「サピエンス全史(上)」文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) 2016/09 出版社 : 河出書房新社 単行本 : 300ページ
No.4441★★★★★
1)ハラリは、認知革命、農業革命、科学革命、と三段階にわける。
2)当ブログの基本としてきたアルビン・トフラーは「第三の波」で、農業革命、産業革命、情報革命、の三段階とした。ハラリは、まずは認知革命を第一とし、産業革命、情報革命は、自らの科学革命の中に包摂してしまった。
3)ともに未来学者としての自らの視点を、まずは農業革命を大きなファクターとしたことは同じとしても、その以前にハラリは、認知革命を第一に持ってくる。そして、トフラーの、産業革命と情報革命は、ちょっと近すぎる感じがする。
4)トフラーの情報革命は、ある意味、時代に追いつかれている。情報革命? で、その次は?という質問に答えきれない。それはそうだろう。トフラーの「第三の波は1980年の作品。いまから40年前の読みに過ぎないのだ。
5)1976年生まれのハラリは現在44才。まだまだ20年以上は、同年代に留まるだろう。でも、大雑把な科学革命、と大風呂敷。だが、ここが曲者。ここからさらに細分化される。
6)ネグリ&ハートが「<帝国>」&「マルチチュード」で明確にした注目点は三点。憲法、貨幣、兵器。マルチチュードが自らのものとすべき着眼点である。ハラリの言語は異なっていても、この選択肢はかなり似通っている。少なくとも、憲法と開閉は、ハラリいうところのフィクションである。
7)ハラリは、「<帝国>」VS「マルチチュード」という視点は明確にしていない。この対立構造において、ハラリは、ある意味、傍観者だ。どちらの肩を持つ、とは宣言していない。しかし、帝国、という言葉遣いを避けない。あるいは、忌み嫌わない。
8)ハラリは、ゴエンカの門下においてビパサナの実践者である。毎朝二時間瞑想するという。それが、これだけの人類史マップの俯瞰者に成り得るのだ、と豪語する。帝国、あるいはグローバル帝国。それはすでに実際に具体化している。その中で生きる人間像を、ネグリ&ハートはマルチチュードというエキススパート群衆を想定しているが、ハラリは、ホモ・デウスというモデルを想定する。
9)サピエンス全史で過去を、ホモ・デウスで未来を、そして「21レッスン」で現在を語ったハラリのその21番目の提言は、瞑想である。瞑想が中心に来る。
10)瞑想を最も人類の中心にくるべきだとするOshoは、木から降りたサルは、未来に向かって、ゾルバ・ザ・ブッダの人間像に向かって進化すべきだとする。Oshoにとっての貨幣とは何か。リッチネス。外面の豊かさは必須だとする。貨幣や憲法が仮にフィクションだったとしてもそれは大いに活用すべきだとする。
11)トフラーはジャーナリスト的な視点から、労働者の現場を注視する。ネグリ&ハートは、反逆者たちの群像を基点とする。ハラリは、人間の意識を視点の中に入れている。Oshoはまさに、意識そのものを人類史の中心に据える。
12)ハラリは学者や研究者の研究結果を材料とする。ネグリ&ハートは闘争史における闘争者を原点とする。トフラーは、ジャーナリスト的視点から、工場の労働者やマーケットに巻き込まれた個人をリポートする。Oshoは、人間そのもの、個人個人そのものの、意識を料理する。
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