« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »

2020年6月

2020/06/30

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <13>

<12>からつづく  

81fgkpghsil
「京都人の密かな愉しみ」 <13>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ


 気づいてみれば、このドラマシリーズは、死に色濃く縁どられている。少なくとも、死のベットが3回でてくるのだ。

 久楽屋7代目の告白のベット。

Img_4831
Img_4832 

 二つ目は、エミリー・コッツフィールドの母親の死のベット。これも告白だ。

Img_4834
Img_4836

 三つ目は、陶芸家 三隅静谷の死のベッド。これもまた、告白と言っていいだろう。三つが三つとも、恋や愛に関わる告白だ。

Img_4847
Img_4846

 これ以外にも、列挙しておくなら、

 清哲の母親の死。

 さくらさんの死。

 バー月の奥さんの死。

 パリの和菓子職人の奥さんの死。

 仏師の前妻の死。

このドラマは、恋、愛とともに、死が常に語られているのだった。

<14>につづく 

| | | コメント (0)

Beloved Bagiya 2

1よりのつづき

自ら余命を宣告されたり、友人をホスピスに尋ねたことはあったけど、間接的とはいえ自ら安楽死を選んだ人を見守ることは、初めての体験です。人生の神秘を感じます。

打つ雨に甘さを増して梅香る  把不住

Bagiya2

Prem Rasata

「愛するバギヤへ」
先日は、バギちゃんがまもなくボディを離れることのお知らせだけだったので、
今日は思いっきり、ラブレターを書く。
もうバギヤには読んでもらえないかもだけど、でも自分のために書きたい。
バギヤの所には、ナースが毎日来てくれて、色々なお友達がご飯作ってもってきてくれたりしてる。自分のことは自分でして自宅で暮らしていたけど、ここ数日、急激に体力が弱ってきているみたい。一昨日転倒したこともあり、バギヤが一人にならないように、友人達が交代で来てくれて、ナースも毎夜居ててくれるらしい。なので安心です。
カナダでバギヤは驚くほどテイクケアされていて、愛されている。
まさにBeyond small Familly。日本からも世界中の友達からも数えきれないラブメッセージ。バギヤ、本当にみんなから愛されているね。それは、バギヤが惜しみなく愛を与えてきたからだと思う。
バギヤ、あなたは本当にすごい人だよ。
死があと数日にせまっていても、
「おっはー!」なんて陽気なメッセージが来たりする。
バギヤのスピリットはちっとも変わらない。
バギヤとは34年来の親友でよくオンライン女子会をしてきた。
胸にしこりがあって癌でないか検査してくる、って会話した頃からこの年月、
バギヤがたどった道のりをずっと見守ってきた。
様々な勧めや溢れかえる情報の渦の中で、自分で調べ自分を信頼して、ありとあらゆる治療法や健康法、手術や抗がん剤にも向き合いバギヤはいつもトータルにその時の最善を尽くしてきた。
迷いや後悔、悲しみや落胆や絶望、身体や心の痛みがどれだけあったことか私には想像出来ないだろう。なのにバギヤはいつもオープンで、この瞬間にいて、人生を存分に楽しみ抜いてきた。(実際につい最近まで本当に元気だった。)
その道のりの中で削ぎ落され浄化され磨かれてきたものがあると思う。
バギヤは完全にヒーリングされてきている。
病気が治ることがヒーリングというなら、それは水平の次元のヒーリングだ。 
バギヤには垂直のヒーリングが起こっていると思う。
バギヤは最近身体は急激に痩せてきているというのに、この貫禄、ハラが座ってドーンとでっかく見える。なんということだ!
こんなに痛みが酷くて耐えがたいのに、軽やかで心優しい。人の悩みに耳を傾けたり、人の身体の心配までするゆとりがある。まるで観音さまか、菩薩さまか?
死を前にして、バギヤはごく普通だ。怖がることも、執着することも、希望をもつこともない。何の特別さもない。ただそこにいる。
だからバギヤといると、私も当たり前のことのように死について寛ぐことができる。
まるで無垢な子供たちが未知の深淵を不思議さいっぱいでのぞいているみたいにも感じる。
感謝に溢れて愛の中で出発するバギヤ、
あなたは本当にすごいよ。
アナンドバギヤ、至福の小さな庭にOshoの愛がいっぱ降り注いでいる。
明日はあなたの最後の瞬間を祈りで見守るね。どんな最後も全くオッケーだよ。
私もそのうち通る瞬間だから。誰もが通る瞬間だから。
「安楽死」を選ぶってすごいよね。こんなに意識的に愛に囲まれて肉体を離れることってないんでないだろうか。カナダは進んでいるわ。
本当にバギヤはユニークで新しい世界に先端切って突入する探検隊の隊長さんだって誰か言ってたけど、本当にそう。
しかも早い死ではない。バギヤの体調をみてると完璧なタイミングだ。
存在の計らいの凄さにひれ伏します。
あなたの勇気と愛と瞑想のスピリットに感謝します。
愛しているよ。一緒に過ごした全ての時間をありがとう。
まだ全然書き足りてないけど、ボチボチ書いていくよ。
もうバギヤとお喋りしたり、Facebookで投稿見たり、良いね!をもらえなくなるなんて寂し過ぎるけど、バギヤはいつもここにいるから、
いつもみんなと一緒だね。愛があるところで。
love ハグラサタ
写真は去年の10月ドイツに遊びに来てくれた時の、めっちゃ元気だったんよ。

3につづく

| | | コメント (0)

2020/06/29

「親鸞」京都・宗祖の旅 澤田 ふじ子

0012128414l
「親鸞」京都・宗祖の旅
澤田 ふじ子 (著)  1990/10 淡交社 単行本 149p
No.4411 ★★☆☆☆

 京都の町ではつい最近まで、何があっても悪く言ってはならぬタブーが三つあった。

 一つは東西両本願寺をはじめとする数多い寺院、一つは西陣、一つは祇園である。これらの内幕をあばいたり、また悪口をいうのはタブーとされてきた。京都の市民は、古くからこれらの三つからなにがしかの恩恵を受けて暮らしており、祇園は恥部をあばくことにもなりかねなかったのだ。p108「京都 親鸞の旅」

 この小書を含むこの「京都・宗祖の旅」シリーズは、実にコンパクトで、白黒ながら画像も多く、手っ取り早く印象を受け取りたい私のような一見さんには、とても便利な入り口でもあるが、逆に言えば、当然、底の浅い、半端な印象の発信元にもなりかねない。

 獏とした親鸞の90年にも及ぶ人生と、それに連なる800年の浄土教の流れに、簡単に堡塁を打ち込んで、ざっくりと理解しようという試みには、簡単に応じてくれるが、はてさて、こんな読書でいいのだろうか。

 よくわからんものには、深く触れずに、悪く言わずに、さっさと通り過ぎるほうがいいに違いないが、それでもやっぱり日本仏教といわず、日本の精神性の大きな流れと評価される親鸞および浄土教が、これまで私の人生と、大きく距離を取って存在していたことに、今更ながらに、理解の光が差し込んでくるのである。

 親鸞その人を一人の人間としてとらえることには、必ずしも違和感がないものの、その教団の流れというものを、大局的に見た場合、う~~ん、と呻かざるを得ないのは、私だけだろうか。

 弓聖と言われる阿波研造の菩提寺・石巻市門脇の称法寺が浄土真宗であったり、幸田露伴の「五重塔」に出て来るのが阿弥陀様だったりして、すっかり日本文化になじんでしまっている親鸞や浄土教ではあるが、いたるところに違和感を感じてしまうのは、私だけなのか。

 親鸞でよいのであれば、若き日に私はインドまで行き、OSHOと出会うことはなかったであろう。その原点が、いま、さらにはっきりと見えてくる。

| | | コメント (0)

2020/06/28

「彫刻刀で作る仏像」 入門編 増補・改訂版  関侊雲他

<初版本>よりつづく
81wkmypvygl

「彫刻刀で作る仏像」 入門編 増補・改訂版
関侊雲 (監修), 紺野侊慶 (監修), スタジオタッククリエイティブ (編集)  2018/02 単行本: 176ページ
No.4410 ★★★★★

 初版本
2010/07に出版されているが、その後、仏像彫刻を趣味とする人々が増えているのか、8年後に増補・改訂されている。前回は、止むにやまれず始まってしまった私の仏像彫刻だった。まず、素材があった。そして、テーマがあったのだ。即時にスタートするには、手元にある身近な道具を活用するしかなかった。

 カヤの木があり、薬師如来というテーマがあった。子供たちが学校時代に使った彫刻刀の何組かが押し入れに残っていた。まずはここがスタートだった。必要に迫られ、まずは手当たり次第、当たって砕けろ精神でぶつかっていくしかなかった。

 結果、それなりに形になったものの、それは一時的な熱狂で終わろうとしていた。面白い、奥の深い世界だ、ということは分かったが、あまりに奥深く、自らの手によってたどり着ける世界ではないのではないか、という疑念に付きまとわれた。

 疑念があるのはそのままだが、また素材がやってきた。そしてテーマもやってきつつある。今度の素材はケンポナシ(玄圃梨)である。そもそもは仏像ではなく、仏像を収納する箱などの素材として使われているらしい。仏像の作品数も少ない。だが、その素材の質を理解すれば、仏像になるかもしれない、という読みがある。

 テーマは、ふたたび薬師如来でいこうかとも思っている。されど、もっとも違うのは、サイズである。同程度の大きさでは、どうも納得がいかない。五重塔製作も、以前の40分の1では満足できなくなった。現在再スタートしたわが五重塔工作も、サイズはかつての倍、20分の1である。つまり、長さで2倍、面積で4倍、体積では8倍となる。制作時間はともかく、注意度、集中度においても、どうやら8倍必要とされるのではないか、とわかり始めた段階である。

 おそらく仏像彫刻もまた2倍の大きさなら、8倍も10倍も集中度が必要とされるだろう。だが、私は今回は2倍以上、4倍の大きさの仏像がつくれないか、と無謀な思いに取りつかれ始めている。流さで4倍、面積で16倍、体積で84倍である。それって無理? 無理だろうな。

 やめとけやめとけ、無理無理。心の底から否定的な思いが湧き上がる。諦めかける。いや諦めた。だが、やっぱりまた湧き上がる思い。そんな逡巡のうち数年が過ぎ、ケンポナシの乾燥度もそれなりに進んで、早く加工してくれ、と言い出しているようにさえ、私には感じられる。

 だが、今回は、手元の彫刻刀だけ、というわけにはいかないだろう。斧やのこぎり、ノミや計測機器も必要となろう。一本作りなのか、合わせ木構造なのか? それにテーマは、薬師如来でいいのだろうか。観世音菩薩とか、阿弥陀如来でなくていいのだろうか。そこに思いがめぐり始めると、手は止まり、そもそも彫刻そのものの道が遠く感じられるようになる。

 現在は20分の1五重塔を制作中である。おそらく制作時間は、最短期間であと2か月。場合によっては一年から数年かかってしまうかもしれない。色は塗るのか、収納はどうするのか、設置場所は・・? 検討課題は決して少なくない。そして、この五重塔とにマッチングの上で、つぎなる我が仏像彫刻も存在しているのだ。

 おそらく大きさは2~4倍まで。それ以上大きくは作れない。そもそも材料に恵まれていない。技量もなければ、収納する方法もないだろう。現実的には2倍程度だろうが、それさえも、ちょっと無理かもしれない。

 そして現在ブレているのは、テーマだ。やはり薬師如来でいいのか。今回そこで行けば、テーマは全体的に固まってしまうかもしれない。そうではなくて、釈迦如来とか、阿弥陀如来とか、なにか他のテーマでいくのか。ここんとこがまだわからない。つまり期が熟していないのである。

 今のところは、粘土制作どころか、画像のコピーから始めるしかない。ほどよい大きさに原稿を拡大コピーして、身近においてみる。生活の中、部屋の中、そして他の作品との兼ね合いはどうか。金属素材でつくったiロボットのように、本当は原寸大で行きたいのはやまやまだが、そうはいかない。それでは永遠にたどりつかない計画となってしまう。

 その辺を逡巡しているのが、今夜である。まぁ、じっくり楽しんでいこうではないか(笑)

 

| | | コメント (0)

「よくわかる 仏像彫刻」関 侊雲 他 <2>

<1>からつづく
91rsihlwll
「よくわかる 仏像彫刻」 思い通りに彫る55のコツ (コツがわかる本!) <2>
関 侊雲 (監修) 2017/07 メイツ出版 単行本: 128ページ
★★★★★

 この本が出版された直後に、私は不思議な縁で著者と出会うことができた。そしてツーショット写真まで撮ることができることができるようになったのに、当時、まだこの本を手にとることはなかった。そのうち読もうと思っているうちに、なんと3年があっという間に過ぎ去ったということである。

 この本、基本が書いてあり、キチンとこの辺を身につけなければならないのだろうが、ついつい早く初心者を脱したくて、背伸びし過ぎて、結局、長続きしなくなるのである。いけないいけない。毎回反省するのだが、結局痛い目に遭えば、やっぱり基本は大切だなぁ、と原点に戻ることになる。

 この本は粘土を使ってひな形を作る方法や、パーツパーツの集中的練習ができるようになっている。表紙の画像なども、どこか質感がしっとりしていて、テカテカに光りがちな完成品に比して、おお、っとこちらの心に差し込んで来る。

 「コツがわかる本」、「思い通りに彫る55のコツ」。タイトルもこちらの心をわしづかみにしてくる。もう一回原点に戻って、再読、精読だなぁ。

| | | コメント (0)

2020/06/27

「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 関侊雲<4>

<3>からつづく

41oicho8xml
「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 <4>
関侊雲 紺野侊慶(監修) 2011/09 スタジオタッククリエイティブ 大型本: 168ページ

★★★★☆

  再び仏像彫刻に舵をとりつつある当ブログであるが、参考書の類も見直しのタイミングである。思えば、関侊雲師のこちらの書は、なんと2011年の9月に発行されているのであった。そうか、あの3・11の動乱期のあのタイミングであったのだ。

 当ブログにおいてはまだ方向性がはっきりしない次点であったし、そもそも仏像を彫刻しようなんて思いもしなかった頃である。これまで、参考にしてきたのだが、結局、この書は3回引用しただけで終焉してしまったようだ。

 なるほど、こういう内容であったか、と納得。継続も終了してしまった理由もわかる。

| | | コメント (0)

Beloved Bagiya 1

Bagiya


bagiyaはおととし2018年の12月に、住んでいるカナダから、手元に残っていたビデオテープ2本を、日本の私の元へプレゼントしてくれました。オーストラリア男性のプーナ訪問記「スピリチュアル・テロリスト」と、1985年のオレゴンのコミューンでのアディナタ「サマディ・セレブレーション」。あの時から、彼女はずっと笑顔でエネルギーをシェアしてくれ続けています。💛bagiya💛 ありがとう。この数日、このビデオたちと、ゆっくり過ごすことにします。LOVE

Bagiya_20200627082801
Prem Rasata is with Bagiya Yumiko.

Bagiyaを知る親愛なる友人のみなさまへ

マ アナンド バギヤは2020年6月30日正午12時(カナダ時間) / 7月1日午前1時(日本時間)に肉体を離れて旅立ちます。
7月7日を予定していましたが、激しい痛みの中でいつボディを離れてもおかしくない状態にいて出発の日を早めることになりました。
...

カナダの整った医療環境、地域のサポート、愛溢れる友人達のネットワークに恵まれてバギヤは心配や不安なく在宅で自立した意識的な最期の時を迎えようとしています。

みなさまもご存知のように、バギヤは死を前にしても痛みの中にいても、変わることなくユーモアのセンスに溢れ、楽しく思いやりに満ちて、前向きで現実的に全てをやり切りトータルに生きています。

Oshoと共に生きる愛と瞑想の道のりで、みなさまからどれだけたくさんの愛を受け取り、愛を分かち合ってきたことでしょう。
今、感謝と喜びの中で旅立ちます。

痛みから解放されて新たな旅へと向かうバギヤの門出をどうぞ温かく見守ってあげてください。

日本時間の6月30日から7月1日に移行した午前1時、よろしければ、沈黙や祈り、歌や踊り、ジョークや俳句などそれぞれの思いの中でバギヤをお見送り頂けたらと思います。 Let's Celebrate together with OSHO 💞

大いなる存在への信頼とともに
LOVE, LIGHT & LAUGHTER

P.S.
*返信は出来ませんが、バギヤへの愛のメッセージがあればぜひコメント欄にお願いします。
*バギヤを知る方でFacebookをしていないお友達がいらしたらどうかお伝えください。

(愛を込めて、Rasata)

------------------

薔薇一輪ほのかに香り胸に満つ   把不住

2につづく



| | | コメント (0)

2020/06/26

<異説>親鸞・浄土真宗ノート 玉川信明 <7>

<6>からつづく 

「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」 <6>
玉川信明 2004/04 社会評論社 単行本 306p
★★★★☆ 

 後半の第二部以降については、現在のところ、私が口をはさむほどのことはない。私には親鸞や浄土教についての予備知識はほとんどなく、その奥義に関わる部分においては、ますます門外漢である我が身を痛感するのみで、とやかく言うべきことなど、なにもない。

 されど、それも終わって、親鸞の年譜も終わって、あとがきも終わったあとに、同じ出版社による出版物とは言え、巻末を飾るのは、玉川本人によるOSHO4部作の宣伝紹介になっているところを見ると、やはり、玉川は、晩年OSHOに傾倒した、という世間の言説そのままであろう、と推測できる。

 すくなくとも今回、この本を10数年ぶりに手にとって見つめ直したことは、大いに価値あることであった。すくなくとも、玉川は最終局面でOSHOを捨てて親鸞に「逃げた」という私のうがった理解は間違いであった。

 玉川は、本当にOSHOが好きになったのだと思う。もうそれでいいのだと思う。仮に玉川のOSHO理解が幼かったり、間違っていたとして、では、誰が成熟した、正しいOSHO理解をしている、というのか。これが正しいOSHOだ。これこそがOSHOの核心だ、などと、どんな御仁でも、言うことはできない。

 玉川がOSHOをすきだったんだな、ということがこちらに伝わってくれば、もうそれでいい。私は玉川を糾弾すべき立場にあるわけでもなく、ましてや親鸞をどうのこうのと、玉川を借りて述べることは本意ではない。玉川がOSHOをそのように理解したとするなら、少なくとも、玉川個人においては、なんの誤謬もない。

 このような書籍の形になって、後世に残り、あるいは違った理解を宣伝することに仮になったとしても、それはそれ、読む側の問題であり、残された個人その人の問題である。つまり、私は私の理解の道をいくのであり、仮にOSHOがこう言った、玉川がこう理解した、などというエピソードは、本質的には、私の人生、私の魂には、基本的にはまったく無関係なのである。

 私には私のOSHO理解があり、また私自身についての見つめが必要とされる。そのプロセスにおいて、他の外来物たちが協力し、援助してくれるのなら、これは有難いことだが、それはそれ、それに出会わなかったとしても、結局は一人の旅を続ける必要があるのだから、なんら大きな違いはない。

 何か月後か、あるいは何年後に、またこの書を手にとることもあるだろう。その時は、もうすこし読み手としての理解力も上がっているに違いない。されど、私は私なりに、親鸞や浄土教を、批判的に読むのであって、道しるべとすべきはOSHOなのであり、その点においては、玉川と呉越同舟、おなじ穴のムジナ、ということになる。

 玉川と私に違いがあるとすれば、私は直にOSHOにまみえることができた、ということと、多少は玉川より英語文献に触れるチャンスが多かったということ。そして、時代的には私のほうが、後まで生きていた、ということの違いになるだろう。

 曲者・玉川信明。この手の探求者は、私は基本嫌いではない。決して得手とは言えないが、少なくともイエスマンだけの、妄信派は嫌いである。あちこちにぶつかり、葛藤しつつ、自らの世界観を確かめていくことこそ、人生の王道であろう。同道の探求者として、玉川信明がいたということを、私は喜びとする。

つづく

| | | コメント (0)

2020/06/25

菜園ライフ

「菜園ライフ」NHKエンタープライズ 

Panel_saienlife_dvd_w256_h144

編集中

・トマト
 ・エダマメ
 ・サトイモ
 ・イネ
 ・小玉スイカ
 ・ゴボウ
 ・ナガネギ
 ・ショウガ
 ・ピーマン シシトウ
 ・キュウリ 

・トウモロコシ
 ・ジャガイモ
 ・ズッキーニ
 ・アスパラガス
 ・ニンジン
 ・ミニカボチャ
 ・ニラ
 ・バジル
 ・オクラ
 ・ナス 

・ミニトマト
 ・サヤインゲン
 ・サツマイモ
 ・ラッカセイ
 ・大玉スイカ
 ・リーフレタス
 ・ヤマイモ
 ・ハーブ
 ・トウガラシ
 ・ゴーヤー
 
・イチゴ
 ・ブロッコリー
 ・ホウレンソウ
 ・エンドウ
 ・ワケギ
 ・カブ
 ・カラシナ
 ・ラッキョウ
 ・シュンギク
 ・キャベツ
 
5・ダイコン
 ・ミズナ
 ・カリフラワー
 ・ラディッシュ
 ・ソラマメ
 ・タマネギ
 ・玉レタス
 ・ニンニク
 ・チンゲンサイ
 ・ハクサイ

 体験済み
 生育中
 要努力
 やってみたい
 あきらめ
 無理
 
 
 


| | | コメント (0)

<異説>親鸞・浄土真宗ノート 玉川信明 <6>

<5>からつづく 

「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」 <6>
玉川信明 2004/04 社会評論社 単行本 306p
★★★★☆ 

 玉川信明によるOSHO霊言集(笑)も第4章ともなると、なかなか落ち着いてくる。ざっと読んでいても、あまり違和感を感じなくなる。それは、言葉使いも慣れてくるのと、内容が新奥部分に達して、なかなか興味深い内容になっているせいもある。

 ただ、玉川一流の作文法により、このままどっかのOSHO本から丸写しにしている可能性もないとは言えない。ただ、私にはどっからもってきたかは分からないが、ズバリわかる人にはわかるだろう。

 そもそも玉川は、邦訳本しか原典として採用していないので、大かたの検討はつく。そして、おそらくは、あまり外してはいないのではないか。ここにきて、やはり玉川は晩年にOSHOに傾倒した、と表現されても、決しておかしくはないのだろう。

ーーー親鸞が最後にたどり着いたと言われる悠々自然の境地「自然法爾」と老師のいう「タオ(タオ)」は似通っていますが、どこか違いがありますか?

和尚 二人の思想は共通している面が多く、似ているように見えますが、中身はまったく異なります。それは親鸞自身が文章にそれを認めていて、次のように言ってます。「だから老子や道教の思想が仏教に似たところがあるからといって混同したり、垂迹説を立てたりするのは怪しからぬ。

 況んや老子の説に迷うようでは沙汰の限りである。仏教のいう徳は老子や道教のそれと違って、いかなる徳も備えないものはないというの涅槃である。そしてどんな教えも広く行きわたっているのが菩提である。・・・・・従って老子の学派はすでに菩提の地を踏んでいるのである」。老師は大道というが、それは実は菩提だ。

 自然(じねん)とは独りでそうなることで、阿弥陀仏の方から救済しようというのです。p190「第四章 私には西方浄土は住みがたい土地」

 う~ん、論点はどこにあるのか? 結局、OSHOはどちらかと言えば詩人なのであり、感性的な表現はあったとしても、決して論理家ではない。それに比するところの(元コミュニストの)玉川は、言葉の論理性に重きを置き、その言葉の積み上げに、何事かの根拠を求める。

和尚 (略)自我は作り物であり、現実に必要のない時以外は、死ぬほかはない運命にある。本当の自己(空)はあなたが生まれる前からあったし、あなたが死んでしまった後もあるだろう。

 本当の自己は誕生と死の間だけに存在しているのではない。むしろ逆に誕生と死は、本当の自己の悠久の旅の中でのただのエピソードにすぎない。人間にはただ一つだけの生死があるのではない。今までに何度も起こっているし、これからも何度も起きるものだ。

 自分の本当の核心に気がついたその時、人は永遠なるものに気がつく。そして永遠なるものを知ることは真正浄土を知ることだ。本当の自己は真正浄土への扉となる。p197 同上

 ふ~~~ん、これが霊言集の結語である。ふ~ん。ブッタにとって、質問するものがあってこその答えなのであって、質問者へとどくことを目的としてブッタは言葉を使うわけだから、玉川が受け取った答えは、玉川があったればこその言葉であったということになろう。

<7>につづく

| | | コメント (0)

今日の気分はこの三冊<49>

<48>からつづく

 

今日の気分はこの三冊<49>

今日の気分はこの3冊 目次

33_20200625134101
「可笑しな小屋」 居心地のいい「ミニハウス」---羨望の35軒
  ジェィン・フィールド=ルイス 2013/12 二見書房

「恐竜の世界へ。」 ここまでわかった!恐竜研究の最前線 (pen BOOKS 013)
 鍋真/監修 ペン編集部/編 2011/07 阪急コミュニケーションズ 

「京都人の密かな愉しみ」
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 

<50>につづく

| | | コメント (0)

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <12>

<11>からつづく  

81fgkpghsil
「京都人の密かな愉しみ」 <12>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ


 ついにこの本を一冊自分のものにしてしまったので、このドラマに対する自分の姿勢が一段アップしたというか、ある段階の終焉が近づいているというか、不思議なこころもちである。

 図書館から毎回借り出す一冊も悪くはなかったのだが、決定的に不足していたのは、この藤沢三八子の画像のついた腰巻である。このカバーがないことには、この本もランクが下がってしまう。

 これで、わがライブラリーも「可笑しな小屋」(2013/12二見書房)や「恐竜の世界へ。」(ペン編集部/編2011/07)と並んで、愛蔵本が一冊増えたということになる。

 なにやなにやらわからなぬままに巻き込まれたこのオムニバス・ドラマ・シリーズであったが、全番組を視聴し、DVDで何度も再確認したあととなっては、わが想いは、この本一冊に集約された、と言っても過言ではない。 

 そしてなお、この一冊をさらに集約するとすれば、タイトルそのものの「京都人の密かな愉しみ」の一句となろう。五七五にあてはまるかな、と思いきや、そうでもない。六四四の十四文字である。それでも、破綻していないとてもつよい何かがある。強いというか、しなやかというか、したたかというか。

 となると、別の「京都人の密かな楽しみ」という本との絡みや、エミリー・コッツフィールドの「いいなづけ」説や、我が親族の茶人家系の京都との絡みなど、いろいろ後を引きそうなテーマは残されているのだが、まぁ、これで一段落ということになろう。

 思えば、私もまた父親で十代目にあたる、350年に到る歴史を持つ、いわゆる旧家の生まれであり、そこには「波の音」「名取駒」「大豪」という地酒の水源になる井戸があった。さらには、中学生のころから、正月飾りのしめ縄を編んできた身となれば、かならずしも、京都に頼らずに、四季折々の地元の歴史も語れる立場でもある。

 この本、この世界を見習いつつ、私は私のドラマのシュチエーションを愉しんでいこうとおもうのである。

<13>につづく

| | | コメント (0)

2020/06/24

「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」<11>  ニュートンムック

<10>からつづく
617n0tdkltl
「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」 <11>NEWTON別冊
ニュートンムック 2011/08 ニュートンプレス ムック 159p

 以下は速報値、かつプライベートにつき生情報をここに提示することはできないので、アバウトな数値である。

発電力  3.2Kw
システム料金 120万 (補助金等考慮後)
使用期間 6年半 約80か月
設置前購入電力料金 年間 約140000円(月平均約11500円)過去10年間
設置後購入電力料金 年間 約120000円(月平均約10000円)6年半
設置後販売電力料金 年間 約100000円(月平均約 8000円)6年半

つまり、これってどういうこと?
季節により、大きく数字が変動することと、この20年間の間に、家族の出入りが多く、少ない時は2人、多い時は6人から8~10人家族の時もあって一定しなかった。さらには、石油価格の変動にともなう電力料金が変動し、さらにまた家庭内家電製品類の入替により、多くの影響下にあった、ということが分かった。

それを承知で、なお暫定的に結論を出しておくとすると。

昼間の自家消費量  年間 約 20000円(月平均約 1500円)

つまり、太陽光パネルを上げることによって、電力料金は、実質的にゼロになった、ということである。この電気代ゼロシステムを購入するのに120万かかったということは、120万円(システム合計)÷14万円(年間)≒約8年半。つまり8年半分の電気料金を前払いしたと理解することができる。

耐用年数から考えれば、8年半使わなかったら損。8年半以上使用したら、その分儲け、ということになる。つまり、あと2年は稼働してもらわなければならず、その後10年目までは、実質ゼロ円で電気を使えることになる。

10万×1.5=15万

だがしかし、10年目以降は売電料金がさがるので、ざっと半分として、5万×X年が更なる儲けとなる。

仮に、このシステムを20年使用したとすれば、約15万+約50万=約65万の儲け。なんのトラブルもなければ、これはお得ということになろう。ただし、トラブルがあったり、システム終了後の廃棄処分に費用がかかる場合を想定すると、今後もまだまだリスクを抱えていると言える。

私は基本的に売電目的ではなくて、反原発派として、なんとか一矢報いたいと思って、システム導入したわけだから、これはこれでよかった、ということになる。同じシステムを他の友人たちにも勧めて設置してもらっているので、結果としては推薦者として、ほっと胸をなでおろすことができる。

ただし、私のところのシステムはCISとかいうちょっと変わった発電システムらしいので、太陽光パネル全体に、これと同じことが言えるかどうかは、責任を取りかねる。

そのうえでなおかつ、現在、パネル導入を考慮中の家族があるとすれば、私は多いに太陽光発電をお勧めしたい。

| | | コメント (0)

仙台上空に謎の飛行物体<2>

<1>からつづく

103971039_3382639178414839_6047966330780104805150_3382646801747410_4303133423980

103157697_3382648105080613_5982396374442
83239690_3382641555081268_16061877559586
104456620_3382644051747685_4202414442901
104706583_3382642865081137_7803149801666

104496619_3382670238411733_5901431776901
104708699_3382672188411538_4912538131258
104480268_3382667428412014_5564118434015
102867958_3382669678411789_1415411089406
105455563_3382673138411443_3088456632406
 
103493767_3382674758411281_4766742317287
104537827_3382673881744702_1340578393559 104432961_3382668981745192_6560153098679

105338741_3382675411744549_7843198903570

| | | コメント (0)

2020/06/23

「五重塔」幸田 露伴<3>

<2>よりつづく

91326od6nl__sl1500_
「五重塔」<3>
幸田 露伴 (著) フォーマット: Kindle版 ファイルサイズ: 282 KB 紙の本の長さ: 57 ページ
★★★★★

 五重塔と言えば、幸田露伴である。前回4年前も何度も聞いた。作業をしながら、何度聞いても楽しかった。そうそう読んだわけではない。読み上げのCDをiPhoneに入れ、3巻に別れた放送を何度も何度も聞いたのである。ストーリーは分かった。されど、細かいデティールは、放送では聞き取れないことも多い。

 されど、五重塔を作りながら、バラエティ番組を聞く、というのもちょっとおかしい。本を読むなら、作業はできない。やっぱり、耳から五重塔を聞くのだ。木目のことや、木質のこと、江戸時代の風習や当時の仏教状況など、なんと幸田露伴という人は詳しいのだろう、とビックリする。

Img_4759

 で、今回もやっぱり聞き始めた。源太親方に、のっそり十兵衛、いずれおとらぬ腕の持ち主だ。寸分たがわぬ大工さばきに、ほれぼれしながら、ああ、こんな形で私も作れたらいいなぁ、と思いつ、ノコを使い、ノミを打ち、糊を貼る。

 と、ちょっと浮かれていたかもしれない。ふと気づいてみれば、私は大きな間違いをしていた。いや、キチンと寸法は図ったのだが、状況に合わせて、少し少し調整しつつ、前に進んでいかなければならない。その調整を間違ってしまったようだ。うぁ、参った。

Img_4762

 小手先で修正しようと思ったが、いやいやそう簡単にはいかない。始まったばかりの今、早めに気づいたのが幸運だったと思って、納得するしかない。作業はバックだ。数日分、やり直しだ。やり直しがきく範囲で気づいてよかったではないか、と自分を慰める。

 いくら幸田露伴の「五重塔」だからと言って、心ここにあらずでは困る。アゥアネスが必要である。覚めていよ。バヴェシュ、いるかい?

Img_4763

 幸い、パンデミックの第一波もやや収まりかけて、秀麓齋やみんなの寺小屋での参禅も本格的に再開しつつある。ここで軌道修正。今、ここ、で、この五重塔に対峙しよう。 くわばらくわばら。

 この逆戻りで、数日分の作業は失ってしまったが、これからの作業を考えれば、ここで気づいたのが良かった。これを気づかずに、もっと進んでいたら、もう取返しのつかないことになっていた。基礎の基礎の部分である。まだ体が五重塔になっていない。一体となって、溶け込むほどのクリアさが必要だ。

つづく

| | | コメント (0)

2020/06/22

「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」<10>  ニュートンムック

<9>からつづく

 617n0tdkltl
「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」 <10>NEWTON別冊
ニュートンムック 2011/08 ニュートンプレス ムック 159p

 早いもので、この雑誌に出会ってからすでに9年が経過した。9年である。あっと言う間の9年であった。あの3・11の最中、まだ地元の図書館や書店が機能を果たし切れていないなか、県外でこの雑誌にであったのであった。

 この中のソーラーフロンティアの記事が気に入って、付き合いのある会社がその工事店になったことに気が付いたのは、その2年後。さっそく、工事をしてもらった。それからでも、あっという間の7年である。7年かぁ・・・。

 偶然と言えば偶然、本日、この本を他人に貸していたのだが、予告なく返却されて戻ってきた。そしてさらには、あの時7年ローンで組み替えた資金システムが、ちょうど今月で終了するのである。もともとは10年で設置費用を回収する計算でいたので、あと3年はローンなしで売電量が入金されることとなる。

 これまでの7年は、消費電力やら、売電量やら、確定値となるので、後日ゆっくり計算してみることとする。しかし、そもそもが昼間の自家消費量が明確でないし、さらには家族の人口移動があったので、比較するのは、ちょっと工夫がいる。さらには、消費電力に差があると言われる冷蔵庫をはじめとする家電類の入替があるので、なんとも言えない。

 しかし、それまでの消費傾向や、稼働状況など、ここで一階中間レポートしておくのは、とても重要だ。この7年間、幸いに我が家はこのシステムがあって助かったというほどの災害には合わなかったが、いつなんどきまた、という不安に対しては、安心材料の一つにはなってくれた。

 この間、国の政策も大きくかわり、もともと私は反原発派なのだが、オリンピックなどにうつつを抜かす国には、すっかりウンザリしてしまっている。アンダーコントロールなどとウソを言って、結局パンデミックでオリンピックは延期、あるいは中止になろうとしている。どこに大事な金を使っているのかわからない。

 さて、7年目にして、このシステム、実は故障している部分がある。発電量などをチェックする機能がついているのだが、そのアンドロイド端末と家庭内の無線システムがどうやらつながらなくなったのだ。メーカーに聞いたところ、故障だ、という。一度は修理したのだが、またダメになった。これってひょっとすると、タイマーが仕込んであって、7年目に故障するようになってるんじゃないか(笑) まぁ、これは直すことにしているのだが、修理は有料だそうだ。

 <11>につづく

| | | コメント (0)

「日本文化をよむ」 5つのキーワード 藤田 正勝<6>

<5>からつづく

51gi7hn9rnl
「日本文化をよむ」 5つのキーワード <6>
藤田 正勝 (著) 2017/08 岩波書店 新書: 224ページ
★★★★★

 当ブログにおける親鸞探訪は、準備期間はともかくとして、本格的というか、主テーマとして進行させようという試みは、ごくごく最近始まったばかりである。私自身の救いを親鸞や阿弥陀仏、浄土教に求めようというのでは、決してない。身に降る火の粉ははらわにゃならぬ。あちこちで出会う親鸞(決して法然ではない)とは一体何者か、どう対処すればいいのか、まずは予備知識からのスタートである。

 ベースとなるのは玉川信明の「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」(2004/04 社会評論社)であり、十数年ぶりの読書ということになる。この間、私はすっかり晩年にOSHOに傾いたとされる玉川は、最終的には親鸞に流れた、と理解していたために、あえてこのノートなるものに触れないできた。

 しかし、気になって調べてみれば、決して玉川が親鸞に触れたのは晩年ではなく、初期的な青年時代からであった。そのコミュニスト時代とされる若い視点から見れば、親鸞のボトムアップとも言うべき革命性にこそ目を奪われた玉川であっただろうが、その視点から、OSHOの視点へとスライドした地平から親鸞を、再評価、再点検、再批判しよう、という試みであったのである。

 その玉川の視点は理解したものの、新しき地平ともいうべきOSHO的視点が、なんとも心元ない、と感じるのは私だけだろうか。顧みればすでに45年の時代をOSHOと共に経過してきた我が身としては、う~ん、ここはこう理解したほうがいいのではないか、と感じる点が多々ある。再読、再再読しながら、丁寧に進んでいかなくてはならないが、その理解は、決して知的なものにとどまってはならず、我が身に引き寄せて理解を進めていく必要を強く感じる。

 逆に、OSHO的視点から見れば、親鸞や浄土教における救いに対応すべき地平は、エンライトメント、ということになろう。念仏他力による阿弥陀仏の救いは、OSHOにおいては瞑想を中心としたライフスタイルと、自己の本質たるエンライトメントに気づくこと、ということになろう。

 親鸞は(中略)、自らの力でさとりへと至るためのさまざまな修行や観想を捨てて、あらゆる人を救おうとする阿弥陀仏の本願にすべてを委ねる決断をしたというのである。p44「親鸞の『悪』」

 これに対し、OSHOはこう述べる。

 いまなら、どうしてなにも起こっていなかったかは理解できる。まさにさおの努力自体が障壁だった。まさにその梯子じたいが妨げになっていた。探求しようとするまさにその衝動じたいが邪魔者だったのだ。人が探求しないで到達できるということではない。探求は必要だ。が、そうしていつか探求も落とされなければならない地点が来る。川を渡るには舟が必要だ。が、いつかその舟をおりて、それのことはすべて忘れてしまい、あとに残して行かなければならない時がくる。努力は必要だ。努力なしにはなにひとつ不可能だ。しかし、努力だけでも、なにひとつ不可能だ。OSHO「反逆のブッタ」P131 「第4章 光明」

 親鸞は究極の日において、修行や観想を捨てて、阿弥陀仏の本願にすべてを委ねる決断をしたというのである。それに対してOSHOはなんと言っているだろう。

 探求がやんだその日、わたしがなにかを追い求めなくなったその日、なにかが起こることを期待しなくなったその日、それは起こりはじめたのだ。ひおっつに新しいエネルギーが、どこからともなく湧き上がってきた。それはどんな源泉から出てきたのでもなかった。どっからともなく、またあらゆるところから出てきていた。

 それは樹々のなかにあり、岩石や空や太陽や空気のなかにあった。それはあらゆるところにあったのだ。なのに、わたしは必死で追い求めていた。はるかかなたにあると思っていた。ごく間近にあったのに-----。OSHO「反逆のブッタ」P131

 親鸞はそれに阿弥陀仏という名前を与えた(再認識)したが、OSHOはあえてそれを特定せず、名前でさえそれを呼ぶことを避けた。

 「悪人」とはとは深い罪悪を身に背負い、仏になる能力も素質ももたないもののことであるが、自らのさとりへと至ることのできないこの「悪人」をこそ救おうという阿弥陀仏は願を起こしたというのである。仏になる能力も素質ももたないことを自覚し、阿弥陀仏にすべてを委ねることこそ、往生のための正しい因(たね)となる、つまり悪人こそ救いの対象であることを親鸞は強調するのである。藤田p45「親鸞の『悪』」

 ともすれば、キリストの原罪説にさえ通じるような親鸞の説だが、OSHOはおそらくこの点には賛同しない。

 七日間、わたしはじつに希望のないお手上げ状態で生きていたが、同時になにかが湧き上がってきてもいた。(中略)わたしはとても平成で、穏やかで、まとまっていて、中心がすわっていた。(中略)それは否定的消極的な境地ではなかった。・・・完全に肯定的、積極的だった。それはただの不在ではなかった。ある<現存>が感じられた。わたしの中でなにかがあふれ出していた。氾濫していた。OSHO「反逆のブッタ」P131

 対比的な表現をするなら、親鸞は否定的、消極的ですらある。それは他力本願というキャッチフレーズにも見て取れる。それに比して、片やOSHOは自ら、肯定的、積極的、と表現している。

 それは自己の罪深さがなくなるということではない。清らかな花が咲いたとしてもそれはやはり汚泥のなかにある。汚泥がその存在の条件であると言ってもよいであろう。自己の中にやはり引きつづいて底のない深い淵がある。藤田p57「親鸞の『悪』」

 この点、OSHOはどう表現しているだろう。

 わたしは自分の過去から解放されていった。自分の歴史から根こそぎにされていった。自分の自叙伝を失っていった。わたしはひとつの非存在になりつつあった。仏陀がアナッタ<無自己>と呼ぶもの-----。さまざまな境界線が消え失せていった。区別が消え失せていった。OSHO「反逆のブッタ」P134 

 自己の底の底まで「悪」と規定する親鸞に対し、自己は消え去る「無自己」であるとするOSHOは、親鸞の同時代人である道元にさも似ている。

 涅槃や救いは生死の外に、言わばそれ自体として抽象的に求められるべきものではなく、むしろまさに生死の世界にこそ求められるとした点に、親鸞や道元に代表される鎌倉仏教の宗教的精神の大きな特徴と見て取ることができる。藤田p59「親鸞の『悪』」

 藤田は末法思想の中の鎌倉仏教として同時代人の同感覚を強調するが、おそらく親鸞と道元はおそらく同じ時代に生きていても、互いにその存在を知らなかった可能性さえ指摘されている。なんでも間でも同調作用に混ぜ込んでしまわないで、ここはキチンと峻別させておく必要があるだろう。

 身心脱落 脱落身心 道元。

つづく

| | | コメント (0)

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <11>

<10>からつづく  

81fgkpghsil
「京都人の密かな愉しみ」 <11>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ


 せっかくDVD5巻が揃ったのだからと、もっと深みへとハマっていきたかったが、ほどほどのところで、返却しておいた。どうもあまりに奥が深すぎる。ほどほどのところで退却しておいたほうがいいのではないか。自己内部のアラームが鳴り始める。

 もうすこしやりたかったことは、京ことば、京料理、京野菜、ロケ地観光、寺社リスト編成、二十四節季、着物、和菓子、などなど。番組の中から再編成して、自ら理解しておきたかったのである。

 しかしである。この本一冊を見れば、ある意味DVD5本分のダイジェストが詰まっているとみる事もできる。よくよくできた本である。この一冊があれば、まぁ、要所要所のこの番組のエッセンスをしっかりと捉えることができるのは必定である。

 そして、この番組の底流として流れているのは、禅である。

 「曹洞宗仏徳山 興聖寺」 道元禅師の教理を伝える宇治川河畔の名刹 曹洞宗の開祖である道元禅師が、深草の地に建立した観音導利院興聖宝林禅寺を起源とする。(中略)ドラマで清哲やヒースローが同寺に逗留したように、現在も道元禅師初開の道場として全国から修行僧が集まる。(中略)春は新緑、秋には美しい紅葉で彩られ、今も昔も訪れた人々を魅了している。p120 「『京都人』」の世界を堪能する! 京都案内手帖」

 なるほど。もうこの本は、図書館本では間に合わなくなった。一冊わが蔵書として入手することとした。合掌(笑)

<12>につづく

| | | コメント (0)

「続・彫刻刀で楽しむ仏像」関侊雲他<29>

<28>よりつづく 

51a5fdf9a8l
「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <29>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真)  2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ


 こちらの夢もなかなか冷めない。いやむしろ、現在の20分の1五重塔製作も、こちらの薬師瑠璃光如来彫刻への前奏曲でしかない。

Yakusi

 わが市民農園から切り出されたケンポナシの丸太。仏像などを収納する函などに使われるというが、仏像には適しているのか?

Img_1764
 
 切り出されてまだ数年だが、乾燥は足りているか?

Img_1762

 そもそもこれだけ大きい材質を加工しきれるのか?

Img_1750

 のこぎりやノミ、彫刻刀やカンナ類もそれぞれ新調する必要があるだろう。

Img_1749

 量はこれだけである。この材質を余すところなく使って、一体全体、どれほどの彫刻ができるものであろうか。

Img_17472 
 

 目指すは、秀麓齋みんなの寺小屋の釈迦如来像の大きさ。大きさはともかく、あの存在感。いつも私たちの坐禅を見守ってくれている本尊を我が瞑想ルームへとつなげてくれるはずだ。

Image-090

 秀麓齋みんなの寺小屋 坐禅堂

Image0088

ご本尊、釈迦如来坐像 関光雲作

Image-oo13

 開眼式 2017

Image_20200622021201 

 所縁に感謝いたします。

Img_2084  
 仏師・関光雲師と

Image-007 

千の風になって」 歌手・秋川雅史さんと

つづく

| | | コメント (0)

2020/06/21

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<25>

  
<24>からつづく

51cf35abzl
「週刊 仏教新発見  改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<25>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆ 

 なにはともあれ、断面図、立面図、彩色図の三枚の原寸の設計図ができた。これでかなりリアリティが増してきた。

Img_4752

 そして心柱の頭頂部分の金属質の部分の構想である。ここはかなり不足部品が多くある。されどベースが廃品アートなのであるから、モノが登場するまでじっくり待つことにする。購入するのであれば、割りと安価に探せるであろうが、それでは廃物アートの妙味に欠ける。

Img_4756
 
 これで、だいぶイメージできるようになった。部分的に加工しつつ、徐々にリアリティを高めていこう。

Img_4754 

 さぁ、これで大分進んだぞ。あとはじっくりゆっくり確実に地道に積み上げていくだけである。制作時間は、前回40分の1スケールの場合は四か月。今度の20分の1も四か月と考えている。
 
 とは言え、構想で一か月、着手して一か月、合計二か月がすでに経過しているので、残りは二か月だ。お盆休みには完成できるようにしたい。決して急いでいるわけではないが、この五重塔が完成すれば、次のプロジェクトも控えているのである。

 だらだらと時間だけかけたからと言っていいものが作れるとは限らない。今回は屋根の部分はどうするのか。構造体はスケルトンで行くのか。彩色するのか。いろいろ未解決の問題も多いが、残り二か月で完成させる。

6月第3週 一階神殿部分の制作

  第4週 骨格部分の制作 部品調達 整理

7月第1週 壁部分の計算 製作 調整

  第2週 全体的な組み上げ

  第3週 全体的な調整
  
  第4週 屋根の部分の製作その1

8月第1週 屋根の部分の製作その2

  第2週 彩色 完成

 う~ん、こうして並べてみただけでも、かなりハードスケジュールであることがわかる。まずは焦らないで、ひとつひとつ、楽しんでいこう。

<26>につづく

| | | コメント (0)

2020年上半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

 

2019年下半期よりつづく

2020年上半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10
 

(本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの作品のメモに飛びます)

第1位
71haj0lgk9l
「21 Lessons」 21世紀の人類のための21の思考
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) 2019/11 河出書房新社 
★★★★★


第2位
81f1mhlmwnl
「A Course in Meditation」 A 21-Day Workout for Your Consciousness
Osho(著)  2019/09 出版社: Harmony (英語)
★★★★★

第3位
Img_5107
「アイ・コンテイン・マルチチュード」
Bob Dyran  2020
★★★★★

第4位
61hfzrkr7l
あたらしいこころの国家資格「『公認心理師』になるには」 '20~'21年版
国際心理支援協会 (著) 2019/9 秀和システム  
★★★★☆

第5位
71w9fyvskll
「『れいわ現象』の正体」
牧内 昇平 (著) 2019/12/11  ポプラ社  
★★★★★


第6位

81pcgzuomsl

「心通わすお茶」 茶の湯 裏千家 NHK趣味どきっ!
NHK出版 2020/01 
★★★★★

第7位

61w55kbfjkl

「スペクテイター 45号」日本のヒッピー・ムーブメント
発行エディトリアル・デパートメント 2019/12 発売幻冬舎  

第8位

71dmfmnlwel

「5Gビジネス」
亀井 卓也 (著) 2019/06 日本経済新聞出版社 
★★★★☆

第9位
81suxo8aonl
「オーガニック植木屋の剪定術」オーガニック植木屋の剪定術 
ひきちガーデンサービス(曳地トシ+曳地義治) (著) 2019/09 築地書館 
★★★★★

第10位

91hpzeujczl

「そもそもオリンピック」 
アーサー・ビナード (著), スズキコージ (イラスト) 2020/02 玉川大学出版部 
★★★☆☆

次点

「男はつらいよ お帰り 寅さん」
山田洋次監督 2019年制作 松竹映画 
  


2020年下半期につづく


注)当ブログは読書ブログではありますが、ダイジェストは書きません。また、必ず完読もしていません。場合によっては、手に取って読むこともしていません。その本に対峙した時、自分の中に湧き出てきたものをメモしています。場合によっては、歌とか映画も含みます。
新刊とは、おおむね、読む前の半年間に発行されたもの、あるいは、リスト発表時からおおむね一年以前内に発表された作品を指しています。☆評価は、個人的な独断と偏見によりますが、一定しているわけではなく、再読、再再読しているうちに、変化していることがよくあります。

| | | コメント (0)

2020/06/20

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<24>

 <23>からつづく
51cf35abzl
「週刊 仏教新発見  改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<24>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆ 

 断面図だけでは、制作を続行できない。構造的な基本が出来上がれば、次は、立面図が必要だ。見た目は、立面図がないと作れない。

Img_4738
 
 前回40分の1を作った時の資料を再活用して、20分の1の立面図を作る。なかなか大きいので、手間がかかる。

Img_4740
 
 さあ、これで、断面図と立面図が出来上がった。かなり手順とか、部材の必要数とかが分かりやすくなる。

Img_4742

 次は彩色図だ。実際の色彩はどうなっているのか? これがあれば、実際の建物の雰囲気が良くわかる。前回は彩色しなかったが、今回はどうするのか未定。どうせなら、彩色するか。

 Img_4744

 いっぺんにすべての作業を進めることはできないが、少しづつ少しづつ制作過程が進んでいく。

 Img_4747 

<25>につづく

 

| | | コメント (0)

2020/06/19

「日本文化をよむ」 5つのキーワード 藤田 正勝<5>

<4>からつづく

51gi7hn9rnl
「日本文化をよむ」 5つのキーワード <5>
藤田 正勝 (著) 2017/08 岩波書店 新書: 224ページ
★★★★★

 親鸞がひたすらに目を向けたのは、煩悩に惑わされ、いかにしても迷いの世界を脱することのできない衆生、戦乱や飢餓に苦しみ貧困にあえぐ農民や商人であった。p42 「親鸞の悪」

 道元を思う時、どうしても清純過ぎてゾルバ性が足りないなぁ、と痛感する。その時のゾルバ性とは、まさにOSHOが言うところのゾルバ・ザ・ブッダとしての人間像におけるゾルバであり、道元はまさにブッダ直系と言ってもいい。

 親鸞はすべての罪業を自分一人に負わせている。しかし、その無限の罪業を背負った親鸞をあわれみ、助けようと思って願を立てた仏の慈悲の「かたじけなさ」が同時に意識されている。p55 同上

 親鸞は、OSHOのゾルバ・ザ・ブッダという人間像のにおいては、ゾルバ性に偏っているだろう。ただ、ゾルバと親鸞では多いに違いがある。親鸞は、悪を悪ととらえ、悲しみでそれを乗り越えようとする。しかし、ゾルバは自らを楽しみ、喜び唄う。

 罪業を背負い徹底して懺悔せざるをえない自分であるにも関わらず、そのうえにも光はみちてきて、そのはたらきによって包まれる。この転換を親鸞は経験したのである。p55

 OSHOの人間像は、ブッダでもなければ、ゾルバでもない。ゾルバ・ザ・ブッダなのだ。親鸞は、自らのゾルバ性を脱出するために、外在する阿弥陀仏というブッダ性を必要とする。自らを徹底的にゾルバと規定するがゆえに、バランスをとるために、他力易行としての念仏が必要となるのである。

 親鸞においてはそこにゆるぎのない新人、信仰者としてのゆるぎのない生が確立したのである。その信仰を親鸞は「歎異抄」(六)のなかで「如来よりたまわりたる信心」と表現している。それは自己が自らの力で獲得した信心ではない。賜った信心である。p56 同上

 親鸞や道元が生きた時代は、今から600年前の鎌倉時代である。すべてにおいて人間生活のスタイルが違っているだろう。私たちは21世紀もすでに20年も経過した時代に生きている。この時代において、私たちは生きていくのであり、未来に向かって、伝えるべきものは伝えていく必要がある。

 それは自己の罪業さがなくなるということではない。清らかな花が咲いたとしても、それはやはり汚泥のなかにある。汚泥がその存在の条件であると言ってもよいだろう。自己のなかにはやはり引きつづいてそこのない深い淵がある。p57

 親鸞は、人間性悪説論者なのだろうか。人間は罪業を背負った存在なのであって、絶対他力の阿弥陀仏以外に救いはないとする姿勢。それに対して、OSHOは、まるで人間性善説論者でもあるかのようだ。自分の中にブッタはいるとする。しかもなお、ゾルバのように楽しむのだ。

 救いは、ただ単に汚れたこの世を超出することではない。むしろ汚れた身であることと、汚れを脱することとが一つに結びついたところに成立する。親鸞がそのことを深く理解していたことが、ここから知られ鵜。生死と涅槃、有漏と無漏(煩悩の汚れがないこと)、換気と懺悔によって裏打ちされていること、繰り返し懺悔へと投げ返され、それを通してはじめて歓喜でありうることを、親鸞ほど深く理解した人はいなかったと言えるであろう。p59 同上

 ここの人間像は、かなり近い。されど、OSHOは繰り返し懺悔などはしない。瞑想し、自己に向かいあい、唄い、踊り、歓喜のなかで、日々生きるのである。

 涅槃や救いは生死の外に、言わばそれ自体として抽象的に求められるものではなく、むしろまさに生死の世界にこそ求められるとした点に、親鸞や道元に代表される鎌倉仏教の宗教的精神の大きな特徴を見てとることができる。p59 同上

 私たちは、この21世紀のグローバル社会に生きている。AIやテクノロジーに囲まれ、パンデミックの危機に遭遇しながら、なお、唄い。踊り、瞑想する。これが現代スピリチュアリティの大きな特徴だ。

<6>につづく

| | | コメント (0)

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<23>

 <22>からつづく
51cf35abzl
「週刊 仏教新発見  改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<23>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆  

 心柱は三本セットとなっている。

Img_4709

 その繋ぎは独特の構造となっている。これだと、かなり強固で、一本柱のエネルギーがつながる。

Img_4711

 四方八方に広がる大地につながる台座に、天を向けて起立する心柱。これこそ、塔の本質である。他は装飾だ。

Img_4717

 いみじくも、当ブログは「辷(すべる)の巻」から「邏(めぐる)の巻」の巻へ移動中である。まさのこの形状である。

<24>につづく

| | | コメント (0)

「究極の旅」: OSHO 禅の十牛図を語る <7>

<6>からつづく 

510unbzjodl
「究極の旅」
: OSHO 禅の十牛図を語る <7>
OSHO (著), スワミ・プレム・プラブッダ (翻訳)  2013/10/11 出版社: いまここ塾 河出書房新社 単行本(ソフトカバー): 484ページ ()

 きょう、ふと思った。OSHOは、日本の禅を多く語ったが、決して最終形の完成形と考えていたわけではなかろう。その証拠に、シャルノに対して、日本の禅は、十牛図の十番目が欠けている。この十番目を日本に伝えてほしい、と言ったという。

Cow10

 はて、その真意はいかほどのものであっただろうか。シャルノも、それをどこまで理解していたであろうか。いや、他の人はともかく、私自身は、どうなのか?

 多くの探求者が、禅ののちに最終的に親鸞に行きつくことが多々見られるが、ここに何かの秘密がないだろうか。OSHOは決して、玉川信明のようには、法然・親鸞・浄土教・阿弥陀仏をぶった切っていたわけではない。それなりの敬意を持って、扱っていた。

 ひょっとすると、十牛図の十番に、他力易行の真意を込めていたのではないか。直観である。今日のところは、多くを語るまい。いずれ、つながってくるはずだ。

つづく

 

| | | コメント (0)

「大停電の夜に」監督 源孝志

-
51bk3vvy3vl__ac_sy445_ 
「大停電の夜に」 スペシャル・エディション
源孝志 (監督) 豊川悦司 (出演), 田口トモロヲ (出演), 2006/05 販売元: 角川エンタテインメント DVD 時間: 132 分
No.4409 ★★☆☆☆

 「京都人の密かな愉しみ」の源孝志の他の作品はないか、と図書館を検索してみたら、このDVDと小説にぶち当たった。なにか手がかりがあるかな、と、借りておいたら、本のほうは奥さんのほうがすでに読み始めていた。小説は彼女の専門分野だ。私は苦手。だから、もしDVDを見て、面白かったら、小説も、と考えてはいたのだが・・・・。

 すみません、ダメでした。2006年作品ということだからすでに14年前の作品。ところどろに時代遅れを感じてしまって、見れなかった。トレンディさを競う作品であれば、はやり時代遅れはハンディが大きい。レトロな味を味わう作品なら、時代遅れなんぞはあまり気にならないのだが。

 若い人たちの恋愛ものも、私にはもう年寄りの冷や水だ。最初の部分を見ていたが、どうもダメだった。他の急ぎの用件のほうが大事だ。ドラマに集中する力がなかった。

| | | コメント (0)

2020/06/18

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<22>

   <21>からつづく
51cf35abzl
「週刊 仏教新発見  改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<22>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆  
 
 ここからは、まず基礎ベースと心柱作りである。この二つができれば、まずは10分の1の作業が終わったばかりではなく、イメージの半分は出来上がったことになる。
 
Img_4665 

 部材はなかなか揃わず不足がちだが、そこは智慧を働かせ、なんとか間に合わせる。不思議と、ぴったりのものが登場するのである。
Img_4667  

 今回もまた、結局は、般若心経と口ずさみながらの作業となった。

 Img_4660
 
 最も大事なご神体および心柱をつなぐ基礎の神殿つくりの部分。イメージが固まるまで待つ。

Img_46702

 雑多に集まってきた小さな部材たちも、分類してみれば、いろいろな顔を持っている。

Img_46712

  特に今回は、マル君の遺品となった、竹ひごを、一階天井部分の網代に使う予定。

Img_4664

 心柱も削り出すしかない。削っていると、不思議とエネルギーが通い出す。

Img_4708

 三本をさらに加工して、特殊なつなぎを彫り出すこととなる。

Img_4662

 そして、最終的には、この金冠をかぶせることになるのだが・・・・・・

<23>につづく

| | | コメント (0)

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <10>

<9>からつづく  

81fgkpghsil
「京都人の密かな愉しみ」 <10>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ

 このドラマの魅力を拾い始めれば、おそらくキリがないことになろう。
1)三八子や大女将(銀粉蝶)の召している着物についての蘊蓄
2)京料理シリーズのひとつひとつの追っかけ
3)登場する神社仏閣の、それぞれの確認
4)四季折々の行事。24節季、月の満ち欠けによる行事
5)登場する役者陣のそれぞれ。
6)京ことばについて
7)ロケ地巡礼

 などなど、思いつくが、今回はそれほどまでに深追いすることはやめておく。次なるテーマがいろいろ目白押しにつっかえているからだ。少なくとも、当たり前のことではあるが、このドラマは恋のドラマである、ということがわかれば、まずはそれでいい。

 文化人類学者エドワード・ヒースローに言わせれば、私は「日本人」ということになるだろうし、言語学者エミリー・コッツフィールドに言わせれば、私は「京都が嫌いな人間」ということになるだろう。私は東北人であるし、古くは、あべ氏を名乗る「まつわらぬ人々」の末裔であり、縄文文化をこそ継承したい、と感じる人間なのである。渡来人がもたらしたとされる京都文化なんぞに、負けてはおれぬ(爆笑)

 敵を知り、己を知れば、百戦あやしからず。孫子の兵法ですね。で、まぁ、敵地としての京都散策にでたわけであるが、なるほど、京都は魅力満載でなかなか手ごわいが、いや、待て待て、あちこちに弱点もいろいろあるぞ。京都を攻めるなら、あれこれ手はある、なんて、ちょっと下心がないわけじゃぁない。

 しかしまぁ、ここまでのところ、ヒースローこと団時朗、藤沢三八子こと常盤貴子、大女将こと銀粉蝶、エミリー・コッツフィールドことシャーレット・ケイト・フォックスたちが醸し出すドラマ(大嘘)にすっかりだまされました、という話である。

 この辺で、逆にDVDから離れて、本一冊に帰還し、もうすこし収拾を図って、とりあえず、この本を終わりにして、しまいたい(笑)

<11>につづく

| | | コメント (0)

2020/06/17

仙台上空に謎の飛行物体<1>

103374234_3374676735877750_6546184881605
今日の飛来物体
最初に気づいたのは5:40頃。白い丸いものが飛行あるいは停止しているように見える。一時間半後の現在もほぼ同等。やや北に数度動いたようにも見えるが、ごくわずか。5キロ以上ほど移動して観測したが、仰角はそれほど変わらず。
7倍双眼鏡で見ると白い丸い物体が朝日に光っており、目の錯覚か、下に小さなゴンドラのようなものがついている様にも見える。
一番近いのは気象観測気球だが、風力や風の動きから考えて、ほぼ停止しているように見えるのが理由不明。
まちにはw、空を見上げている人が何人もいる。あまり見かけない風景だ。


102696540_3147263475500351_5756954357174
Shouichi Shouji氏が 望遠鏡で見てイラストを描いてくれた。
ーー
午前8時25分。仙台管区気象台に電話してみた。以下、対応していただいたM氏(男性)の話。

1)たしかに、何かが飛んでいて、複数電話等で問合せが来ているし、宮城野区五輪の気象台の事務室の窓からも現在見えているという。

2)これは通常気象で上げているような気象観測気球ようなものではなく、まったく別なものであるという。

3)現在のところ、調査中。つまり、現在のところ、未確認飛行物体。

みんな関心を持って空を見上げているので、判明したら、ニュースなどでみんに知らせてください、とお願いして、電話を切った。

仙台周辺の住民は、南西仰角7~80度のところ、見上げてほしい。全くの晴天。朝日に鮮やかに反射している。




仙台市天文台にも電話してみたが、こちらは「本日は休業でございます」の女性の声でアナウンスが流れるのみ。午前8時45分。

そらにはまだある。むしろ大きくなってきているように思う。双眼鏡でみると、明らかに、ゴンドラがついているようだ。


落下してきたら、危険物かもしれない。隣国からの飛来物では、おそらくない。


ーーーーーーーーーーーー
ひょっとすると、災害時LTE気球のようなものか。でも、なぜ、いま、ここ?
https://japan.cnet.com/article/35056254/

ーーーーーーーーーーーー
頭上でヘリコプターの爆音。自衛隊機か、三機出動。・・・・。だが、別方向に飛び去った。9時5分。
ーーーーーーーーーーーー
もし、LTE基地局気球だと、下からワイヤーでつながっているだろう。それと大きさ。せいぜい数メーター。あとメーカーの名前があるかどうか。https://mainichi.jp/articles/20160513/ddl/k01/020/246000c
ーーーーーーーーーーーー
ほとんど頭上ほぼ90度。ゆっくり西から東に流れている。10時5分。大きさはやや大きくなっている。つまり高度を下げている。形は球。

104151717_3374983989180358_8263227709863
ーーーーーーーーーーーー
うむ、残念。目を離しているすきに物体は消えた。10時40分確認。ほぼ頭上だったから、パンクして落下したとするなら、近隣におちてきたはず。
その瞬間を目撃した人がいれば、聞いてみたいです。

ーーーーーーーーーーー
いや、落下していなかった。30分ほどで仰角10度くらい真東に移動したので、電線の影になっていた。雲が出てきた。10時55分
103610649_3375066052505485_8339335321609 
ーーーーーーーーーーーーーー
何だろうね、人工衛星もあり得るし、地図とかの撮影かも。

いやぁ、未知との遭遇ですね。
風があるのに、一か所に留まっていたこと、ほぼ同じ高さを西から東へ流れ続けていること。不明ですね。

102551155_3375227325822691_3002922022378 
ラジオ番組でもやってました。視聴者からの投稿では10時28分見失った、とありましたが、現在もいます。やや東から南へ移動中。12時ジャスト。雲が出てきて、見え隠れ。
ーーーーーーーーーーーーーー
18:30現在、わが家の上空はほぼ快晴やや薄曇りの状態ですが、見えません。他のニュースでは、海上にでて行った、と言ってましたが。海岸線では夕日に光って見えるかもね。
ーーーーーーーーーーーーーー
ああ、これだな、福岡大学 気圏物質科学研究室
https://www.se.fukuoka-u.ac.jp/geophys/am/

福岡大学 理学部 地球圏科学科 気圏物質科学研究室

大気微粒子動態学グループ ◦ 黄砂、PM2.5、オゾンホール、地球温暖化、酸性雨などは、すべて大気中の微粒子が関与しています。大気浮遊微粒子が大気環境変動に及ぼす影響を理解するため, 気球や無人航空機などを用いて浮遊する微粒子を地球規模で (熱帯から南極・北極まで) 観測・採取、その成分の電子顕微鏡分析などを行っています。
https://www.se.fukuoka-u.ac.jp/geophys/am/ 

103638333_3375311655814258_3140072213803

しかしまぁ、なんでまた、今、この時期、仙台で? 予告なし? 目的は?
ーーーーーーーーーーーーーーーー
現在のところツイッター情報ですが、福岡大学の研究らしい、とのことです。少なくとも気球は酷似してますね。

否定されてしまえば、それ以上、追及できないが、形状としては酷似しているなぁ。でも、だったとしても不思議なこと。
1)気球なのに、なぜに風に流されないで、停止していたように見えていたのか。
2)もし大学の研究だったとしたら、なぜに届けをださなかったのか。
3)自衛隊ヘリが何度も近くを通りかけているのに、なぜ本格的な調査をしよう、としなかったのか。
いろいろ疑問は残る。この問題、解決はあるのか・・?...
ーーーーーーーーーーーー
仙台上空に未確認飛行物体 研究用無人飛行機?憶測に福岡大学「うちのものではない」
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0617/jc_200617_4757929926.html

ーーーーーーーーーーーーーーーー
宮城の上空に謎の白い物体!問い合わせ相次ぐ「形状や機器のようなものを見ても気象庁の観測気球ではない」

https://news.yahoo.co.jp/articles/d2e04d1fd1f1de6ef4b592c175417cac211fecba

ーーーーーーーーーーーーーーーー

宮城の空に謎の「気球」 下部に十字状の物体 有力な手掛かりなし
https://news.yahoo.co.jp/articles/d2e04d1fd1f1de6ef4b592c175417cac211fecba

ーーーーーーーーーーーーーーー

何時間も浮遊する「謎の白い物体」 その正体は…現時点で不明 仙台上空

https://news.yahoo.co.jp/articles/3656c68ced4e2e2ae1773c297b8aacda17729597
----------------------------------------
午前十時ごろ名取市閖上で撮影(斎藤彰徳氏)
104433137_3376491595696264_2864510674766
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200617/k10012473571000.html

--------------------------------------

今の所、ネット情報、および勝手な推測を合わせて、最も可能性の高い見方は、韓国脱北者の北朝鮮に向けた反体制ビラ撒き気球が、電波コントロールの範囲から外れて、気流に流されて、日本列島にやって来た、というところだろうか。

104578711_3383068358371921_3391808649437

105412431_3383069368371820_7620208723033
-----------------------------------------------

韓国政府、脱北者団体を刑事告発へ 北朝鮮批判のビラ散布で
https://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2020/06/279697.php?fbclid=IwAR2FnLRMnxpiAYZXJ9TQ5neerr0tepZNLzH8hoF_tyiEBD27GTGOIITFUrg

20200610t151204z_2_lynxmpeg591lq_rtroptp

----------------------------

UFO特集は常にあって、最新の情報はなかなか興味深いです。
しかし今回の飛来物は地上のものでしょうね。かなりローテクです。

---------------------------
さっき夕方のニュースによれば、防衛庁は24時間追跡調査しているようだし、アメリカの通信会社の電波関係じゃないか、と言う学者の説も出てきているようですね。 (06/21夕方記)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

前日16日の秋田でも目撃情報があったようだ。これはあちこちいっているというより、1万メートル以上の高度にあり、遠方からも見えた、ということではないか。大陸由来説は正しいように見える。https://m.youtube.com/watch?v=FZ1reS7JZVQ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


<2>につづく

| | | コメント (0)

「大河の一滴」五木 寛之

51b3rzrhgrl 
「大河の一滴」
五木 寛之 (著) 1999/03 出版社: 幻冬舎 幻冬舎文庫 文庫  328ページ
No.4408 ★★★☆☆

 いつの頃からか、わが家の書棚にある、この文庫本一冊。私が読んだものではないことは確かだが、誰かが読んだに違いないと、放置してきた。今朝、親鸞つながりで、五木寛之を思い出して、そういえば、この本があったな、と取り出してきてテーブルの上においておいた。

 これを機会に、奥さんにこれ誰が読んだの?と聞いてみると、彼女も知らないという。おそらく子供の誰かが読んだんでしょう、というお答え。出版は平成11年(1999)とあるから、今からちょうど21年前。出版から遅れて読んだ可能性もあるが、その時期は確定できないが、子供たちが家にいたのは学生時代までだから、それでも十数年前に、家族の誰かが読んだことになる。

 となると、仮に20才前後でこの本を読むことのメリットは、どんなことなのだろう、と、まだページをめくりもしないで逡巡した。大河の一滴。大河とは、なんとなくイメージとして、ガンジス河を思い浮かべる。今度のパンデミック騒ぎで、インドの工業もロックアウトされ、ガンジス河もきれいさがよみがえったそうだが、なんとも不思議な現象である。

 五木はいつも近くにいるようでいて、決してハマったことはない。いつぞやは深夜テレビで「百寺巡礼」というシリーズをやっていて、ハマったと言えばあれはそうだったかもしれない。単行本もあることを知った。でも本にはハマらなかった。各地の寺社仏閣のレポートの画像が楽しかったのだろう。

 さて、彼には立松和平 との対談があり 「親鸞と道元」(2010/10 祥伝社)があるが、立松の急逝により未完のまま終わっている。だが、五木は、親鸞と道元、といえば、親鸞の側に立ちそうなイメージがあり、その面からもちょっとこの際、この作家をせめてみたいな、とは思っていた。

 まだ読みもしないうちから、本当に読むだろうか、とちょっと面倒くさい感じがするのは、テーマや作家のせいではない。私自身が、最近あまり本に魅力を感じなくなり、読まなくなっているせいである。その面倒くささを押し切って、私にこの本を読ませてしまうかどうか。そこんところが、私個人は楽しみである。

 そして、今夜ふと思ったのは、親鸞は、若い時に出会う宗教家ではないのではないか、ということ。若い時代はむしろ、道元の方が分かりやすく、共感しやすい(だろう)。探求心を鼓舞し、背中を押してくれる感じがする。

 片や親鸞はどうか。晩年になればなるほど、人生には成果も上がるだろうし、失敗談も増えるに違いない。きっと煩悩も増え続けていくに違いないのだ。その晩年の懊悩というものを、むしろ道元よりも親鸞のほうが掬い上げていくのではないか。ここが直観である。

 52歳まで生きた道元と、行年90才の人生を生き切った親鸞では、おのず最終的な結末が違うのではないか。ここのところが、まったくの同時代人でありながら、開いた世界の違い、支持される範囲の違いに、反映されてくるのではないか。

 とくに作家や探求者たちが、結局親鸞に行きつくイメージになんらかの影響を与えているような気がする。今夜のファーストインスピレーションだった。

 つづく・・・・・・かなぁ・・・

| | | コメント (0)

2020/06/15

<異説>親鸞・浄土真宗ノート 玉川信明 <5>

<4>からつづく 

「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」 <5>
玉川信明 2004/04 社会評論社 単行本 306p
★★★★☆ 

「第二章 この世に信念・信仰・信心は不必要だ」、「第三章 念仏は自己同一化のための自己催眠」、いよいよ霊言集(笑)は続く。親鸞とOSHO、それぞれに通じたマニアックな読者でさえ、なにがどうなっているのか、一読ではわからないだろう。

 そもそもが論点がズレまくっているのである。玉川はOSHOに対して、ドグマ論争を仕掛けている。親鸞、浄土真宗、阿弥陀仏から連想される論点を、次から次と連射する。それは浄土教関連で話題になっている部分であるのだろうし、玉川が80冊の親鸞本を読んで引っかかった部分でもあるのだろう。

 そもそもOSHOは、ドグマ論争はしない。OSHOにはドグマはないし、ドグマそのものを否定、あるいは無視している。時にドグマに触れることがあったとしても、質問者がのっぴきならない理由で、そこに触れなければ、質問者の個人的な疑問点が解決しない時に限られている。

 まさに玉川の、仮想OSHOに、自らの思いついた振り付けをつけて、一人で対戦する一人相撲である。

和尚 (略)それはマルクス主義者の林田茂雄という人です。彼の結論的な論理を明かすと、阿弥陀仏というのは、どうにもこうにもならなくなった絶望と懐疑の境地において初めて救ってくれるのが、浄土信仰の強いところだというものです。p146 「第二章 この世に信念・信仰・信心は不必要だ」

 こんな文脈を読まされて、誰が、この和尚とはOSHOのことだ、と連想できるのだろうか。

和尚 (略)私は全一に愛したし全一に瞑想した。人はその両方を知って初めて全体となるのです。p150 同上

 少なくとも、OSHOはこんな言い方をしない。人間・親鸞と、エンライトマスターOSHOを比較すること自体、成立しない試みなのだ。OSHOは質問者の具体的な彼自身の問題に対して、光を当てる。その立場から考えれば、「全一に愛した」なんて言い方はあり得ない。エンライトマスターは愛そのものなのであり、愛「する」なんてことはない。

 同様に、OSHOが「全一に瞑想した」なんてことはない。エンライトマスターにおいてもはや「瞑想」は不要だ。ここで玉川は、OSHOにおける瞑想、という概念を、まったく理解していないばかりか、頓珍漢な曲解をして決めつけている。

和尚 (略)愛を円周とするなら「信頼」はそのまさに中心、その魂だ。p154 同上

 泣きたくなる。もし誰かがOSHOを引用したいのなら、その出典を明らかにして、その文言をできるだけオリジナルな形で引用すべきである。そもそもの言語をダイレクトに引用できるのではあれば、そのほうがいい。翻訳ものであれば、できるだけ、一般的な方法で行われている翻訳法に従って、他の翻訳との整合性、連続性をはかるように注意深く対応すべきである。

和尚 (略)マントラの一つである「南無阿弥陀仏」の南無は帰依の意味、つまり阿弥陀仏を絶対に信頼しますの意ですね。六字の名号とも言う。その名号を称えることを称名念仏といいますが、元来仏教での称名は仏に対する帰依を表明するものとされているから、その原型は、仏、法、僧の三宝への帰依ともなる。その帰依の姿はあなたの言う通り、家族みなそろって行うことで美しく見える。しかし一方では膿んだ和合美とも言える。p162 第三章 念仏は自己同一化のための自己催眠

 私は正直泣きたくなる。いや笑っていいのかもしれない。あるいは無視するか。いままでは無視してきた。本当は笑う気にはなれない。

和尚 (略)私は現代人に向くように音楽にのって飛んだり跳ねたり踊ったりするような現代禅とでも言うべき数多くのわざを発明しましたが、それでも超越的に人間変革できるものはなかなか少ないのです。p166 同上 

 基本的な弁明であるならば、自分の言語に落とし込まないで、原文をそのまま記すべきである。

和尚 (略)沈黙を聞き、沈黙を理解するには、とてつもない寛容が必要だ。沈黙は神を理解するにはなくてはならないもの、真理を知るにはなくてはならないものなのです。念仏は不要です。p175 同上

 お付き合いするだけで、大変である。

<6>につづく

| | | コメント (0)

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <9>

<8>からつづく  

81fgkpghsil
「京都人の密かな愉しみ」 <9>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ

 せっかく5本のDVDが揃っていることだし、そもそもが藤沢三八子がメインストーリーとなっているかぎり、他のオムニバスドラマをぶっ飛ばし、一本の単作としての「藤沢三八子」ストーリーだけを追っかけたら、どうなるだろう。

1、エピソード1
 オープニング 人類学者エドワード・ヒースローの京都人への関心
 第一章 立冬 老舗和菓子屋の娘・藤沢三八子の登場 母親も重要
 第二章 小雪 京都人の悩み 京都の歴史 暮らし 月の力 
 第三章 大雪 ヒースローの京都への視点と関わり 三八子との出会い
 エンディング 庶民と宗教の関わり 若雲水の存在の気配
 オムニバスとは言え、ドラマひとつひとつがぶち切れているわけではなく、とくにヒースローは、京都一般の文化への関心を持ち続け、その中心としての三八子に心惹かれる。そして、その三八子に大変な秘密があること察し始める。

2、夏
 オープニング 前作のダイジェスト 英国、アカデミズム、
 第一章 夏至 母・鶴子の願い。和菓子屋の機能、雲水・異母弟の悩み
 第二章 小暑 祭り。縁結び、縁切り。京都人の知らない言い伝え。
 第三章 大暑 食。雲水と女将の関わり。女将の直観。 
 エンディング 謎の英国女性の登場。ヒースローの秘密の予感。
 全編として言えることは、とにかくこのドラマは食に関わり続けているということである。「手ぇも動かはる・・・」シリーズ」があることもでもわかるが、食に興味があるならば、このドラマは魅力倍増ということになるだろう。そのうち、一度、反省を込めて、そちらからの視点で、このドラマを再見しよう。

3、冬
 オープニング 英国女性からみた日本の奇妙な風景。言語学者エミリー。
 第一章 小寒 ヒースローの秘密。英国式いいなずけ? ほんとかいな。 
 第二章 大寒 徹底した食へのこだわり。聖護院大根。おいしいけどね。
 第三章 立春 エミリーの疑問。エミリーと三八子の大接近。

 エミリーによれば、人間には二種類あるという。京都が好きな人と、嫌いな人。私はどっちだろう。正直言えば、私は、京都が嫌いな人。18歳の時、ヒッチハイクで日本一周した。一番ヒッチがやりにくいのは京都だった。全然捕まらない。道端で一休みしている時などは物好きそうな視線を向けてくるのに、なにかあると、さっと蜘蛛の子をが逃げ出すようにいなくなる。その反対に、ヒッチが一番やりやすかったのは北海道だった。
  あの夏の暑さもたまらない。神社仏閣もありすぎでしょう。でも日本海の京都はいいかな。モンジュ君の出身地だ。この冬編にはエンディングがなかった。

4、月夜の告白
 オープニング 本編・白露と一体になっていて、短い。
 第一章 白露 パリの元・不倫の彼。雲水と女将との距離感。老師の登場。
 第二章 秋分 和菓子の蘊蓄。言語学者エミリーの講義。三八子とエミリーの接近。
 第三章 寒露 寺男となったヒースロー。若雲水の不思議な運命。久楽屋の行方は。
 エンディング ほとんど唄「京都慕情」だけ。僧形となったヒースローの帰還。 

 今まで見ていなかったシーンがあちこちに。テレビ番組の録画と、DVDでは、編集が違うのか。ここまでくると、最初バラバラだったストーリーが一つにまとまりだす。異母姉弟たちのつながり。出家した弟。このドラマに通じる、弁護士、人類学者、言語学者、医者、といった高踏な視点からのはったり。かなわぬ願い。女将の直観! 銀粉蝶は、このドラマの魅力の大きな柱だ。

5、桜散る
 第一章 清明 初候 玄鳥至 久楽屋の終焉近し。パリの元不倫相手、再登場。ヒースローの失敗。
 第二章 清明 次候 鴻鴈北 女将、初めて知る秘密、二つ。山寺の想定外の展開。迫る女将。逃げる雲水。 
 第三章 穀雨 初候 葮始生 出会い。再開。出発。感謝。

 何回も見ているドラマだが、章立てには見たこともない、読み方さえわからない言葉が登場していた。玄鳥至(つばめきたる)。 鴻鴈北(こうがんきたにかえる)。葮始生(あしはじめてしょうず)。 

 このドラマの魅力はもちろん、三八子、そして女将の女っぷり。そして京都という世界のさまざまなこと。男もいろいろ登場する。ヒースロー。菓子職人。久楽屋6代目。雲水(清哲)。元不倫パリ男。山寺の老師。私なら、どの立場になるだろう。一番はやっぱり三枚目男ヒースローが一番近いか。いや、もっと若ければ清哲か。あの純粋さを、私もまったく持っていないとは言えない。そして、いずれは、山寺の老師もいいかも。いやいや、どれも立派過ぎる。私は私でいいのだ。

 このドラマの本当の魅力は、恋、だな。恋する心。人間が好きなんだな、とお互い確認することとなる。

https://www.youtube.com/watch?v=bd27uvQwEt0

<10>につづく

| | | コメント (0)

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<21>

   <20>からつづく
51cf35abzl
「週刊 仏教新発見  改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<21>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆ 

 今回は、特にこれを使おうというものもある。例えば、マル君の遺品となった竹ひご。何か彼の釣りの趣味に使おうと思っていたものであろうか。これを今回の作品に編み込みたい。

Img_4639 

 次には、桐の木でできたオヒツ。本来米を収納しておくものだから、神聖であるべきものであるが、なるほど経年劣化で、ちょっとくたびれている。だけど、一気に廃品は寂しい。ちょっと太めの柱とか細工物に使えるはずだ。

Img_4640 

 次にはスダレ。西日を浴びて色褪せており、編んだ糸もほつれてしまった。だが、この古びた感覚もなかなかに捨てがたい。部分的な屋根材なんかにどうだろう。

Img_4642
 次の登場は、使い道の分からない木の枠。職人さんが手を入れて作っているものだが、使用目的が意味不明。廃棄寸前で、私の目に留まった。これはこれ、活躍の場があるはずだ。

Img_4641 

 さて、一番の土台のベース作りが始まった。
  Img_4647
 一番最初のリアリティ。今回は、前回の8倍の骨材が必要とされる。すでに前回の3~4倍は集めたものと思うが、まだまだ不足している。いかに廃物利用とは言え、無駄はできない。少ない材料を、文字通り適材適所、有効利用して、形を作る必要がある。
Img_4649

 今回はかなり大きいので一部には木ネジも必要か、と考えて準備はしたものの、いまいち説得力がない。現在のところ、木工ボンドのみの接着だ。

Img_4650 

    次は一階の神殿つくりの部分。かき集めた廃物なのに、ちょうど色と言い、形といい、長さといい、ぴったりの部材が存在する。こういうところで、ぴったりくるのが、廃物アートの妙味だ。だがしかし、若干数が足りない。ここもまた一工夫が必要だ。

 Img_4654 

 そして、最も大事な部分に属する心柱。これが今回は難航中。柱材一本などホームセンターに走れば、ほどよいものが安価に手にはいるが、それでは廃物アートの名が廃る。今現在、手元にあるものを、どのようにグレードアップして、禅アートまで昇華するか、ここんところが、ミソなのである。

Img_4655

<22>につづく

| | | コメント (0)

2020/06/14

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <8>

<7>からつづく 

81fgkpghsil
「京都人の密かな愉しみ」 <8>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ

 どうしてこのドラマに私はつかまってしまったのか。せっかくDVDが5枚もそろっているので、ここでかなり荒っぽいやり方だが、5枚のDVDのうち、まずは一番面白いと思う部分をまずは抜き書きしてみよう。

 その前に、メインの沢藤三十八子とエドワード・ヒースローの絡み、これは別格なので、別途検討することとする。そして、最も個人的関心からはずれている京料理シリーズは、最初から外すこととする。

 そうなれば、あとは気になるのは、「京都人物語」あたりとなるだろうか。

 1「エピソード1」 第一作だけに、キチンとコンセプトが出来上がっていないのか、と思いきや、まったく逆である。
「わたしの大黒さん」にも胸キュンとなる。それに「桐ダンスの恋文」。こちらも胸キュンキュンである。外から見ればうらやましそうな京都人の暮らしも、結構悩みが伴う。また、京都ならではの一生というものを突き付けられる。

 2「夏」ここでは、京都人物語の「真名井の女」「木屋町 珈琲夢譚」が拮抗する。これは選べない。どちらもいい。水に関する味覚の問題である。私は、三つの銘柄の地酒会社に水を提供する井戸を持つ農家に生まれたが、幸か不幸か、水を味わい分ける力には恵まれなかった。そのことに対する劣等感と、うらやましさ、それが、この二つのドラマにつかまる理由だろう。

 3「冬」「えっちゃん」もなかなかよかったが、一番のインパクトは「京都人の幻のかに」であろう。エドワード・ヒースロー物だが、私のまったく知らない世界を、田舎を舞台にして展開されているところがいいのだろうか。それと伊武雅刀の、山寺のとぼけた住職ぶりがなんともいい。

 4「月夜の告白」 ここは「月待ちの笛」で決まりでしょう。其の一、其の二と分割されているが、ひとつのドラマだ。淡い恋心、大人の恋、そして竜笛、喉笛。生活と歴史が文化として溶け合っている。

 5「桜散る」 そして、最終章は「逢瀬の桜」其の一、其の二です。主人公が仏師の娘というところがなんともいい。演劇をやっているところもいい。佐川満男のおとぼけぶりがなんともいい。

 ここまで来て、敢えてランク付けするとすれば、
1、「逢瀬の桜」
2、「月待ちの笛」
3、「桐ダンスの恋文」
4、「わたしの大黒さん」
5、「木屋町 珈琲夢譚」
6、「真名井の女」
7、
「京都人の幻のかに」
8、「えっちゃん」

という順になるだろうか。 並べてみると、気が付くのは、ほとんどが恋がテーマになっていること。「木屋町 珈琲夢譚」は、父親と息子の話だが、これもまた親子の恋、ととることもできる。また「京都人の幻のかに」もまた、食に対する強烈な恋と解釈することも可能であろう。可能であるが、この二つは敢えてカットする。

 そうとなれば「えっちゃん」もまた、女性同士の恋心ということになるが、これもまたカットか。「真名井の女」も若い男女の絡みのストーリーだが、私自身にはやや時代遅れ、時期を逃してしまったストーリーなので、敢えて涙のカット。そういうなら「桐ダンスの恋文」だって、若い人たちの恋愛ストーリーに力を借り過ぎている。

 それならそれなら「わたしの大黒さん」だって、若い人たちの恋愛に軸足を置いているじゃないか、とカッート! となると、残るは、「逢瀬の桜」と「月待ちの笛」の争いとなる。今まで私は「逢瀬の桜」が最後まで残るものと思っていたが、いやいや実は、大人の恋としては「月待ちの笛」のほうがはるかに優れているのではないか、などと揺らぎ始めた。

 「逢瀬の桜」は何度も何度も見てしまったから、敢えていま再生しようとすればむしろ「月待の笛」のほうが先にくる感じだ。大人の恋。子供のいない夫婦だけに、心情そのものが浮き上がってくる。しかし、このようなストーリーを創り出せる人って、どんな人なんだろう。すごいもんだな。

 そして、こうして気づくことは、さらにこのドラマのバック音楽が、そのものがダイレクトにこちらのハートに響いてくる、ということだろう。であればこそ、ここでの竜笛というか喉笛(のうかん)の音楽が、さらに胸をしめつける。今日のところは「月待ちの笛」で決めよう。

 気づいてみれば、ピアノ曲もなんともいいし、カメラワークもいい。結局、いいことづくめですなぁ。役者たちも達者に、見るものを見事に騙してくれる。こんな作品集を作れる源孝志という人はどんな人なんだろう?

<9>につづく

| | | コメント (0)

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<20>

<19>からつづく
51cf35abzl
「週刊 仏教新発見  改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<20>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆ 
   

Img_4600

 「断面図」、「立面図」、「彩色図」のうち、まずは一枚づつ作成していく必要がある。これがなかなか体力と気力を要求される。

Img_4624

 あまりに大きいので、掛け軸スタイルにする。

Img_4632

 こうすれば実際の大きさと質感がイメージできる。かなりデカい。

Img_4636

 さて、集めた骨材は十分なのか? いやいや、まだまだだ。前回の8倍が必要となるわけだから、今後も積極的に集めていこうと思う。

Img_4602

 さぁ、いよいよベースからスタートである。

<21>につづく

| |

2020/06/13

<異説>親鸞・浄土真宗ノート 玉川信明 <4>

<3>からつづく 

「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」 <4>
玉川信明 2004/04 社会評論社 単行本 306p
★★★★☆

 このOSHO霊言集(笑)は、いままで私が勝手にイメージしていたものより、はるかに重層なものだった。なんと117pから197pまで、80ページにも渡るものである。それがさらに4章に分割され、まずは、その第1章を読んだ。読後の感触としては、なんともまぁ、必ずしも快感とはいいがたいものが残る。

 この本は、玉川のOSHO「研究」の総まとめとして5冊目に2004年に発行されている。世界の、とりわけ日本のスピリチュアル界は、例の1995年に起きた麻原集団による一連の事件の影響で、誤解が誤解を生むために、弁解や提言より沈黙を守った関係者が多かった。

 その中にあって、ある意味積極的に発言した玉川の「蛮勇」は一定程度評価されてしかるべきだとは思うが、十分な検討もされず、好意的な協力もなかったように思われる。寡聞にして、この玉川の一連のOSHO本を取り上げている友人たちの論評をほとんど聞いたことがないし、どちらかと言えば、無視、黙殺されてきたというべきであろう。

 ここにあえて再び光を当てるというか、メスを入れてみようと思い立ったのは、玉川云々よりも、親鸞そのものを当ブログとして、なんとかとらえ直しておきたいと思うからである。いくつかの足掛かりがあるが、まぁ、まずはこの玉川本を無視してしまうのは、もったいないように思うのである。

和尚(略) まずこの世の人生は「暗黒」ではなく「祝祭」とみなさなければなりません。p119「第一章 神は擬人格ではなく存在性である」

 まず、ここにおいて玉川はどうしてOSHOをこのような戯画化したデフォルメで語らざるを得なかったのだろうか。手慣れた物書きの、ちょっとした手慰み、というところであろうか。霊言でもなければ、チャネリングでもない。玉川個人のマインドのごちゃごちゃな混ぜ合わせに過ぎない。

 そのタイトルに倣うなら、むしろOSHOを擬人格化するのではなく、むしろその「存在」にアプローチすべきだったのではないか。ましてや直接OSHOが親鸞に触れたものではいものを、自ら作り出しては、それと葛藤している。まさに煩悩とシャドーボクシングを展開しているようにさえ見えてくる。

 1977年にプーナを訪ねた時、OSHOのブッタホールでは、スーフィーダンスという、いわばフォークダンスのようなイベントが毎日展開されていた。その中では、さまざまな歌や踊りが取り入れられていたが、その一つに「ナミアミーダ、ブーツ」というのがあった。

 最初は何が何だか分からなかったが、これは明らかに南無阿弥陀仏のことを言っている。そして、その後に体験した三日間のエンライトメント・インテンシブというグループセッションでは、マ・アミタという情勢が、リーダーセラピストを担当していた。ここでのアミタとは、明らかに阿弥陀である。あの「堕ちたグル」を書いた元ガードマンと同棲していた、とかいう話の片割れである。

 いずれにせよ、親鸞や浄土教に直接触れなかったにせよ、OSHOは明らかに、この動きを察知していて、なんらかのアクションを起こしていた、と見ることはできる。おそらく鈴木大拙あたりが積極的に紹介していたところあたりから理解していたのかもしれない。まるで玉川のマインドの遊びとまでは言い切れないが、やはりそこにあるギャップは、私には大きいように見える。

和尚(略)性に関してはチベットのタントラ(密教)が最も明らかにしています。 p125 同上

 OSHOの三大テーマと言えば、禅であり、タントラであり、スーフィーだろう。日本においては最も禅が知られている。タントラは密教という形で日本独特の理解のされ方をしているが、チベットのタントラは、まったく別モノと理解していいだろう。スーフィーは、日本では、まったく知られていない、と断言してもおかしくはない。

 OSHOはこの現代に活きている地球人たちを相手にしたのであり、その地域々々、あるいは一人ひとりの嗜好性に合わせて、広い感覚帯を使ったのであって、すべてを習得する必要もないし、ごちゃまぜにしてしまう必要性もない。混ぜるな危険。親鸞とタントラを、同じ時代性であったとしても、その地域的背景を無視して、一気に、勝手な解決策とすべきではないだろう。

和尚(略)本格宗教とすれば間違いだらけで、一種の詐欺宗教だともいえましょう。 p136 同上

 この辺は、仮想インタビューなどと逃げずに、しかもOSHOの権威を借りずに、玉川は、直接自分の言葉で、自分の責任の名において、キチンと決別すべきだったのである。OSHOにすれば、宗教すべてそのものが「詐欺」なのだ。浄土宗や浄土真宗だけが、ここで取り上げて語られるべきではない。

 むしろ、OSHOならば、親鸞そのものの言説よりも、その存在そのものから掬い上げたいくつかの有力な存在エピソードをとらえて、親鸞をべた褒めする可能性すらある。ここで和尚(という仮称)を借りて、玉川が自らの本意を達成しよとするのは、虎の威を借りたイタチ程度の哀れな姿にさえ見えてくるのである。

 この章で、親鸞の著書の一つに、「愚禿悲嘆述懐」という名前が付いていることを知って笑った。

<5>につづく

| | | コメント (0)

素晴楽堂日記 36

<35>からつづく

 

紫陽花や色とりどりに慈雨の降る 把不住

102829140_3364053413606749_8992400756086

<37>につづく

| | | コメント (0)

2020/06/12

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<19>

<18>からつづく
51cf35abzl
「週刊 仏教新発見  改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<19>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆

 さて、かつてのくしゃくしゃになってしまった40分の1の断面図を再生する必要がある。丁寧に剥がし、アイロンをかけてしわを取り、寸法を合わせる。そして、これを2倍すれば20分の1の断面図になるのだが、簡単にはいかない。

 拡大用の用紙がないからだ。現在のA4版をA3版に拡大。これで141倍。これを更に二枚のA3版にする。1.41X1.41で、ようやく200%となる。現物31.5mだから、これの20分の1、約1.70m。これに台座が付けば、ほぼ私の身長と同じになる。

Img_4593 
 かなりの大きさである。この断面図を貼り合わせるだけで一仕事だ。縦横が曲がらないように注意しないといけない。それに、今度は、あまり劣化しないように最初から糊で張り合わせ、可能な範囲で掛け軸のような巻物にしておきたいと思う。

 これをこの断面図、立面図、彩色図の三枚作ることになる。あまり先を考えると気が重くなるので、考えすぎない。目の前の楽しさを味わおう。

 そして実体として、これはどの程度の大きさになるのか。実際にそれらの材料となる廃物は調達できているのか。これが問題である。不足分を金銭的に調達することはそれほど難しい問題ではない。されど、我が廃物禅アート、廃棄寸前の不要物を活用するのがミソである。

Img_4597

 ベースとなるべき台座の材料は今のところ、チップ材を集合した板しかない。80㎝×80㎝だ。そうそう無垢材はない。あったとしても高価であり、また重量も重いものとなる。ベースなのだから、これを活用する手は残っている。

 さて、キモ中のキモである心柱である。これは三本で組み合わさるわけだから、せめて60㎝ほどのものが三本必要となる。現在は、壁張り紙の紙材質の心棒でイメージを作っている。中身は空洞だ。ここは気を入れてしっかりしたものを探す必要があるのだが、どうなるだろう。

 とにかく、ここからがイメージのスタートである。

<20>につづく

| | | コメント (0)

<異説>親鸞・浄土真宗ノート 玉川信明 <3>

<2>からつづく 

「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」 <3>
玉川信明 2004/04 社会評論社 単行本 306p
★★★★☆

 さて100数十ページ読み進んできて、約三分の一強をパラパラ目を通してきた。これからいよいよ例のOSHO霊言集(笑)にとりかかるわけだが、ここで中間的なまとめをしておく。

 僕が初めて親鸞なる人物を知ったのは、二十二、三歳のコミュニスト時代である。(中略)僕はその講義を聞いて、いっぺんに親鸞に魅せられた。p3「まえがき」

 1930年6月生まれの彼、1952・3年の事である。私が生まれる前である。ここで自分をコミュニストと呼んでいるが、彼の全体の人生のイメージは、アナキスト、と言っていいのであろう。

 僕は七十歳、日本ジャーナリスト専門学校定年と同時に、インドの偉大な宗教家和尚(略)を知って、自分の全生涯を開設してもらった気がした。p5同上

 つまり、21世紀初頭において、初めてOSHOと出会い、書物を手に取ったかに思われる。その直前はジャーナリストと称する生業をしていたのであろうが、おそらく非常勤とかアルバイト的なものであったのではなかろうか、と推測する。

 彼の他の著作にも通じることだが、ひたすら本を読み、それに自らの所感を付け加えることで造本するシステムのようで、現場の取材をするのを基本とし、公平であるべきジャーナリストとは、ややいいがたい面があったように私は思う。

 現にメディテイション(瞑想訓練)の結果、覚りを開いている人もいる。p71 「苦悩者救済が親鸞の真意であった」

 この本、気づいてみれば、随所にOSHO日本語訳の影響の「悪」影響を受けている面が多々ある。この言葉遣い(笑) このセンス。70才にして、晩年はOSHOに傾倒した、と言われるだけある。しかし、この本にしても、80冊ほどの親鸞本を読みこんで、それをぶつ切りにしてぶち込んであるようだから、OSHO読者から見ても可笑しいように、親鸞読みからしても、おそらくだが、頓珍漢な部分が、あるに違いないのである。

 今日ではメディテイション(瞑想)とされる行法がもっとも有効なものとされている。p79 同上

 だから、あんまり無理しないで、使い慣れない言葉を多用する必要はないと思われるのだが・・・(笑) そんな言い方をするなら、親鸞の同時代人であった道元になぜ注目しなかったのか。片手落ちではないか。

 法然は「造像起塔」(像塔の布施)「持戒持律」(戒律の維持)、・・・・云々 p85

 ここでは文脈は無視するとして、造像起塔、という言葉が新鮮でビックリした。必ずしも否定的にばかり取られてもいなようであるが、いずれにせよ浄土教関連の用語であるようだ。持戒持律はともかくとして、現在の私のシュミは造像起塔と言えないこともない。薬師如来を造像し、五重塔を起塔している。(ミニチュアのホビーの世界だが)。なんだかおかしい(笑)

 心理学的にいうと、親鸞は「離人症」とも呼ぶべき体質の人であった。p99 「現実としての半俗人・親鸞を読む」

 ここにきて、いきなりスティグマ張りはいかがか、と思うが、玉川本人は、親鸞を捨てにきているわけだから、この位の捨て台詞を言わなくてはならなかったのであろう。

 たしかに宗教には「個」というものは必要なものである。p102 同上

 ほらほら、まるでOSHOかぶれが見え見えだ。無理してドリフト走行しているようで、タイヤの減りが心配だ(笑)

 親鸞はまたして阿弥陀仏にすごすごと帰らざるを得なかったのであろう。p115 同上

 今回は、玉川のOSHO傾倒噺ばかりではなく、当ブログとしては、親鸞との遭遇をめざしているわけだから、もっと全うに親鸞と向かい合う必要を感じる。山折哲雄や五木寛之他、割りの多くの作家や著述家たちが、晩年には親鸞に向かっている場合が多い(ように見えている)。玉川も私から見ればそう思えていたわけだが、そのひとりひとりについての理解(誤解を解く)必要があるだろう。

 そのためにも、先日読んだ、コンパクトな「京都・宗祖の旅」シリーズには、道元とともに親鸞も一冊加えられているはずだった。この二人の同時代人を並列して眺めることによって、当ブログに益する何かが浮き上がってくる可能性はある。

 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、という台詞。高校一年生の倫理社会の時間に、ソクラテスの無知の知と同じくらい基本中の基本として学んできた親鸞の世界。いまようやく当ブログは再突入しようとしている。

 たしかわがSNS友にしてサニヤシンである一人も、たしか親鸞関連で一冊モノしているはずである。この勢いで、あの一冊にも手が届くチャンスが到来するかもしれない。

<4>につづく

 

| | | コメント (0)

2020/06/10

<異説>親鸞・浄土真宗ノート 玉川信明 <2>

<1>からつづく 

「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」 <2>
玉川信明 2004/04 社会評論社 単行本 306p
★★★★☆

 さて、いよいよこの本に戻ってきた。15年ほど前にブログを始めた頃は、やりたいこと、読みたい本がたくさんあって、一度はこの本に出合ったものの、この支線を深追いするほどの余裕はなかった。

 この度、ある意味やりたいことはやりつくし、読みたい本はほとんど読んでしまった段階で、ふたたびこの本を思い出した、というわけである。

 玉川信明については、一度追っかけてはみたものの、当ブログ初期の段階で、リストそのものも十分なものとしては残されていない。21世紀になって、突然OSHO本を繰り出してこられ、身に降る火の粉は払わにゃならぬ、の一心で逃げ切ってきたので、逃げてしまえばそれでいいや、と思っていた。

 それに、玉川という御仁、晩年にOSHOに傾倒したものの、最終的にはこの親鸞本を一冊残して身罷った、と理解(誤解)しており、まぁ、縁のない御仁だったな、と勝手に思い込んでいた。

 されど、だれもかれもが最晩年には親鸞に行きつく、という現象を遠巻きに見ていて、それは一体どういう現象なのか、と、いつかは親鸞突入のチャンスをうかがっていたともいえる。

 今回、この本をもう少し突っ込んでみたいと思い、ネットで検索したら、思いのほか安価にでていたので、資料としてはそれでいいや、と思い入手した。ところがどっこい、最安値にして、かなりの美本であり、なおのこと、新刊同様の帯までついていたのである。前回は図書館本だったので、帯はなかった。

Img_4571
 この帯を見て、初めて私は、ひょっとすると、私は玉川を大いに誤解していたのではないか、と思い始めた。「阿弥陀仏による救いはついになかった」これは、親鸞そのものの述懐でもあろうが、玉川が親鸞に対して持っていた思いの、最終決算ではなかったのか、と感じることになった。

 前回のそそかしいパラパラ読みに続いて、今回もまだ最初の数十ページを開いたところだが、まずは玉川本人は、人生初期の段階ですでに親鸞とは出会っていたのである。ある意味、彼の宗教心のベースは親鸞にあったといっていいのであった。その玉川が、晩年にOSHOと出会い、結局は、親鸞に別れを告げにいく、という最終章だった、と理解できる一冊であった。

 そもそも玉川のOSHO理解も、<異説>OSHO・瞑想ノート、と名づけてもいいくらいの、ちょっとした頓珍漢な部類に属するものであり、全肯定的に首肯できるものではない。そもそもが、どこかの教団なみの、OSHO霊言集みたいな表現は願い下げではあるのだが、視点は、ひとりの先人としての見かたとしては、まずはこれもありかな、と思わせるものがある。

Img_4572

 そしてまた帯の裏表紙側もなかなかに意味深い。「親鸞はまたしても阿弥陀仏にすごすご帰らざるをえなかった。」とある。こここそ親鸞の魅力が倍増する面ではあるが、はて、玉川信明その人も、最終的には親鸞に帰らざるを得なかったのか。その辺を、今回はもうすこし見極めたいと思うのである。

 それとともに、玉川と交流のあったとされる竹中労、彼との懐かしい接触の一場面が、旧友たる菅野ひろこ氏の「長距離ランナー」に記載してあるのを、ごく最近チラっと見てしまったので、この際、その辺まで足を伸ばしてみることにする。

<3>につづく

 

| | | コメント (0)

2020/06/08

OSHO「存在の詩」第2号 1975/10 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 編集スワミ・プレム・プラブッダ

第1号からつづく 工事中 長文注意

 No.4407  

 Img_4291
Img_4292
Img_4293
Img_4294
Img_4295_20200608234901
Img_4296
Img_4297
Img_4298
Img_4299
Img_4300
Img_4301_20200609000601
Img_4302
Img_4303
Img_4304
Img_4305
Img_4306
Img_4307
Img_4308 Img_4309
Img_4310
Img_4311
Img_4312
Img_4313
Img_4314
Img_4315
Img_4316
Img_4317
Img_4318
Img_4319
Img_4320
Img_4321
Img_4322
Img_4323
Img_4324_20200609002601
Img_4325
Img_4326
Img_4327_20200609003001 Img_4328
Img_4329
Img_4330
Img_4331
Img_4332
Img_4333
Img_4334
Img_4335
Img_4336_20200609003501 Img_4337 Img_4338_20200609003701
Img_4339
Img_4340
Img_4341
Img_4342_20200609004201
Img_4343
Img_4344
Img_4345
Img_4346
Img_4347
Img_4348
Img_4349
Img_4350
Img_4351
Img_4352

| | | コメント (0)

MMSについて<4>

<3>からつづく

進派にして10年以上愛用しているという知人が推奨してくれた頁が「How to Make MMS」。詳しく製作法が書いてある。https://jimhumble.co/how-to-make-mms
但し、巻末には次のコメントが加えられている。



Mmshrgcover1331x490 

 

ーーーーーーーーー

Disclaimer: These statements have not been evaluated by the Food and Drug Administration. This product is not intended to diagnose, treat, cure, or prevent any disease. License: Except where otherwise noted, content on this site is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivs 3.0 Unported License.
ーーーーーーーー

(以下、自動翻訳してみると)免責事項:これらのステートメントは食品医薬品局によって評価されていません。この製品は、病気の診断、治療、治癒、予防を目的としたものではありません。ライセンス:特に明記されていない限り、このサイトのコンテンツは、クリエイティブコモンズの表示-非営利-改変禁止3.0非移植ライセンスに基づいて使用許諾されます。

ーーーーーーーーー

傍線太字引用者。 

 <2020/06/08 01:30> 

 

<完44009ed8ce1d4b129b93e20a7cf45491

| |

ニンニク

101559602_3348175915194499_5175619061226

去年の秋に何気なくニンニクの種を5個買って、畑に埋めておいた。はじめてだったので、どんな成長をするのか興味深かった。

何もしなくても茎は伸びて、それなりに成長を遂げた。雪降る時もあるし、風吹く時もある。収穫時期もよくわからないが、ソロソロだよ、という声。

今年は赤サビが発生したから、ここまでだ、もう抜いたほうがいいよ、と教えてもらった。...

そこで、慎重に茎を引っ張って見た。これがなかなか抜けない。おお、これはひょっとするとどでかい実になっているかも、と期待した。

まわりから、スコップで遠巻きに掘り出し、ようやく引っこ抜いてみれば、あれあれ、割と小粒な、可愛い奴が5個。こんだけ作るだけで、8ヶ月もかかるのか。

まぁそれにしても、ニンニクになったのは間違いない。少し乾燥させたあとは、これで黒にんにくを作る予定。

閑話休題。今日久しぶりに早朝座禅会に参加した。緊急事態も緩和されて、参加者も戻りつつあるというが、まだまだ少ない。禅堂でもソーシャルディスタンス。座席は一つおきだ。

とはいえ、禅は禅である。警策も入れば背筋も伸びる。寺でも葬式の列席者が減っているらしい。ほとんど身内だけ。葬儀会館を使わず、直接お寺で読経してもらう故人も増えたという。

もともと、これが当たり前の姿だろな。そもそもひとり葬儀会館だけが受けにいって、増えすぎた。ビジネスマインド、ありすぎだろう。アフターコロナ、ウィズコロナ時代には、もう葬儀会館はこれ以上増えないだろう。

わずかな時間ではあったが、座った。三密を避けて朝粥のお振る舞いはなかったが、私はとりあえず、キーホルダーに入っていた小銭を全部賽銭箱に納めて来た。

ニンニクは、忍辱にも通ずるという。何かに我慢するというより、我が身を処する事、我が心を見通すことに通ずるという。うちのニンニクは、小さいけど、どこか座った仏さんに見えてこないか? ひとり笑った。

 

| | | コメント (0)

2020/06/07

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <7>

<6>からつづく 

81fgkpghsil
「京都人の密かな愉しみ」 <7>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ

 コロナ・パンデミックの第一波がやや落ち着き加減。すっかり閉じていた図書館も、すこしづつだが、また動き始めた。なにか借りようかなと、思えば、いろいろあるが、どうやら、全DVDが揃ったようなので、まずはこのシリーズから再開としようか、と思った。

 何が楽しいのかと言われて、何が楽しいのか明言はできないが、明言できないよ、と言えば、ああそうなんだ、と納得してくれる友人も多い。彼らとて、このシリーズを嫌いなわけじゃないし、嫌いじゃない理由を明確に私に伝えてくれたこともない。まぁ、好きだよ、ということだよね、お互い。

Photo_20200607163801

 文化人類学者(!)エドワード・ヒースローに拠れば、日本には、京都人と日本人の二種類の人間が住んでいるらしい。、私は当然日本人に分類されるだろう。決して京都人には分類されないだろうが、でも、本当は日本人と分類されるのも、ちょっと居心地が悪い。

 この番組は、決してエスノセントリズム的に京都を持ち上げているわけでもなく、むしろグローバルな視点から、ある一点を見つめ直そうとしている。それは、よりによって、恋愛ストーリーなのだ。女と男の悲恋、いや、悲恋とばかりも決めつけることはできない。恋とはそもそも、悲しさが伴うものだろう。

 このシリーズ、もっともっと大河化してくれたらいいのに、と思う。このシリーズの後続番組「修行中」のほうも、決して悪い番組ではないが、感情移入で言えば、はるかにこちらのほうが、ドキドキする。年齢設定がこちらの方が大人だからなのか。からむ人間関係が、なんとも大人だ。これが京都人的、というなら、それはそれでいいだろう。

 このパンデミックで、観光地の京都は甚大な影響があるかの伝聞があるが、本当のところはどうなのだろう。むしろ一見さんだらけの観光地京都より、しっとり生活感のある、静かな京都はいいだろうな。

<8>につづく


| | | コメント (0)

2020/06/05

When I'm Sixty Four by the Beatles

Sgt_pepperslonelyheartsclubband

https://www.youtube.com/watch?v=HCTunqv1Xt4

 

When I'm Sixty Four

by the Beatles

 

When I get older losing my hair
僕が年をとって、髪も薄くなっても、
 
Many years from now
まだずっと先のことだけど、
 
Will you still be sending me a valentine
それでもバレンタインや、
 
Birthday greetings, bottle of wine?
誕生日のカードや、ワインなんか送ってくれるかい?
 
If I'd been out till quarter to three
もし僕が夜中の3時前まで帰らなかったら
 
Would you lock the door?
玄関のカギをかける?
 
Will you still need me, will you still feed me
それでも僕を必要として、料理も作ってくれる?
 
When I'm sixty-four?
僕が64歳になっても?
 
You'll be older too
君だって今より年取ってるよ
 
And if you say the word
もし「はい」って言ってくれたら
 
I could stay with you
僕も君と一緒にいるよ
 
I could be handy, mending a fuse
僕は結構役に立つよ、ヒューズだって変えられるし
 
When your lights have gone
停電しちゃったらね
 
You can knit a sweater by the fireside
君は暖炉のそばでセーターでも編んでていいよ
 
Sunday mornings go for a ride
日曜の朝はドライブに行ったり
 
Doing the garden, digging the weeds
庭の手入れしたり、草むしりをしたりするよ
 
Who could ask for more?
いたれり尽くせりだろ?
 
Will you still need me, will you still feed me
僕を必要として、料理も作ってくれる?
 
When I'm sixty-four?
僕が64歳になっても?
Every summer we can rent a cottage in the Isle of Wight
夏は毎年ワイト島のコテージを借りよう
 
If it's not too dear
高すぎなければだけど
 
We shall scrimp and save
倹約して貯金もしよう
 
Grandchildren on your knee
君の膝には孫たちがまとわりついてる
 
Vera, Chuck & Dave
ベラとチャックとデイブがね
 
Send me a postcard, drop me a line
僕に一言書いて、葉書でも送ってくれよ
 
Stating point of view
君の意見を書いて
 
Indicate precisely what you mean to say
言いたいことをハッキリと僕に伝えてほしいんだ
 
Yours sincerely, wasting away
君からの手紙がないと、もう僕はだめだ
 
Give me your answer, fill in a form
答えがほしい、用紙に記入するみたいに
 
Mine for evermore
永遠に僕のものになるって
 
Will you still need me, will you still feed me
ずっと僕を必要として、料理も作ってくれる?
 
When I'm sixty-four?
僕が64歳になっても?

Ho!

| | | コメント (0)

2020/06/04

素晴楽堂日記 35

<34>からつづく

 

阿と問へば吽と答える麦畑

光観るバスに燕の落し物      把不住

<36>につづく

| | | コメント (0)

麦畑

去年のこと、さる観光協会の日帰り史跡めぐりツアーに参加した。大変重要な史跡で、バス会社もピカピカの新車50人乗りの豪華版を手配してくれた。

最終コースに差し掛かり、さていよいよ居眠りしながら帰路へ、という段階になって、みなさん戻って来ましたか、お隣の席を確認しましょう、となった。

ところが、幹事クラスのおじいさんの姿が見えない。あれおかしいな、とケータイかけても出ない。出発の時刻をだいぶ過ぎても見つからないので、みんなバスを降りて探し始めた。

...

確かに草深い山里で 、近くにあまり民家のない、閑散としてスポットだ。そう難しくなくて見つかるだろうと、タカをくくっていたが、なかなか見つからない。

周辺の草むらをチェックする人、水路をチェックする人、もしや交通事故ではと、通りの側面を探す人。まさか、ケータイの番号間違っているんじゃない、と掛け直す人。忘れていったのかな。いや、持ってたはずだよ。

じゃ、俺もかけてみようか、と、かけ直してみる人、じゃぁ、俺も俺もと、10人ほどがかけ直したが、まったく返信がない。すわ、これは大事件、と、そろそろケーサツに捜索願いだね、なんてご婦人のメンバーが言い出し始めた時、いたぞー、と遠くから大声の合図。

よかった、よかった、運転手さんを初め、全員に笑顔が戻った。どうやら周辺を徒歩で見学中に、急に便意を催し、一人ツアー集団の群れを離れ、トイレを探し始めたのだという。

確かここに来る途中に、小学校があったはず。学校のトイレを借りようと思ったが、思いの外、遠かった。もはや杖も必需品となる、中期から後期となる、高齢者である。間に合ったのかどうかまで、仔細を聞く人はなかった。

幹部の紳士である。なかなかイケてるお爺ちゃん。御一行は、和やかに帰路についた、はずだった。ところがバスの中は、意に反して盛り上がらない。みんな、それとなく、ひとりひとり、にわかに持ち上がった、疑問に付きまとわれ始めた。

こ、これ、これは何? 新車の豪華バスの座席は、ますます豪華でリラクゼーションの極みである。さっきまで、新車の香りそのものだったはずだが、ちょいと違う。隣の人と相談する前に、ほとんどの人が納得した。相談するまでもない。バスの中のやや重苦しい空気が、共通の理解を示していた。

間に合ったかどうかは定かではない。ただはっきり言えることは、微量であれ、大量であれ、衣着とともに、その発信源がバスの中に、持ち帰られことは確かであった。そうと分れば、あとはそのことに触れることもなく、誰一人俺気づいたよ、というそぶりを見せることなく、残り1時間半の行程についた。

壮大な歴史ロマンを楽しむ仲間たちである。優しさ溢れる慈眼愛語の達人たちでもある。誰かが誰かを揶揄したり、なんてことはありえない。だが、別のことでひとり二人は冗談を大きな声で言い放ったりはするのだが、あとが続くことはなかった。

終点に到着して、幹部たちが下車し、新参者の最後部席から幹部席を通り過ぎる時、私の知覚は、誰もいないはずの豪華客席から、その発生源であろう痕跡を、しっかり感知することができた。衣服の隙間を通って浸透し、しっかり固定されたものと思われる。

前期高齢者としてお仲間入りした私とて他人ごとではない。アフターコロナ、ウィズコロナが取り沙汰される時代、マスクとともに、もう一つの紙製品の常時携帯を、私も真剣に検討中である。

とともに、バス会社の担当の方も、通常の除菌剤で間に合ったのかどうか、心配が残る。大打撃を受けてる観光業界。あの一件が、会社経営そのものにまで、影響をもたらしていないことを祈っている。

 

阿と問えば吽と答える麦畑    把不住

| | | コメント (0)

2020/06/02

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<18>

<17>からつづく
51cf35abzl
「週刊 仏教新発見  改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<17>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆

 あれからすでに4年が経過しているのか。今このプロジェクトがふたたび動き出そうとしている。4年前の40分の1の設計図はすでにボロボロで、これらを修復するところから始まる。

Print

 セロテープで張り付けていたために接着力がなくなり、また図面そのものがしわくちゃになっている。これらをばらして、アイロンをかけ、糊でより安定的に接着する必要がある。

 そして一番大事なことは、この図面からさらに20分の1の図面を作成することである。つまり、前回の作品の大きさは倍となる。大きさが倍ということは、面積で4倍、材料としては、体積として8倍が必要となる。つまり、骨材は足りているのか?

Img_4480

 少しづつ蓄えてきたはずではあるが、実体的に足りているのかどうかは分からない。かなり可能性はあるはずであるが、すこしづつ制作しながら、さらに骨材を追加貯蓄していけばいいだろう。

 その前に、これらの材料をバラして、それぞれの材質間の親和性を高めていかなくてはならない。解体、整形、洗浄、除菌。そして適材適所で、それぞれの適正と、配置されるべき位置を確認していく必要がある。

 そして大きさはこれくらい。

Img56824112

 かなりの大きさである。これは18分の1。志度寺の五重塔(18分の1サイズ)幅53×奥行53×高さ178cm(台含む寸法) 60kg とのことである。志度寺とは四国にあるお寺らしい。法隆寺とはちょっと違う。

 職歴何十年の職人さんが欅無垢材で制作する。250万円だという。それも妥当だろう。40分の1模型なら、10万円でキットも売っているが、これだけおおきいキットはない。

 我がアートは廃材を基本とする。だが、決して自らを卑下するわけではない。廃材だからこそ生まれてくる価値というものがある。250万円はむりとしても、まずは100万円の価値がうまれるように努力しよう。

Img56806396

 たしかにかなりの精度で作られている。ムラムラと制作意欲が湧いてくる(だろうか?)w 全体的にニスが塗ってあり、装飾性は高い。製作期間は、受注してから一か月のようだ。

Img56806374

 当ブログにおける前回の40分の1スケールの場合、4か月かかっている。今度は、間違いなくこれを超えていくだろう。とすると、年内は無理か? 最長でも1年位で終了したい。

 疫病退散。この願いを込めて、私自身の瞑想の一つとして、まもなくこのプロジェクトが、本格的にスタートする(はず)。

 

<19>につづく

| | | コメント (0)

MMSについて <3>

<2>からつづく

mmsと名付けられたサプリメントについて、この一ヶ月ほど気になっていたのは、ある知人から、購入を勧められたからだ。新型コロナウィルについてsnsに書いたところ、それをきっかけに、飲んでみたら、と電話が来た。その後ネットで多少調べたが、腑に落ちない点がいくつかあったので、保留にしておいた。

 間も無くして、このmmsについて別な知人が否定的な記事を書いていたので、留意してみていた。すると、どうやらsnsつながりの知人の中に、様々な意見があることがわかった。その経緯、顛末について、敢えてここには記録を残さないでおく。少なくとも、ネットで「mms コロナ」で検索すると、いくつかの情報が出てくるが、主要なニュースを覆すほどの印象は持てなかった。

 私は通常、この手の状況に会うと、やや克明にブログに書き、そのリンクをsnsに貼るのだが、今回はそれもやめておく。理由は、くだらなすぎるから。それに私にとって不要不急の話題であり、緊急課題でもないからである。

 私は一定の会話をネット上で楽しむことは好きだが、バトルや炎上は苦手だ。個人的に益するものは何もない。今回の会話の発言者の中には、その手の人が加わって来た。これはどうしようもない。朱に交われば赤くなる。私まで、グレードを下げる必要は感じない。私はゆっくり、心を落ち着け、静かに一人に戻っていこうと思う。

 ただ、ここにはメモを残さないが、沢山のことを学んだ。少なくとも、ネット情報で流通している主要な流れを反転するほどの存在ではない。私はmmsなるものを服用することはないし、他人に勧めることもしない。少なくともコロナの特効薬ではない。現在、新型コロナウィルスの特効薬も、ワクチンも見つかっていない。あったとしても、一定期間の検証が必要であり、唯一mmsだけが突出しているなんてことはありえない。

 他の効用も宣伝されているようだが、それら全て私は必要ない。安いとか、可能性あるとか、試してみれば、などという甘言には一切関わらない。信頼すべき他の科学者達の、真摯な研究の結果を待ちたい。現場の医療に関わっている人々の熱情に感謝したい。

 今回の新型コロナウィルスは、人類にとっての、未知との遭遇である。分からないことがたくさんある。一つ一つ、一人の地球人として、理解を進めていこうと思う。

<4>につづく

| | | コメント (0)

2020/06/01

素晴楽堂日記 34

 

<33>からつづく

 

100692652_3333107273368030_2801955076711

 

<35>へつづく

| | | コメント (0)

MMSについて <2>

<1>からつづく

言葉使いは慣れていないので、これからさらに正確さを期して行くとして、これまでの経緯から私なりに理解したことの要点を記していきます。

1)塩素系除菌剤が急にクローズアップされたのは、今回のコロナ騒ぎで、アルコール系除菌剤が、需要急増や買い占めで、急に出回らなくなったから。

2)アルコール系除菌剤が再び出回るようになれば、塩素系除菌剤の需要は次第に減少していくと思われる。

3)アルコール系除菌剤は、性能的に安定していて、仮に使用中であっても、長期間安定して、効果を維持する。我が家の場合、7年前の製品でも、効果は十分ありそうだ。

4)塩素系除菌剤は比較的容易に自作することも可能だが、性能的に安定しない。数日間、あるいは数ヶ月間のうちに使用しなければ、効果は期待できない。私が購入したした塩素系除菌剤は、製造後まもなく3ヶ月になってしまうので、昨日使い切った。

5)塩素系除菌剤は、食品関や水道、プールなど、あるいはノロウィルスなどに有効で、これでなければ、という価値はある。

6)我が家に置いては、以前よりアルコール系除菌剤を使用しており、使用目的別に、若干の買い置きがあり、当面、今回のコロナ対策としてはアルコール系を中心に使用していきたい。

7)ここまでは、外堀を埋めるための予備知識である。今回私がこの周辺を知りたくなったのは、別の本丸のテーマがあったからである。塩素系物質は、体内に取り入れて、特に今回のようなコロナ対策に効果があるのか、というテーマである。

8)この本丸テーマについては、各種意見があり、一定した識見は見出せない。二酸化塩素水ナトリウムが人体健康維持に効果があるとする愛用者の体験談が多数散見される一方、その使用方法の無効ばかりか、危険性を強く指摘するむきもある。

9)ここで二ケットが科学的に書いているとされるのは、次亜塩素酸を人体外に存在するであろうコロナウィルス対策に使用する場合についてである。

10)ここでの本丸は、人体内に取り込まれた新型コロナウィルスに対して、二酸化塩素ナトリウムあるいはそこからの派生物を、意図的に人体に取り入れた場合、健康維持、治療等に効果はあるか、という点である。この点について、危険とする「科学的」意見は聞いた。

11)繰り返します。人体に取り込まれた新型コロナウィルスに対して、二酸化塩素ナトリウムおよびその派生物を人体に取り入れた場合の好意的効果を、「科学的」に説明してくださる方があれば、ご教授ください。もちろん、推論や仮説でも構いません。

12)このテーマについて、今後特段の進展がなければ、私自身は緊急性を持って知りたいと思っているわけではないので、フェードアウトします。つまり、極論すれば、MMSはコロナ対策にはならない、というのが現段階の私的結論となります。

以上(2020/06/01 07:00)

 

<3>につづく

| | | コメント (0)

« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »