった。

そもそも私には禅的な背景しかなく、特に道元の流れに即したものがほとんどだった。聖書研究協会にも出かけたし、法華経流の情報にも触れた。

一般的ないわゆる新興宗教的な流れにも触れたし、いわゆる土俗的な神道系の情報にも触れた。古い教えは迷信とスティグマを張りつつ、一定の距離を置きつつ、親しみを感じたことは、確かだ。

だが究極を切り詰めた場合、禅が最も尤もらしかった。禅の向こうにある仏陀が一番の救いであるようだった。

究極にOaho がzenに向かった時、私はホッとした。これでキリストにもいかず、ヒンドゥにも深入りせず、スーフィーやタントラや、あるいは道教や、超科学や、未来学や、ありとあらゆる支線にも入り込まずに、すみそうだった。

でも、そうであっただろうか。最後の解が禅と出た限り、余計なエネルギーを使わないで済む。そのような心の間隙を見逃すOsho ではない。

禅といい、Zenといいい、では私の禅はどこまで行っただろうか。私の禅はそこまで帰ってきただろうか。禅は見えているだろうか。禅にいるだろうか。

私の慢心は、あらゆる停滞を招いた。私は若い時分から旅をした。神社仏閣は、老人になってから回ろうと思ってきたが、いざ老人となってみれば、どうしてどうして、神社仏閣など回遊している余裕など生まれなかった。

それと同じく、禅と決まった限り、禅は後回しにして、その前に片付けるべきものを片付けよう、として後回しにしているうちに、私の禅に向けるエネルギーに限界さえ見え始めている。

これではいけない。禅は最後の解ではないのである。禅は始まりに過ぎない。禅が消え去るほどに、禅に没頭し、一体化し、無化し、忘れ去るほどに、同化する必要があるのである。

私の67年はなんであったのか。やるべき宿題を後回しにして、遊びまわって、ついに夏休みの終わりが近づいた小学生みたいなものではないのか。

禅という言葉に止まるなら、算数や国語という、教科名をノートの表紙に書きつけただけではないのか。中身はあるのか。何を学んだのか。何を体験し、何を領下したというのか。

禅という言葉は、何の役に立っているというのか。仙台にいて東京といえば、たしかに方向性はあるが、東京にいて、東京に行こうなどいう言葉は意味がない。東京のどこに行こうというのか。

新宿なのか、江東区なのか、新宿なら、そのどこなのか、どの建物の、どの階にいるのか。どの部屋の、どの窓から、どういう形の自分の新宿を見ているのか。

そこから仙台は見えるのか、空は見えているのか。空を見ている、自分は見えているのか。

自分の何が見えているのか。名前か、顔か、仕事か、家族か、残された命か、外なのか、うちなのか。

自分の仏性は見えたのか、本心は悟り得たのか。終わったのか。消えたのか。生まれたのか。その煮詰めは終わったのか。準備はできているのか。

禅、の一言に、逃げてはならない。隠れてはいけない。エンカウンターしなければならない。今こそその時である。

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OSHO「Mindfulness in the Modern World」 <C014>

<013>から続く 

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「Mindfulness in the Modern World」 How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <C014>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials)  目次
工事中

いやはや、目が醒める思いがした。何気なく眺めていたらゴエンカの名前が出てきた。最近までこの名前に拘泥することはなかったが、あのユヴァル・ノア・ハラリの師事しているのがゴエンカだと知って、最近ちょっと調べてみようかな、と思っていた所だった。あの「聖者たちのインド」にも出ていたので、Oshoと同時代人であるとは分かっていた。

しかし、ここにおけるOshoのゴエンカに対する指摘は手厳しい。徹底的だ。ゴエンカは25世紀前のゴータマ・ブッダのカーボンコピーのカーボンコピーのカーボンコピーのカーボンコピーのカーボンコピーのカーボンコピー・・・・に過ぎない、と一刀に切り捨てる。 Oshoは、ゴータマ・ブッダは25世紀前に置いて来た、と豪語する。

ハラリの著書は評判だが、私の視点から見ても、結局は「21レッスンズ」の21番目の「瞑想」を読んでしまえば、それで足りてしまうのだった。それにしても、毎朝2時間のゴエンカ流ビパサナ、とはこれいかに、と違和感がなかったわけではない。ハラリがOshoにたどり着くまで、どのくらい時間がかかるものか? 果てしない距離感を感じていたのは確かである。

電気の仕組みが分かればゴエンカ程度のことはできる。しかし彼は電気を発明したエジソンではないと。瞑想に興味を持つ者は多いが 99%はたどり着かない、と。いやはや、耳が痛い。叱られているのは、この私だ。これじゃぁ、行き着かないな。背筋の伸びる思いがした。

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2021/01/20

今日の気分はこの三冊<51>

<50>からつづく

 

今日の気分はこの三冊<51>

今日の気分はこの3冊 目次

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It's All About Change: The Greatest Challenge to Create a Golden Future for Humanity

Osho(著), Osho International Foundation(編さん)発売日: 2014/5/21 ペーパーバック: 192ページ

Words from a Man of No Words
Osho 2015/12 ペーパーバック Osho Media International  英語 ペーパーバック  136ページ

「A Course in Meditation」 A 21-Day Workout for Your Consciousness
Osho(著)  2019/09 出版社: Harmony ペーパーバック: 224ページ 

<52>につづく

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2021/01/19

「禅百題」鈴木 大拙

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「禅百題」
鈴木 大拙 (著)
2020/12  河出書房新社 単行本 : 208ページ
No.4451★★★★☆

OshoはDTスズキを評価した。おそらく大拙が存在しなかったら、Oshoの講話内容も大きく変わったに違いない。大拙は、欧米に英語で禅を紹介した。ZENがあるのは、DTスズキのおかげだろう。Oshoの語るZENは、大きく大拙に依存している。

しかし、それはZENという衣装についてである。DTスズキは、大いにその衣装を欧米にばらまいた。そのもの、あるいは、その影響下にある人物や書籍や潮流が、Oshoを大いに刺激した。それを採用し、援用し、さらに解体した。

禅と坐禅とを区別するとよい。近頃日本での流行は坐禅だ、寧ろ坐禅の真似事だ。真似でも親孝行は殿様から褒められると云うから、坐禅の真似も決して悪いことではないが、これを禅そのものと思われたら大変であろう。

印度はあらゆる宗教的行事の本家本元である。坐禅もそこから出て来た。坐禅と禅定とは同じい。結跏趺坐の形で禅定を修する。何事にも形は必要だ。この形を吉祥坐と云う。これで以て心を一処に制する訓練をやるのである。散乱心では何事もできぬ。

併し訓練の技術は畢竟じて技術である、「そのもの」ではない。この区別を知らずに坐禅のまま入定し去った人もある。古廟裡の香が化したのが禅ではない。固(もと)より禅定も一念万年にし去るほどに進めばこの上もないことである。禅はそこにはないのである。

禅には、一種の知がなくてはならぬ、般若の閃きがなくてはならぬ。「知之一宇衆妙之門」と神会は云う、その通りである。併しこのは相関性のものではなくて、絶対的でなくてはならぬ。相関性のは「知之一宇衆妙之門」である。禅者もこの点に於て反省すべきであろう。

坐禅は知ではない。知はそれから出るでもあろうが、坐禅はどこまでも方法である。坐禅を目的そのものとすることもある。併しそれは禅ではない。「座脱立亡」は即ち亡きにあらず、先師の意は未だ夢にだにも見ざること在り」だ。定慧不二に到りて初めて禅ありきと云ってよい。近時坐禅の人々、よく思いを此処にいたせ。至嘱至嘱。p71 鈴木大拙「禅と坐禅」

コロナ・パンデミックもいよいよ足元まで押し寄せてきている。知人もひとりづつ隔離生活に入りつつある。大型病院に隔離されるもの。ホテルに隔離されるもの、自宅に隔離されるもの。いずれ私も隔離されるのであろうか。

自宅隔離なら二週間など適当に暇つぶしできるが、病院やホテルだったら、最低でもスマホやPCなどを持ち込まなければ時間がもたないだろう。いやそれだけでも退屈だ。それこそ坐禅三昧にでも更けようか。病状如何によってはそれも不可能か。まぁ、せめて持ち込めるなら一冊この本でももっていけば、あちこちパラパラ、二週間は過ごせるだろう。

1月19日。31年前の今日、Oshoは肉体を離れた。早いものである。  合掌

 

禅百話くしゃみ一発吹き飛ばせ  把不住 

 

<2>につづく  

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Osho

私にとってのOshoとは何か。このテーマは言語化せずとも、自分の内部ではすでに了解済みだが、客観的に、Oshoを語る場合、視座としては、このような表現とならざるを得ない。

Oshoを際立たせるためには、彼が愛し、多く語った、クリシュナムルティとグルジェフ、この二人を右大臣と左大臣において、Oshoは、クリシュナムルティでもなく、グルジェフでもない、というふうに位置付ければ、よりその威風が明確になってくるだろう。

手段としての瞑想やマスターの存在を明確に否定したクリシュナムルティ、手段としてのエクササイズやワークを多用あるいは乱用したグルジェフの間にあって、自らをマスターと規定しつつやがて否定し、瞑想を手段として積極的に開発しつつ、さらに日常の一瞬一瞬を生きることを教えたOsho。

Oshoの瞑想とはなんであったのか。それは、伝統の中に消え去りつつある禅でもなければ、新興の心身鍛錬法いわゆるマインドフルネスでもなかったであろう。それは究極の無に至るべき道筋の促進剤としてのテクニックであった。

世界人類の精神史を網羅したOshoが多く語った文化は、タントラでありスーフィーであり、禅であり、道教タオイズム などであった。更に多岐にわたる視線に踏み込みつつ、結局は、無、一字にこそ、その終結点はあった。

無、それは悟りであり、エンライトメントであり、人生の終局であった。それは死であり再生であった。ここに行き着くこと、そして最初の最初から、自分はそこにいたことに気づく、円環の旅の終わりでもあった。

そのOshoのマスタリーを借りつつ、瞑想とおぼしき戯れの流れに合流しつつ、私がたどり着いたのは、今あるところのここだった。つまり最初の最初から、今いるとこにいたのである。ふと目をあけて見れば、眠りから目が覚め、自分が今まで夢を見ていただけだった、ということに気づくのである。

楽しい夢もあった。苦しい場面もあった。ひどく逃げ出したいような思いもした。悩み苦しんだ。それを他人に投影し、状況のせいにし、ありとあらゆる口実をつけて、自分を守ろうとした。だが目が覚めて見れば、それは夢だった。実態のない虚像に過ぎなかった。自分が作り出した虚像に振り回されていただけであった。

OshoのOは、 ◯、である。Oshoなどという必要もない。◯  なのである。無と表現するのも、最後の手段だ。それ以上はない。◯は更に究極だ。されどそれもまた、くぐられ、後ろへと置き去りにされる運命のシンボルでしかなかった。

そに先にあったのは、今ここにある、この私なのである。変わり映えのしない、いつもの自分。老いつつ、悩みつつ、重荷を背負ったままだった。されど、その老いは楽しいものだった。悩みもまた、ゲームのような、解き明かされるのを待っているかのような、エピソードの一群に過ぎなかったのである。今となっては、背に負う荷物さえ、私の存在を際立たせてくれる明かりのようなものだった。

 

雪見酒気がつきゃ家で着所寝  把不住

 

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2021/01/18

「ウィキペディアで何が起こっているのか」 変わり始めるソーシャルメディア信仰 山本 まさき <7>

<6>からつづく

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「ウィキペディアで何が起こっているのか」
変わり始めるソーシャルメディア信仰 <7> 
山本 まさき (著), 古田 雄介 (著) 2008/9 出版社 : オーム社 単行本(ソフトカバー)236ページ 
★★★★★
 

ご無沙汰しております。新年明けましておめでとうございます。
私自身はソロソロスラックも横に卒業かな、というタイミングです。
wikioediaについては各種不満はありますが、とにかく一番は、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」で止まってしまったところ。「Osho」、せめて「Oshoラジニーシ」までいきたかった。そうすれば、もっとアメリカ時代についての不要な記述を減らすことができたでしょう。
それと、伊藤氏の宗教社会学より、明らかに最新の情報であるはずの中川吉晴文献がまったく消されてしまったこと。伊藤氏が主体になったればこそ現在の位置まで来たことは確かですが、ここで止まるのか、これじゃ本来のwikipeduaじゃないな、との感想を持ちます。
微かな陰謀論のような推測もあったけど、基本、私は陰謀論には組みしません。悪意に満ちた罠は色々ありますが、私は普段からオープンマインドでやってるので、まんまとハマったりしますが、それもよし、と考えています。
今後もそれなりにwikipediaには関わるでしょうが、私はそろそろスラックは二つともお暇させていただきます。
最近の私はいくつも仕事やボランティアで多忙を極めています。
いよいよ私の一次繋がりの周囲の人々にもコロナが押し寄せました。複数隔離中です。私もいつどうなるかは不明です。
皆様もご健勝であられますように。Love

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2021/01/12

パンデミック・エラ<4>

<3>より続く

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1)ベーシック・インカム 格差の是正

MMT

2)ソーシャル・ディスタンシング 過密都市の終焉

Minimalism

3)ビックデータの共用公開 GAFA解体

GAFAM

4)地産地消  自給率の確保

DIY

5)テレワークの推進  職住一致(近接)

SOHO

6)スポーツの非商業化  オリンピックの終焉

ZEN

7)ひとつの世界政府  WHO、国連を乗り越えて

SDGs

<5>につづく

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2021/01/11

五重塔関連参考

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「法隆寺五重塔 」不滅の建築 
鈴木 嘉吉(編集), 工藤 圭章(編集), 小川 光三 1988/6 毎日新聞社 大型本 52P
★★★★☆

 


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「古寺巡礼」 奈良1 法隆寺
大野 玄妙 (著), 立松 和平 (著) 2010/05 出版社: 淡交社 単行本: 142ページ
★★★★★

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「五重塔入門」 (とんぼの本)
藤森 照信 (著), 前橋 重二 (著)  2012/01 出版社: 新潮社 単行本: 125ページ
★★★★★

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「五重塔」
NHK美の壺
NHK「美の壺」制作班(編集) 2008/10 日本放送出版協会 単行本 70ページ
★★★★☆

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「 法隆寺 」日本人はどのように建造物をつくってきたか
西岡常一 宮上茂隆 (著), 穂積和夫 (イラスト) 2010/02 出版社: 草思社 単行本(ソフトカバー): 96ページ

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「寺院の歩き方」世界遺産法隆寺から学ぶ 隅々まで楽しめる
山田 雅夫山田 雅夫 (著) 2017/08 出版社: 自由国民社 単行本(ソフトカバー): 144ページ
★★★★☆ http://bhaveh.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-22a69f.html

 

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2021/01/09

ウィズパンデミック< 3>

<2>につづく

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1)ベーシック・インカム 格差の是正


私は幸か不幸か、持続化給付金の対象となるような、日々の売上に連動するような給料体系の仕事には就いていない。ただ、世の中の景気に連動するのは当然で、社会が豊かになれば私も豊かになるし、社会が貧しくなれば、次第に私の生活も窮屈になってくるのはしかたない。だけど、基本的に私の生活はべーシンク・インカムと言っていいようなスタイルになっている。それを良しとしているので、その維持のために、日々の努力が必要だ。

2)ソーシャル・ディスタンシング 過密都市の終焉

いよいよ私の生活空間のすぐ側までパンデミックが押し寄せてきている。友人、家族、近隣の人々、私は一人で生きているわけではなく、多くの人々に囲まれて暮らしている。そのことをキモに銘じながら、不要不急な移動は控えてつづけている。本当に必要な移動とはなにか、適正なライフスタイルの空間の維持はどうあるべきか。パンデミックの状況を注視しながら、過密にならないように、日々暮らしていこうと思う。

3)ビックデータの共用公開 GAFA解体

SNSをはじめとするITインターネット情報の過剰な期待は避けるべきだろう。最近、私はまったくSNSへの参入がおっくうでしかたない。できればやめたい、とさえ思っている。私の情報を勝手に利用されるのは好ましくない。ビックデータと言われても、だからと言って無防備にアクセスされたくない。自分からの情報発信も、お付き合いの範囲もほどほでいいんじゃないか。ネット活用はそろそろ考え物だ。

4)地産地消  自給率の確保

珍しいもの、レアなもの、希少なものを好んで求めるライフスタイルはもともと私のものではない。ありふれたもの、ごく身近にあるもの、十分にあるもの、あたりまえのものが私の好みだ。近隣のひとがくれるもの、余ったもの、争わなくてもいいもの、自然の中にあるもの、そういったものに支えられた自分の生活が私は好きだ。また必要なものは、身の回りにあるものを活用して、自分で作りたい。

5)テレワークの推進  職住一致(近接)

家内制手工業というか、生業というか、SOHOというか、トフラーの第三の波のエレクトロ・コテッジ以来、テレワークなんて当たり前であり、これが可能であるからこそ、現在のワークスタイルを選んできた。十分楽しんできたし、これからも熟成したい。通勤とか出張とか、意味のない作業はできるだけ避けたい。適正なワーク&ライフバランスが必要である。ZOOMなんて、当たり前、遅すぎる。

6)スポーツの非商業化  オリンピックの終焉

勝ち負けは私の価値観ではない。結果として勝つのはそれでいい。でも結果として負けるのも嫌いじゃない。そもそも56年前の東京オリンピックは、参加することに意義がある、と言っていたのではないだろうか。商業主義も避けられていた。現在のスポーツ産業はイビツすぎる。私はほとんどビッグスポーツは、観客としても参加したくない。踊ったり、唄ったり、体を動かしたり、点数も必要ないし、勝ち負けも必要ないよな~。

7)ひとつの世界政府  WHO、国連を乗り越えて

私のお付き合いには、共産党の人もいるし、創価学会もいるし、もちろん自民党も多い。過激派の中核派もいれば、エホバの人もいる。商業の人もいるし、銀行の頭取の友人もいるし、医師も結構いる。引きこもりもなんだか結構いるぞ。闘病中のガン患者も何人もいるし、子供も大好き、年よりも嫌いじゃないよ。私には喧嘩しないでも、自分の意見も十分いいつつ、相手の意見や立場も理解しよう、とする力は残っている。

 

<4>につづく

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2021/01/08

アフターパンデミック< 2>

<1>からつづく

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1)ベーシック・インカム 格差の是正

国内的には各種の補助金、国際的には各国の政府拠出金として、かつての金融の流れが大きく変わっている。基本ベースとしてのベーシック・インカムが実行されていれば、gotoトラブ(べ)ルや、gotoイートなどというわけのわからない政策を捻り出す必要などない。限りなく広がる貧富の格差を解消しなければならない。

2)ソーシャル・ディスタンシング 過密都市の終焉

そもそも過密都市があればこそパンデミックは猛威を振るう。何故にそれほどまでに過密化しなければならないのか。各地域の特性を生かした適正なスマートタウンの連なりを、何故創造できないのか。地球とともに、友人たちに囲まれて暮らす人生を何故イメージできないのか。人生の目的を見失うな。

3)ビックデータの共用公開 GAFA解体

進歩の必然としてITの活用が必須なら、地球人全体として分かち合うことが必然である。リーディング・カンパニーにはそれ相応の利益が確保されるのは当然としても、その成果は独り占めされてはならない。共用し分かち合い、より公平に、節度ある利用こそが、そもそもの  ネット社会やITネットワークの基本であったはずである。

4)地産地消  自給率の確保

マスクやワクチンを言うまでもなく、より身近に、よりわかりやすい形で産業構造や経済流通の仕組みを再構築すべきである。閉鎖的な一国主義や強権的覇権主義を排して、 何故に融和的友好関係の連鎖をイメージできないのか。仕事を奪わず、仕事を、生きがいを、一人ひとりに供給せよ。各人、自らの地球人としての人生を楽しもう。

5)テレワークの推進  職住一致(近接)

そもそも工業化社会の都市集約化という波は終焉の時に来ているのである。インフラはすでに行き渡っている。すでに移行可能な地域や分野から速やかに無駄な移動をなくし、落ち着いたライフスタイルを取り戻すべきである。退職したら地方でボケるのではなく、地球を思い、地域に暮らし、友人たちに囲まれて一生を終わるべきである。

6)スポーツの非商業化  オリンピックの終焉

スポーツビジネスの正常化を図れ。スポーツは人生の全てではない。スポーツは生活の一部である。礼節を尊び、心身の健全を図り、真善美に連なる日常の柱となれ。瞑想し、禅的ライフスタイルの基礎となれ。ビックビジネスや、人心掌握の道具となるな。スポーツを一人ひとりの体に取り戻せ。今時オリンピックの本来の意義は終わっている。


7)ひとつの世界政府  WHO、国連を乗り越えて

 難題である。だからこそ、敢えて明確に旗印を掲げよう。中国はこれまでのコンプレックス意識をそろそろ解消しよう。アメリカは自らの矛盾を他の国に投影するのはやめよう。EUは、その理想を捨てないで、一歩後退二歩前進を続けよう。イギリスは、本当の意味での誇りを取り戻そう。日本は、自らの意義を悟り、地球友和の核となれ。

つづく

 

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2021/01/06

曼荼羅2021

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2021/01/05

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2021/01/01

年賀2021

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