「存在の詩」新装復刊 OSHO 星川 淳 プラブッダ
良道 わたしが言う青空と雲の話はプルシャとプラクリティという区別だとすっきりするんじゃないか、と「ヨーガ・スートラ」の専門家の伊藤雅之さんという方が言ってましたね、一法庵の接心に参加された時に。
注 伊藤雅之・・・(1964~)愛知学院大学文学部准教授。ヨーガをはじめとするスピリチュアリティ文化の研究員。p223「第五章 アップデイトする仏教」
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ほう、伊藤雅之氏は、現在は、「ヨーガ・スートラ」の専門家、なのか、と思った。いろいろな経緯があるし、仔細は不明なことがお互いいろいろあるが、そういう表現されることに、ご本人はどう感じていたかな、とチラッと思ったのである。
そんなこんなで、私自身は、藤田一照さんのアップデイトする仏教を待っているわけでもなく、<仏教2.0>や<仏教3.0>に別段の期待をしていない、ということを再認したのであった。私自身はOSHOひとつで十分だな。あるいは、それしかない、とコテコテサニヤシンとしては、思うのであった。
出版イベント対談で、藤田一照氏は、OSHOの本はだいたい所蔵しているかにとれる発言もしていたし、入り口としてOSHOの「般若心経」などにも興味を持たれているようだが、プラブッダは、どこから入ってもいいんじゃないですか、と発言していて、そうだな、と思った。
そんなことを、今回のWikipediaの編集を通じて思ったことだった。今回プラブッダ氏には、あのWikipediaのページを見てどう思われますか、と私的に質問しておいた。各位、それぞれのこのパンデミックの時代を生きていらっしゃるのだな、とあらためて、感じたことだった。
追記
なお、「存在の詩」は、最初ニューズレターとして1975年にでたことを知っている人は多くいるので、私はあえて45年ぶりと表記しました。その第1号と第2号は、すでに当ブログに画像として張り付けてあります。第3号以下5号まで、今後機会があったら、貼り付けておきます。
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