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2020/12/20

サピエンス全史 下

サピエンス全史 下
No.4447★★★★★

1)サピエンス「全史」の全史は、あきらかに大風呂敷だろう。この150億年ほどをいったりきたりすからたしかに時間軸を自由に飛び回っているかに思えるが、決して「全史」とはならない。わずか数百ページの中に、150億年を記録することなど当然できないのだ。かりにこの20万年間のことを書こうと思って、仮に一年を一ページに収めたとしても20万ページが必要となる。一冊500ページの本を200冊書かなければ、「全史」とはならない。

2)そしてもちろん、当時でさえ数億いたとされるサピエンスの一年間の記録を一ページになど納めることはできない。ましてやひとりひとりの行動など記録されていないのだ。それをどう掘り起こそうというのか。だから日本語訳の「全史」はインチキだし、そもそも原書は「全史」などと歌ってはいない。

3)うたう方が無理なわけで、そんなことは最初から分かり切っている。ではなにをしてこの本をベストセラーにしているかというと、その全史を網羅しているかのうように、縦横にサピエンス史を飛びまわるからである。そして、飛び回るだけなら、おそらくこのインターネット時代の、ちょっとした好奇心にあふれた現代人なら、おそらくだれでもできるであろう。

4)このユヴァル・ノア・ハラリという学者が、到達しえたのは、常にどの地点にいても、事実を確認しつつ、それを確定的なものとせず、違う視点からとらえたらどうなるか、という反逆的な視点を常に持ち得たことである。

5)彼が採用する事実や項目は、学問として学者たちが合意に至った信憑性あふれる歴史である。であるから読む者に安心をあたえ、説得力を持ちうる。されど、学者たちも当然間違いうるわけで、それが現在真実と見られていても、いつ翻されるかわからない、という実にあいまいなものなのである。

6)彼の意欲的な文章は、読む者を飽きさせないが、またかなりな疎と蜜のアンバランスさも感じさせる。時には邦訳者の日本語の危うさにまどわされたりする。革命とは、つねにそういうものであった。今まで動かないものと信じていたものが、一日にして動くことは大いにありうる。地球が中心だと思っていたのが、じつは太陽が中心だったとは・・。いやいや太陽とて、じつは宇宙の中心ではないのだ。

7)「21レッスンズ」の最終章を読んでしまったあとでは、当然といえば当然なのだが、作者は、仏教を理解しつつ、他のフィクションと並べつつ、特別な位置において準備していることに気づく。仏教といわずゴータマ・ブッタというべきか、その人が発見した方法論というべきか。

8)アルビン・トフラーが第一の革命とした農業革命をはるかにさかのぼり、認知革命を第一の革命としたノハリ。農業革命は第二だ。そしてトフラーにおいての産業革命を含みつつ第三の革命を科学革命とした。そして、トフラーの第三の革命=情報革命を、次の書である「ホモ・デウス」で詳細に語る。狙いは同じでも、ハラリ氏のほうがはるかに大きな視点にたち、また示唆に富んでいる。

9)トフラーの第三の波は、むしろ未来学としてはその使命を完了したと言っていいだろう。もはや情報社会は到着してしまったのだ。それはまぎれもない事実だ。そしてそれがグローバル帝国、普遍宗教、インターネット交易という新たなる時代へと、続いていくのかどうか。未来を予言しているわけではない。可能性を示唆しているだけだ。

 

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