「究極の旅」: OSHO 禅の十牛図を語る <7>
「究極の旅」: OSHO 禅の十牛図を語る <7>
OSHO (著), スワミ・プレム・プラブッダ (翻訳) 2013/10/11 出版社: いまここ塾 河出書房新社 単行本(ソフトカバー): 484ページ ()
★★★★★
きょう、ふと思った。OSHOは、日本の禅を多く語ったが、決して最終形の完成形と考えていたわけではなかろう。その証拠に、シャルノに対して、日本の禅は、十牛図の十番目が欠けている。この十番目を日本に伝えてほしい、と言ったという。
はて、その真意はいかほどのものであっただろうか。シャルノも、それをどこまで理解していたであろうか。いや、他の人はともかく、私自身は、どうなのか?
多くの探求者が、禅ののちに最終的に親鸞に行きつくことが多々見られるが、ここに何かの秘密がないだろうか。OSHOは決して、玉川信明のようには、法然・親鸞・浄土教・阿弥陀仏をぶった切っていたわけではない。それなりの敬意を持って、扱っていた。
ひょっとすると、十牛図の十番に、他力易行の真意を込めていたのではないか。直観である。今日のところは、多くを語るまい。いずれ、つながってくるはずだ。
つづく
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