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2020/07/02

「人気の三種が彫れる 仏像彫刻」 上達のポイント ~大日如来座像・阿弥陀如来像・不動明王像~ (コツがわかる本) 関侊雲他 <2>

<1>からつづく
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「人気の三種が彫れる 仏像彫刻」 上達のポイント ~大日如来座像・阿弥陀如来像・不動明王像~ (コツがわかる本) <2>
関侊雲 (監修), 紺野侊慶 (監修) 2015/12 メイツ出版 単行本: 128ページ
★★★★☆

 現在20分の1法隆寺五重塔の模型の制作中である。前回の40分の1模型よりも、確かに迫力はあり、部材も多く必要とされるのであるが、それよりも何よりも、注意力、覚醒力が5倍も10倍も必要とされることが分かってきた。そんな簡単にいかないのである。また、簡単にいかないからこそ、敢えて大きなモデルに挑戦しているのである。

 五重塔は、制作プロセスに入ったので、いつかはできるだろう。一つ一つが面白く、一つ一つが難しい。今日ものこぎりで左の小指を切ってしまった。アウエアネスが必要なのである。ゆっくり、楽しみながら、進んでいこうと思う。

 さて、実際には、この20分の1五重塔を次は、ケンポナシ(玄圃梨)による仏像彫刻が待っている。いや、むしろこちらのほうが本番で、いつもそのことが頭に残っていると言ってもいい。はて、どうできるのか。大きさは? 仏様のお名前は? どの程度の精度で? 一本づくり? 合わせ木つくり?

 作るとするなら、薬師如来か、釈迦如来である。いずれ如来様をおつくりしたい。理由は、おそらく、シンプルだから、ということになる。観世音菩薩もいいが、作りがいちいち込み入っていて、私の技術では手に余る。それに台座とか、光背とか、本当に必要なのか? それがなければ、仏さまではないのでしょうか?

 私には如来様の頭髪(螺髪らほつというらしい) を彫ること自体、ちょっと面倒な気分になってしまう。人が入仏するに、それほどの様式が必要なものであろうか。大向こうをうならせるような、大衆受けするような美術品を作ろうとしているわけではない。自らの一つの瞑想のプロセスとして、仏さまと対面していたい、そのことだけなのだ。

 私がこのところ、仏像彫刻を始めたのか、と言えば、いくつかのきっかけがあったが、ひとつには、友人の友人が、不軽菩薩像を彫ったということが、SNSで紹介されていたことが大きい。そして、わがOSHOガーデンには、仏陀像が安置されている。この二つが、大きく私の仏像彫刻マインドを刺激した。

 思えば、この二つには、光背もなければ、台座もない。ごくごく人間としての、終局の、あるべき姿が映されているように思うのだ。飾りや、表面的な美しさ、飾りなどは、本当は必要ないのではないか?

 如来像か菩薩像か、で悩むなんて、他の人には、なんてひどい迷いを持っているやつなんだ、と思われてしまうかもしれない。しかし、私はここで、やっぱり如来像(ブッダ)にこだわりたい。そして、釈迦如来なのか、薬師如来なのか、は、じつは先ほどまで迷っていたのだが、ビワの葉エキスを鑿ながら、得た結論は、やっぱり薬師如来で行こう、ということだった。

 その理由はいくつかあるが、まずはわが秀麓齋寺小屋のご本尊、釈迦如来像ながら、薬壺さえお持ちではないが、あの姿は、薬師如来様であるはずなのである。だから、わが新しき仏像も、薬師如来を目指しながら、最後は薬壺さえ外してしまえば、釈迦如来になってしまうのである。あるいは、釈迦如来でありながら、小さな薬壺さえ乗せてしまえば、お薬師さまに変身ということになる。

 今日のところの煮詰めは、これまでだ。もちろん、大きな意味の違いはない。この新型コロナ・ウィルスのパンデミックの時代、早くワクチンが到来すればいいのに、と思う気持ちは、お薬師様に通じるはずである。そしてまた、現世利益的な健康よりも、ひょっとすると、それを超えた魂の癒しこそが必要なのだ、といえば、やっぱり釈迦如来様にお出ましいただかなければならないのだ。

 そんなこんなを思いつつ、ひとつひとつ、わが瞑想の道を歩んでいこうと思っております。合掌

 

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