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2020/06/22

「日本文化をよむ」 5つのキーワード 藤田 正勝<6>

<5>からつづく

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「日本文化をよむ」 5つのキーワード <6>
藤田 正勝 (著) 2017/08 岩波書店 新書: 224ページ
★★★★★

 当ブログにおける親鸞探訪は、準備期間はともかくとして、本格的というか、主テーマとして進行させようという試みは、ごくごく最近始まったばかりである。私自身の救いを親鸞や阿弥陀仏、浄土教に求めようというのでは、決してない。身に降る火の粉ははらわにゃならぬ。あちこちで出会う親鸞(決して法然ではない)とは一体何者か、どう対処すればいいのか、まずは予備知識からのスタートである。

 ベースとなるのは玉川信明の「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」(2004/04 社会評論社)であり、十数年ぶりの読書ということになる。この間、私はすっかり晩年にOSHOに傾いたとされる玉川は、最終的には親鸞に流れた、と理解していたために、あえてこのノートなるものに触れないできた。

 しかし、気になって調べてみれば、決して玉川が親鸞に触れたのは晩年ではなく、初期的な青年時代からであった。そのコミュニスト時代とされる若い視点から見れば、親鸞のボトムアップとも言うべき革命性にこそ目を奪われた玉川であっただろうが、その視点から、OSHOの視点へとスライドした地平から親鸞を、再評価、再点検、再批判しよう、という試みであったのである。

 その玉川の視点は理解したものの、新しき地平ともいうべきOSHO的視点が、なんとも心元ない、と感じるのは私だけだろうか。顧みればすでに45年の時代をOSHOと共に経過してきた我が身としては、う~ん、ここはこう理解したほうがいいのではないか、と感じる点が多々ある。再読、再再読しながら、丁寧に進んでいかなくてはならないが、その理解は、決して知的なものにとどまってはならず、我が身に引き寄せて理解を進めていく必要を強く感じる。

 逆に、OSHO的視点から見れば、親鸞や浄土教における救いに対応すべき地平は、エンライトメント、ということになろう。念仏他力による阿弥陀仏の救いは、OSHOにおいては瞑想を中心としたライフスタイルと、自己の本質たるエンライトメントに気づくこと、ということになろう。

 親鸞は(中略)、自らの力でさとりへと至るためのさまざまな修行や観想を捨てて、あらゆる人を救おうとする阿弥陀仏の本願にすべてを委ねる決断をしたというのである。p44「親鸞の『悪』」

 これに対し、OSHOはこう述べる。

 いまなら、どうしてなにも起こっていなかったかは理解できる。まさにさおの努力自体が障壁だった。まさにその梯子じたいが妨げになっていた。探求しようとするまさにその衝動じたいが邪魔者だったのだ。人が探求しないで到達できるということではない。探求は必要だ。が、そうしていつか探求も落とされなければならない地点が来る。川を渡るには舟が必要だ。が、いつかその舟をおりて、それのことはすべて忘れてしまい、あとに残して行かなければならない時がくる。努力は必要だ。努力なしにはなにひとつ不可能だ。しかし、努力だけでも、なにひとつ不可能だ。OSHO「反逆のブッタ」P131 「第4章 光明」

 親鸞は究極の日において、修行や観想を捨てて、阿弥陀仏の本願にすべてを委ねる決断をしたというのである。それに対してOSHOはなんと言っているだろう。

 探求がやんだその日、わたしがなにかを追い求めなくなったその日、なにかが起こることを期待しなくなったその日、それは起こりはじめたのだ。ひおっつに新しいエネルギーが、どこからともなく湧き上がってきた。それはどんな源泉から出てきたのでもなかった。どっからともなく、またあらゆるところから出てきていた。

 それは樹々のなかにあり、岩石や空や太陽や空気のなかにあった。それはあらゆるところにあったのだ。なのに、わたしは必死で追い求めていた。はるかかなたにあると思っていた。ごく間近にあったのに-----。OSHO「反逆のブッタ」P131

 親鸞はそれに阿弥陀仏という名前を与えた(再認識)したが、OSHOはあえてそれを特定せず、名前でさえそれを呼ぶことを避けた。

 「悪人」とはとは深い罪悪を身に背負い、仏になる能力も素質ももたないもののことであるが、自らのさとりへと至ることのできないこの「悪人」をこそ救おうという阿弥陀仏は願を起こしたというのである。仏になる能力も素質ももたないことを自覚し、阿弥陀仏にすべてを委ねることこそ、往生のための正しい因(たね)となる、つまり悪人こそ救いの対象であることを親鸞は強調するのである。藤田p45「親鸞の『悪』」

 ともすれば、キリストの原罪説にさえ通じるような親鸞の説だが、OSHOはおそらくこの点には賛同しない。

 七日間、わたしはじつに希望のないお手上げ状態で生きていたが、同時になにかが湧き上がってきてもいた。(中略)わたしはとても平成で、穏やかで、まとまっていて、中心がすわっていた。(中略)それは否定的消極的な境地ではなかった。・・・完全に肯定的、積極的だった。それはただの不在ではなかった。ある<現存>が感じられた。わたしの中でなにかがあふれ出していた。氾濫していた。OSHO「反逆のブッタ」P131

 対比的な表現をするなら、親鸞は否定的、消極的ですらある。それは他力本願というキャッチフレーズにも見て取れる。それに比して、片やOSHOは自ら、肯定的、積極的、と表現している。

 それは自己の罪深さがなくなるということではない。清らかな花が咲いたとしてもそれはやはり汚泥のなかにある。汚泥がその存在の条件であると言ってもよいであろう。自己の中にやはり引きつづいて底のない深い淵がある。藤田p57「親鸞の『悪』」

 この点、OSHOはどう表現しているだろう。

 わたしは自分の過去から解放されていった。自分の歴史から根こそぎにされていった。自分の自叙伝を失っていった。わたしはひとつの非存在になりつつあった。仏陀がアナッタ<無自己>と呼ぶもの-----。さまざまな境界線が消え失せていった。区別が消え失せていった。OSHO「反逆のブッタ」P134 

 自己の底の底まで「悪」と規定する親鸞に対し、自己は消え去る「無自己」であるとするOSHOは、親鸞の同時代人である道元にさも似ている。

 涅槃や救いは生死の外に、言わばそれ自体として抽象的に求められるべきものではなく、むしろまさに生死の世界にこそ求められるとした点に、親鸞や道元に代表される鎌倉仏教の宗教的精神の大きな特徴と見て取ることができる。藤田p59「親鸞の『悪』」

 藤田は末法思想の中の鎌倉仏教として同時代人の同感覚を強調するが、おそらく親鸞と道元はおそらく同じ時代に生きていても、互いにその存在を知らなかった可能性さえ指摘されている。なんでも間でも同調作用に混ぜ込んでしまわないで、ここはキチンと峻別させておく必要があるだろう。

 身心脱落 脱落身心 道元。

つづく

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