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2020年10月

2020/10/24

「ウィキペディアで何が起こっているのか」 変わり始めるソーシャルメディア信仰 山本 まさき <2>

<1>からつづく

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「ウィキペディアで何が起こっているのか」
変わり始めるソーシャルメディア信仰 236ページ 
山本 まさき (著), 古田 雄介 (著) 2008/9 出版社 : オーム社 単行本(ソフトカバー)236ページ 
★★★★★

ここまで、このプロジェクトに加わって、今はちょうど中間地点にいると思うので、感想を述べておきます。

①第一の貢献者はダイヤモンド123 だと思う。彼女が叫び続けなかったら、私の眠気などぶっ飛びはしなかった。おいおい、いい加減にしてくれよ、寝てるんだから。しかし、それ以上叫ばれると、どれどれ、何が起きてんの、と眠い目をこすりこすり、ごそごそやりだした。

②経緯から考えて、今回のドサクサを作ったのは、ほとんど三日前氏一人だと思われる。履歴を見たり、彼の志向性を判断するにおいて、組織的ではないし、工作員でもない、と私は思う。だから、ページを見ていて、おかしい、と思うことのほとんどは、彼一人がわずか4月29日から10月21日までの半年間の作業が原因なので、即削除に踏み切っても、決して間違いではない。彼の作業は、批判もされなかったが、決して他の人の賛同も得ていない。

③三日前氏が今後このページに戻ってはこないだろう。むしろ、あのアカウントは、もう終わっている。パンデミックでヒマだったのだろう。そろそろまた仕事も忙しくなったかもしれない。彼は、きっと忘れてしまうだろう。だが、今回の事件を決して、彼ひとりのせいにすることができないのは、それを黙認していた、私をはじめ、Wikipediaの読者たちだと思う。アレ、おかしいなあ、と遠ざかっているうちに、これだけ荒らされてしまうのだ。中立、検証可能性、独自研究排除、という点から考えれば、彼の所業は決してはずれてはいない。少なくとも、検証可能性といういみでは、資料を探し続け、それらしく中立性を装い続けることができた。しかし、それは、やっぱりヒツジの皮をかぶったオオカミに過ぎなかった。

④ハッカー(Wikipedian)スピオタ(スピリチュアル・オタク) 反OSHO、という推測は間違いないだろう。彼は少なくとも、私(たち)よりもはるかにWikipediaを知っていた。そこがどのように成立し、どのように影響を与えるかも知っていた。そして、それは、自らの人生を賭けたものではなく、いたずら的要素を含んでいることも、自覚していた。彼は、おそらく戻ってはこないだろう。なぜなら、現在はダイヤモンド123一人ではないことがはっきりしたからだ。多勢に無勢。いたずらが終わって、おそらく、彼はアカウントを変えて、他に遊びに行っているのかもしれない。

⑤彼のいたずらが復活しないとは言えないが、それは、また私(たち)が寝こけてしまったあとだろう。その時、彼はまたいたずらをしたくなるに違いない。今回の体験から、私は、別の二つのWikipediaを立ち上げることができた。そういう意味においては、むしろ、三日前氏に感謝さえすることができるかもしれない。また、今後、ひとり湾岸パトロールを始めてもいいな、とさえ思っている。

⑥今は、とにかく三日前のいたずら落書きを消す作業に専念せざるを得ない。そして4月29日以前のページにまで押し戻そうとしている。しかし、おそらくそれでは不備であろう。この数年あるいはもっと長い間、大きくこのページは活性化されていなかったのではないか。もっともっとwithコロナ時代に向けて、積極的にOSHOのビジョンを提供できるページにならなくてはならないのではないか。

⑦近年、出版されるOSHOの本からは、OSHOの顔写真が消されつつある。このことを、実は私は大歓迎している。今回の「存在の詩」新装復刊本のカバーは、OSHOのサインのプリントが施されていた。新鮮であり、また違和感がなく、実にフィットしていた。

⑧このWikipediaの画像も、本当に必要のだろうか。いまだに私たちはOSHOという肉体を介さなければ、自らの瞑想に入れないのだろうか。ShiningStar1979 が努力してくれているのは、おそらくOSHO本人も感謝していることだろう。されど、むしろ、アップすべきは、別の画像になるべきなのではないだろうか。

⑨先日、ダイヤモンド123 は、加藤三郎のリンクは要らないのじゃないか、と述べた。私には、その意見がとても新鮮だった。オレゴンも関係ないし、シーラのことだって、シーラない、と切り捨てることも、必要な時代になってきているのではないか。彼女の動きや意見を聞いて、私はだんだん、そのように感じるようになってきた。

⑩提案 4月29日の前の段階まで戻すというのは、消極的な対応である。これをいい機会に、このWikipediaをもっと積極的でかつ更に魅力的なものに仕上げて行こう。そういう感じになってきた。先日、私はPB氏にも多少の参加要請の意味合いも含めてメールを書いたよ、と書いておいた。返信は来ました。私信ゆえ、内容はバラすことはできないが、それを読んでいて、ますます、時代は新しくなっているな、と感じた。

⑪ここに参加している 星本光一氏も今後どのような活躍をされるのか、注目しつづけていくつもりである。単に反グルイズムだの、反OSHOだのと、言っていても、何の成果もあがらないのであれば、また、私なんぞは、眠くなって、寝込んでしまうだろう。そのうち安楽死になってしまう可能性もある。

⑫う~ん、ここまで書いてきて、自分で何をいいたいのかわからなくなってきたけれど、まずは、今回のプロジェクトに誘ってくれた人たち、参加してくれた人たちに、改めてお礼を申し上げたい。私は、この一か月、鏡を見ていて、あ、俺って、いい顔してるな、と思った。やりたいことがやれてる気がした。何かが見えてきたようにさえ思う。

⑬今回のプロジェクトは、ようやく折り返し地点まで来たけれど、おそらくこれから1か月以上かかるだろう。それはWikipediaの再生、ということばかりではなく、OSHOの再生、という意味合いも込められているのではないか。今、私はそう思う。

⑭アメリカ大統領選挙の最中、大演説になってしまいました。 サンキュー \(^o^)/

<3>につづく

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2020/10/20

「ウィキペディアで何が起こっているのか」 変わり始めるソーシャルメディア信仰 山本 まさき

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「ウィキペディアで何が起こっているのか」 変わり始めるソーシャルメディア信仰 236ページ 
山本 まさき (著), 古田 雄介 (著) 2008/9 出版社 : オーム社 単行本(ソフトカバー)236ページ 
No.4425★★★★★

 この本、ネットでは1円から販売されている。もちろん送料別でだが、それでも、この本は、私がいま巻き込まれている環境に対しては、大いなる情報源となる。
ウィキペディアで何が起こっているのか。いいねぇ、このタイトル。まさにこれなのだ。

 では、具体的に、何が起きているのか。個人的には、古い友人で故人となった演劇人のページを立ち上げた。長いこと、やりたいなぁ、と思っていたのだが、今回のチャンスにようやくできた。これがなかなか面白く、ハマった。 

 そして、もうひとつ、別な話題が取り上げられている。であるがゆえにWikipediaにハマっているのだが、私だけ、というより、共通の話題となっている。これは説明するに、ちょっとむずかしい。面倒だ。だが、総合的な考えると、とても面白いことが起きているのだ。

 とにかく、今、良い意味でのハッカー文化を学びなおし、ウィキペディアンとしてのセンスを学習中だ。

 この本はもう十数年前の本だが、決して、本質的な意味において、古びてはいない。むしろ、ウィキペディアに対する本は、新しいものは、単体としては見当たらない。すでに、固定化した問題だともいえる。

 今は口幅ったい言い方しかできないが、とにかく、今の私には、この1円本が、とても貴重だ。何気なく使っているウィキペディア。だけど、いろいろあるんだなぁ。

 ぜひ、皆さまも、一度目を通してほしい本であります。ウィキペディアというものの本質がわかるし、その問題点というものも如実にわかる。

 

 

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2020/10/17

「ウィキペディア・レボリューション―」世界最大の百科事典はいかにして生まれたか アンドリュー・ リー

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「ウィキペディア・レボリューション―」世界最大の百科事典はいかにして生まれたか
アンドリュー リー (著), Andrew Lih (原著), 千葉 敏生 (翻訳)  2009/8/1 出版社 : 早川書房  (ハヤカワ新書juice) (日本語) 単行本  443ページ
No.4424★★★★★

 最近、訳あって、ウィキペディアに出入りしている。

これまで、当ブログでは、
「ウィキペディア革命」そこで何が起きているのか?ピエール・アスリーヌ /佐々木勉 2008/07 岩波書店
「ウィキペディア完全活用ガイド」吉沢英明 2006/12 マックス
の二冊を読んだようだ。それも当ブログがスタートした直後だ。

 今となっては、この三冊目の本の内容などは、ほとんど常識、コモンなものになっている。

 近々、もう一冊読む予定。その時、今回の経緯などを書いてみよう、と思っている。

 Wikipediaの世界。なかなか、奥深く、魅力的だ。

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2020/10/12

「聖者たちのインド」島岩他 <2>

<1>よりつづく 

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「聖者たちのインド」<2>
島 岩 (編集), 坂田 貞二 (編集) 2000/10 出版社 : 春秋社 単行本 : 287ページ 
★☆☆☆☆

 何はともあれ、図書館から借り出し、本の中の一節として目を通し、こちらのpdfでも一度目を通しました。大いなる間違いもいくつかあるが、(例えば死因はアメリカの逮捕中の食事にあるとしたり、教団、麻薬、売春、犯罪などの言葉使いなども、紛らわしい使い方で、ホテルの名前などの正確性など)概して大枠は捉えているのでは、ないでしょうか。

もしこれがWikipedia の原稿なら、そして訂正や校正が容易だとするなら、比較的リラックスして対応できる気がします。

個人的に興味深かったのは、Oshoのそもそもの名前について72pや、94pあたりのインド国内のマスメディア の動向。インドに長期に滞在し、社会に目を向けていなかったら、なかなか、こういうレポートはできないでしょう。(ただし印象だけで、具体性に欠ける。)

また これは97年ころから書かれて、2000 年に出版されたものだから、日本国内的にはどうしても95 年のオウム事件の影響の影がムンムンする。

書き直すとすれば、その後の20 年間を、加味していただかないと、2020のWikipedia にはならないでしょう。

250p以降の記事にもざっと目を通しましたが、関連を見つけることができませんでした。もう一度、 見直します。

また 、この本の他の部分については興味がわかないので読んでいませんが、気が変わって読む気になったら、 またメモします。 

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 ゴエンカの部分を読んだ。例のハラリ氏が師事している流れで、基本ビパサナ中心の流れである。もともとミヤンマーからインドに入ってホワイトカラー層に広がっていると。

レポートしたのはこの本の編者である岩氏。まともな流れで、ある意味、それからどした?と突っ込みを入れたくなるw Osho のとほぼ同じ時代に活動しているのだが、ちょっと地味かな。

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次は現サイババ。日本でも一時ブームを呼んだ。わがスワミ・パンタなどが絡んだりして、笑えたが、今はどうなっているだろう。

この本を読む限り、内部で殺人事件が1993年頃あったようでもあるが、乗り切った。

依って立つところは現サイババの聖灰などのショーが唯一であり、ほとんど教義らしきものはない。それだけであれだけに街並みを形成しているのだから、インドの大衆のアイドルのようなものなのだろう。

前サイババにも触れている。現サイババの語り口をOsho と比較したりする部分もある。

カルトという用語も出てくるが、せいぜい宗派などの抑えたニュアンスにとどまっていて、批判的な意味合いは薄い。

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この本はTMから始まる。解説している星川氏も実践者だとか。大学で物理を学んだマハリシはヨガを物理学的に発展させようとしたのか。

結局この本でもマントラの部分は、ぼかして書いてある。TMでは、宗教と呼ばれることを、極端に嫌うという。

確かビートルズがiインドに行って急接近したのはマハリシTMだったと思うが、その件については、一切触れていない。

活動範囲やその主張、関係団体など、この本としては、一番扱いやすかったのがTMだったのかな?

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ハレクリシュナ。ヘッドスキンに弁髪、長身のウエスタンを、仙台七夕の人並みで見つけて、声をかけたら、カラフルなクリシュナのパンフレットを売りつけられたことがあるw

あれは目立つが、あんな風にはなりたくない、と思っていたが、70年代末にインドから帰国した私も、頭から靴まで全身オレンジ一色で仙台の街を歩いていたから、あいつもついにハレクリシュナにかぶれたか、と思った友人もいたらしい(爆笑)

アメリカにおいては、ギンズバーグなどと出会い、ロックコンサートなどで登場したから、一躍若者たちの話題に。反カルト活動も盛んになって、脱洗脳などの動きが活発になるのはこの頃からか。カウンターカルチャーやビートルズ、ハリスンなどとの関わりが語られる。

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サンガラクシタ。1925年生まれのイギリス人、この人のことはこの本で初めて知ったが、アンベードガル博士の新仏教徒運動の影響下にあると知って、だいたいのイメージはできた。

ただ新仏教徒運動なら、我が日本の佐々井秀嶺氏がおられるだろうにと思ったが、この人物は、そこに新しい動きを加えた。なるで新しい一宗派を作ったようであると。

数息感や座禅、チベット密教などの美味しいところ取りをしたようだ。

こちらにはビートルズ→TM→ヒッピー→インド、の流れが書かれているが、サンガラクシタの流れは、これを拒否したようだ。 

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この他、ラーマクリシュナとヴィヴェーカーナンダやマザーテレサなどの項もあるが、今回のここのプロジェクトに直接に関わるものはない、と思われる。

全体として信頼できる書物ではあるが、日本の研究者がインドを訪ねて、というもどかしさがあり、決してこなれているとは思われない。個人的評価なら★★★☆☆程度のおざなりな本である。

この本を根拠にWikipedia が書かれているとすると、着目すべき一時情報はきわめて少ないし、根拠の薄い孫引き程度のおざなりなものである。

この本はもともと1996年10月に企画が決定し、出版も遅れて2000年10月になったということだから、その時代背景を大きく差し引いて評価しなくてはならない。

<3>につづく

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「山桜」 藤沢周平原作 篠原哲雄監督

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「山桜」

篠原哲雄 (監督)   田中麗奈, 篠田三郎, 檀ふみ, 北条隆博, 南沢奈央  (出演)  形式: DVD  時間 : 1 時間 39 分
No.4423★★★★★

 偶然、テレビで「山桜」をやっていた。そうそうこれが見たかったんだよね。 

 当ブログが藤沢周平にハマったのは、もう5年前のことなのか。あの時、どうしても情報が集まらなかった作品がいくつかあって、その一つが、この映画「山桜」だった。

 女性が主人公のストーリーであるとは聞いていたが、う~ん、こういうストーリーだったか。納得。正直言って、物語としてはすっかりはまったが、映画の出来としては、ちょっとリアリティにかけるところがあったので、★5にとどめた。本当であれば、レインボー評価にしたかった。

 そしてさらに正直に言えば、仔細は書かないが、この主人公に、私は私の母親の人生を重ねてしまう。わが母も逝ってすでに1年半。すっかり思い出の面影となってしまった。

 藤沢周平はいいなぁ。そのうち、また始めよう。

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2020/10/10

グラスジェムコーン

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東京三鷹の自然食品店「やさい村」(大友映男氏代表)にグラスジェムコーンを出荷しました。

以下、大友(トモ)さんに紹介していただいた記事を転載させていただきます。

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今日は仙台に住む友人からグラスジェムコーンを乾燥させた物が送られて来ました。
国内産で無農薬栽培のものです。

5本入っていて880円(税別)で販売を開始しました。

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元々はアメリカ先住民が栽培していたトウモロコシをチェロキーの血を引くカール・バーンズという育種家が掛け合わせてグラス・ジェム・コーンというフリントコーンを開発したものです。

もちろん食べることも出来るのですが、種として栽培したり、部屋の中や家やお店のインテリアとしてもとても可愛いのでおすすめですよ。

これからハロウィンやクリスマスなどの飾り付けにもうってつけです。

もし食糧危機が訪れた時には家族5人分の非常食料にも‼️

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この種のコーンをみると、アメリカ先住民のホピ族に伝わる地球の主宰神であるマーサウとホピの約束の話を思い出します。

ホピの人々は大洪水で地底人に助けられて地底に避難していた他の兄弟達と共に洪水の被害がおさまった大地に上がって行くと、マーサウが新たな世界に生きていく根本的な教えと種となるトウモロコシの実を用意していました。

兄弟達はマーサウと「シンプルで精神的に生きる」ことを約束して、そのトウモロコシを分けてもらったのですが、兄弟達は大きな物から取って、様々な地に散らばって行きました。

そして最後まで謙虚に順番を待っていたホピ族の民には、一番小さなトウモロコシだけが残されていたと言います。

そして、最後まで謙虚に待ち続けた彼らにマーサウはホピ(平和なる人々)という称号を与えたのです。

そしてホピには特別な予言と、人類がマーサウとの約束を忘れてこの世が再び危機に瀕した時には勇気を持って立ち上がり、マーサウとの偉大な約束を人々に伝える大きな役割を与えたというようなお話しでした。

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このコーンを自分の部屋に飾って、そんな事を自分に問いかけてみるのも良いのではと思います。

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「聖者たちのインド」島岩他

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「聖者たちのインド」
島 岩 (編集), 坂田 貞二 (編集) 2000/10 出版社 : 春秋社 単行本 : 287ページ 
No.4422★☆☆☆☆

1)このタイミングで、この本を手に取らざるを得ないのは、うーん、不幸だろうな。幸せではない。とにかく面倒だ。

2)この本は、20年前の出版である。いくら中立的、学術的と言っても、すでに20年前である。その後の20年で、ガンジス川の水はどれほど流れてしまったことだろう。

3)約10人の、いわゆる「聖者」について書かれているが、ほとんど興味はない。敢えていうなら、わずかに20数ページほどに書かれているOSHOについてである。タイトルは「ラジニーシ教団」である。内容は、このタイトルから押して知るべし。

4)書いた人は、「足沢一成、1966生まれ。外務省専門調査員(在ムンバイ-日本国総領事館勤務)。専攻は、インド古典文学理論。」p288 とか。編集者たちも、それぞれだが、ここにメモするほどのこともあるまい。

5)出版社は春秋社。割と硬派の仏教書を出版しているところだが、今のところ、この出版社の代表作というものを、私は思い出すことができない。つまり、焦点はボケているし、我が道とクロスするところが、少ない、ということだ。

6)書いてある内容については、別段に突起すべきことはない。この立場の人が、このような本に書こうとする、この程度の文章の中に、しかも昔に書かれた文章に、2020年の私が共感すべき新たなる発見はない。

7)この本は、近くの公立図書館から借りだしたものである。借りようとすれば、いずれ借りることはそんなに難しいことではないだろう。だが、おそらく、もう借りないだろう。私個人に益する部分はない。

8)この本をめくることは、文章の読解力も衰え、視力も落ちて、短文や、一枚絵が好きになっている現在の私には、苦痛である。

9)この本は、訳あって借り出したものだが、まともな評価もできずに、私には何もいうことはない。残念ながら、残念でもない。しかたない。

10)あえて言えば、ゴエンカという人物についての文章もあるが、これもまた、興味がないとは言えないが、いま読むべきというタイミングを感じるわけではない。

11)ごめん。私には無理だ。

<2>につづく

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2020/10/08

「道元」京都・宗祖の旅 百瀬明治<3>

<2>からつづく
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「道元」京都・宗祖の旅 <3>
百瀬 明治 (著) 1990/12 出版社: 淡交社 ハードカバー: 149ページ
  

 この宗祖・京都の旅シリーズもなかなか興味深いものであった。終わってみれば、やはり一番身近に感じるのは道元であり、鎌倉仏教なら、道元、と決定してしまってもいいだろう。

 だが、このシリーズを読んで思ったことは、どの本も中立的で俯瞰的に書いてあるからなのかもしれないが、どの宗祖と言われる人々も、人生で数度の法難に遭遇しているということである。そもそもが改革者たちであるので、法難は不可避なのであろうが、それにしても、極めて興味深く読んだ。

 そして、ほとんどの宗祖は、時の権力との交渉がある、ということに関心が引かれた。国家によってオーソライズされればこそ、宗祖として歴史に名を刻んだ、ということも言えるであろう。

 道元も、一度は権力に対する接近を試みるが、北陸の山深く、思索の世界に入っていった。であるからこそ、激しい修行が行えたのであろうし、また、身体的に短命であったのかもしれない。それぞれである。

 さて、私の近辺で最近目立ったことを記しておけば、私は同姓の両親から生まれているが、両親の生家の菩提寺も曹洞宗系統である。ただ父方は、戦後の戦争責任反省の中で、宗派を離団し、単立寺院となっていた。そもそもが曹洞宗の流れなのだから使っているのは道元ゆかりの経典が多かったのだが、単立寺院というのは、この近辺ではそれほど多くない。

 ところが、ごく最近、母方の菩提寺が、やはり曹洞宗から離団の動きを見せている。門前に告知を出し、宗派を離れるはほぼ決定という段階である。私個人は、特段に檀信徒でもないので、発言権はないが、とても興味深く感じている。この動きが完了すれば、私は数百年と、先祖を守っていただいてきた二つの菩提寺が、単立化して、いわゆる曹洞宗から遮断されるのである。

 今回の母方の離団騒動は、はっきり言って、女性僧侶のわがままで、法的に可能であったとしても、地域の檀信徒には納得のいかない動きである。顛末はどうなるのか、目が離せないところであるが、しかし、私自身が、道元への距離と縮める中、そこから離団していくというのも、なんの故なのか、と興味深いものがある。

 宗祖・京都の旅シリーズ関連リスト 工事中

最澄 766/767年 ~ 822

空海 774年~835年 〈宝亀5年〉- 4月22日〈承和2年3月21日〉

法然 1133年~ 1212年 長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年)

栄西 永治元年4月20日(1141年5月27日) - 建保3年7月5日(1215年8月1日)

親鸞 1173年 承安3年4月1日 - 1207年 弘長2年11月28日

道元 正治2年1月2日(1200年1月19日) - 建長5年8月28日(1253年9月22日)

日蓮 承久4年(1222年)2月16日 - 弘安5年(1282年)10月13日





 

 

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