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2020/08/18

「最澄」 (京都・宗祖の旅) 百瀬 明治 (著)

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「最澄」 (京都・宗祖の旅)
百瀬 明治 (著)  1990/06  出版社: 淡交社 単行本: 143ページ
No.4418★★★★☆

 読書の数も減っているが、ブログの記事もグッと減っている。ステイホームの成果は、ひたすら木工の五重塔に消費され、ブログはすでに亡きがごとしである。この本もだいぶ前(とは言っても数週間前)に読んだものだが、どうも読後感想をアップするチャンスを見失ってしまっていた。

 一言で言えば、良い本である。とくにこの京都・宗祖の旅シリーズは、鎌倉仏教を中心とした日本独特の宗派仏教の基礎を、コンパクトに我田引水にならずに、横並びに紹介してくれる、得難いシリーズである。

 最澄と言えば、日本天台宗の祖であり、わが今東光や瀬戸内寂聴師らが属する日本古来の流れである。最澄なくして日本仏教を語ることはできない。とは言え、よくもわるくも、という形容詞が付く。

 その功罪については、ここで云々することは軽率である。すでに歴史上の事実として、それは受け取られなければならない。しかしまた、最澄なくして空海もなければ、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮もなかったであろう。それは事実としてしかと受け止められる必要がある。

 そしてこのシリーズの特長なのか、宗教人たる人生の、なんたるパターンナイズされた構造か、と嘆息する。幼少時、出会い、決意、擁護者の登場、災難、そして自らの悟り。括ってみれば、ほとんどの宗教人に共通のものである。

 あえて当ブログで語ろうとすれば、時の権力者との距離感や、その自らの拠って立つべき根拠をどこにおいたのか、という点であろうが、いずれまとめて一望してみるチャンスもあろう。

 それはまた、現代の宗教人たちにも言えるだろう。現代の宗教人たちは、決して権力者の擁護を必要とはしないが、大衆との距離感をどのようにとるかは、微妙なところである。またその悟りの根拠は何か。

 このようないわゆる宗祖ばかりが宗教人ではないので、このようなまとめ方は決してベストではないが、時代背景や、宗教的論争や体験を分かち合う時には、とりあえず必要とされる基礎的知識であろう。

 このシリーズは、コンパクトで実によい。

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