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2020/11/05

「ウィキペディアで何が起こっているのか」 変わり始めるソーシャルメディア信仰 山本 まさき <3>

<2>からつづく

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「ウィキペディアで何が起こっているのか」
変わり始めるソーシャルメディア信仰 <3> 
山本 まさき (著), 古田 雄介 (著) 2008/9 出版社 : オーム社 単行本(ソフトカバー)236ページ 
★★★★★

(1)今回のできごとで、私にとってWikipediaは重要なファクターなのだ、とあらためて気がついた。私が最初にWikipediaに登録したのは、2006/08/16であった。当時わたしは日本SNSの走りであるmixiに参加し、友人たちの多くが楽天ブログを書き始めていることを知り、登録したのが、2005/08.。だが、特段に書くこともなく、翌年新聞で「ウェブ進化論」という本が流行っていることを知って、その感想文を書くために、2006/3/14から書き始めたのだった。https://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200603140000/

(2)この本の中におそらくWikipediaのことも書いてあったのだろう、一通り「ウェブ進化論」を読み終えた後、Wikipediaのアカウントを登録した。そして、一部巡覧したが、いまいちとっかかることができないまま、そのままになってしまったのだと思う。

(3)一方、当時は、各図書館の開放がすすみ、これが私を刺激した。地域の公立図書館ばかりではなく、10以上を超える地域の大学や高専の図書館のカードを作って、あちこち散歩することが趣味となった。それぞれの図書館に個性があり、これが大変面白かった。そして、だんだんとネット化が進み、どの図書館にどの文献がある、ということが即時にわかるようになった。

(4)しかし、それでもなかなか入手困難な本も多数あった。その場合は、国会図書館のリストをネットで検索し、あれば、地域の公立図書館に依頼して取り寄せてもらうことができるようになったのである。これには驚いた。自宅に持ち帰ることはできなかったが、地域の図書館に出向けば、その本を二週間独占することができるのである。洋書や古書や地域の郷土史なども、ほとんど見ることができるようになった。

(5)新刊の場合は書店で立ち読みすればいいのだし、長期に読みたい場合は、図書館に購入依頼すれば、全部の全部ではないし、すぐにでもないけれども、購入してくれるのだった。あるいは、ネットでも、中身閲覧とかPDFなども発達して、情報で取れないものはほとんどない、というのも過言ではないような状況になった。

(6)私はポケットマネーもあまり持たせられていないので(;^_^A、簡単には本を買う事はできなかったし、そもそもが家の中が本だらけになっていて、もう持ち本は、これ以上増やしたくなかった。それに、せっかく買ったとしても、一冊まるまんま重要なのではなくて、ある一部の情報だけが必要だ、ということが多いことに気づいた。

(7)そこで私は、本の情報をブログにメモし、そして自分が付箋をつけて、ここは重要というところを抜き書きして、ブログを日々自分の手帖のように使い始めた。これが私の読書ブログの始まりである。あれから現在までおおよそ15年間に約4500冊についてメモしてきたことになる。いずれこれは5043冊に到達したら、終了する予定である。その根拠は、つまり仏典の一切経と言われるものは、一説に5043冊?である、と、どこかで聞いた気がするから、ただ、単にそれにあやかっているだけであるが・・・。

(8)いずれにせよ、私は、この15年ほど続いてきた読書ブログ=「ひとりぺでぃあ」には飽きているのである。やめたい。なにかやめる、きっかけはないか。そんな状態がこの数年続いてきた。目も悪くなった。読みたい本もほとんど読んだ。もちろんまだまだ読めてない良書もたくあんある。繰り返し読みたい古書もある。だが、もう読書ブログはあきたのだ。

(9)そんな折に、今回のOshoページの問題が持ち上がった。私はふたたびWikipediaに、今度は本格的に向きあうチャンスが来たことになる。これまでの「ひとりぺでぃあ」をWikipediaに溶け込こませていくチャンスが訪れたのである。まるでアカシック・レコードに記憶させるかのように。

(10)で、最後にちょとしたエピソードを書いておく、私は抜き書きした本のページ数を、ずっとわが読書ブログに明記しつづけてきた。これが実は今回のWikipedia参入におおいに役立っているのだが、じつは、なぜにこのページ数を書くようになったか、ということには、じつは理由がある。

(11)いつかSNSに、つまりmixiだったと思うが、私は「ウッドストック・コンサート」の映画をみていてOshoが「Oh! my People!」とつぶやいた、そうだ、と書いた。そこに突っ込みをいれてきたsetuが、「その出典をおしえて!」と質問してきた。ああいいよ、と、たしかどこかに書いてあったはずだ、と探し始めた。あの本だったか、あのニューズレターだったか、ダイヤリーだったか、探し探しつづけた。結局なかった。いまだに探し続けているが、ない。おそらく、これは私の幻聴であったのだろう_| ̄|○

(12)で、結局私は、どんなことを書いてあったか本の名前ばかりではなく、ページ数を書いておくことも大変重要で、あとから探す時にはとても便利なのだ、と気づいた。それから、引用する時は、キチンとページを明示することにした。探さないまでも、相手に話すときなどには、おそらく説得力がたかまるはずである。

(13)私は今回、ふたたびWikipediaに参入して以来、すでに三週間で約400回以上の編集をおこなったらしい。それがどういう内容だったのかはともかくとして、500回以上編集すると、なにやら特権が与えられるらしいが、特権はともかくとして、まずはもうすこしなじんで、このWikipediaとやらと、取り組んでみたい、と思っている最近である。

<4>につづく

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