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2020/11/06

「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」 ユヴァル・ノア・ハラリ <1>

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「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」 <1>
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) 2020/10 河出書房新社 単行本 : 128ページ 
No.4426 

 久しぶりに街中にでて、大型書店の中を散歩した。あいかわらず特段に読みたい本などなくなってしまった私ではあるが、この本が目に飛び込んできて、立ち止まり目を通した。

 内容的には、今回のパンデミックが始まった際、何回かNHKの長時間インタビュー番組に登場した時の内容とほぼダブっているので、精読するほどのこともない。パラパラめくって立ち去ってきた。

 されど、この時代においての彼のかっこよさは、独自性、反逆性、時代性であろう。彼の思索を支えているのが、ゴエンカ流ビパサナである、と聞いてなお支持したくなる。

 おもえば、いま、私が絡みこまれているWikipediaの、中立性、立証可能性、独自研究の排除、とは一体なんであろうか。

 まず、「独自性」VS「独自研究の排除」とはどうしたものであろうか。これは「著者」VS「編集者」という立ち位置の違いに由来するだろう。著者は、さっそうと表面にでなくてはならない。編集者は、姿を隠し、身を潜めなければならない。これは仕方のないことだろう。

 「反逆性」VS中立性」とやらは、どうであろうか? これもまた、若く新鮮な若者は「反逆性」こそが持ち味なのであり、「反逆性」がなければ、世界的なベストセラーになどなりようがないだろう。それに引き換え「中立性」などとは、まだまだ自らの思索に自信のない若年の思索か、はたまた老人の一歩引いたところでの諦念とでもいうものではなかろうか。

 「時代性」VS「立証可能性」はどうであろうか? Wikipedia的「立証可能性」とは、誰かに依存し、しかも古い手垢のいっぱいついた資料が必要である、ということを意味している。それに引き換え、ここでの「時代性」とは未来性でもある。直観にすぐれ、人類未踏の、まだ試論、実験的、危険性を伴った先験的、洞察である。それを立証するのは、ずっと後から追いかけてくる臆病者たちのやることである。

 ユヴァル・ノア・ハラリ はWikipediaの編集者たりうるだろうか? 中立性、立証可能性、独自研究の排除、なんて自らの信条にしたりするだろうか。

 では、わがOshoはどうであろうか? 中立性、立証可能性、独自研究の排除、などという編集ラインになじむものであろうか? 

 今回のWikipediaのOsho記事における出来事も、この辺にその一因が隠されていて、こんぐらかった乱麻を断ち切る刀は、このあたりに隠されているように思う。

<2>につづく

 

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